第三十一話 死闘、復活、結局こうなる
「バウマイスター辺境伯は、あの山をどう思う?」
「どうって……不思議な山ではあります。山としては美しいけど、自然な感じはしませんね」
「そうなんだよなぁ……なんか不自然なんだよ」
午前中はアーシャさんに陸小竜退治をさせて魔法の鍛錬を行い、昼食はアームストロング伯爵に呼ばれて野戦陣地で食べていた。
狩ったばかりの陸小竜の照り焼きバーガー、ポテトフライ、飲み物という簡単なメニューであったが、ここは戦場みたいなものなのでこれで十分であろう。
貴族によっては、前線にもシェフを連れてフルコースを食べる人もいるらしいが、それは自腹なのだそうだ。
元々アームストロング伯爵はそういう無駄なことは嫌いだそうで、さらに導師と同じようにこういう時にB級グルメ的なものを食べるのを楽しみにしているので、照り焼きバーガーをお替りして美味しそうに食べていた。
そして昼食後のデザートである渋を抜いた赤い実を食べながら、不意に俺に対し遠方に見える富士山のような山について聞いてきていた。
「自然な感じではない?」
「ええ、美しいけど、自然にできた山のように思えないのです。人工的に作られたような……」
綺麗なのは綺麗なんだけど、造形が綺麗に整い過ぎているのだ。
どの方向から見ても、ほとんど見た目が同じなのも変であった。
もしかしたら、人の手が入っているのかもしれないな。
「アーシャさんは、あの山についてなにか知っている? 屋敷に資料が残っているとか?」
「いいえ。あの山については一切。正直なところ、失われた資料も多いので……」
エルフ族としても普段の生活の方が大切であり、さすがに一万年以上も暮らしていれば、所持していた古い資料を喪失してしまうこともある。
書籍に使っている紙が、一万年以上も保つケースは少ないのだから。
リンガイア大陸の古文書とて、昔の人たちがちゃんと古代魔法文明時代の書籍を書き写していなければまず残っていないのだから。
「それでも、山の名前くらいは残っていてもいいはずです。あの山の情報がまったくないのはおかしいと思います」
「意図的に秘匿されていたのか?」
「というよりも、あの山が少なくとも今の形になったのが、古代魔法文明崩壊以後なのでしょう」
アームストロング伯爵の疑問に、アーシャさんはそう答えた。
「しかし、誰があの大災害の後に、あんなに大きな山をあの形にまで造成したんだ?」
「おかしな魔物たちを作り上げ、この大陸に放った存在でしょうか?」
そう考えると、辻褄は合うんだよな。
「なるほどな。アーシャ殿の推察は正しいかもしれない」
アームストロング伯爵も、アーシャさんの考えに感心していた。
「俺があの山について考えたのは、あの山の位置なんだよ」
「位置ですか?」
「ああ、アームストロング伯爵家は代々軍人なのでな。どうしても物事を軍事的に考えるのさ。あの位置にあの山がある意味は、我らが五つの領域のボスを倒してさらに南下を続ける場合、それを阻止するための要塞に見える」
「要塞ですか?」
ただの山で、要塞には見えないけど……。
見たところ、山の中から魔物が湧き出しているわけでもないし。
「軍事的には、あの山の場所に要塞を置けばって話だな。ただ俺らもあの山を詳しく探索したわけではない。だが、あの山にはあきらかに人の手が加えられている。なにかがあるのだと思った方がいい」
「もしかして、あの山の中に以前の地下遺跡のようなものがあると?」
もしかして山に近づくと、ゴーレム軍団が出てくるとか?
「あの地下遺跡の制作者はイシュルバーグ伯爵だった。あの山に手を加えたのは誰だろうな?」
「ですが、さすがのイシュルバーグ伯爵でも、古代魔法文明崩壊で生き残れたとは思えません」
あの山に手を加えられた時期は、確実に古代魔法文明崩壊以降だ。
そうでなければ、エルフ族の資料に山の名前すら残っていないなんてことはあり得ないのだから。
「実際に調べてみればわかるけどな。明日以降にでも……なんだ?」
「地震? きゃっ!」
「大丈夫? アーシャさん」
「はい……」
突然の地震でよろめいたアーシャさんを受け止めたが、この人は近くで見ると本当に綺麗だな。
耳が短い以外は、本当に昔見たファンタジー小説に出てくるエルフ族の美少女みたいなのだから。
おっと、そんなことを考えている場合ではなかった。
突然の地震で、しかもかなりの揺れのため、多くのテントが倒れ、崩れた物資の下敷きになってしまった兵士たちもいて、無事だった兵士たちが懸命に救出活動を行っている最中であった。
「地震なんて珍しいですね」
「そうなんだ」
「ええ。実は私は地震を経験するのが初めてでして。お父様が小さい頃に一度あったそうですが……」
滅多に地震がないこの大陸において、急にかなり大規模な地震かぁ……。
偶然の可能性もあるのだろうけど、なにかがおかしい。
「バウマイスター辺境伯! あれを見ろ!」
「あっ! 山の頂上が!」
富士山のような山の頂上部分が、舞い上がった雪の霧に覆われていた。
もしかしたらこの地震の原因は、あの山の頂上でなにかが起こっているからか?
