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第三話 とある貴族の生存戦略

「ええい! なぜ借金が減らんのだ! ゾンバルト! ゾンバルト!」


 今日も、バカが騒ぎ出したわ。

 怒鳴っても減るわけがない借金の総額を見て、それを計算した執事のゾンバルトを呼び出している。

 彼に怒鳴っても意味がないのに。

 そもそも、彼ほど有能な人物は、このブレンメ男爵家には相応しくない。

 勿論、相応しくないというのは、こんな家に仕えないで他の仕事をした方がよほど豊かな生活を送れるのにという意味。

 私の実家ブレンメ男爵家に代々仕えているからといって、無理に残らなくてもいいのに。

 我が家は代を経るごとに借金が増えていくため、ゾンバルトの家も代々給金を減らされてきた。

 給金を渡すのが勿体ないと、従士長のクビまで切ってゾンバルトに兼任させているのに。

 そんな私の父バルナバス・アウグスト・フォン・ブレンメは、貴族の跡取りに生まれたことだけが取り柄の男であった。

 五代前まで遡って、我が一族は全員がそんな感じ。

 それでも五代前の当主は、領地を豊かにしようと農地の開発や大規模な治水工事を計画し、それを実行しようとした。

 成功していれば、我が祖先は偉大な領主だという評価を得ていたであろう。

 ところが、祖先には事業を成功させる才能がなかった。

 勢いだけで多額の借金までして自ら陣頭に立ち、領民たちを駆使して工事を行って失敗し、そのあとには、中途半端に工事された広大な跡地と莫大な借金だけが残った。

 だが、我が家は潰れなかった。

 商家なら確実に潰れたと思うけど、我が家は貴族だから。

 それも、男爵家。

 末端ながらも、王家から代々の継承が認められている本物の貴族。

 えっ?

 準男爵家と騎士爵家はって?

 本当は一代限りという古臭いルールはあるけど、王家も膨大な数の準男爵家と騎士爵家をわざわざ任命しなおす余裕なんてない。

 せっかく未開地を開発して騎士爵になったのに、自分が死んだら他人が領主になるなんてことになったら、誰も新しい領地を開発なんてしなくなる。

 そんな事情で、準男爵家と騎士爵家も子供への継承が認められていた。

 そんな事情もあってか、男爵である父は準男爵家と騎士爵家を見下している。

 うちなんて名ばかり男爵家で借金だらけなのに、まったく現実が見えていないのだ。

 男爵としては、間違いなく王国でも最下位に近い父が唯一自慢できるのが、自分は本物の貴族だということだけというわけ。

 ちっぽけなプライドよね。

 そんなもので借金は減らないのに。


「お館様、いかがなさいましたか?」


「この借金はなんだ! 増えているではないか!」


「利息の支払いが追いつかないのです」


 もう一つ問題がある。

 いや、二つか。

 それは、開発事業を失敗させた五代前の子供から、うちの父まで。

 借金があるのに、無駄な浪費を重ねて余計に借金を増やしていたのだ。

 四代前は、とんでもない博打狂いだった。

 ブライヒブルクから魔導飛行船で王都まで遊びに行き、カジノでさらに借金を増やした。

 本人は『ギャンブルで借金を返す』と本気で思っていたそうだ。

 親子して無能な働き者とも言える。

 三代前は、異常なまでの女好き。

 それも、うちの領地にいるような田舎臭い女は苦手だったそうだ。

 ブライヒブルクから魔導飛行船で王都に向かい、そこで綺麗な女性がお酌をしてくれるお店で女性を口説いた。

 そのお店は大貴族や大商会の当主がお酒を飲みにくるようなお店だから、またも借金を増やした。

 身の程知らずもいいところよ。

 領地に連れ帰った女たちに贅沢な暮らしをさせ、借金はまた増える。

 それでも潰れなかったのは、金を借りている大商会の娘を正妻にして援助を受けたから。

 当時から借金だらけだったうちに嫁に来る貴族の娘もいないけど、男爵の正妻が貴族でないなんて恥ずかしいので、親族である分家に養女に出したことにしてから娶ったそうだ。

 私に言わせると、借金まみれの方が恥ずかしいと思う。

 挙句に沢山いる愛妾が生んだ子供が多すぎ、後腐れなく領地を出て行ってもらうため、また借金が増えた。

 二代前、私の曽祖父は美術品収集が趣味だった。

 お金がないので、父親と同じ手を使って商人の娘を正妻にした。

 こんな家に嫁を出してなんの得があるのかわからないけど、うちは娘を貴族の嫁に出したというと箔がつくらしい。

 商人の世界はよくわからないけど、腐っても男爵家というのはわかった。

 先代、私の祖父は酒飲みだった。

 貧乏なので、自分でこっそりと酒を作っていたけど、酒に酔っている間は貴族としての仕事を一切しなかった。

 隠居したゾンバルトの父親に丸投げだったのだ。

 そのせいか知らないが、祖父は早死にした。

 酔って川に落ちて溺れるという、貴族としては最悪の死に方だ。

 当然外聞が悪いので、病死したことにしたけど。

 祖父の葬儀では、領外の人はブライヒレーダー辺境伯家の名代しかこなかった。

 寄親としての義務だからであろう。

 跡を継ぎ喪主であった父は、ブライヒレーダー辺境伯家からの香典の額に心を躍らせていたそうだ。

 こんな人間でも、生まれが貴族なら貴族なのか。

 当代である父を一言で言うと『小物』だ。

 博打、酒、女狂いなどの瑕疵はないが、自ら領民のために働くなんて殊勝な考えは持っていない。

 ただ莫大な借金をいかに減らすか。

 ここで父は、今までどの当主もしなかった最悪の手に出た。

 領民への税を上げ、家臣の給金を下げてリストラを行う。

 そこまでしたにも関わらず、我が家の借金は増えるばかりだ。

 正妻……私の母も持参金目当ての商人の娘だというのに……。


「嘘をつけ! イーヴォであろう? あいつに金を出すな!」


 そして、次の当主となる私の兄イーヴォ。

 我が兄ながら、なぜブレンメ男爵家の当主は代々無能なのだと思ってしまう。

 兄は、いわゆる口先だけ男である。

 この状況を逆転するため、父のように予算を削るだけでは駄目だと、五代前と同じく領内の開発を目論んだ。

 ところが、兄は基本口先だけの男だし、苦労知らずのボンボンなので簡単に騙されてしまう。


「今回はなにに使ったのだ?」


「温泉の試掘だそうで……」


 ゾンバルトがしどろもどろで説明をした。

 なんでも、兄が知り合った山師から『温泉が出れば、観光客も来て儲かる』と言われたそうだ。

 その話に乗った兄が山師に金を払って採掘を頼み、その費用でまた借金が増えた。


「それで、温泉とやらは見つかったのか?」


「一応ですが……」


 ひと口に温泉といっても、泉質と温度の関係で人が入れる保証はない。

 うちの領地から湧きだした温泉は、強酸性で人間が入れば肌が爛れるものであった。


「そんな温泉、使い物になるか!」


 それどころか、噴き出した温泉が川に流れ込まないよう、領民たちがため池を作っている最中だ。

 領民たちがそんなことしても一セントの得にもならないが、もし水源である川に流れ込めば生活用水と農業用水が確保できなくなる。

 無料働きどころか人手の分損をしているので、実質増税されたに等しかった。


「その山師はどこに行った?」


「姿を消しました」


 山師は、試掘の報酬だけ貰ってとっとと逃げ出したようだ。

 山師からすれば、一見言うことは立派でも、世間知らずで人を疑わない兄が鴨に見えたのであろう。


「ゾンバルト! お前がいながら!」


 父は、金庫番のゾンバルトが兄にお金を渡してしまった件を責めているが、こればかりは父にも責任がある。

 父は膨大な借金を減らすため、家臣と領民たちに負担を強いた。

 そのため、一見口は上手い兄に同調し、父を無視する家臣が増えてしまったのだ。

 ここでゾンバルトがお金を渡さないと、最悪彼がブレンメ男爵領から追放されてしまう。

 それを防げない時点で、我が家は最低だ。

 本来当主権限が強いはずの貴族が、嫡男とそのシンパと対立しているのだから。

 経費を削り増税することしかできない父と、改革だの前進だのとお題目は掲げるが、実行力がゼロで借金を増やすしか能がない兄。

 双方の対立もあって、ブレンメ男爵領はボロボロであった。


「イーヴォの奴め!」


 父は怒るが、ここで兄を押し込めると言う選択肢はない。

 なぜなら、父の方が減給で家臣の恨みを買っているため、彼らが率先して父を押し込めて兄を当主に打ち立てる可能性が高いからだ。

 押し込めで済めば御の字か。

 最悪、父は病死に見せかけて殺されかねない。


「イーヴォめ! 男爵であり父親であるワシに対する敬意の欠片もない!」


 兄も口だけの男だが、父も決して人様から褒められるような貴族でもないのに。

 どうして自分が子供から尊敬されるなんて思えるのであろうか?


「イヴァンカ、我が家のためにお前の嫁ぎ先は慎重に決めねばなるまい! 最悪、有能な婿を迎えてイーヴォは廃嫡だ!」


 なるほど、跡取りを立場の弱い娘婿にして、自分の権威を回復させる作戦なのか。

 問題なのは、今のブレンメ男爵家に有能な婿が来るかどうかね。

 こんな借金だらけの領地、好き好んで継ぐ人はいないと思うけど……。





「お嬢様、大変でしたな」


「ゾンバルトこそ。もうこの家を見限ったら? 将来なんて欠片もないわよ」


 口うるさい父の下を辞した私は、一緒に部屋を出たゾンバルトに声をかけた。

 あんな人の相手なんてしても意味がないのだから、とっとと転職すればいいのにと。

 そうね、今話題のバウマイスター辺境伯家とか。

 あそこは生え抜きの家臣が少ないから、ゾンバルトなら出世できると思う。


「そう思わなくもないのですが、ここは故郷ですから」


「酷い故郷じゃない」


 代々当主が無能のため、ブレンメ男爵領は非常に貧しかった。

 領民の逃散も定期的にある。

 初めは厳しく取り締まっていたらしいけど、手を変え品を変え重税に喘いだ領民たちは逃げてしまう。

 ブレンメ男爵領は、エチャゴ平原にある小領主混合地域の中の一つだ。

 寄親であるブライヒレーダー辺境伯家と比べるのはおこがましいが、小領主混合地域の中では大身の部類に入る。

 内情は御察しのとおりだけどね。

 うち以外ならどこに逃げてもマシな生活が送れるから、今のブレンメ男爵領は下手な騎士爵領よりも力はないかも。

 領地は広いけど、領民が少ないから意味がないのよね。


「いくら酷い故郷でも……それに、私がいなければ抑えられません」


「本当にそんな計画があるの? 兄は悪人ではないと思っていたけど……」


「悪人ではありませんが、考えがコロコロ変わって、本人がそれを正しいと本気で思えるのです」


「そういうのって、行き当たりばったりって言うのよね。兄らしいけど。紛争か……」


 山師に騙されてさらに借金が増えた兄は、領民のために紛争を仕掛けようとしていた。

 その意見に、大半の家臣たちが同調している。

 紛争を仕掛けるのは、隣に領地があるマインバッハ騎士爵領みたい。

 あくまでも、ゾンバルトが教えてくれた計画だから本当かどうか確認できないけど。


「あそこなら、一応紛争を仕掛ける大義名分はあるのか……」


「向こうからしたら大激怒でしょうけど」


 苦しい生活を送っていた領民たちの大半は、マインバッハ騎士爵領に逃げ込んだ。

 あそこ自体はこれ以上領民を増やす余裕がないのだけど、親戚にバウマイスター辺境伯家があるのは心強かった。

 人手が足りないバウマイスター辺境伯領に送り出し、マインバッハ卿の孫を当主とした分家が南にできるので、そこの領民としても受け入れられている。

 どうして、たかが騎士爵家がそこまで景気がいいのかというと、バウマイスター辺境伯の亡くなった兄がマインバッハ騎士爵家から妻を迎えていたからだ。

 その兄は、うちの一族みたいに残念なことをして、その罪を己の命で償った。

 残された妻は、その罪滅ぼしでバウマイスター辺境伯の愛妾をしていると聞く。

 表向きはメイド長という話だけど、本当にメイド長だけをしているなんて信じている人はいない。

 バウマイスター辺境伯より大分年上だと聞くけど、お気に入りの愛妾で奥さんたちとも仲がいいと聞くわ。


「私は女性だからわからないんだけど、バウマイスター辺境伯って年上が好きなの?」


「必ずしもそうとは言い切れないかと。女性の好みを年齢で区切っていないのでは? あとは……」


「あとは?」


「私は男なのでそう思うのですが、マインバッハ家のご令嬢は、バウマイスター辺境伯の義姉にあたります。子供の頃に見染めた年上の義姉とそういう関係に……というシチュエーションが好きな男性もいるものと……」


「私くらいの娘が、父くらいの年齢でダンディーな殿方を好きになるのと似たような感じかしら?」


「お嬢様がもっと幼い頃に恋心を抱けば、そうかと思います」


 なるほど、ゾンバルトの説明はわかりやすいわね。

 それにしても、マインバッハの娘は……もう娘って年齢じゃないけどね……上手くやったわね。

 才能ある弟を殺そうとした夫の子を、別家の当主にしてしまうのだから。


「その人は、美人なのかしら?」


「そういう噂はありませんでした」


「そうなの。義姉補正って強いのね」


 たまに教会が取り締まっている不良図書の内容みたい。


「他にも、義妹、義母、若き叔母とか、幼馴染とか。その手の本では人気のジャンルですね。定番とも言えます」


「詳しいわね」


「まあ、こんな生活なので数少ない趣味です」


 そうなんだ。

 凄いことを聞いてしまったわ。

 でも、そんな本でも読んで気を紛らわせないと、うちで執事なんてやっていられないか。


「話がそれましたね。そんなわけでして、マインバッハ家は逃げてきた領民たちを全員バウマイスター辺境伯領に送ってしまいました」


 本当なら、マインバッハ家は保護した領民をブレンメ男爵家に送り返すのが常識だ。

 それをしないでバウマイスター辺境伯領に送ってしまった時点で、紛争を仕掛けられても文句は言えない。

 うちがあまりに苛政を敷いたため、領民たちが死んでも戻りたくないと言った可能性は高い。

 マインバッハ卿は、同情して領民たちをバウマイスター辺境伯領に送ったのかも。

 その方がお互いに幸せになれるしね。

 実は、そのお互いのどちらにもブレンメ男爵家は入っていないけど。


「紛争を起こすのはいいとして、勝てるの?」


 相手は騎士爵家なのに、今では動員能力にほとんど差がない状態だ。

 というか、うちはどれだけ領民が逃げたのよって話よね。


「無理でしょうな」


「そうなの?」


 動員できる兵員は同じなのだから、やり様があると思う私は甘い?