いや、正確にいえばあの山全体でなにかが起こっているからであろう。
「頂上部分を派手にぶち壊しながら、なにかが出てくるように見えるな」
頂上付近の雪が舞い上がっているのは、それが原因であろう。
アームストロング伯爵の予想どおり、雪の霧が晴れた直後、頂上付近にそれはいた。
急ぎ双眼鏡で詳細を確認するも、さすがに遠すぎてよくわからない。
「バウマイスター辺境伯、こっちに向かってくるようだぞ」
山の頂上から飛び出した物体……間違いなく魔物、それもボスクラスであろう。
プテラノドンモドキを陵駕する速度で、こちらに向かって飛んできた。
俺は急ぎその場から『飛翔』を使って、迎撃に向かった。
どうやらあいつは、この野営陣地を標的と定めたようだ。
俺が戦わなければ、王国軍に大きな被害が出てしまうであろう。
「ブランタークさんはいない。導師は寝込んでいる。最悪だ!」
一人でなんとかしないと……カタリーナたちを呼びに行く時間もないとは……。
「先生!」
やはりアーシャさんには才能があるな。
この状況で、すぐ俺についてきたのだから。
だが、まだ彼女を領域のボスと戦わせるわけにはいかない。
ここは後方で待機してもらいつつ、最悪の場合王国軍の撤退を支援してもらわないと。
世界樹に逃がせば、さすがに謎のボスでも手は出せないかな?
確証はないが……。
「アーシャさん、後方で待機していてくれ」
「ですが、先生一人では……」
「俺のことは気にするな」
悪いが、俺は勝てなさそうなら『瞬間移動』で一回逃げて助っ人を呼ぶつもりだ。
別に自殺願望があるわけではないのだから。
俺は、自分の考えをアーシャさんに伝えた。
「俺が勝てそうになければ、アーシャさんは世界樹に王国軍の連中を逃がしてくれ。今から接近してくるボスが世界樹を攻撃するかどうかわからないけど、時間は稼げるだろう」
その間に、俺はブランタークさんや他の魔法使いたちを連れて戻ってくる。
複数人なら、勝率も上がるはず。
「私が、先生と戦うのは駄目なのですか?」
「今は駄目だ。俺とアーシャさんは連携の経験がないのだから」
導師、ブランタークさん、カタリーナたちはいいんだ。
そういう経験が何度もあったから。
だが、アーシャさんとはまだ連携して戦えない。
下手に無理をすると、かえって苦境に陥る可能性があるのだから。
「でも! 私は先生を置いてはいけません! これまで教わったことをどうにか戦いに生かしたいのです!」
ううっ……。
そう涙ながらに懇願されてしまうと……。
俺は女性の涙に弱いのだ。
「ならば、やはり後方に待機だ」
「先生……」
「早とちりしないように。アーシャさんの魔法の特性を考えてみよう。俺と一緒に前線で戦ってなにかいいことあるかな?」
「ありません」
「もう言わなくてもわかるよね?」
「はいっ!」
すぐに元気になったので、わかってくれたようだ。
アーシャさんは弓型の杖を使い、矢の形状にした魔法を飛ばすスタイルに長けている。
つまり、後方で俺を支援した方が戦力になるというわけだ。
俺は謎のボスと戦いながらその強さを探る。
勝てなさそうなら、アーシャさんに撤退の指示を出す。
彼女が王国軍を世界樹に誘導している間に俺が時間を稼ぎ、最後に『瞬間移動』でバウルブルクに逃げてしまえばいい。
そして助っ人を集めて、再戦という作戦だ。
「アーシャさん、後ろは任せる!」
「わかりました」
とにかく時間を稼がなければ。
謎のボス出現で発生した地震により、王国軍は少し混乱しているからだ。
導師は……まあ彼が死ぬことはないだろう。
アームストロング伯爵もいるのだから。
『高速飛翔』に切り替えて前に進むと、やはり同じような速さで飛んできたボスと鉢合わせしてしまった。
「邪魔だ! 雑魚が! 創造主様より預かったこの地を汚す人間どもめ! ワシが自ら処分してくれる!」
「喋った!」
こいつは、あきらかに領域のボスとは違っていた。
魔物のような部分もあるが、あきらかに人工的に作られたような形状をしていたからだ。
地球の創作物なら、遺伝子工学の成果、神をも恐れぬ所業というやつであろう。
全長十メートルほどのトカゲ人間の上半身が、首のないプテラノドンの体についている。
リザードマンとプテラノドンの、ケンタウルス状態といえばわかりやすいか。
しかも喋るのだから、魔物の領域のボスでもあり得なかった。
そもそも、その手に巨大な鎌を持っている時点で、通常の魔物のわけがなかったのだから。
「創造主?」
「様をつけろ! 下等生物が! この地を汚した古の愚かな人間たちを罰し、ここまで回復させた神と同等の方なのだ!」
こいつは、その創造主に創られた管理者というわけか。
ヘルムート王国によるガトル大陸開拓に怒り、それを排除するために出てきた。
「お前が大量の魔物たちを動かしているのか?」
「そうだ! よくもワシの可愛い魔物たちを沢山殺してくれたな!」
「それなら、魔物たちを俺たちの前に出すなよ」
「この地を奪われたら、魔物たちが暮らせぬではないか!」
「すべての魔物の領域は解放しない」
というか、物理的に不可能だろう。
それに、この大陸の恐竜モドキたちの肉や素材が売れる。
最近、帝国やミズホからの引き合いも多いので、王国もある程度は魔物の領域を残すはずだ。
「人間! お前らは何様のつもりなのだ! どけ! どかねば殺すぞ!」
「と言われてどく奴はいないだろう?」
「死ねい!」
喋るボスは、その両手に持つ大鎌を俺に向かって振り下ろした。
普通の人間なら斜めに真っ二つだろうが、俺は『魔法障壁』でそれを防ぎつつ、『フレイムランス』で反撃をした。
ところが、俺の『フレイムランス』は喋るボスにまったくダメージを与えられなかった。
「(火魔法に耐性があるのか?)」
続けて、『アイスランス』、『ウィンドカッター』と魔法を放ち、ようやく『ウィンドカッター』によってその体に切り傷を与えることに成功した。
巨体のため、『ウィンドカッター』では与えられるダメージに限度がありそうだ。
そしてさらに……。
「傷が回復した?」
「わかったか? 下等生物が!」
『ウィンドカッター』でできた傷からボコボコと白い泡が出て、それが煙となって蒸発したあと、喋るボスの傷が完全に癒えていた。
まさか、ダメージを自然回復させるとは……。
「(もっと強い風魔法が必要だな……)しかし……」
『カッタートルネード』は溜めに時間がかかってしまう。
いくら人工的に創られた生物としても、まさか永遠の回復力を誇るわけでもないだろうから、『ウィンドカッター』を連発してダメージを蓄積させる作戦に切り替えた。
ところが……。
「効果がない?」
「はははっ! 愚かな下等生物が! お前の魔法など効かぬわ!」
「そうかい!」
続けて『アイスランス』で攻撃してみるも、やはりダメージが与えられなかった。
「無駄だ! 無駄だ!」
「(これはどういうことだ?)」
喋るボスの大鎌を『魔法障壁』で防ぎながら、俺は奴に二度目の『ウィンドカッター』が効かなかった原因を考えていた。
耐性がついたから?
いや、さすがに『ウィンドカッター』一発で風魔法に耐性がつくとは思えない。
『フレイムランス』、『アイスランス』は効果がなかった。
あとは土系統か……。
空の敵に対し土系統の魔法は使いにくいが、仕方がない。
『岩棘』を多数、地面から喋るボス目がけてぶつけてみるが、残念ながらこれも効果がなかった。
「無駄だというのに」
土系統も駄目なのか……。
あとは無属性か、爆発や、雷などの二系統以上の混合魔法なら……いや、結局同じことか。
いや、待てよ。
もしかしたら……。
俺は、再びあの魔法を放ってみる。
すると、喋るボスの全身が火炎に包まれた。
「ぐわぁーーー! くそぉ!」
「そういうことか」
どういう仕組みかは知らないが、こいつは魔法を一撃食らう度に苦手な系統がチェンジするみたいだ。
当たりの系統でなければノーダメージであり、苦手な系統はチェンジしない。
苦手な系統で攻撃されるとダメージを受け、その瞬間にランダムで苦手な系統がチェンジする。
また火傷のあとが白い泡に覆われて回復しており、苦手な系統が変わっているはずだ。
「次こそは……」
とここで、後方から『ロックランス(岩槍)』が飛んできて、喋るボスの右腕に深く突き刺さった。
今度は土系統か……。
後方で俺と喋るボスとのやり取りから、すぐに支援してくれるなんて、アーシャさんは度胸もあり、機転も利くようだ。
「よくわかったね」
「ただ四分の一が当たっただけです」
「その運も合わせて大したものだ」
「クソォーーー!」
遠距離からの魔法攻撃に激怒した喋るボスが巨大な『火の玉』を放つが、それは俺が『氷弾』をぶつけて相殺した。
その直後、『アイスランス』が喋るボスの体に突き刺さりダメージを与えた。
またも当たりだったのか。
アーシャさんは運がいいのかもしれない。
「なぜだぁーーー! 遠くから卑怯にも! 小娘がぁーーー!」
「彼女は読心術が使えるのさ」
勿論嘘だけど。
「そんな嘘に引っかかるものか! ワシの苦手な系統がチェンジするのは、完全にランダムなのだ! ワシ自身にもわからん!」
「貴重な情報をどうも」
バカが。
たまたまアーシャさんの魔法攻撃が連続で成功したので誘導してみたが、見事に機密情報を喋ってくれたな。
そうか。
あいつは自分自身も、苦手な系統がなにに切り替わったのかわからないのか。
案外こいつ。
作った創造主とやらも、失敗作だと思っているかも。
「それが知れたとて! 貴様を殺せば問題ない!」
再び俺に向けて大鎌を振り下ろしてくるが、攻撃が単調なので『魔法障壁』がなくても回避できるようになった。
そしてもう一つ欠点を見つけた。
大鎌を振り下ろした直後、隙だらけになってしまうのだ。
特に下半身であるプテラノドンの部分がだ。
やはり生物としては身体の形状が不自然なので、高速で飛行している時はまだいいが、空中で停止している時には、体勢維持のため下半身に隙が出てしまう。
後方からアーシャさんの『アイスランス』が飛んできて、喋るボスの翼に当たったがノーダメージだった。
今回はハズレだな。
俺が『ロックランス』で攻撃すると、喋るボスの翼に貫通して大穴が開き、そのままバランスを崩して落下を始めた。
巨体ゆえに、一度バランスを崩すとすぐに墜落してしまうようだ。
ただ、すぐにもう片方の翼を上手く使って体勢を立て直し、そのまま地面に激突はしなかった。
飛べなくなったので、俺は次々と『フレイムランス』、『アイスランス』、『ウィンドカッター』、『岩棘』を連発していく。
どうせ、どの系統が効果あるのかなんて誰にもわからないのだ。
手数を増やしてダメージを蓄積させた方がマシであろう。
ダメージを受けてもすぐに白い泡が出てきて回復してしまうが、さすがに回復力は無限ではないはず。
アーシャさんも連続して魔法の矢を放ち続け、次々と喋るボスにダメージを与えていた。
「ふっ、無駄なことを」
「無駄?」
「ワシの回復力は無限なのだからな!」
さすがにそれは嘘だと思うが、とにかく効率が悪いのは確かだ。
魔力で体を強化して、物理的なダメージを与える。
そのためには、あの大鎌をどうにかしないと。
さっき大岩を投げつけてみたのだが、大鎌で真っ二つにされてしまった。
『魔法障壁』がないと俺が真っ二つにされてしまうし、『魔法障壁』を強化しながら、身体能力を増して打撃であの巨体にダメージを与える……そもそも、あいつに物理的な攻撃が効くのか?