「紛争ですから、領地境で睨み合うのが精々でしょう。紛争の華である一騎打ちですが、うちは家臣が減ったので……」


 武芸に長けた家臣は、みんなバウマイスター辺境伯領に再就職してしまった。

 クビになった彼らがすぐに仕官できる貴族家なんて、あそこしかないから当たり前だけど。

 父も兄もそれを聞いて『裏切り者!』って怒っていたけど、クビにしたうちが言っていい言葉じゃないと思うわ。

 それならクビにしなければいいのだし。


「マインバッハ家なら、陣借り者も集まりますからね」


「うちは駄目なの?」


 陣借り者って、食事と手柄を立てた時の褒美と感状だけで……うちに褒美なんて出す余裕はないわね……。

 仕官もまずあり得ないか……。


「一騎打ちで負けまくって、マインバッハ家になにもできず調停で負けるのね。じゃあ、やめればいいのに」


「それが……イーヴォ様が奇襲をかければいいと仰いまして……」


「ねえ……それは本当の戦争を吹っかけるって意味に聞こえるけど……」


 バカなんじゃないの?

 そんなことをしたら、王国政府が黙っていないわよ。

 うちは取り潰されてしまう。


「父はどう思っているの? まさか、兄の計画に気がついていないとか?」


「それはありませんが、放置する方針です」


「はあ? 止めないの?」


「そのつもりはありません」


 とめなければ、御家断絶の危機なのに?

 誰よりも本物の貴族男爵であることに拘っている父が?

 どういうつもりなのかしら?


「お館様は、ブレンメ男爵家が取り潰されないことを確信しているからです」


「ごめん、ゾンバルト。意味がわからない」


「私も、ブレンメ男爵家が取り潰される可能性はゼロだと思っております」


「どうしてなの?」


「理由は簡単です。取り潰すとかえって面倒だからですよ」


 ゾンバルトの説明によると、ブレンメ男爵家の大借金は王国政府も十分に理解している。

 もしここを取り潰すとして、直轄地にするのは論外だ。

 直轄地となれば、ブレンメ男爵家に金を貸していた商人連中が大喜びで王家に借金の取り立てに向かうからだ。

 いかに金持ちとはいえ、バウマイスター辺境伯領の開発を後押しし、王国領内の魔物も領域の解放、リンガイア大陸東部と南部の探索と、将来的な殖民を計画している王国政府が無駄な借金の清算なんてしたくない。

 次に、ここは南部の雄ブライヒレーダー辺境伯家の縄張りでもある。

 ここに王国直轄地など置いても、色々と面倒が増えるだけだ。


「当然、隣接する貴族家だって併合を拒否するでしょう」


 ブレンメ男爵領を併合するってことは、同時に抱えていた借金も背負い込むことになる。

 それなら、未開のエチャゴ平原でも開拓した方がマシよね。


「お館様は、勝手に兵を出したイーヴォ様の罪を高らかに糾弾し、その罪をもって廃嫡とします。彼に近い家臣たちも同時に解雇ですね」


 そうやって自分が独裁権を取り戻し、跡取りは長女である私に婿を取るわけね。

 今度は、商人の息子を分家の養子にでもするのかしら?

 こんな裏技、まず普通の貴族はしないから、王都ではブレンメ男爵家の評判は過去の当主の放蕩と合わせて地に落ちている。

 父は王都になんて行かないから気にしていないと思うけど。


「王国政府は黙認するかしら?」


「しますね。マインバッハ家に賠償代わりに一部領地を割譲とかでしょうね。王国政府としても、ブレンメ男爵領が存在した方が都合いいのです」


 実質破綻している領地だから、敢えて誰もその事実を指摘せず放置した方がみんな幸せなわけね。


「それはわかったけど、兄が暴発してマインバッハ騎士爵領に深く進攻したら大変じゃない?」


 向こうの領民に被害が出たら、領地の割譲くらいで恨みが晴れるはずがない。

 ブレンメ男爵領の領民たちは、完全に孤立してしまうわ。

 マインバッハ騎士爵家が周辺の領主と謀って人と物の流通を止める危険もある。

 ここは内陸部だから、塩は外から買わなければならない。

 それができなくなれば、今度は父が暴発するかもしれない。


「ゾンバルト! これは止めなければ駄目よ! あなたもそう思うでしょう?」


「思いますが、お館様もイーヴォ様もこの有様では……私にもできることに限度がありますから……」


 そうだったわね、ゾンバルトの権限では兄や戦争をやめろなんて言えないし、父に兄を止めるようにとも言えないか……。


「このままでは、我が領地は崩壊してしまう。こういう時は、寄親であるブライヒレーダー辺境伯様に状況をお伝えして……マインバッハ家にも注意を喚起しておかないと」

 

 でも、娘でしかない私が手紙を書いたとて、向こうは信用してくれるだろうか?

 その前に、どうやって手紙を届けよう。

 私は領地を出たこともないのだから。


「ゾンバルト、頼まれてくれますか?」


「無論ですとも。すぐにお届けしますので、お嬢様は文を認めてください」


「わかったわ」


 こうなったら、最悪父と兄を排除してでもブレンメ男爵領を守らなければ。

 私は自室でペンを取り、ブレンメ男爵家の現状について手紙を書き始めるのであった。





「ヴェル君、大きな耳垢が取れたわよ」


「埃が多い場所に行くとそうですよね」


「ヴェル君は忙しいものね」


「そうなんですよ、今日は久々の完全休養日でして」




 今日の俺は丸一日休養日のため、朝からダラダラしていた。

 南方の戦乱があった島を統一したり、領内の開発を魔法で手伝ったり、貴族としての仕事をこなしたりと、このところの俺は忙しかった。

 この貴重な休日を、俺はゴロゴロしてすごすのだ。

 今、アマーリエ義姉さんが俺の頭を膝に載せて耳かきをしてくれているが、自分でやるよりも気持ちがいいものだな。

 エリーゼたちは子供たちの面倒を見ているので、今はアマーリエ義姉さんと二人きりであった。


「ヴェル君、うちの実家までお世話になって本当にありがとう」


「そんな大したこともしていないので」


 アマーリエ義姉さんが俺にお礼を言ったのは、彼女の実家であるマインバッハ騎士爵領に魔導飛行船の発着場ができ、そこに週に二度だが船便がくるようになったからだ。

 発着場は中小型の船しか離発着できない広さだが、マインバッハ騎士爵領とその周辺の領地ではそれで十分であった。


「父がとても喜んでいたわ。生活が便利になったって」


「こちらにも利益があるので気にしないでください」


 小領主混合地域で売れるバウマイスター辺境伯領の産品が増えたからな。

 俺は、販路を拓いただけ。魔導飛行船の発着場も、魔法を使って一日で整えたから大した手間じゃない。


「なぜか、お隣のブレンメ男爵家は怒っているみたいだけど」


「どうしてです?」


 人と物の流れが活発になれば、ブレンメ男爵領にも利益があるはずなのに。

 何が不満なんだろう?


「なぜ我が領地に魔導飛行船の発着場を作らないのかだって」


「知りません」


「そうよね」


 そんな、碌に知らない領地に行って発着場なんて作るはずがない。

 魔導飛行船の乗組員たちだって、そんなよくわからない領地に船を下ろしたくないはずだ。

 それに、発着場の建設はブライヒレーダー辺境伯からの依頼でもある。

 ブライヒレーダー辺境伯が、未開発のエチャゴ平原とモザイク状に領地が点在する小領主混合地域の交通と流通を促進するため、俺に金を出して依頼しているのだ。

 マインバッハ騎士爵家は先に寄親であるブライヒレーダー辺境伯に陳情を行い、彼がバウマイスター辺境伯家の遠戚だから優先してやってほしいと頼んだだけ。

 アマーリエ義姉さんが俺に強く頼んだわけではないし、他にも数ヵ所、魔導飛行船の発着場は建設している。


「ブレンメ男爵家って初めて聞くけど、どんな貴族なんですか?」


「あまりどころか、評判は最悪ね」


 アマーリエ義姉さんは、自分が知る限りブレンメ男爵家のことを教えてくれた。

 五代前から無能な当主が続いて家は借金だらけ、それを返すために領民に重税を強いたため、逃散が続いて領内は荒廃している。

 男爵家なのに、その力は騎士爵家であるマインバッハ家とそれほど差がないそうだ。


「バウマイスター辺境伯領に移住した人も多いの。あまり大きな声では言えないのだけど……」


 逃散した領民というのは、基本的には元の領主に返還しなければいけない。

 というのは建前で、現実は領地の広さに比して人口が増えすぎたとかで、結構人の移動は頻繁だったりするのだが。

 ブレンメ男爵家の場合、領地の広さには余裕があったが、苛政が原因で領民が逃散してしまった。

 可哀想だと思って保護したマインバッハ家としては、彼らは元ブレンメ男爵領の領民ですと公的に言えないわけだ。


「下手に刺激すると、もうかなり危ないって噂だから暴発の危険もあるのよ」


「それでよく潰れないよなぁ……」


 前世でも、なくはないか。

 俺は話に聞いただけだけど、バブル経済が崩壊した時、ある演歌歌手が不動産業で数千億円の借金を背負ったけど生活レベルが落ちているように見えなった。

 もう返せないと両手をあげてしまうと、金を貸している銀行の損失になるので、利子だけでも返してねとあまり追い込まなかった。

 中途半端な借金だと返済しなきゃと精神的に追い詰められやすいが、逆に多額だと開き直る人もいる。

 ペーターもそうだったな。

 あいつの場合、もう返そうと思えばいつでも返せるから問題ないわけだが。


「潰したくないんじゃないの? 潰したところに債権者が押し寄せるから」


「なるほど……」


 もうあとがない奴は、ある意味最強だな。


「そんな領地に発着場なんて作れませんよ」


 貴族の領地ってのは、その貴族が運営する国家と同じなのだ。

 借金返済のため、到着した船に高額の発着場使用料を取るとか、降ろした人や荷物に多額の税金をかけられたら、本来の目的である交通と流通の促進が達成されなくなってしまうからだ。

 その点、ブライヒレーダー辺境伯は抜かりがない。

 発着場を作った貴族家に対し、必要以上の発着場使用料や関税の類を取らないよう、ちゃんと文章に残してあった。

 マインバッハ家も、それにちゃんと従っている。


「ブライヒレーダー辺境伯は、ブレンメ男爵家に声をかけなかったのですか?」


「父が言うには、どうせ契約を守るはずないから、ブライヒレーダー辺境伯様も声をかけなかったのだろうと」


「どれだけ信用がないんですか……」


 というか、そんな貴族がよく生き残っているよな。

 そうか、潰すと逆に損なのか……。


「ブレンメ男爵家領は『嘆きの牢獄』みたいものか……」


 王国もブライヒレーダー辺境伯家も、このまま徐々に衰退して自然消滅するのを待っているわけだ。


「関わらない方がいいんですね」


「そういうこと。私が実家にいる時も、時おり着の身着のままで領民が逃げてきて、うちや近くの貴族領に移住させていたもの」


「酷い貴族だなぁ……」


「昔は苦情を入れていたって聞いたけど、話が通じないからやめたみたい。今の当主も大概だけど、跡取りも酷いみたいね」


 実は、ブレンメ男爵家って呪われているのだろうか?

 代々無能な当主が続くなんて……。

 などと思っていたら、突然、携帯魔導通信機が鳴った。

 誰からかなと通信に出ると、ブライヒレーダー辺境伯からであった。

 前世と同じく、便利な道具で仕事が減るってことはあり得ないよな。

 便利な分、逆にどんどん仕事が入ってくる。


『本日はお休みでしたか?』


「ええ、まあ……」


『申し訳ないですけど、ちょっと緊急事態でして……』


 ブライヒレーダー辺境伯の声が深刻なので話を聞くと、今アマーリエ義姉さんと話をしていた、大借金駄目貴族ブレンメ男爵家についてであった。 


『実は、うちの寄子であるブレンメ男爵家が、隣接するマインバッハ家に対し紛争を仕掛けようとしているそうです』


「発着場の件ですか?」


『おや、よくわかりますね……ああ、そちらにマインバッハ家の方がいましたね』


「ええ」


 ブライヒレーダー辺境伯は、アマーリエ義姉さんのことをちゃんと覚えていたようだ。


『実はとある筋から情報を得まして、ブレンメ男爵家の嫡男が発着場を含むマインバッハ領全体の占領を目論んでいます』


「それって、紛争ってレベルじゃないですよね?」


 それは、戦争というのだと思う。

 マインバッハ家の人たちだって、そのまま素直に領地や財産、発着場を明け渡さないだろう。

 双方に多くの犠牲者が出る可能性が高い。


『急ぎ屋敷に来ていただけませんか? 詳しい話はそこでします』


「わかりました」


 ブレンメ男爵家、マインバッハ騎士爵家ともにブライヒレーダー辺境伯家の寄子なので任せてしまってもいい気がするが、俺は辺境伯になったし、マインバッハ騎士爵家が分割してうちの寄子になるからまったく無関係というわけでもない。


「私も心配なので連れて行ってください」


「わかりました」


「旦那、単独は駄目だぜ」


 アマーリエ義姉さんが心配そうな顔をしているので彼女も連れ、俺は急ぎ『瞬間移動』でブライヒブルクへと飛んだ。

 カチヤは、今日エルは所用でいないので俺の護衛だ。


「魔法があると早くていいですね。ところで、フィリーネは元気ですか?」


「毎日楽しそうですよ。妹分もできたので」


 俺と顔を合わせるなり、ブライヒレーダー辺境伯はうちで生活しているフィリーネについて聞いてきた。

 彼女は、ルルと藤子の面倒をよく見る、いいお姉さんになっている。

 どこから情報を仕入れたのか、たまに『いい妻になる心得』なる物を二人に開陳しているけど。


「年下の子の面倒を見る。さすがは私の娘」


 娘が可愛いのはわかるが、それよりもブレンメ男爵家の話をしてほしいと思う。


「やはり紛争は避けられないみたいです」


「なあ、ブライヒレーダー辺境伯様。情報源は確かなのか?」


 カチヤは、その情報は真実なのかとブライヒレーダー辺境伯に問い質した。

 間違っている情報だと、こちらが墓穴を掘りかねない。

 俺たちよりも経験が長い冒険者であるカチヤは、その辺が非常にシビアだった。


「疑念はごもっとも。精度の高い情報ですよ」


「それゆえ、情報源は秘密ってわけだ」


「ここにいるメンバーになら話しても問題はないですね。これは、ブレンメ男爵家の暴走に危機感を抱いた重臣と一族の者による内部告発ですから」


 というと、ブライヒレーダー辺境伯は手紙を俺たちに見せてくれた。

 なるほど、内情を告発した密書というわけだ。

 密書の宛名を見ると、ゾンバルトとイヴァンカと書かれていた。


「どういう人なのです?」


「ゾンバルトは代々ブレンメ男爵家に仕える執事……ブレンメ男爵家は家臣団の崩壊も進んでいるので、彼が家宰みたいなものです。金庫番も兼ねた大物ですよ。イヴァンカは、現当主の長女です」


 当主が無能で、家宰と娘はまともなのか。

 そしてアマーリエ義姉さんによると、嫡男も残念な人だったな。


「手紙によると、紛争を仕掛ける主犯は嫡男のイーヴォです。当主は嫡男の失敗を願っているようですね。元々当主は、家臣団をリストラで崩壊させた戦犯なので、家臣たちからの支持が薄い。嫡男の暴走を止められないどころか、失敗したら処分するつもりのようです」


「それで、イヴァンカさんに婿を迎えて家を残すというわけですね。あの家なら、やりかねませんね……」


 アマーリエ義姉さんが呆れた表情を浮かべた。

 お家騒動も結構だが、やるなら他家を巻き込むなって話だ。

 そりゃあ、誰からも相手にされないわ。


「しかし、領民の逃散と大借金で騎士爵家並の力しか持たないブレンメ男爵家がどうやって紛争に勝つのです?」


 動員できる兵力にそう差がない以上、マインバッハ騎士爵家に対し完全勝利するなんて難しいと思う。

 ましてや、在地貴族が持つ諸侯軍なんて大半が普段は農民なんだから。


「それも手紙に書いてありますけど、領民を総動員する計画です」


「はあ? 領民を全員ですか?」


 俺は思わず、ブライヒレーダー辺境伯に聞き直してしまった。


「ですから、女性もお年寄りも子供も、みんな動員してしまうのです。武器はその辺の棒でも農具でも持たせればいいと」


 確かにその手なら、兵数だけは増やせる。

 女性や子供は戦力にならないし、紛争の最中に誰が農業や狩猟をして食料を得るのかという疑問は浮かんでくるが。

 領民を根こそぎ動員するなんて、どう考えても狂気の沙汰以外なにものでもなかった。


「頭がおかしいんだな。その嫡男」


「前から評判は悪かったですけどね」


 ブライヒレーダー辺境伯によると、嫡男のイーヴォは一見すると聞き分けのいい好青年だそうだ。


「代々当主の失政や悪行を批判し、自分が当主になった暁にはブレンメ男爵領を立て直し、発展させる。それは熱心に語るそうです」


「そういう人、いますよね……」


 本人は真面目で真剣で、極めて善意の人で、自分はこういう風に改革したい、仕事がしたいと熱心に語る。

 ところが、実行力がゼロどころかマイナスに振り切れている人が。


「きっと、言ったことがまったく実行できないで家臣や領民の支持も離れつつあるから、最後の賭けで戦争を仕掛けようとしているってことですよね?」


「大まかに言うとそうですね」


 もう一つ、そういう人ってある意味いい性格をしていることが多い。

 最初に言ったことと、これからしようとすることに大きな齟齬があっても、それに気がつかないのだ。


「領内の改革がまったく進まないから、それを実現するためにマインバッハ騎士爵家を犠牲にしても仕方がない。紛争で犠牲が出るかもしれないけど、これはブレンメ男爵領を豊かにするためだから仕方がないんだって感じです。自分の都合で善悪の判断がコロコロ変わるのに、それに自分で気がつかないタイプですね」


「最悪だな」


「そうだよな、旦那。あたいもそんな冒険者を知っているけど、札付きの奴より性質が悪いぜ」


 悪い冒険者なら最初からそういう対応が取れるけど、その手のタイプの人間は組んで暫くしてから足を引っ張られる。

 タイミングが悪ければ、巻き込まれて大被害を受けてしまうか。


「あの、どうして俺を呼んだのですか?」


「ブライヒレーダー辺境伯様が援軍を出さないのか?」


 カチヤが、ブライヒレーダー辺境伯家はマンバッハ家に援軍を出さないのかと尋ねた。


「下手に援軍を出すと、ブレンメ男爵家側が自暴自棄になる危険性を考えているのですよ」


 領民全員が死をも恐れずに突撃してくる?

 そこまで士気が高いものなのか?

 今までの話からすると、そこまで領民たちがブレンメ男爵家を慕っているようには見えないのだが……。


「そっちの忠誠ではないです。みなさん、ちょっと考えてみてください。これだけ苛政が続いて領民が逃げ出し、マインバッハ家を含む周辺の貴族や、うちですら同情して逃散した領民たちの移住先を確保しているのにですよ。逃げ出さないでまだ残っている人たちです。逆に怖いと思いませんか?」 


「奴隷根性が染みついているのね」


「それですよ、アマーリエさん」


 前世でもあったからなぁ。

 俺がいた商社も大概だったが、同窓会とかに出るともっとひどい待遇の会社で働いている同級生もいた。

 彼らは自分の勤め先がどんなに酷いか批判するが、じゃあ辞めればというとそれは否定する。

 他の会社も同じだとか、責任があるから辞められないとか、いい社会人が会社が厳しいくらいで辞めていられないとか。

 こういうのって、大学の同級生で歴史を研究していた奴が言っていたのに当てはまる。

 悲惨な境遇にある奴隷が、次第に他の奴隷に対し『俺の足についている鎖の方が綺麗だ』とか、『昨日は夕食のスープに入っていた肉が他の奴よりも一切れ多かった』とか、同じ奴隷なのに優劣をつけて自分の方が恵まれていると言い出す。

 従順というか、苛政で苦しんでいても、裏で文句は言っているかもしれないが表立っては領主への忠誠を貫く。

 悲惨な待遇に慣れてしまったというか。 

 確かに、彼らがイーヴォの命令を最後まで順守する可能性があるんだよな。

 もしそうなれば、かなりの死者が出てしまうかもしれない。


「あの状況で残っているからこそ、逆に怖いんですよ。刺激したくない」


「ということは、俺がいち魔法使いとしてマインバッハ家に陣借りをすればいいと?」


「報酬は出しますので。高いのは知っていますが、千人規模の援軍を出すよりも安いですし」


 ブライヒレーダー辺境伯は、寄親としてマインバッハ家を守らなければいけない。

 もし正式に諸侯軍を援軍として出すと、費用はとんでもないことになる。

 それなら、俺に高額の報酬を支払った方が安くつくというわけか。


「カチヤさんにも報酬は出します。それでも、軍勢を出すよりは安いのです」


「旦那、どうする?」


「引き受けますよ。アマーリエ義姉さんの実家が、考えなしのアホに侵略されるのも嫌ですから」


「ありがとう、私はお世話役で同行しますね」


 アマーリエ義姉さんは満面の笑みを浮かべながら喜んでくれた。

 うん、いいことをしたな。


「そうですね、アマーリエさんはマインバッハ家との繋ぎ役をお願いします。報酬は出せませんけど……」


「お構いなく。私はあくまでも『陣借りをした冒険者ヴェンデリン君のお世話役』なので」


「いやあ、助かりました。うちからは監視役としてまたブランタークを出すので、一緒に連れて行ってください」


 ブライヒレーダー辺境伯家からは、またもブランタークさんが応援に来ることが決まった。


「あれ? そういえばブランタークさんはどこに?」


「彼は今日、お休みなのですよ。悪いですけど、お屋敷まで迎えに行ってくれませんか?」


「わかりました」


 俺たちは、ブランタークさんと合流すべく彼の屋敷に向かうのであった。






「へえ、豪華なお屋敷が多いんだな」


「ここは、ブライヒレーダー辺境伯家でも重臣ばかりが屋敷を構える区画だからな」


 領主館を出てすぐの場所に、豪華な屋敷ばかり並ぶエリアがあった。

 ブライヒレーダー辺境伯家ほどの規模ともなると、身代が騎士爵、準男爵よりも上の重臣が多数いる。

 彼らは上級家臣として、このエリアに豪華な屋敷を建てて住んでいた。 


「へえ、うちの実家なんて目じゃないな」


 まあ、カチヤの実家はなぁ……。

 今は領地の移転に伴って新しい屋敷が完成しており、昔に比べたら格段に豪華になったけど。


「マインバッハ家もそうよ。あとは……」


「昔のバウマイスター騎士爵家もですよね」


「そうよね」


 今はそれなりの屋敷を建てたが、昔は酷かったからな。

 俺もアマーリエ義姉さんも、一緒に昔のことを思い出していた。

 三人とも、吹けば飛ぶような貧乏貴族の家の出という共通点があり、その手の話題には事欠かなかった。


「ヴェル君は、冒険者時代ここに来たことはあるの?」


「いいえ、お呼びじゃないですからね」


 ブライヒブルクにいた頃は、ただの冒険者予備校の生徒だったからなぁ。

 当時はイーナとルイーゼの実家にも行ったことがなかったし、もし行ったとしても二人の実家はこのエリアにはない。

 まったく縁がない場所であった。


「ブランタークさんは? あの人、金持ちじゃん」


「あの人、結婚するまで下級家臣が住むエリアにいたんだよね」


 独り身だから広い屋敷なんていらないと、結婚前はここには住んでいなかったのだ。

 今はちゃんとここに屋敷を構えているわけだが。


「確か、あの屋敷だな」


 少し歩いたところで、ブライヒレーダー辺境伯から教わったブランタークさんの屋敷に到着した。


「やっぱりいい屋敷に住んでるな。庭も広いし」


「そうね」


 大きな屋敷と正門の間には広い芝生の前庭が広がっており、俺たちはそちらに視線を向ける。

 すると、前庭の真ん中で誰かが何かをしているのを見つけた。

 姿勢を低くしながら俺たちに背中を向け、誰かと話をしているような……。


「ヴェル君、きっと子供と遊んでいるのよ」


「そうか」


 ブランタークさんにはまだ二歳前の娘がおり、とても可愛がっていると聞いた。


「子供を庭で遊ばせていたのか。メイドさんかな?」


「なあ、旦那。あれ、男性じゃないか?」


 カチヤの言うとおり、体の大きさなどから考えると子供をあやしているのは男性か。

 ということは、屋敷の使用人か誰かか?


「ブランタークさんに用事があるし、声をかけてみよう。すいません」


 俺は、こちらに背中を向けて子供と遊んでいる男性に声をかけた。

 お休み中のブランタークさんには悪いが、緊急事態だからな。

 彼を呼んできてもらわないと。


「おーーー! マーガレットが立った。さすがは俺の娘」


「すいませーーーん!」


「何だ? 俺はとても忙しいんだぞって……辺境伯様?」


「「「ええっ!」」」


 振り返った男性の正体を見て俺たちは驚いてしまった。

 なぜなら、前庭で子供と遊んでいたのは、使用人ではなくてブランタークさん本人だったからだ。

 普段のローブ姿じゃないから気がつかなかった。


「……ブランタークさん? 子守りですか?」


「そうだが、しちゃ悪いか?」


 まずいところを見られてしまったなと思ったのであろう。ブランタークさんは『文句あるか?』という表情を浮かべた。


「いえ、俺もたまに子守りはしていますから」


 バウマイスター辺境伯イクメン作戦は奥さんたちの反対でとん挫したが、たまに子供たちに魔法を見せてあやしたりはしていた。

 俺はいいのだが、ブランタークさんにはまったく似合っておらず、アマーリエ義姉さんとカチヤは笑いを堪えようと彼から顔を背けていた。


「……辺境伯様、エルヴィンには言うなよ。あいつは、絶対に笑うから」


「はあ……」


 俺が言わなくても、カチヤとアマーリエ義姉さん経由でバレるような気がする。

 俺は別に、ブランタークさんが子供と遊んでいても気にならないけどな。


「可愛い娘さんですね。ベロベロバァーーー」


「きゃっ、きゃっ」


 俺がベロベロバーをしてみると、ブランタークさんの娘はとても嬉しそうに笑った。

 やっぱり、俺は育児に向いているよね?


「辺境伯様、うちの娘を誑かすなよ。もう嫁はいらねえだろう?」


「どうして、そこまで話が発展するかな?」


 俺はただ、子供をあやしているだけなのに……。

 年を取ってから生まれた娘が可愛いのはわかるが、二歳にもなっていない娘を嫁にするわけがない。


「いやあ、わからねえぞ」


「どれだけ信用がないんですか」


「事実、なし崩し的に嫁が増えているじゃねえか」


「あのですね……」


 これ以上話を続けていても平行線だ。

 俺はブランタークさんに事情を説明し、急ぎ『瞬間移動』でマインバッハ騎士爵領へと向かうのであった。






「あーーーあ、せっかくの休みがなぁ……あとで代休を貰わないとな」


「俺も休みを中断して来ているんですけど……」


「辺境伯様は貴族、俺は雇われている家臣だ。その差は大きいな。今日こそは『父上』って言ってくれるかと思ったのによ……」


 愛娘との楽しい時間を中断されたブランタークさんが愚痴っているが、それは無視してマインバッハ家の領主館を目指す。

 俺はアマーリエ義姉さんを里帰りさせるため何度も来ていたが、領内は緊張感に包まれていた。

 途中で名主の家を通ったが、多くの男性が集まって倉庫から槍や防具を取り出して手入れをしたり、試着していた。

 傍に女性たちもいて、サイズが合わない防具の直しを急ぎ行っている。


「マインバッハ家では、領民が装備する装備は一括管理なのですか」


「昔からそうよ。バウマイスター騎士爵家は、その家ごとの管理よね」


 諸侯軍に徴集される領民たちが装備する武器や防具は、領主家が一括管理するところと、領民の家ごとに管理するところがあるというだけの話だ。

 どちらが正しいということもないので、それは各貴族家が決めること。

 ただ一つだけ言えるのは、マインバッハ家諸侯軍の装備品は統一されていた。

 全額ではないが、装備代をマインバッハ家が負担している証拠だ。

 領内の各地区にある倉庫で一括管理しているのも、自分たちも金を出したからというのもあるが、武器と防具は定期的に手入れをしなければすぐ駄目になってしまうし、使える期間が短くなってしまうからだ。

 バウマイスター騎士爵家は余裕がないので、お前らが自分で揃えて手入れも任せたといって放置しているから、装備品がバラバラなのだと思う。

 紛争になった時、敵味方の判別が難しくなるから装備品が統一されていないのはよくないんだが、バウマイスター騎士爵家相手に紛争をする相手がいなかったから、これまで特に問題になっていなかった。

 それに、貴族同士の紛争など、そう滅多にあるものではない。


「この人たち、戦わせて大丈夫なのかな?」


「紛争なんて父も経験したことがないと思うけど、それはブレンメ男爵家もお互い様だから」


 普段は各名主が管理する倉庫に仕舞ってある武器と防具を装着する機会など、そうはないのが現状で、これから紛争に向かうといよりは消防団の訓練のように見えてしまう。

 やる気のある貴族なら定期的に領民たちに訓練を施すところもあるけど、そんな貴族は滅多にいない。

 諸侯軍への訓練も労働力を提供する一種の賦役であり、訓練する分、農作業や狩猟、採集、普段の仕事を阻害するので、その分生産量が落ちてしまう。

 まともな貴族ならその分は税から控除するし、訓練中の食事代などを負担するが常識だ。

 万が一に備えて領民たちに訓練を施すというのも、貴族にとっては思った以上に大きな負担だったりした。


「ブレンメ男爵家側の動きは、マインバッハ家側にも漏れているようだな」


 愛娘との時間を潰されてご機嫌斜めだったブランタークさんだが、すでに仕事モードに戻っていた。


「ブライヒレーダー辺境伯家のみならず、マインバッハ家にも密告があったそうです」


 そんな話をしながら屋敷に到着すると、そこでもマインバッハ家の家臣やその家族たちが紛争の準備で忙しそうに働いていた。


「これは、バウマイスター辺境伯殿」


 アマーリエ義姉さんの父マインバッハ卿が、俺たちに挨拶をしてきた。


「申し訳ありませんが、今日の俺はフリーの魔法使いという扱いですから」


「そうでしたな」


 俺の甥たちが継承するマインバッハ家はバウマイスター辺境伯家の寄子になるが、こちらのマインバッハ家はブライヒレーダー辺境伯の寄子のため、そこにバウマイスター辺境伯である俺が紛争の応援に行くと、色々と面倒なことになってしまう。