「こんな時に、導師のアホォーーー!」
完全に手詰まりじゃないか。
導師がいれば、簡単に援軍を呼んで、特にルイーゼで色々と試せたのに……。
最初から援軍を呼んでいたらと思う人もいるだろうが、そうしたら王国軍が蹂躙されていたかもしれない。
領域のボスは、解放された土地に入れないって?
普通の領域のボスならそうだろう。
こいつもそうかもしれないが、王国軍壊滅の危険を冒してまで俺は試したくなかった。
「アーシャさんを一人を残すのは危険というか、無理!」
もし彼女になにかあったら、ザンス子爵に言い訳もできない。
たとえ彼女が『私に任せてください』と言われても断る事案だ。
こんなデカイ魔物との戦いにも、ましてや魔法を駆使した戦闘にも慣れていないのだから。
「(試してみるか……)」
唯一可能性があるとすれば無属性の魔法か……。
ただ、相当魔力効率が悪いことはほぼ確定している。
それでも、このままジリ貧になるよりは……。
俺は、以前ドラゴンゴーレムを倒した時に使った無属性魔法を、アーシャさんによる後方からの『アイスランス』でダメージを受けた直後の喋るボスに向けて放つ。
ところが、ほとんどダメージを与えられなかった。
わずかに傷ついたことを確認できたが、すぐに白い泡が立って元に戻ってしまった。
「弱いな!」
この喋るボスに対し無属性魔法は通用したが、効果は極端に低かった。
他の系統魔法の数十倍の魔力を用いて、ようやく『フレイムランス』で与えられる程度の威力といった感じだ。
それはそうだ。
系統魔法は弱点を一つにでき、しかも魔法を一撃食らうとランダムに変化して敵を困惑させられても、無属性魔法が普通に効いてしまったら意味がないのだから。
「(無属性魔法だと、魔力消費量が尋常ではなくなるな。それでも!)」
今の一発で、喋るボスは俺の無属性魔法の威力の低さに油断したはず。
さらに、後方から飛んでくるアーシャさんの魔法が増えた。
数発に一発しか効果がないが、徐々に『ロックランス』を大鎌で斬り飛ばすなどするようになり、奴はそちらに気が向いているようだ。
ここは大量の魔力を消費しても、奇襲をかけた方がいいかもしれない。
俺は高威力の無属性魔法を、大鎌を振り下ろして『ロックランス』を斬り払った直後で隙がある喋るボスの頭部に向けて放った。
集束した無属性の魔法の槍は、呆気ないほど簡単に喋るボスの頭部を粉々に吹き飛ばしてしまう。
「先生、やりましたね」
「……」
「先生?」
「アーシャさん、まだ気を抜くな。下がって俺の援護だ」
「ですが……頭を吹き飛ばされて生きている生き物なんて……」
「ここにいるようだな」
頭部が粉々に吹き飛ばされたのに地面に落下する気配もなく、いまだこちらを窺うような気配も感じる。
こいつは、まだ生きてるのだ。
「よくわかったな、下等生物。ワシは無敵だ!」
一瞬で再び首が生えた喋るボスは、俺たちに対し勝ち誇った表情を浮かべた。
たとえ魔物でも、普通の生き物が首を刎ねられてすぐ元通りになるわけがない。
こいつは、古代魔法文明時代の遺産……あの人物の関与が疑われるな。
「イシュルバーグ伯爵……」
「創造主様を呼び捨てにするな! 下等生物が!」
やっぱり奴か……。
相変わらず、ろくなことをしない奴だ。
「この大陸を化け物天国にして、多くの人間を犠牲にしたのか。大概だな……」
「それは違うな。創造主様は、この大陸を救ったのだ。よもや、魔物たちの大暴走が創造主様のせいだと思っておるまいな?」
「そうじゃないのか?」
「違う! この大陸に住んでいた人間たちが愚かだったのだ。生物を弄び、改良を施し、他国との戦争で使おうとした」
この大陸を統治していた王国が、密かに生物兵器を試作していて、それが古代魔法文明崩壊時の魔力波により研究所から逃走。
狂暴化、巨大化、繁殖力の異常な進化を遂げ、人間に襲いかかったのか……。
「ワシは、創造主様よりこの大陸の封印を命じられておる。二度とバカな人間たちが、この大陸を汚さぬようにな!」
再び人間たちが、この大陸でおかしな生物実験などをしないようにってことか?
そのために、イシュルバーグ伯爵はこの喋るボスを作り上げた……。
やっぱりあいつは、どこか頭のネジが緩んでいるな。
恐竜モドキたちにこの大陸を守らせつつ、さらに異形の化け物を管理者として作り上げ、富士山のような山の内部に置いていたのだから。
目的は理解できるとして、手段が極端すぎるのだ。
「創造主様はおっしゃられた! 力には力を! 力なくばこの地は守れないとな! 力なき下等生物は死ぬがいい!」
「クソッ!」
どのみちこいつは、侵入者を排除するように作られているようだ。
いまだ王国軍陣地は撤退の準備が終わっておらず、導師は……まだ寝込んでいるのか?
仕方がない。
魔法の袋から予備の魔晶石を取り出して魔力を回復させ、そのまま無属性魔法の槍で次々と両腕を肩から吹き飛ばした。
自慢の大鎌は、千切れた両腕ごと地面へと落ちていく。
「下等生物が! やってくれたな!」
ただ、この喋るボスは無属性魔法にとても強い。
またも大量の魔力を消費してしまい、俺は新しい予備の魔晶石で魔力を回復させた。
効率が悪すぎるが、とにかく攻撃の手を緩めないようにしなければ。
俺に当たらないように次々とアーシャさんが魔法を放ってくるが、苦手な系統が切り替わるのは厄介だな。
けん制にはなっているが、数発に一発しか効果がなかった。
アーシャさんの魔力は大丈夫であろうか?
「(大鎌を落としてしまった今こそが攻め時かもしれないな)いくぞ!」
吹き飛ばした首はすぐに生えてきたが、両腕は時間がかかっている。
自称無限の回復力には穴があるとしか思えない。
もしかしたら、回復の度に魔力を消費するのか?
喋るボスに接近し、その巨体ゆえに存在する死角から無属性魔法を放って、その尻尾を吹き飛ばした。
またもすぐに回復が始まったが、やはり首ほどのスピードはなかった。
向こうも回復の連続で魔力を消耗しているようだ。
俺は、あらかじめ自分の魔力を貯めていた魔晶石で魔力を回復できるが、向こうはそれができない。
魔力の回復には時間がかかるわけだ。
「(このまま攻撃を続ければ、最悪倒せなくても、魔力切れで逃げるかもしれないな)」
逃げてくれたらラッキーだ。
ルイーゼたちを呼び、導師が回復する時間を稼げるのだから。
倒せてしまえばそれでもいい。
俺は、無属性魔法による攻撃を続行した。
「いくぞ!」
無属性魔法の槍で、喋るボスの手をもぎ落とし、足を吹き飛ばし、胴体に穴を開け。
やはりまだ回復されてしまうが、そのスピードがかなり遅くなった。
魔力量が少なくなり、回復力が落ちているのであろう。
「ちょこまかと!」
喋るボスが飛び回りながら一撃離脱を繰り返す俺に攻撃しようとするも、支援のため矢継ぎ早に魔法の槍を飛ばすようになったアーシャさんに邪魔ばかりされていた。
喋るボスは、自分がどの属性に弱い状態に切り替わったのか把握できない。
無意識に魔法攻撃を回避してしまうのだ。
俺との接近戦を試みても魔法を撃たれれば半ば本能で回避してしまうから、自然と距離を置く羽目になってしまう。
アーシャさんは支援の仕方が上手だった。
「もう一度!」
またも、喋るボスの首を粉々に吹き飛ばした。
前と違って、回復に時間がかかっている。
もうすぐだと思ったその時。
急に背筋に寒気が走った。
「この大きさのままでは翻弄されるのみ! 魔力の消費も激しい! ならば!」
首がないままの喋るボスがそう言った直後。
その巨体が急速に縮んだ。
そして、身長ニメートルほどの導師とそう違わない大きさにまでなり、同時に粉々にされた首も復活していた。
「この大きさなら、不覚は取らない。ワシの真の実力を見よ!」
「しまった!」
まさか、体を小さくするとは!
その分スピードも上がっており、俺は瞬時に『魔法障壁』を強化して両腕で喋るボスのパンチを防いだが、予想以上の威力があり腕に激痛が走った。
両腕の骨が砕けてしまったようだ。
急ぎ『高速飛翔』で距離を置きながら治癒魔法で回復させるが、今度は鞭のように下半身についた尻尾を振り回してきた。
これが運悪く脇腹にヒットして、再び体に激痛が走る。
アバラが何本か折れたようで、導師と修行していなかったら気を失っていたであろう。
まさか、小型化したらここまで強くなるとは……。
だが、これほどの重たい攻撃がそう続くわけがない。
体を小型化したのも、魔力の消費量を抑えるためのはず。
苦しいのはお互い様なのだ。
と思っていたら、アーシャさんが魔法の矢を俺に放ってきた。
誤射かと思ったが、矢の色を見て俺は安心した。
小型化した喋るボスに魔法の矢は当たらないと判断し、俺を援護すべく治癒魔法の矢を放ったのだ。
それを受けると、脇腹と両腕の痛みが大分治まった。
今の彼女の治癒魔法の腕前では完治とまではいかなかったが、再び攻撃に転じることはできるようになった。
無属性魔法を拳に纏い、そのまま喋るボスの鳩尾を全力で殴りつけた。
さらに、無属性魔法を纏わせた足で蹴りを入れ、お返しに脇腹からアバラ骨を折ってやった。
こいつにアバラ骨があるのかは知らないが、上半身はリザードマン風なので、そう人間と骨格に差はないと思いたい。
「まだ足掻くか! 下等生物が!」
「いちいち下等生物下等生物ってうるさいんだよ! 人工物が、天然物にケチつけるな!」
マダイだって、養殖物よりも天然物の方が価格が高いだろうに。
「ワシは、創造主様より崇高なる使命を果たすために作られた存在なのだ! ワシは神の御使いに近い存在なのだ!」
つまり、あのイシュルバーグ伯爵が神に近い存在だってか?