 そこで今日の俺は、マインバッハ家に雇われたフリーの魔法使いヴェンデリンという設定であった。

 あくまでも、ブライヒレーダー辺境伯家からの応援はブランタークさんというわけだ。


「応援に感謝いたします。ブランターク殿、ブライヒレーダー辺境伯殿によろしくお伝えください」


「お気になさらずに。今回は急な話だったので、私のみで心苦しい限りですけど」


 ブライヒレーダー辺境伯家でも魔導飛行船の手配が間に合わず、ブランタークさんだけを送り出すことになったのだが、ブレンメ男爵家側には魔法使いがいないから、数百の兵よりも魔法使い一人の方がありがたいはず。


「援軍を間に合わせることも可能でしたが、受け入れ側の負担もありますからね」


「はい、うちは小さいですから」


 援軍を受け入れてもいいのだが、急ぎなので持参できる食料や物資は限られる。

 マインバッハ家側としても、援軍を受け入れても面倒を見きれないのだ。

 紛争になれば男手は紛争にかかりきりになるから、畑は女性、子供、老人に任せるにしても狩猟はできなくなってしまう。

 食料が不足しやすいところに、ブライヒレーダー辺境伯家からの援軍受け入れは厳しいであろう。

 全部とは言わないが、貴族のプライドとして援軍が消費する食料などもある程度は負担しなければいけないのだから。


「旦那、ブレンメ男爵家の嫡男ってのは迷惑な奴だな」


「本当にそうだ」


 カチヤの意見に、全員が賛同した。


「基本的に綺麗事しか言わない口先だけの男ですが、なにも失う物がないのでこういう無茶も平気で行えるようです。とにかく防戦の準備を急ぎませんと」


 領民全員で侵攻するとか、完全に頭がおかしいとしか思えん。

 マインバッハ卿も、内心では頭を抱えているはずだ。


「お隣は選べませんからね」


「そうなのよ。先代もバカだけど、なにもしてこないだけマシだったのよ」


 アマーリエ義姉さんからも散々な評価をされるブレンメ男爵親子であったが、確かにどんな在地貴族でもお隣さんは選べないからなぁ。

 話はこれくらいにして、今は俺たちも準備を整えることにしよう。





「って、急ぎ準備したけど、ブレンメ男爵家の連中こないな」


 諸侯軍の準備を終えたマインバッハ卿とともにブレンメ男爵領との領地境に陣を張ったが、肝心のブレンメ男爵家の嫡男イーヴォとその愉快な軍勢はこなかった。

 ほぼ全領民で侵攻するという作戦、かなり破れかぶれだが意味がないわけでもない。

 常識外れも極めれば、もしかしたら上手く行くかもしれないからだ。

 ところが、こういう常識外れな作戦を成功させるにはある条件がある。

 それは、相手よりも素早く動くこと。

 それなのに、いまだブレンメ男爵家諸侯軍の姿は見えなかった。

 せめて、こちらが陣を張ろうとしたところを奇襲するとかしないと勝てないのに……。


「これは、一族にまで内通者がいたおかげですね。明日には姿を見せると思います」


 いつの間にか、見慣れない初老の男性がいた。

 身形は少し貧相であったが、とても知的な人に見える。


「ヴェンデリン殿、彼はブレンメ男爵家の執事のゾンバルトです」


「これはどうも。ヴェンデリンです」


 バウマイスター辺境伯とは名乗らない。

 今の俺は、フリーの魔法使いヴェンデリンなのだから。


「執事ですか?」


「ブレンメ男爵家も次々と家臣が去っていき、内々のことの大部分を任されております」


 実質、家宰みたいなものか。

 そんな人が裏切るって、ブレンメ男爵家は完全に終わっているな。


「あれ? でも一族の人じゃないですよね?」


「詳細な情報を私に集めさせ、自らも集め、文に認めて外部に送った方は別にいます。その人物がこちらに来るわけにはいかないため、私がここに来たわけです」


 軽く言ってくれるが、この時点で彼は裏切り者だと公にしたようなものだ。

 紛争終了後、間違いなくブレンメ男爵家にはいられなくなるであろう。


「その唯一まともなご一族の方を裏切り者にするわけにはいきませんので。私の家は代々ブレンメ男爵家に仕え、悲惨な状況をなんとかしようと足掻いて参りましたが、もはや限界だと思いました。あとは、そのご一族の方が平穏に暮らせるよう動くのみです」


 代々バカ揃いのブレンメ男爵家の面々であったが、一人だけまともな人物がいる。

 ゾンバルトは、その人物のために動いているようだ。


「本当なら、マインバッハ領は数だけは多い敵に奇襲を受けるところだった。これは、ゾンバルト殿の功績ですかね?」


「いえ、いくら他所の領地とはいえ、全領民が出兵の準備をしていたら気がつかれますよ。よほどうまく隠蔽しない限りは。それに……」


 ゾンバルトが視線を向けた先には、マインバッハ領と領地を接している貴族領からの援軍があった。

 人数は多くても二~三十人ほどだが、数家混合で合計は百名を超えている。

 マインバッハ家からすればありがたい援軍であろう。


「ブレンメ男爵領と領地を接している貴族で出兵準備に気がついた者もいますし、さすがに今回の出兵につき合いきれないと感じた領民もいるようです。他領に逃げ込んで、今回の侵攻が発覚したようですな」


 奇襲なのに情報が洩れているのか。

 本当、ブレンメ男爵家の嫡男は駄目な男だな。


「人前で話すのは上手な方なのです。父親が口下手な分、雄弁に語る嫡男に家臣も領民も最初は期待しました」


 いるよなぁ、そういう人って。

 前世でもいた。

 言うことは立派なんだけど、まったく行動がついて行かない。

 イーヴォとかいう嫡男もそういう人なんだろう。


「情報が駄々漏れでも、明日になれば千人からなる人間が突撃してくるかもしれないんだ。なんとか犠牲を出さないようにしないと」


「ご立派ですな。さすがは、バウマイスター辺境伯様」


「今の俺は、フリーの魔法使いヴェンデリンだ。別に俺は立派じゃないさ」


 女子供まで混じった軍勢に本気で魔法なんてかけられるか。

 こちらに突撃してくる前に大規模魔法を見せつけて脅すか、または『エリアスタン』か……。

 あの魔法、コントロールが難しいんだよなぁ……。

 とはいえ、今回はブロワ軍ほど数も多くないし、俺も鍛錬を重ねて魔法の精度を上げたからな。

 それはあとで考えるとして、明日に備えて寝る場所を確保しないと。


「カチヤ、今日は野宿だな」


 この辺、畑と草原しかないからな。

 夜襲がないと断言はできないから、マインバッハ家の屋敷に戻って寝るわけにもいかず、冒険者をしている時と同じくテントを張ってそこで寝ることにした。

 いつものことで慣れているから、カチヤも文句を言わない。


「いつものことだものな。旦那、星が綺麗だぜ」


 二人でテントから顔を出して星空を見ると、多くの星が瞬いていた。

 地球の都市のように過剰な灯りがないため、多くの星がとても綺麗に見える。

 残念ながら、どれがどの星座かはわからないが。

 この世界でも星座は存在するのだが、如何せん興味がなかったので知らなかったのだ。


「カチヤは星座とかわかるか?」


「あれが極北の星だろう、あれが極南の星……」


 真北と真南にある大きな星を指差したら、カチヤの説明が止まった。

 そうか、この二つがわかれば問題ないわけか。

 俺なんて、その二つの星すら知らなかった。


「旦那、夜間に方向を知る方法を知らなかったのか?」


「魔道具があるから……」


 魔道具なので高価だったが、方位磁石のようなものは普及していた。

 それに、今まで方向がわからなくて困ったことがなかったからなぁ……。


「覚えたから、これで大丈夫。カチヤ、他の星を教えて」


「えっ? 星の名前を」


「そう、星の名前」


「……星が綺麗だなぁ」


「本当に綺麗だ」


 何となくそんな予感がしたが、やはりカチヤは他の星を知らなかったようだ。

 でもお互い様だと、二人で星空を楽しんだ。


「ねえ、ヴェル君。私、本当に屋敷に戻っていいのかしら?」


 とここで、アマーリエ義姉さんが声をかけてきた。

 俺の世話をするため、今日は一緒に野宿しなくていいのかと尋ねたのだ。


「戦闘になるかもしれないので」


 アマーリエ義姉さんには、戦闘力が皆無に近いからな。

 屋敷に戻った方がいい。


「それもあるけど、アマーリエさんが戻った方がみんな諦めるから」


「そうよねぇ……こんな時になにを考えているのかしら?」


 アマーリエ義姉さんが呆れた理由。

 それは、マインバッハ家への援軍の中になぜか世話役として数名のご令嬢が参加していたのだ。

 しかも、家臣や兵たちの世話役ではなく、俺の世話役だというのだ。

 こんな時に、しかも、今の俺はフリーの魔法使いという扱いじゃなかったのかと。

 そう文句を言うと『どの軍勢にも魔法使いなんていないので、お世話しても問題ない』と言いやがった。

 もしその間に、令嬢たちと俺が恋仲になっても構わない。

 むしろ、なってほしいという意図がミエミエであった。


「というわけでさ、これから戦闘になるかもしれないのに邪魔だから屋敷に連れ帰ってくれないかな? 女手は飯炊きとかで使えるし、あいつらも危ういから抑えた方がいいと思うな」


「そうよねぇ……」


 カチヤのいうあいつらとは、俺の甥たちにしてアマーリエ義姉さんの息子であるカールとオスカー。

 この二人、今回の紛争で初陣をしたいと言い始めてマインバッハ卿を困らせていた。

 まだ成人に満たない二人を紛争に出すなんてルール違反だと何度言っても、男の子だからか、参加したいと時間があれば声に出すようになった。


「あいつら、勝手にこちらに来られても困るから、監視しておいてくれよ。あと、援軍を出した貴族の令嬢たちも」


 まだ武芸の訓練をしているだけ、甥たちの方がマシだ。

 戦場になるかもしれないところに、貴族の令嬢なんて邪魔なだけである。


「わかったわ。でも、カチヤさんも貴族令嬢なのにね」


「アマーリエさん、貴族令嬢ったってピンキリだぜ」


「私も、あの子たちも、田舎貴族の娘なんて、大貴族様から見たらメイドみたいなものよ。ちょうど屋敷に伝令で戻る兵が灯りを持っているの。一緒についていくわ」


「それがいいですね。アマーリエ義姉さん、気をつけて」


「ありがとう。優しくて嬉しいけど、一緒に戦場に残るカチヤさんに気をかけてあげないと」


 俺は男性なんだからと、アマーリエ義姉さんから注意されてしまった。


「あたいは、冒険者としては旦那の先輩だからな。それに、こうやって二人で星空を眺めるのもいいものさ」


「それもそうね。じゃあ、二人とも気をつけて」


 アマーリエ義姉さんは、俺狙いの貴族令嬢たちを連れて屋敷に戻っていった。


「旦那、明日はどうなるかな?」


「まあ、なるようにしかならないさ」


「それもそうだな。旦那、今夜は腕枕をしてほしいかな」


「いいよ」


 今はこんな状態なので、俺たちは明日に備えて寝るしかない。


「ああ、今日は旦那を独占できていい気分だぁ」


 俺はカチヤを腕枕しながら、明日に備えて目を瞑るのであった。






「まあ、僕の指揮能力があれば夜襲も可能だったんだけど、そうすると他の領地とはいえ、領民たちに犠牲者が多く出てしまうからね。さて、諸君!」


 遂に、兄が全軍に出動命令を出そうとしていた。

 ブレンメ男爵家諸侯軍は、合計千二十三名。

 半分以上が女、子供、老人で、これを軍勢というなんておこがましいにも程がある。

 しかも、前日よりも数十名減っていた。

 これまではすべてを諦めたかのように従順だった領民たちも、戦争だけは嫌だったのであろう。

 もうつき合いきれないと他領に逃げてしまったようだ。

 元々私がゾンバルトを送り出して情報をリークしていたが、彼らが逃げ込んだ先の領主に事情を説明するはずだから、最初の作戦案である奇襲はもうできない。

 というか、戦争の準備にこんなに時間をかけている時点で奇襲もクソもない。

 だが、これだけの数がマインバッハ領に侵入をするというだけで、彼らは頭が痛い事実であろう。

 うちの領民たちは貧しいので、いつ略奪集団に早変わりするかわからない。

 群衆心理とは恐ろしいものだからだ。


「マインバッハ家から魔導飛行船の発着場を奪い、その領地を併合すれば、我がブレンメ男爵領は豊かになる! きっとなる! さあ、勝利は目の前だ!」


 紛争なら王国政府も目を瞑るが、戦争なんて仕掛けて兄は無事に済むと思っているのであろうか?

 きっと思っているのであろう。

 多少弁が立つ以外の長所がない兄であるが、もう一つ特徴があった。

 自分にばかり都合のいい思考を行い、それが世間に通用すると本当に思っているのだ。

 他の男爵家の跡取りなら、普通は領地の外に出て世間を知る機会を得られる。

 ところが兄は、家が貧しいので領地の外に出たことがなかった。

 だからこんなバカみたいな企みが本当に成功すると思っている。

 もし失敗しても、兄の頭の中は大変都合よくできており、自分の失敗を認められないかもしれないが。

 それを世間では現実逃避というのだが、兄にその現実は理解できないであろう。

 いや、理解したくないのだ。


「父上?」


 駄目元で兄を止めてもらおうと、私は兄たちを半笑いで見ている父に声をかけた。


「イヴァンカ、どうかしたのか?」


「あの……兄様を止めなくていいのですか?」


「ふんっ! 失敗すればいいのだ!」


 父は、兄が失敗すると思っているようだ。

 ならば止めればいいのだが、この機会に兄を廃嫡しようと思っているのであろう。

 これだけの失態を犯したのだから、廃嫡されても仕方がないのは確かだ。


「イヴァンカ、お前にはいい婿を迎えないとな」


 兄を廃嫡し、今度は大商人の息子でも迎えるのであろうか?

 そして持参金で借金を返す。

 借金の額が多すぎるので、破滅を少し伸ばすので精一杯であろうが。

 父にとっては最良の策かもしれないけど、領民たちに犠牲が出るかもしれないとか、マインバッハ家も含めて周辺貴族から徹底的に憎まれてしまうとか、その辺の問題を危惧しないのであろうか?