さすがにそれはないだろう。
残した物から推察するだけで、性格が捻くれていると容易に想像できるのだから。
「とっとと逃げ帰るんだな」
「下等生物相手に逃げるわけがなかろう。死ね!」
それからは壮絶な殴り合いになった。
俺は、魔晶石で魔力を回復させながら無属性魔法を拳、足、頭に纏わせながら全力で攻撃し、向こうも重たい攻撃を放って俺に大きなダメージを与えてくる。
アーシャさんは、小型化した喋るボスに魔法の矢を当てることを諦め、俺に治癒魔法の矢を次々と飛ばしてくるようになった。
自分で回復しないで済んでいるので、どうにか俺が少し優勢で戦いを進めていたが……。
「(さすがに魔力がなくなってきた……)」
こういう時に備えて余った自分の魔力を魔晶石に篭めておいたのだが、もうそれが切れそうだったのだ。
向こうもギリギリだとは思うのだが、少し計算を誤ったかもしれない。
「(逃げるか?)」
俺は迷っていた。
今のこいつなら、もし王国軍相手に暴れてもさほど犠牲は出ないはず……。
だが、それは絶対とは言い切れず……。
やはり導師の不在が響いていた。
アーシャさんはよくやってくれている。
初戦にしては上出来の冷静さと判断力だとは思うが、接近戦は危ないのでさせられない。
世界樹に逃げてもらうか?
「結局、導師が無責任なんだ!」
なんなんだよ!
いい年こいて、陸小竜の丸焼き一匹と猿酒ひと樽を食べきることができるかなんて、しょうもない賭けをして。
俺は彼に文句を言わずに済ませられなかったのだ。
「下等生物の中の下等生物とは片腹痛いわ! もしそ奴がワシと戦えば、もっと早くに決着がついていたであろうな。当然ワシの圧勝で……」
「そう思うのなら、試してみればいいのである! 魔導機動甲冑! 装着!」
突然、下から聞き慣れた声が聞こえてきた。
なんと、俺と喋るボスが死闘を繰り広げている間に気配を消して接近し、俺たちの真下で『魔導機動甲冑』を装着。
そのまま、目にも留まらぬ速さで飛び上がってきたのだ。
そして、導師の両手にはいつものハンマーではなく、喋るボスが落とした大鎌を持っていた。
あの大鎌を、いかに『魔導機動甲冑』を装着しているとはいえ、軽々と持ちながら高速で飛び上がってくるのはさすがであった。
「どうしてチビのお前がワシの大鎌を!」
「お前に教えてやる必要はないのである! なぜならお前は死ぬのである!」
「誰がお前などに」
「バウマイスター辺境伯!」
「了解!」
いつまでもここにいたら、一緒に真っ二つにされてしまう。
俺が急ぎ逃げ出した直後、導師は大鎌を喋るボスに向かって全力で振り下ろした。
そのあまりの速さに、喋るボスは動くことすらできなかった。
「あれ? なんともない? あーーーはっはっ! なにが魔導機動甲冑だ! ワシにそんなものは通用……あれれ……体がズレる……」
あまりに導師の斬撃が速かったようで、喋るボスは自分が大鎌で縦真っ二つに斬り裂かれたことにすら気がつかなかったようだ。
今は、自分のズレ落ちていく片半身を両手で押さえ込むのに懸命であった。
こんなシーン、前世の漫画やアニメで見たことがあるな。
「どうである? 自慢の回復力を某に見せてみるのである!」
遅れてきたくせに導師はドヤ顔を浮かべていたので、俺は少しイラっとしてしまった。
「今の魔力量では……クソゥーーー! ワシはただでは死なん! お前らも道づれだ! 創造主様! ワシはあなた様より下された使命を全力で果たしましたぞ! 創造主様! 万歳!」
「しまった!」
こいつ、自爆するつもりだ。
導師は……爆心地にいても大丈夫だ。
それよりも、後方のアーシャさんが危ない。
俺は『高速飛翔』でアーシャさんの元に飛びながら、最後の魔晶石で魔力を回復させた。
「先生?」
「アーシャ、残ったすべての魔力で『魔法障壁』を全開だ!」
「えっ? どうしてですか?」
「早く!」
「はいっ!」
俺は『魔法障壁』を展開したアーシャさんを抱き抱えながら地面に着地して伏せ、さらに『魔法障壁』を展開する。
そしてその直後。
喋るボスは盛大に自爆し、周囲数百メートルが爆炎と衝撃波に襲われた。
王国軍陣地は大丈夫だと思うが、俺にそれを確認している暇はなかった。
『魔法障壁』で防御しているにもかかわらず、少しでも気を抜けば吹き飛ばされてしまうほどの爆風に襲われながら、イシュルバーグ伯爵の作品なのでこれくらいの意地悪は当然かと思ってしまったほどだ。
わずか数秒ながら、まるで猛爆撃を食らったかのような目に遭った俺とアーシャさんが立ち上がると、あの喋るボスが浮かんでいた場所の直下を中心に巨大なクレーターができていた。
あいつは魔力切れ寸前だったと思うが、なにが爆発したのであろうか?