 きっと、そこまで考える余裕はないのであろう。


「イーヴォ! あんな奴、死ねばいいのだ!」


 実の息子に死んでほしいという父。

 この家は腐っていると思う。

 とにかく領民たちに犠牲が出ないことを祈るのみだ。




 そのためなら、こんな家なんて滅んでもいいのだから……。




「ヴェンデリン殿、千を超える敵の軍勢が迫っております!」



 翌朝、野営しているので軽く朝食をとり、カチヤが淹れてくれたマテ茶を飲んでいると、そこにマインバッハ家の嫡男でアマーリエ義姉さんの兄ヴィッツ殿が姿を見せた。

 斥候に出した従士が、この領地境に迫るブレンメ男爵家諸侯軍を発見したと報告してきたそうだ。


「千人かぁ……さすがは男爵家」


「いえ、カチヤ殿。ブレンメ男爵家は代々の失政が祟って、人口なども我が家とそう差はありません。男手も同じようなもの。軍勢には、老人、女性、子供も混じっています」


「アホじゃないのか?」


「まあ、あそこの跡取りならやりかねないと言いますか……」


 事前の情報どおり、ブレンメ男爵家の嫡男イーヴォは救いようのないアホのようだ。


「はあ、これは大変そうだな」


「戦いにならないといいけど……」


 女性、子供、老人と戦うなんてな。

 もし死なれでもしたら、暫くトラウマになりそうだ。

 普通に戦えば他の領地からも援軍を受けているこちらの勝利なのだが、なんとかして犠牲なしで勝利したい。


「旦那、『エリアスタン』は?」


「子供や老人がいるから加減が難しいんだよ」


 下手に強くすると、老人とか心臓が止まってあの世に行ってしまうからな。

 帝国内乱の時のように『低周波治療器』レベルまで弱めればいいのだが、もし領民たちがイーヴォに逆らえず死に物狂いで突撃してきたら。

 防ぎきれずに両軍が激突してしまう。


「斬首戦術でいくか? 旦那。あたいがやってもいいけど」


 総大将であるイーヴォだけを殺してしまう。

 こうすれば領民たちに犠牲は出ないかもしれないが、紛争で貴族を殺すと王家がうるさいかも。

 俺を嫌いな貴族たちが、喜び勇んで俺を攻撃してくるかもしれない。

 それにないとは思うが、もしイーヴォにカリスマがあった場合。

 彼の死で領民たちの統制が取れなくなり、分散されてマインバッハ領内に侵入、暴れる危険も考慮しないと駄目か。


「困ったなぁ……」


「なまじ女子供がいるとな。男だけなら少し手荒くてもいいんだけど」


 カチヤも、女子供が過半数を占める集団とどう戦ったらいいか、答えが出ないで困っていた。


「そうですね。我々貴族が、女子供を害したなんて、末代までの恥ですよ」


 本物の戦争なら綺麗事も言っていられないが、平和な世の紛争で女性や子供に手をかけられない。

 もし間違ってそういうことになってしまえば、貴族としては暫く悪評が流れ続けてしまう。


「ブライヒレーダー辺境伯、これは難しい仕事ですよ」


 俺は、ここにいないブライヒレーダー辺境伯に対し愚痴を零した。 


「報酬を増やしてほしいよな、旦那」


「確かに」


 ただの助っ人魔法使いの仕事にしては面倒すぎる。


「どうする? 旦那」


 段々と視界に押し寄せるブレンメ男爵家諸侯軍が見えてきたが、みんな貧しい生活のためか、装備がボロどころか防具すら着けていない。

 武器も、ボロボロでも剣や槍を持っているだけマシで、中には農機具や木の棒を持っている人もいた。


「軍勢ってよりは、流民の群れって感じだな」


 カチヤの感想を聞き、俺たちは納得してしまう。


「稀に苛政で貴族の領地から領民が逃げ出すそうですが、こんな感じだと言っていましたね」


 ヴィッツ殿は、まるで幽鬼の群れのように前進してくる彼らを見て、つき合いのある貴族から聞いた流民そのものだと言った。


「どうしましょうか? 可愛そうですが、あんな連中を領内に入れたら我が領は終わりかもしれません」


 なにも失うものがない連中ほど、怖いものはない。

 全面的にイーヴォに従っている人は少ないのだろうが、このまま貧しい生活を送るよりは、他人から略奪してでも生活を変えたい。

 そこまで追い込まれているようにも見える。

 バウマイスター辺境伯領内にも入れたくない連中だな。


「旦那、どうする?」


「よし! 新作魔法を試そう!」


「新作? 旦那は器用だな。どんな魔法なんだ?」


「相手の心を攻める魔法かな」


 威力のある攻撃魔法、暴徒鎮圧用の『エリアスタン』とは別に、もっと相手の体にダメージを与えず、その心を折って抵抗をやめさせる魔法。

 俺ももう大貴族だから、こういう魔法も覚えて周囲の評判を気にする必要があると常々思い、密かに練習を重ねたわけだ。


「旦那、ぶっつけ本番で大丈夫か?」


「任せなさい!」


 もうその魔法自体はちゃんと使えるんだ。

 あとは、いつそれをお披露目するかという状態だったから、考えてみたら今ほどそれに適した時はないな。


「旦那、どんな魔法なんだ?」


「竜を召喚してみようじゃないか」


「「「「「竜を?」」」」」


 カチヤも含め、ヴィッツ殿たちが驚きの声をあげた。

 召喚魔法自体今まで存在しなかったのに、いきなり竜を呼び出すなんて俺が言ったからだ。


「という口実で、実は幻術の類ですけど」


 本当の答えは、敵に竜の幻想を見せて驚かせる魔法というのが正解か。

 実は、火、水、風と三系統の魔法を融合しないと使えない面倒くさい魔法だが、これは俺が何年も前から試行錯誤を繰り返して完成させた。

 師匠が残した本にも記載されていない、俺独自のオリジナル魔法だ。

 他に研究した魔法使いがいるかもしれないが、少なくとも俺の周りでは使える魔法使いはいない……はず。


「あれば便利そうな気が……そうでもないかな?」


「魔物相手だと、そうでもないんじゃないかな」


 驚かせても、魔物は逃げるだけだからな。

 カチヤの言うとおり、冒険者には使いどころが難しいかも。


「魔物やその群れを、ある場所に追い詰めるために使うとか?」


「そんな力量がある魔法使いなら、そこで倒した方が早いじゃん。やっぱり魔物相手だと、それほど便利じゃないかも」


 完全な、対人間用の魔法ってことか。

 幻術で敵を惑わせる魔法使いとかって格好いいと思ったけど、なまじハードルが高いから、それを使えるなら魔物を倒してしまった方が早いなんて。


「まあいい。これを見れば、ブレンメ男爵領のみんなも戦意を喪失するはずだ」


 普通の人間の目の前に竜が出現したら、まず戦意を喪失するだろうからな。


「旦那!」


「おう!」


 そんな話をしている間にも、彼らはこちらに向けて突進を続けていた。


「イーヴォとかいうアホの首だけ刎ねるって手もあったんだが、いないな……」


「残念ですが、イーヴォ様にそんな度胸はございません。それと同時に、自分は総大将だから先陣に立つ匹夫の勇など行わない。と言い訳をし、本気でそう思える羨ましい頭をしているのです」


 領民のためとはいえ、裏切って情報提供をした身であるゾンバルトも後方で安穏としていられないと前線に同行しており、元と言っていいのかわからないが、主君の嫡男の性格について冷静に述べた。

 その言葉はえらく客観的なのに、イーヴォを思いっきり貶しているようにも聞こえるが、事実なので仕方がない。


「後ろにいるみたいだな。これを狙うと、他の領民に犠牲が出るか。では、早速! 『イリュージョン』!」


 別に魔法名を叫ぶ必要はないのだが、いきなり幻覚でも竜が出現したら味方が混乱してしまう。

 叫んだのは、あくまでも味方への配慮のためだ。


「あれはなんだ!」


「デカイ!」


「……」


「こら! 前に進め!」


「んだども」


 突如、巨大な竜が出現したショックは大きく、ブレンメ男爵家諸侯軍の足が止まった。

 家臣たちが動きを止めた領民たちに対し前に進むよう命令するが、凄腕の魔法使いでもなければ碌な武器も持たず竜に立ち向かうなんて無謀だ。

 俺が魔法で出した巨大な竜の迫力で、全員一歩も前に進めなくなってしまう。


「ええい! こんなものはまやかしだ!」


 一人だけ、俺の竜が幻術だと見破った家臣がおり、彼は領民たちを再び奮い立たそうと前に出て。

 そんな彼の頭上を舐めるかのように、俺の作った竜が火炎を吐いた。


「あちちっ! 本物なのか?」


 竜は魔法で作った偽物だが、火炎は本物の火魔法だ。

 あまりの熱さと、火達磨にされるかもしれない恐怖で、その家臣も動きを止めてしまった。


「ブレンメ男爵領のみなに告ぐ! これ以上前に進むのであれば、全員黒焦げとなるであろう! それが嫌なら無謀な進撃をやめて退け!」


 魔法で作った竜の前に立ち、俺は彼らに撤退するようにと命じた。

 もしこのまま前進するのであれば、この巨大な竜がお前らを焼くであろうと。


「どうする? 俺が召還できる竜は一体だけじゃないぞ」


 これは幻術なので、訓練の結果何体も出せるようになっていた。

 続けて四体の竜を出してこれで五体。

 さらに五体すべての竜が強烈な火炎を吐いて、ブレンメ男爵家諸侯軍を威嚇する。


「もっと出せるぞ。全員、ここで黒焦げになるか?」


 さらに脅しをかけ、火炎を吐いたまま竜を一歩前進させると、それで彼らの気力は限界に達してしまったようだ。


「こんなの勝てねえだ!」


「みんな、逃げるぞ!」


「こら! 逃げるな!」


「じゃあ、あんたがあの竜を倒せよ!」


「もうつき合いきれん!」


 元々士気などあってなきがごとしのブレンメ男爵諸侯軍は、一気にバラバラになって逃げだしてしまった。

 一部家臣が領民たちを押しとどめようとするが、誰も言うことを聞かない。

 決していい領主ではないブレンメ男爵や、そのバカ息子のために死ぬのは嫌だということだ。


「旦那、やったな」


「ああ」


 ブレンメ男爵家諸侯軍は、まるで溶けるようになくなってしまった。

 これにより、マインバッハ領に平和が訪れた……とはいかないのが現実だ。


「共に犠牲なく勝利できたのはいいのですが、これって実はなんの問題解決にもなっていないのでは?」


「そうですな。バウマイスター辺境伯様がいなくなれば、またバカなイーヴォが領民を率いて侵攻してくるかもしれません」


「くそっ! 厄介な!」


 俺は、ゾンバルトとヴィッツ殿の意見に反論する術を持たず、紛争というか戦争に勝利したにも関わらず、バウマイスター辺境伯領にはまだ戻れないことが確定した。


「まだ終わっていませんので。最後まで責任を持っていただけるとありがたいのですが……」


「……そうだよね……」


 正論なんだが、俺はゾンバルトの発言にイラっとしてしまったのであった。





「今回は様子見かな。僕の戦術の正しさは証明されたわけだし、これは実質僕の勝ちだ」


 全領民を率いてマインバッハ領に攻め込んだ兄が逃げ帰ってきた。

 あきらかに敗北なのだが、肝心の本人は、今回は様子見で判定すれば勝利だったと、バカみたいなことを言っている。

 一体、これのどこが勝利だというのか。

 是非一度、兄の頭の中を開いて詳しく調べてみたいものだ。

 ほぼ全領民を率いて戦争を行い、犠牲者は出なかったが、逃げる時に怪我をしてしまった者がいた。

 彼らは、暫く畑仕事に出られないであろう。

 これで、我が領内で唯一の産業といっていい麦の栽培に影響が出る。

 大体、農作業のことも考えないで全領民を徴集する貴族なんて聞いたことがない。


「次は勝てる。あの助っ人魔法使いは、すぐにいなくなる。僕にはわかるんだ。マインバッハ家にあれほどの魔法使いを長時間雇う余裕なんてないし」


「だといいがな」


「父上、なにか?」


 兄の出兵を止めるどころか、大失敗して廃嫡の理由を作ってくれることを望んだ父であったが、些かあてが外れたみたいだ。

 領民や家臣に犠牲者が出なかったため、兄を追い落とす決定打を掴めなかったからだ。

 とはいえ、今さら父が出しゃばっても、兄にも従わない家臣や領民が父に従うはずがないと思うけど。


「兄上、紛争の勝ち負けはともかく……「イヴァンカ! これは戦争なのだ! それも長期戦に移行した! だからこそ、私の指導力が必要となる!」」


 一度も刃を交えず逃げ帰ってきたのだから紛争でもいいような気もするが、兄は戦争だと強く言い直した。

 そして、いまだ戦争は終わらず長期戦になったのだと一人自分の発言に酔っている。

 好きに思えばいいけれど、領民たちよりも先に逃げ帰ってきた兄が言っても説得力がないわね。

 本人は逃げ帰ったのではなく、自分が死んだら誰がブレンメ男爵家を率いるのだと思っているのでしょうけど。

 そういうおめでたい思考回路は、ある意味とても羨ましいと思う。

 自分が失敗したと凹まないで済むからだ。


「それはいいのですが、畑仕事に遅れが出ています」


 当たり前の話だけど、この数日戦争準備で忙しかったから碌に農作業ができていない。

 下手をすると、今年の収穫量が落ちるかもしれなかった。


「勝てばいいのさ。勝てば」


 それは勝てればいいけど、勝てると言うだけで勝てたら、世の中誰も苦労しないと思うわ。

 それに……。


「イーヴォ様」


「なんだ?」


「お金がないのですが……」


「金がない?」


「はい」


 借金だらけの我が家だけど、税収と商人からの借り入れを元に、金庫番であるゾンバルトが、どうにか破たんさせないよう、懸命に努力していた。

 彼がいなくなり、兄がその後釜に据えた家臣はお世辞にも財政に詳しい人間ではなかった。

 兄は、能力よりも自分への忠誠心でその人物を引き上げたのだから当然だ。

 彼は兄に逆らわない。

 ゾンバルトは兄から嫌われる覚悟で、今にも潰れそうなブレンメ男爵家の財政規律をどうにか保ってきたが、兄が引き上げた家臣にそれはできない。

 加えて今回の出兵だ。

 いくら集めた領民たちになにも支給しないとはいえ、紛争で経費がかからないはずがない。

 そしてその経費は、今にも破綻しそうなブレンメ男爵家には致命的であった。


「商人から借りればいい」


「さすがにもう貸してくれないと思います」


「それをなんとかするのがお前の仕事だろうが!」


 兄に怒鳴られ、新しい財政担当者は委縮してしまった。

 ゾンバルトなら絶対に無駄な出費はさせないし、もしもの時に当座の金を借りるところを数ヵ所持っているが、新しい財政担当者には不可能な相談だ。

 兄は彼の不手際に怒っているが、そもそもの財政破綻の原因は兄が主導した無駄な出兵にある。

 ところが、兄には自分が悪いのだという自覚なんてない。

 兄は、自分がミスなんてしないと本気で思っているのだ。

 なにが長期戦よ。

 長期戦ってのは、お金や物資に余裕がある人がするものなのだから。


「金が借りられないだと?」


「今ある借金の利息をある程度払うか、元本を減らさなければ難しいかと……」


 商人たちも、ブレンメ男爵家から生かさず殺さず搾り取っているが、無限に借金ができるわけがない。

 それでも、今まではゾンバルトが上手く交渉していたのだけど、新しい担当家臣では新しい借金ができなかったようだ。

 兄の考えた長期戦とやらの現実はこんなものであった。


「どうしましょうか?」


 これがゾンバルトなら、兄と喧嘩してでもなんとかしたはずだが、今の担当家臣は兄の言いなりになることで今の地位を得た人だ。

 こうなったら独自になにかをできるはずもなく、ただ兄に対しお伺いを立てるのが精一杯であろう。


「金がないのか……よし! 一時仲直りだ! マインバッハ家に金を借りに行け!」


「はい?」


「だから、マインバッハ家に金を借りに行け! 大昔の兵法にあるだろうが。敵から金を借りれば、こちらの資金は増え、向こうは金が減る。どうせ併合する敵の領地の借金だ。返す必要もないから最高の策だな」


 それって確か、戦の時に敵の物資を奪うのは有効って書かれた兵法書の記述からだと思うけど、自分が戦争をしていると認識している敵から金を借りる?