奴があのイシュルバーグ伯爵の作品で、最後に自爆させてでも敵を倒す仕組みくらいあっても不思議ではない。
そう思っておいた方が自然か……。
「あの……先生、ありがとうございます。私の『魔法障壁』では助からなかったでしょう」
アーシャさんが俺にお礼を言った。
魔力が満タンの状態だったら、彼女の『魔法障壁』でも十分に防げたはずだが、俺の援護で常に魔法の矢を放ち続けていた。
魔晶石もあったが、俺と同じく長期戦ですべて使い切っていたであろうと予想し、俺は急ぎ彼女を助けに向かったのだ。
「先生、おかげで助かりました」
「俺こそ、アーシャさんのおかげで命拾いしたさ。冷静で的確な援護に感謝だ」
これが未熟な魔法使いだと、彼女のように後方からの支援に徹せられず、前に出て、かえって俺に余計な手間を取らせていたであろう。
それをせず、後方から魔法の矢を放ち続けたアーシャさんだからこそ、最後の導師のトドメまで俺は生き延びられたのだから。
「特に、あの治癒魔法の矢は助かった」
あれがなかったら、俺はあの喋るボスに殺されていたかもしれない。
「ナイスアシストだったよ。ブランタークさんも驚くと思うな」
あの人は、未熟な魔法使いが『派手に魔法をぶっ放してやりました!』的な話など、適当にスルーしてしまう人だ。
むしろ、今回のアーシャさんのアシストの上手さに舌を巻く人なのだから。
「それにしてもギリギリだった……」
まったく……。
昨晩導師が無茶して寝込まなければ、もっと簡単に喋るボスを倒せたはずなのに……。
導師が寝込まなければ!
「そういえば、導師様はどこに?」
「その辺にいると思うけど……」
「ええっ! でもあの大爆発でしたから、もしかしたら……」
アーシャさんの心配はごもっともなんだけど、それは普通の人に対してのみ有効だ。
導師があの爆発で死んでしまうなど微塵もあり得ず、暫くクレーター付近を見ていたら、中心部の地面から一つの塊が飛び出してきた。
「ぺっ! ぺっ! 土塗れである! 最後に自爆などしおってである!」
疑うまでもなく、導師は無傷だった。
すでに『魔導機動甲冑』は解けていたが、あの防御力があれば、この程度の爆発で導師がどうこうなるわけがないのだから。
「バウマイスター辺境伯、アーシャ殿。無事でよかったのである!」
「あのですねぇ……」
今回ばかりはさすがに文句を言わせてもらった。
導師がしょうもない理由で寝込まなければ、彼が時間稼ぎをしている間に俺がルイーゼたちを呼ぶことだってできたし、その前に三対一で倒すことだって可能だったのだから。
「腕の骨を折られるわ、アバラを折られるわ。体中痛くて難儀しましたよ」
「それは試練である!」
「「……」」
この人にまともな返答を求めること自体が無謀なのであろうか?
「で……あの導師……」
導師、なんか臭くないか?
アーシャさんもわずかに顔を歪めていた。
この臭いは……。
「おおっ! ギリギリのところでようやく体が動くようになったのであるが、動いてみたらまだお尻が緩かったのである! まあ、人間ウンコを漏らしても死なないのである!」
「「……」」
このおっさん、色々と超越しているな。
堂々と戦ったらウンコを漏らしたという人、俺は初めて見たよ。
アーシャさんも、未知の生物と遭遇したような驚きの表情を浮かべていた。
「そんなことはどうでもいいのである!」
「(どうでもいいのかぁ……)」
ウンコを漏らした事実をそんな風に誤魔化せるのは、この世界で導師だけだろうな。
「これにて解決である!」
突然導師は、俺とアーシャさんをくっつけてから双方の肩をバンバンと叩き始めた。
「なかなかにお似合いなのである! 最初からこうすれば、王都のアホ共に惑わされずに済んだというものである!」
「はい?」
「察しが悪いのである! 野戦陣地に戻るのである!」
「えっ? 導師?」
導師は俺とアーシャさんを抱えて『飛翔』で飛び上がり、そのまままっすぐ王国軍の野戦陣地に戻った。
上空から見ると、やはり爆風の影響でテントなどはすべて倒れていたが、距離が幸いして死者はいなかったようだ。
みんなが、あの喋るボスを倒した俺たちに手を振っていた。
さらにそこに、ザンス子爵とミスマさん。
そして主だったザンス子爵家の家臣や領民たちも待ち構えていた。
「みんな無事でよかったな! クリムトも最後の最後で復活して……あの化け物を倒すことができたのだ。重畳重畳」
アームストロング伯爵は、やはり最後の最後で弟に甘い部分がある。
いくら結果的に成功しているからといって……。
ただ、やはり漏らしていて臭いので、途中言葉を詰まらせていた。
あえてそれを指摘しないのは、兄なりの優しさなのであろう。
「見よ! あの化け物が倒されたおかげで、さらにヘルムート王国の勢力圏が広がったのだ! うじゃうじゃいる魔物たちはすべて逃げ出してしまったぞ」
あの喋るボスは、富士山のような山の中から出てきた。
それを倒せば、あの山までの領域は解放されるわけか。
確かに、あれだけいた陸小竜や他の恐竜型の魔物たちの姿が一匹も見えなくなっていたのだから。
「しかし、実にお似合いではないか」
「お似合い?」
「バウマイスター辺境伯、なにを恥ずかしがっておるか! あの化け物を倒す際の貴殿とアーシャ殿との息の合った連携。まるで本物の夫婦のようではないか。なあ、ザンス子爵よ」
「ええ、変な婿を外から迎え入れるくらいなら、アーシャの婿殿はバウマイスター辺境伯の方がいいと私も思います。なあ、ミスマ」
「そうね。アーシャとバウマイスター辺境伯様の子供がザンス子爵家の跡を継げば、なんの問題もないのですから。みんなもそう思うでしょう?」
「族長……じゃなかった! お館様と奥様のおっしゃるとおりで」
「アーシャ様のお婿さんがバウマイスター辺境伯様なら安心だ」
あれ?