 向こうが了承すると本気で思っているのかしら?

 さすがに、兄に盲目的に従う家臣も目を丸くさせていた。


「敵対している我が家に対し、向こうが金を貸すとは思えませんが……」


「それをなんとかするのがお前の仕事だ。行って来い!」


「わかりました……」


 兄が任命した新しい財政担当の家臣は、渋々敵であるマインバッハ領へと向かったが、今私は理解した。

 きっと兄は、貴族としてというよりも、人間としてなにかが決定的に足りないのであろうと。






「もう一度、言ってくれないか?」 


「はい。ですから、金を貸してほしいと」


「「「「「……」」」」」


 世の中には、まさかこんなことがという出来事が突如発生することがある。

 俺の幻術魔法でブレンメ男爵家諸侯軍というか、流民の群れを追い出した翌日、ブレンメ男爵家から使者がきた。

 マインバッハ卿たちが話を聞くと、ブレンメ男爵家には金がないので貸してくれという話らしい。

 当然、話を聞いた全員が、衝撃のあまり口をあんぐりとさせたまま硬直してしまう事態となった。

 この世のどこに、今紛争をしている敵に対し借金を申し込む貴族がいるというのか。


「使者殿、それは勿論冗談なのであろう?」


「いえ、事実です。我々には金がないのです。もし金を貸してくれない場合、我が領民たちが武器を持ち、バラバラにマインバッハ領のみならず、隣接するすべての領地に侵攻するでしょう」


 使者としてきた家臣の目は座っていた。

 どうやら自分なりに、イーヴォからの無理難題をなんとか解決する手段を考えたみたいだ。

 持たない者の強み、もし金を貸さないと、武装した領民たちをバラバラに侵攻させ、この地域の治安を破壊してやると言ってのけたのだ。

 もはや貴族としてのプライドもかなぐり捨て、完全に開き直ったブレンメ男爵家に対し、マインバッハ卿と、援軍を出している貴族、そしてブライヒレーダー辺境伯の代理人であるブランタークさんは絶句してしまった。


「(お館様……)」


 ブレンメ男爵家の使者からのあまりの言い分に、ブランタークさんは彼から少し離れた場所で、携帯魔導通信機を用いてブライヒレーダー辺境伯から指示を仰いでいた。


『(ブレンメ男爵家をここまで放置したツケですか……ちょっと待ってください!)』


 さすがのブライヒレーダー辺境伯も慌てたらしい。

 関係各所と協議をする時間がほしいようで、一度通信を切った。


「もう一人の辺境伯様、どうする?」


「俺は、フリーの魔法使いヴェンデリン!」


「事ここに至って、そんな理屈は通用しないから」


 駄目か。

 面倒だから考えたくもないんだが……。


「ブランタークさん、昨日戦闘になりかけた時、後ろにいたくせに……」


「それは、他の貴族たちの手前、仕方がなかったんだよ。俺はお館様の代理人みたいな扱いだし」


 昨日、俺たちにブレンメ男爵家諸侯軍の対処を任せて後ろにいたくせに、また俺に問題の解決策を聞いてきたブランターク殿さんに対し、俺は思わず愚痴ってしまう。


「このまま放置して帰れないじゃないか」


「娘さんと遊ぶのが大変ですからね」


「ああ、そうよ。娘は可愛いなぁ」


 ブランタークさんに対しまったく皮肉が通じなかったので、これ以上は無意味だと、俺も携帯魔導通信機を用いて王都にいるはずの大物貴族に通信を入れてみた。


『初めましてだな、バウマイスター辺境伯殿』


 通話の相手は、数か月前に交代したばかりの内務卿ブレンメルタール侯爵であった。

 彼は内務閥の重鎮で、国内の貴族管理の専門家でもある。

 専門家ではあるのだが、長年ブレンメ男爵家を放置してきた戦犯でもあった。


「ブレンメ男爵家ですが、潰していいですか?」


『それは駄目だ!』


 ブレンメルタール侯爵は、速攻でブレンメ男爵家を潰す案を反対した。


『貴族家の取り潰しは、そうあっていいことではない』


「ですが、女性や子供まで動員して攻め込もうとしたんですよ。借金もありますし……」


 俺は他に迷惑しかかけないブレンメ男爵家など潰してしまえと意見したが、ブレンメルタール内務卿は意地でも認めなかった。


「(まさか、ブレンメ男爵家と親戚同士とか?)」


 名前も似ているからな。


『とにかくだ。南方で小規模な紛争があったのは理解した。ちょっと動員数が多いだけで、大騒ぎすることはないと思う。借金も、金を借りている商人たち側からなにか要求があったわけでもないからな。バウマイスター辺境伯、穏便に解決してくれ』


 最後にそういうと、ブレンメルタール内務卿は通信を終えてしまった。


「そんな穏便に済むなら、俺が参加しとらんのじゃ!」


 現場を理解しないブレンメルタール内務卿に対し、俺はブチ切れて言葉を荒げた。

 ちなみに、携帯魔導通信機には当たったりしない。

 高価で貴重な魔道具だから勿体ないじゃないか。

 道具に当たるくらいなら、先にブレンメルタール内務卿の方を殴り飛ばしに行くわ。


「旦那、落ち着けって。アマーリエさん」


「ヴェル君、お茶にしましょうね」


 紛争に逸る息子たちと、他の貴族が俺が見染めるかもと連れてきたご令嬢たちを屋敷に閉じ込めてきたアマーリエ義姉さんは、もうブレンメ男爵家の軍勢もいないので俺の世話役として戻っていた。

 珍しくぶち切れた俺に焦ったカチヤは、すぐに鎮静効果のあるアマーリエ義姉さんにその処置を依頼した。

 さすがはベテラン冒険者で経験もあるカチヤ、すぐに効果的な手を打ってくるな。


「旦那、ブライヒレーダー辺境伯も動いているみたいだから、あとで話を聞いてから判断しようぜ」


「そうだな」


「そうね、カチヤさんの言うとおりよ。お茶とお菓子を準備するわね」


 戦場になりかけた領地境において、複数の諸侯軍が万が一に備えて待機を続けている最中であったが、俺たちやマインバッハ卿たちはこれからのことを話し合うべく、お茶の時間を取ることにした。

 今日はマインバッハ家の娘に相応しい服装をしたアマーリエ義姉さんが、俺たちと貴族たちにお茶を淹れていく。


「お館様、落ち着かれましたか?」


「ええ」


 他の貴族たちもいるので、アマーリエ義姉さんはあくまでも俺に仕えるメイド長という立場で話しかけてきた。


「父上も、アダー準男爵様も、オーケン準男爵様も、ディースカウ様も、ゴスリヒ様も、ノイマン様もお茶をどうぞ」


「これはすみません」


「アマーリエ殿自らとは光栄ですな」


「若い女性に淹れてもらったお茶は、それだけで美味しいものですからな」


「お茶を淹れる腕前も素晴らしいです」


「本当に」


 勿論他の貴族たちは、彼女が俺の寵愛を受けていることは知っているし、マインバッハ卿の娘なので丁寧に接していた。


「ブレンメルタール内務卿の態度は気になるな。なぜブレンメ男爵家を潰さないんだろう?」


 情報がないので断言はできないが、あんな家、残しても意味がないと思う。

 親戚だから庇っているのかもという疑惑は、真実なのであろうか?


「いいえ、両家はなにも関係ありません」


 俺の疑問に、マインバッハ卿の後ろに控えていたゾンバルトが答えてくれた。


「じゃあなぜ?」


「私には想像がつきますが、もう少しでブライヒレーダー辺境伯様が教えてくれると思います」


 ゾンバルトの予言通り、それからすぐにブライヒレーダー辺境伯から通信が入った。


『ブレンメ男爵家を潰さない理由ですか? 簡単です。面倒だからです』


「そんな理由なんですか?」


『勿論それだけじゃないですけどね。基本、中央の大物法衣貴族なんてそんなものですよ。マインバッハ卿には失礼な物言いになってしまいますが、南部の木っ端貴族同士の紛争なんて、ブレンメルタール内務卿は気にしていないのです。唯一弁解する点があるとすれば、他に沢山仕事があって忙しいというのもありますけど』


「ブライヒレーダー辺境伯殿の仰るとおりですな」


 どの世界でも、中央官僚の地方への無関心さは同じか。

 マインバッハ卿も、ブライヒレーダー辺境伯の考えに賛同した。

 実際無視されている方だから、実感があるんだろうな。

 百年近くも、あのブレンメ男爵家がお隣のまま放置されていたのだから。


『もう一つ、貴族はできる限り貴族家を潰したくないのです。家が潰されるというのは、規模に差はあってもトラウマなので』


「カタリーナの実家はどうなのです?」


 あそこは、大貴族の思惑で容赦なく潰されたけど。


『ルックナー男爵家は、あれだけの不祥事を起こして潰れていません。ルックナー財務卿の孫娘とローデリヒ殿の子供が継承するので、それまで本家であるルックナー侯爵家預かりという扱いです。両者の違いがわかりますか?』


 両者の違い?

 なんだろう?


「旦那、爵位の差じゃないかな?」


「ブレンメ男爵家は『本物』の貴族だからね」


 アマーリエ義姉さんがそっと呟いた。

 本来、準男爵以下の貴族は本物の貴族ではない。

 実は子供が家督を継ぐ権利すらないのだが、当主が死ぬ度にいちいち他人を任命しなおしていたら、王国政府にいくら時間があっても足りなくなってしまう。

 準男爵以下の貴族で、親族に継承権が発生するのは王国側の都合であった。

 この点は帝国でも同じで、つまり準男爵以下は本物の貴族と見なされていなかった。

 一方、男爵以上は継承権が付与されているので本物の貴族扱いであった。

 男爵以上の貴族を潰すのは面倒というか、官僚的で事なかれ主義の法衣貴族からすると嫌なわけか。


「騎士爵であるカタリーナの実家は潰しやすかったってわけだ。うちの実家も同じで、吹けば飛ぶような零細貴族だからなぁ」


「でも、ブレンメ男爵家は本物の貴族なの。いくら借金まみれでも、領地が荒廃していても、隣の騎士爵家や準男爵家に迷惑をかけても、そう簡単に潰さないわけ」


 酷い話だな。

 ブレンメ男爵家は、本物の貴族だから潰さないってわけか。


「ブライヒレーダー辺境伯、どうします?」


『このまま放置すると、また暫くしたら蠢動するでしょうね』


 あの自分は常にクレバーな策を考案して動いていると、本気で信じているイーヴォならやりかねないか。


「向こうに備えていたら、いくらお金と物資があっても足りませんよ」


 ブレンメ男爵家の無茶につき合っていたら、周辺の貴族領まで困窮して崩壊しかねない。

 もしそうなったら、その始末をするのはブライヒレーダー辺境伯家である。

 彼からしたら、今回できっちりとケリをつけたいのであろう。


「ブレンメルタール内務卿以外の人に相談しなかったのですか?」


『私的な意見としては、別に潰しても構わないとは言いますね』


 ただし、ブレンメルタール内務卿の職権を侵してまで、こちらの味方はしないわけか。


「ルックナー財務卿とかは?」


『あの人は、弟の家の件がありますからね。表向きはアンデッドに襲われた不幸な事故って話ですけど、バウマイスター辺境伯やその領地に色々と仕掛けて、陛下もよく思っていませんでしたので』


 ブレンメ男爵家を潰した方がいいと言うと、ブレンメルタール内務卿から『じゃあ、お前のクソな弟の実家はどうなんだよ? 不公平じゃないか!』と反論されてしまうのか。


『バウマイスター辺境伯、なにかいい策はありませんかね?』


「潰すのが一番いいと思いますけど」


 取り潰して、ブレンメ男爵領は王国に返還でいいんじゃないのかな?

 王国は直轄地が増えるし、他の貴族に褒美で与えてもいいのだから。


『あんな領地、貰っても罰ゲームですよ。誰も欲しがりませんって。王国からしても、没収するのが嫌だからブレンメ男爵家を潰さずに放置しているって理由もあるのですから』


 直轄地にしてしまえば、ちゃんと統治しないといけない。

 百年以上も領地経営に失敗している場所だから、王国の一方的な持ち出しになってしまうのか。


『領地の広さから考えますと、男爵か子爵に与えるのが常識ですけど、王都にいる法衣の連中でブレンメ男爵家の悪行を知らない人はいません。その旧領を与えるなんて王家から言われたら、罰だと思いますね。確実に』


 凄いな。

 ある意味、ブレンメ男爵家を潰せる人がいないというわけだ。

 とばっちりを食らうのが嫌だからという理由で。


『バウマイスター辺境伯、ここは若い頭でなにか良案を』


 と言われてもなぁ……。

 下手に取り込むと、不毛な領地の立て直しで持ち出しが多くて赤字なのか……。


「旦那がいれば、赤字も減るんじゃないかな?」


「えっ、その策で行くの?」


 不幸なことに、カチヤが俺が頭の片隅で考えていた策を思いついてしまったみたいだ。

 確かにこの方法なら、それほどお金はかからない。

 その代わりに、俺がもの凄く大変なんだ。

 できれば避けたいところだが、ここで中途半端に放置すると、またブレンメ男爵家が碌でもないことを考える可能性が高い。

 何度も呼び出されるよりは、一回で終わらせる方が最終的には楽か……。


「疲れそうだなぁ……」


「あたいも手伝うからさ」


「お館様、申し訳ありません」


「いえ、アマーリエ義姉さんのせいじゃないので」


「これ以上無理をしなくてもいいのよ。うちの実家はもう十分色々としてもらっているから」


 魔導飛行船の発着場を魔法で工事したり、週に二回船が来るようになったのは、あきらかに俺が贔屓しているからだ。

 今回、周辺の貴族が援軍と一緒に娘を連れてきたのは、アマーリエ義姉さんの二匹目の泥鰌を狙ってであろう。

 これ以上色々とやるのはよくないかもしれないけど、これからもブレンメ男爵家が度々マインバッハ領にちょっかいをかけてきた場合、アマーリエ義姉さんも心配だろうからな。

 ブライヒレーダー辺境伯としても、その度に即応性がある俺に応援を依頼するだろうから面倒になる。


「なあ、俺も今回で終わりにしてほしいんだけど」


「ブランタークさんも、度々娘さんとの休日を潰されるのは嫌ですか」


「それもないとは言わないが、いちいちここに呼び出されると、通常の仕事に差し支えるんだよ」


「ブランタークさん、娘さんが可愛いのな」


「おうよ! カチヤの嬢ちゃんみたいなお転婆にはしないでおしとやかに育てるのさ」


「ふーーーん」


「なんだよ? カチヤの嬢ちゃんよ」


 ブランタークさんは、お転婆扱いされても怒らないカチヤに疑念を抱いたようだ。


「ベテラン冒険者ってさ。女好きだったり、遊び人に限って、自分に娘が生まれると過保護になるよな。きっと自分みたいな男に騙されないか心配なんだと思うけど」


 冒険者は冒険者を知る。

 冒険者じゃなくても、娘を持つ父親は娘が心配でたまらないってわけか。


「うぐっ……」


「はははっ。ブランタークさん、カチヤに一本してやられましたね」


「辺境伯様に、娘はやらないからな!」


「だから、マインバッハ家の応援に来ている貴族の娘たちだけでも迷惑なのに、ブランタークさんの娘はいらないですよ」


「辺境伯様、俺の娘が駄目だとでも言いたいのか?」


「そうは言っていませんよ」


 この人、いつの間にここまで娘バカになってしまったんだ?


『確かに、ブランタークを度々この問題で取られるのは痛いですね』


「その前に、俺も必ず応援に行けると限りませんよ」


 ローデリヒがハードスケジュールを組んでいたらアウトだな。


「もうこうなったら、一度で決着をつけてしまいましょう」


『それがいいですね。経費はある程度こちらでも負担しますし、小うるさいブレンメルタール内務卿への対応は私がやっておきます』


 ブライヒレーダー辺境伯が盾になってくれるのなら、ブレンメ男爵家の取り潰しに反対なブレンメルタール内務卿は無視できるな。

 本当、現場も知らないのに嫌な奴だ。


「あの……バウマイスター辺境伯殿?」


「マインバッハ卿、進撃開始です」


「ええっ!」


 ブライヒレーダー辺境伯との打ち合わせは終わった。

 マインバッハ卿がこれからどうするのか尋ねてきたが、あとはブレンメ男爵家を潰すのみ。


「マインバッハ領に攻め込んできたブレンメ男爵家に懲罰を与えるべく、マインバッハ卿は全軍をブレンメ男爵領に差し向け、その領地を占領するのですよ」


「あの……私は……」


 残念、あんな広大で荒れ果てた旧ブレンメ男爵領なんていらないなんて言わせない。

 ブライヒレーダー辺境伯が承諾し、俺が領地整備に協力する以上、マインバッハ卿は旧ブレンメ男爵領を統治することがもう決定したのだ。


「この平和な世の中に領地を広げる。マインバッハ卿、これは貴族としての本懐ですよ」


「では、バウマイスター辺境伯殿が……「進撃開始!」」


 俺はマインバッハ卿に最後まで意見を言わせず、彼を強引に総大将にして、ブレンメ男爵領へと逆侵攻を開始するのであった。





「お館様! 大変です!」


「どうかしたのか?」


 次はマインバッハ家に対しどう動くか考えていたら、突然家臣が血相を変えて飛び込んできた。

 何事かと尋ねたら、とんでもないことを口走り始める。


「マインバッハ家が攻めてきました!」


「まさか!」


 そんなバカな話があるか!

 たかが騎士爵家の分際で、この歴史あるブレンメ男爵家に攻め込んだだと?

 マインバッハ卿め、ふざけた男だ!


「先に自分が攻めておいて、自分が攻められない保証なんてないがな」


「父上、なにか文句でも?」


「いいや、ただ自分の意見を言っただけだ」


 そもそも、我がブレンメ男爵家が没落したのは、あんた以下先祖がみんな大バカ者だったからだ。

 もはや通常の方法では家を立て直せず、人が苦労している時に文句ばかり。

 大半の家臣に無視され、今は実権を握っている私を追い落とそうと批判を始めたのか?

 もしそうしたければ、たまには貴族らしく敵を迎撃したらどうだ?

 あんたにはできないだろうがな。


「全領民に対し、侵略者と徹底抗戦するように命じろ!」


 ここを凌げば、領地防衛に成功した戦功で私の指導力が評価される。

 ブレンメ男爵家を立て直す時間的な余裕が与えられるのだ。


「それが……領民たちはこぞって降伏しておりまして……」


「そんなバカな!」


「また、例の魔法使いが化け物を召喚しているそうで……」


 戦闘に慣れていない領民たちは、マインバッハ家が雇った魔法使いの召喚魔法とやらで呼び出された化け物に恐怖し、みんな一戦もせずに降ってしまった。


「戦力は?」


「二十名も集まればいいかと……」


 それでは防戦なんてできない!

 この屋敷に、防衛戦闘を行える設備など存在しないのだから。

 ええい!

 金があれば男爵家に相応しい館を建設できていたのに!


「もはや戦えまい。降るしかないな」


「父上!」


 お前はそれでいいよな! 

 きっと講和の席で僕の不手際を攻め立て、跡取りに相応しくないと廃嫡すればいいのだから。

 どうせブレンメ男爵家を取り潰しなんてできないし、王国政府もそれは認めないはず。

 賠償金も、ない袖は振れない。

 払わずに誤魔化すことも可能であろう。

 そしてこいつは、再び実権のある領主の座に復活するわけだ。

 僕の代わりの跡取り……まさか! イヴァンカに婿を取らせるつもりか!

 そうやって、お前だけ罪を間逃れるつもりなのか!

 卑怯な!

 お前みたいなのが領主だから、我がブレンメ男爵家は駄目なままだというのに!


「できもしない改革とやらのせいでこの様だ。イーヴォ、責任は取ってもらわないとな」


「貴様!」


「それが父親に対する言葉か?」


「お前なんて、父親と呼ぶ価値もない! こいつを捕えよ!」


 相変わらずバカな男だ。

 ここにいる家臣たちは、全員お前なんて見捨てているというのに。

 愚かなお飾り領主は、すぐに家臣たちに捕らえられてしまった。


「若様、どうしましょうか?」


「まずは、表に出て戦況を把握しなければな」


「お父君はどうしますか?」


「縛ってから放置しておけ!」


 家臣からお館様と呼ばれないとは、お前の権威も地に落ちたものだな。


「最悪、領内に潜むことも検討しなければな」


 もしブレンメ男爵領がすべて占領されたとしても、いつまでも大規模な諸侯軍を維持できまい。

 敵の占領が緩んだところで、私が家臣や領民たちに蜂起を呼びかければ、すぐにまたブレンメ男爵領は復活する。


「私は諦めないぞ! 必ずやマインバッハ領と港を押さえ、この地域の交通と流通を握り、ブレンメ男爵領を立て直すのだ!」


 一度や二度の敗戦など、この戦力なら当たり前。

 ここで諦めてどうするというのだ。


「ついてこい!」


「「「「「ははっ!」」」」」


 縛ったバカは、このまま放置で構わない。できれば、このまま占領軍に殺してもらいたい気分だ。

 そうすれば、あの役立たずも使い道があるのに。

 死んだ人間なら、いくらでも話を脚色可能だからな。

 ブレンメ男爵家復活のため、私たちを逃がすために命を捨てたとか話を作っておけば、領民たちも感動するであろう。


「兄上?」


「イヴァンカ、お前は静かにしておけ」


 まあ、紛争で貴族令嬢に手を出すアホもおるまい。

 とにかく今は、僕が身を隠さねばならないのだ。


「イヴァンカ、僕は必ずブレンメ男爵家を復活させる! これからの僕の活躍を見ておくがいい!」


 妹にそう言い残し、僕と数名の家臣は勢いよく屋敷の扉を開けた。

 ところが、扉を開けた場所になにかが塞がっているのを見つけてしまう。


「うん? なんだ?」


「若?」


「邪魔だな。どかせ」


「わかりました」


 僕は早く逃げないといけないのに、人の屋敷の前にこんなものを勝手に置いて……。

 あれ?

 誰がこんなものを、それも屋敷の正面扉の前に置いたのだ?


「若ぁ……」


「化け物だぁーーー!」


「殺される!」


 化け物?

 お前たちはなにを言っているのだ。

 このブレンメ男爵領に魔物など存在しない……待てよ、確かマインバッハ家が雇った魔法使いが化け物を召喚したと……。

 僕の進路を塞ぐ巨大な塊、一体どれほどの大きさなのかと見上げてみたら、それは全高十メートルは超えていた。

 さらに、その巨大な口と思われる穴からチロチロと炎が出ている。


「若!」


「狼狽えるな!」


 魔法使いが化け物を召喚したと聞いたが、僕は知っているぞ。魔法使いが魔物を召喚した事例などないということを。

 大方、この巨大な化け物は魔法使いが魔法で作り上げた幻想の類であろう。

 初めて見た者の大半は驚くであろうが、これはあくまでも幻。


「若?」


「くだらぬ小細工だ。他の者ならともかく、この僕に幻想など通じない。このように、これは魔法使いが作り上げた幻術にしかすぎない。こうやって触れば……」


 幻術で作った魔物……図鑑などでも見たことがない魔物だな。化け物と思われても仕方がないのか……に実体など存在しない。

 触ってみればすり抜けるだけだと、家臣たちに見せるべく私は化け物に手を触れてみた。


「ほら見ろ。このようにすり抜けるから偽物なのだ……あれ?」


 ゴワゴワとした感触が……。


「若? もしかして本当に召喚された化け物では?」


「まさか、そんなバカな話が「ギュエーーー!」」


「若が触るから!」


「知るか! これは偽物なんだ!」


 きっと、本物に触ったかのようなこの感触も、幻術の類のはず。

 魔法で化け物を召喚したなんて話、物語以外で聞いたことがないぞ。


「若ぁ……」


「情けない声を出すな!」


「若、化け物が!」


 再び上を見上げると、化け物の口がこちらを向き、さらに今にも炎を吐き出す寸前の状態であった。


「焼き殺されるぞ!」


「ああ、素直に降伏しておけば……」


「今からでも間に合うはずだ! 俺は降伏するぞ!」


 今にも炎を吐き出す寸前の化け物から逃げるように、家臣たちが僕を置いていってしまった。


「おい! お前ら!」


 ブレンメ男爵家の跡取りたる僕を置いていくとは、お前らにはあとで罰を与えてやる!


「とはいえ、今の僕がこの化け物に勝てるはずない。ここは一旦逃げて臥薪嘗胆で……」


 急ぎ逃げ出そうとした僕であったが、ちょっと遅かったようだ。

 僕を目がけ、化け物の口から吐かれた炎が襲いかかる。


「そんなバカな! なぜ上手くいかないのだぁーーー!」


 炎に包まれながら、僕は意識を失ってしまうのであった。

 クソッ!

 こんなところで僕は死ぬわけには……。





「バウマイスター辺境伯殿?」


「今までの一連の紛争について解決いたしました。報告書のみでもいいのですが、ブレンメルタール内務卿が納得されない可能性も考慮し、こうして直接報告に上がった次第です」


 ブレンメ男爵家が、マインバッハ領内にある魔導飛行船の港を奪おうと始めた紛争が終わり、助っ人魔法使いとして参加した俺は、王城に報告にきていた。


「ブライヒレーダー辺境伯殿は?」


「中央において内務卿の重責にあるブレンメルタール侯爵からすれば些末な問題かもしれませんが、我々地方貴族からすれば大問題でした。現地に駆けつけ、後処理を行っております。それがなにか?」


「いや、それならいい」


 『たかが地方のいち紛争』、『ブレンメ男爵家を潰すことはまかりならん』など、好き勝手言っていたブレンメルタール内務卿に対し、俺は睨みつけるような視線をぶつけながら報告を続けた。

 文官である彼は、実戦経験豊富な魔法使いである俺にビビっていたが、今の態度を変えるつもりはない。

 このまま最後まで脅しながら押し切ってやる。


「報告については、事前にブライヒレーダー辺境伯と内容のすり合わせを行っており、双方の見解に齟齬はありませんが」


「そうか……して、どうなったのだ?」


「ブレンメルタール内務卿の指示どおり、ブレンメ男爵家は潰していませんよ。ちゃんと家と領地は残していますから」


「それはよかった……なっ!」


 報告ついでに、新しい紛争地帯の地図を参考資料として添えたのだが、それを見たブレンメルタール内務卿は絶句してしまったようだ。


「どこか不自然な点でも?」


「こんなに領地が狭い男爵領などあり得るか! 逆に、たかが騎士爵であるマインバッハ領の広さはなんなのだ!」


 なんなのだと言われても、散々迷惑をかけたブレンメ男爵家から賠償を取ろうにも、連中はほとんど金を持っていないどころか、逆に借金まみれであった。

 そこで、統治に失敗した不毛な領地ではあるが、広さは十分なブレンメ男爵領の大半を賠償としてマインバッハ領に編入したというわけだ。


「賠償を金で払えないのなら、物納というわけですね。ブレンメ男爵家と領地は残っていますよ。領民はいませんけど」


「領民がいない?」


「全員、マインバッハ領の方に移籍しました」


 現在のブレンメ男爵領は、講和条件で建てられた民家程度の家と、農家一軒分の畑のみ。

 これでは領民が養えないので、全員マインバッハ領へと移籍した。

 これも講和条件に記載されているし、双方が条件を呑んだ以上、領民の移動に中央があれこれ口を挟む権利なんてないというわけだ。


「バカ者! ブレンメ男爵家の借金はどうするのだ?」


「さあ?」


「『さあ?』とは?」


「それは、ブレンメ男爵家の人が考えることですからね」


 どうせ、今ある領地の経営すらできなくて借金が増えるばかりだったんだ。

 すべての領地を奪われても、大した問題でもない。

 むしろ今の状態の方が、碌な担保もないので商人が金を貸さない。

 借金が増えることもなく、いいことずくめだな。

 金利?