どうしてこういう流れに?
「ここも安全になったようだし、どうせ野戦陣地はさらに南下させないといけないんだ。テントの張り直しは必要ないな。雨も降らないようだし、世界樹の根元でバウマイスター辺境伯とアーシャ殿の婚約祝いパーティーをやるぞ! 勝利の宴もだ! いいな? お前ら」
「「「「「「「「「「おーーーっ!」」」」」」」」」」
そこに俺の意思は存在せず、とんとん拍子に王国軍とザンス子爵領主催の戦勝パーティー兼俺とアーシャさんの婚約パーティーが始まってしまった。
「アーシャ、よく似合うわね」
「あのお母様?」
「はいはい、二人は前に出てくださいね」
俺は魔法使いなので普段どおりの格好で、アーシャさんはミスマさんが用意していたドレス姿でみんなの前に出た。
「おおっ! お似合いの二人だ!」
「よかった。これでザンス子爵家も安泰だな」
「綺麗な奥さんだな」
「ああ、バウマイスター辺境伯様が羨ましい」
暫く俺たちはみんなの酒の肴扱いであったが、ザンス子爵家が大量に提供した猿酒に夢中になり、すぐに忘れられてしまった。
ここにいる連中の大半が、酒好きばかりゆえの悲劇である。
「(なし崩し的に……エリーゼたちにどう説明するか……)」
なお、ここで俺が婚約を断る選択肢は……きっと大半の日本人が、この状況でアーシャさんとの婚約を拒否するなんてことはできないはずだ。
それに、アーシャさん自身はとてもいい人だからな。
もの凄い美少女でもあるので、男の本音としては嬉しいの他はなかった。
ただ、アームストロング伯爵、導師、ザンス子爵、ミスマさんにやられたという気持ちがあるだけなのだ。
導師はこの策のために、わざとギリギリまで姿を見せなかった?
そんな疑惑も出てくるが、これに関しては本当にお腹を壊し、上下ともリバースしながら寝込んでいたそうだ。
四十歳を超えたおっさんにあるまじき失態である。
実際、ウンコも漏らしていたしな。
そしてまた懲りずに猿酒を呷り、陸小竜の焼き串を頬張っていた。
「あの……バウマイスター辺境伯様。これでよろしかったのでしょうか?」
「正直なところ、俺も疑問がないわけではない」
俺とアーシャさんの婚約パーティーだったはずなのに、すでに俺たちは忘れ去られ、みんなが猿酒を飲んで大騒ぎしている中、俺とアーシャさんは二人きりで話をしていた。
いきなり俺と婚約させられてしまったので、アーシャさんにも思うところがあるのだと思う。
エルフ族の領民たちは普通に恋愛結婚もしているようだから、余計に違和感を覚えるのだと思う。
「俺は元々貧乏貴族の八男で、貴族になんてならず、冒険者として生計を立てようと思っていた。冒険者として活動している間に奥さんになる人と出会って、みたいな人生を想像していたけど……」
その未来図はすぐに崩れてしまったのだと、アーシャさんに話をする。
「貴族になると家同士の繋がりとか、親が決めたからとか、そんな理由で結婚してしまう。エルフ族の族長や支族でも上の人たちは同じかもしれないけど」
「元々は自由恋愛のみだったそうですが、やはりエルフ族としての持続性を考えると、お見合い結婚が増えてきたそうです。恋愛結婚もかなりの割合で残っていますけど、お父様とお母様はお見合い結婚だったらしいです」
「それは意外だった」
ザンス子爵はともかく、ミスマさんはかなり貴族の奥さんの枠から外れた人だからだ。
「族長家なので……というわけです。族長家が絶えると、みんな困りますから」
自分たちだけ周囲に勧められた人と結婚することに、アーシャさんは違和感を覚えているのであろうか?
「どうせみんな私に遠慮して、そういう意味で声なんてかけてくれませんから。普段もどこか遠慮気味ですしね。バウマイスター辺境伯様くらいです。私に普通に話しかけてくれるのは」
「そうか……」
アーシャさんは長らく孤独だったわけか。
美しいだけに余計に不憫だな。
「ですから、私はこの婚約はよかったと思っています」
「俺も色々と思うところはあるけど、別に恋愛結婚しても仲が悪くなる夫婦なんて多いだろう」
「実は、エルフ族は離婚や別居が多いのです」
「それは知らなかった」
リンガイア大陸だと、よほどのことがなければ離婚なんてしない。
教会が止めるし、貴族などは不仲だと別居だけで済ませてしまうんだよな。
「ですから、私はどちらの方法で結婚しても構わないと思っています」
「最初の切っ掛けよりも、これからいかに夫婦として暮らしていくかだと思う。その夫婦が幸せだったのかなんて、最後までわからないのだから」
「そうですね」
他の奥さんたちも同じだけど、俺とアーシャさんの結婚は、時間がなるようになるはず。
そのくらいに考えた方がお互いに楽であろう。
「エリーゼたちにも正式に紹介しないとな」
「はい」
二人でそんな話をしていたのだが、婚約パーティーそっちのけで飲んでいた導師がまたおかしなことを言い始めた。
「某が、猿酒一樽を飲めないと言うのであるか? 証拠を見せてやるのである!」
「「やめろぉーーー!」」
昨晩同じことをしてゲロを吐き、下痢の連続で寝込んだくせに!
しかも、戦いの最中にウンコまで漏らしたじゃないか!
『お前の頭は鶏か!』と思いながら、俺とアーシャさんの夫婦としての最初の共同作業は、導師の暴走を止めることになるのであった。