 俺は知らないな。

 俺の借金じゃないし。


「ブレンメ男爵家を潰さないのは、もしマインバッハ家が完全にブレンメ男爵領を併合した場合、商人たちが借金を返せと言ってこないようにするためか?」


 ブレンメルタール内務卿がまるで脅すかのように低い声で聞いてきたが、正直なところ脅しにはなっていない。

 例え相手が文官でも怖い貴族は恐いが、典型的な役人であるブレンメルタール内務卿に凄みはないからだ。

 昔は上司にヘコヘコしていた俺だが、貴族らしくなったものだ。


「それは下種の勘繰りですよ。もしブレンメ男爵領を完全に併合したところで、マインバッハ家がブレンメ男爵家の借金を返さなければならない法的根拠もありません」


 もし領地が消滅しても、ブレンメ男爵家が残っていれば借金の返済義務はブレンメ男爵家側にあるからだ。

 領地に借金をつけてしまうと、貴族の領地移転や、在地貴族から法衣貴族へと変わる者も稀に存在するので、話がややこしくなってしまう。

 というわけで法的根拠はないのだが、ブレンメ男爵家を完全に潰してしまうと、金を貸している商人たちがマインバッハ家を恨むかもしれない。

 嫌がらせで、領地を継承したブレンメ男爵家の借金を返せとか言いかねないからだ。

 そんな言いがかり通用するはずないが、ブレンメルタール内務卿が問題視すれば調査で無駄な時間と手間がかかり、マインバッハ家への妨害になるからな。

 ブレンメルタール内務卿が、嫌がらせでやってくるかもしれない。


「そもそも、ブレンメ男爵家を潰すなと言ったのはブレンメルタール内務卿では? 言われたとおり潰していませんよ」


 実質小規模農家にされてしまったけど、家と領地は残っている。

 あの広さの農地だと、二人が食うので精一杯だな。

 ブレンメ男爵領を制圧した時、屋敷から逃げ出そうとしたので竜の炎の幻術で気絶させたイーヴォと、なぜか屋敷の中で縛られていた現ブレンメ男爵のみで住んでいただく。

 実質農家になり、戦争を仕掛けたせいでさらに借金が増えたブレンメ男爵家に嫁ぐ者もいないので、ブレンメ男爵家は断絶するであろう。

 イーヴォは逃げ出すかもしれないが、逃げたら仲が悪い父親が勘当するはずで、そうなれば彼は貴族ではなくなる。

 あと一代か二代で、継承者不在で断絶するわけだ。

 遠戚で継ごうと思う奴はいないであろう。


「それとも、ブレンメルタール内務卿が養子の斡旋でもしますか? 苗字が似ているから親戚なのかなって思いまして。ほら、やたらブレンメ男爵家を庇うので」


「そんな事実はない!」


 そっちの繋がりはないが、実はブレンメ男爵家に金を貸している商会が、ブレンメルタール侯爵家の御用商人なのはブライヒレーダー辺境伯から聞いていた。

 自分の家の御用商人の利益のため、ブレンメ男爵家の取り潰しに反対していたという事情もあったのだ。


「ところで、ゾンバルトというブレンメ男爵家の執事は何か言っていなかったか?」


「彼がですか? ブレンメルタール内務卿は、その執事が具体的にどういうことを言うと思っているのです?」


「いや……何も言っていないのならいいのだ」

 

 それにしても、あのゾンバルトという男はなかなかの策士だな。

 彼が、ブレンメ男爵家に金を貸している商会とブレンメルタール内務卿との関係を知らないはずがない。

 それなのに、何も関係ないとシラを切り、俺たちが後腐れなくブレンメ男爵領の解体を進められるようにしたのだから。


「そういえば、あそこには娘もいたはずだが、貴殿が嫁に貰うのかね?」


「よくご存じですね。たかがいち田舎貴族の家族構成を。さすがは、ブレンメルタール内務卿だ」


「……」


 俺が皮肉ばかり言っていたらブレンメルタール内務卿の顔がますます強張ってきたので、話を切り替えることにした。

 ブライヒレーダー辺境伯によると、貴族を管理する内務卿は度々地方貴族に嫌味を言われるそうなので、度がすぎなければこのくらいの嫌味は問題ないそうだ。


「どうして他の貴族の方々は、俺の傍に未婚の女性がいると結婚するのではと疑うのでしょうかね? イヴァンカ殿はマインバッハ卿の嫡孫ギード殿と婚約しましたよ」 


 ブレンメ男爵の娘にして、イーヴォの妹でもあるイヴァンカという女性は、屋敷の中で無事に保護された。

 詳しい話を聞くと、ブレンメ男爵家の無謀な計画をマインバッハ家以下周辺の貴族家に漏らしたのは彼女だそうで、いくら苛政で領民の支持がない領地でも、いきなり他の家が支配すると問題も多いと思うので、アマーリエ義姉さんの甥と結婚して新領地を安定化させることにしたのだ。


「イヴァンカ殿は聡明な女性でしたね。ブレンメ男爵家の血も残りますし、これで万々歳では?」


 あんなのでも、ブレンメ男爵領のために行動しようとしたイーヴォを支持する家臣は多かったのだが、彼らもマインバッハ家の跡継ぎとイヴァンカ殿が婚約したのを聞いて矛を収めた。

 どうせ下手に逆らっても地元から追放されるだけなのはわかっていたし、マインバッハ家の嫡流にブレンメ男爵家の血が残るとわかって納得ができたというわけだ。


「マインバッハ家の領地が大きすぎると思うが……」


「そうですか? バウマイスター騎士爵家なんて、領地分割前は広大な領地を持っていましたよ」


 開発できないから放置されていたが、それでも広大な領地を持っていた。

 つまり、騎士爵家が広い領地を持つ前例が存在しているのだ。


「それに貴族法には、騎士爵はこれくらいの領地までしか持てないとか書いてありませんよ」


 これは法の不備というか、あえて記載していないのだ。

 もし地方で広大な領地の開発に成功した人がいたとして、特別なことでもなければ最初は騎士爵しか与えられない。

 ここでもし持てる領地に制限があると『じゃあ、制限を超えた領地は没収なのか?』という話になってしまう。

 そんな地方の余った土地なんて王国は必要ないわけで、だから爵位によって持てる領地の制限など貴族法に書かれていないのだ。


「これであの地域も落ち着きますよ。俺も暇じゃないので、度々紛争の助っ人に呼ばれても困ります。所詮は、南部の田舎領地の話じゃないですか。ブレンメルタール内務卿が深く気にすることはありませんって」


「……」


 ブレンメルタール内務卿はまだ納得していないように見えたが、他の方策があるわけでもなく、陛下も了承したので、マインバッハ領は王国でも一~二を争う広さの領地を持つ騎士爵家という状態が、これから何十年も続くことになるのであった。







「うわぁ、移転した港は大きいなぁ。旦那、相変わらず凄え」


 紛争とその後処理も無事に終わり、俺は旧ブレンメ男爵領の整備に奔走していた。

 まず、魔導飛行船を離発着させる港を、広くなったマインバッハ領の中心地に移転させる。

 以前あった港は小さかったので、今度は大型船も運用可能な広さにした。

 港が大きくなったことで魔導飛行船便の増加にも対応可能で、紛争でマインバッハ家を救援した貴族家にも利益を与える。

 次に、旧ブレンメ男爵領を魔法で大々的に開墾した。

 大昔に大規模開墾に失敗したそうだが、伊達に毎日のようにローデリヒから扱き使われていない。

 ちゃんと水源となる川もあったので、用水路も掘って一週間ほどで広大な農地は完成した。

 以前、温泉の試掘に失敗して川に硫酸が流れるようになっていたが、これも魔法で溜め池を掘って硫酸が川に流れないようにしている。

 増えた農地には、周辺の貴族領からも自作農になりたい人が集まり、旧ブレンメ男爵領を中心とする新マインバッハ領と周辺の貴族領は、魔導飛行船便の強化も決まって順調に発展するはずだ。


「男爵領レベルの領地を持つ騎士爵って……陞爵しないのかな?」


「それは無理だな」


 カチヤの疑問に俺は答えた。

 マインバッハ家は、準男爵家や男爵家に比べるとまだ足りないものが多いからだ。

 領地は俺が大分魔法で開発したけど、特に問題なのは家臣の層の薄さだ。

 旧ブレンメ男爵家の家臣たちが大分合流したが、そうなると今度はイヴァンカを旗頭に、マインバッハ家において主流派になろうとするかもしれない。

 かといって、彼らを雇わなければ領地が回らない。

 マインバッハ卿は領地が広がったが、これからその分苦労もする。

 それが解決して完全に領地が落ち着いたら、マインバッハ卿は準男爵か、上手くすれば男爵になれるかもしれない。


「ヴェル君、私の実家のためにありがとう」


「いえ、お礼を言われるほどのことでは」


 またイーヴォが、よからぬことを考える度に呼び出されては堪らない。

 そこで、俺は強引にブレンメ男爵家の連中を処分しただけなのだから。


「領地が広がると大変ですから」


 大貴族が大変なのは、俺やブライヒレーダー辺境伯を見ればわかるというもの。

 騎士爵であるマインバッハ卿は、これから男爵レベルの領地の統治で大変な日々を送ることになるのだ。


「これから大変でも、マインバッハ家が大きくなる可能性が高くなったことは確かだから。港も広がったし、おかげで大型の船も来れるようになったわ」


 多少の領地の広さの差なんて、貴族の経済力に大きく関係するわけではない。

 魔導飛行船と、それが着陸する港、当然降ろした荷物を一時保管する倉庫なども作られるため、そこに本店を置く商人も増え、彼らはマインバッハ家に納税する予定だ。

 集積された荷が周辺の領地まで運ばれるが、現在はその道も広げられている。

 農業生産力がなければ人は養えないが、生産量を増やしてもそんなに儲かるわけではない。

 港と流通経路、インフラを握っている方が儲かるわけだ。

 そして、この地方でそれを握ったのはマインバッハ家であった。


「ギードも大変ね」


「アマーリエさんの甥だろう?」


「ええ、マインバッハ家の跡取りよ。ほら、紛争で邪魔だからって応援に来た貴族のご令嬢たちを屋敷に連れ帰ったじゃない」


 俺がアマーリエ義姉さんに頼んだのだが、彼女たちは俺と結婚できそうにないとわかると、一斉にマインバッハ卿の嫡孫ギードに群がった。

 大型船も寄港可能な港と、そこから周囲に伸びる街道を持っているのがマインバッハ家なので、側室でもいいから娘を嫁がせたいと、親である貴族の方が方針を変えたのだ。


「うちのカールとオスカーは事前に逃がしたけど……」


 実は、急激にマインバッハ領が広がったため、俺の二人の甥を分家当主にして統治を手伝ってもらう、という意見が急に出てきた。

 だが、この二人には俺が別の家と領地を与え、バウマイスター辺境伯家の準一族兼寄子にすると事前に約束してある。

 すでに領地も決まっており、先にマインバッハ家の領民が移住して領主カールと従士長オスカーを迎え入れる準備を懸命にしていたので、それは不可能だったのだ。


「まさかこんな事態になるとは思っていなかったから、新領地に送り出してしまった家臣の子弟や領民たちがいてくれたらと、父は頭を抱えているみたい。でも、ヴェル君にそれは言えないから」


 まあ、それもそうか。

 余っている家臣の子弟や領民たちを、新領地の運営要員として引き取ってもらったのに、今度は人手が足りないから返せというわけにもいかない。

 マインバッハ卿は常識人なので、余計に言えないのであろう。


「でも、いい機会よ。兄も次期領主として張り切っているみたいだし」


 アマーリエ義姉さんのお兄さんはまだ三十代前半なので、マインバッハ家躍進という将来に希望を抱いているのであろう。

 その代わり、自分の息子は貴族のご令嬢たちに囲まれて大変らしいけど。


「現金な感じもするけどな」


「カチヤ、それは仕方ないさ」


 これからは、もしマインバッハ家の機嫌を損なうと港に入れず、魔導飛行船にも乗れないし、商売も非常に限定されたものになってしまう。

 だからこそ、側室でもいいから娘を送り込もうとしているのだ。


「頑張れ、ギード殿」


 俺も大変だったから。

 でも、その時が過ぎればいい思い出になるか?

 なるということにしておこう。


「ところで旦那」


「何だ?」


「あの『幻術』の化け物だけど、どうして触れたんだ?」


 イーヴォの奴が、『幻術』だから触ると通り抜けると勘違いしたアレか。


「そんなに難しい仕組みじゃないさ」


 アレは、簡単な土器みたいなものだからな。


「地面の土で形だけ作ってな。色つけと、あの炎は『幻術』だけど」


 イーヴォは、竜の素肌なんて触ったことはないはず。

 だから、なんでもいいので触感があればよかったのだ。

 できの悪い焼き物製の竜だと思ってくれればいい。


「触ったら感触があったから、『幻術』じゃないってビビったのか」


「そういうこと」


 遠くから見せるだけなら『幻術』だけで十分。

 便宜上『幻術』って言っているけど、俺の魔法のイメージに合わないから、実は原理的にはプロジェクターに近いと思う。


「偽物でも、ぱっとあのデカイ化け物が出せるのはいいな。あたいも覚えてみようかな?」


「難しいぞ。偽物でも竜は竜だからな」


 カチヤは身体強化系、特にスピードアップに特化した魔法しか使えないからな。

 『幻術』の習得は難しいかもしれない。


「ところで、旦那。さっきから竜って言っているけどさ」


「竜でしょう?」 


 俺は古の物語に出てくる偉大な魔法使いのように、巨大な竜を召喚して敵の心胆を寒からしめたのだから。


「あの小山のような巨体に、固そうなウロコ、太い尻尾、鋭い牙と爪。あれを竜と呼ばずになんと呼ぶ」


「なんか、よくわからないけど、デカくて怖い化け物」


「ちゃんと炎も吐いたじゃないか。いかに敵を怖がらせるためだけの『幻術』とはいえ、俺は苦労してあの竜を作り出したんだぞ」


 ドラゴンバスターである経験を生かし、というか俺ほど間近で様々な種類のドラゴンを見てきた男はいないのだから。


「その経験がふんだんに生きた竜じゃないか」


「そうか? あのさぁ……旦那には悪いけど、少なくともあたいには竜に見えなかった」


「そんなバカな。あれが竜でなく、他のなにが竜だというのだ!」


 いくらカチヤでも、怖かったからちゃんと見ていなかったのかな?


「あたいも冒険者としては、飛竜やワイバーン専門の殺し屋だから、竜はよく見ているぜ」


「ならば、ここに小さく竜の『幻術』を再現しよう。アマーリエ義姉さんも判定してください」


 俺は、目の前に全高五十センチほどの小さな竜の『幻術』を出した。


「見てください。この精悍な竜を」


 実際、多くの敵がこの竜を見て逃げ出しているのだから。

 大きさもあったと思うが、この世界の住民はみんな竜を強い生き物だと認識している。

 目の前に竜が出現すれば、戦闘力がない素人が逃げるのは当然であった。


「……竜なの?」


「しまった、アマーリエ義姉さんは冒険者じゃないから、竜なんて見たことないですよね?」


 となると、他の人に判定をお願いするかな?


「私も、絵や屋敷に飾られているワイバーンの頭のはく製とか、竜は何回か見ているけど、ヴェル君のは竜に見えないというか、毛がない熊?」


「熊かな? あたいは、カエルだと思ったんだけど……」


「あはは、そんなハズはない!」


 俺は苦労して『幻術』に使う竜の容姿を研究してきたのだ。

 竜に見えないなんてあり得ない。


「他の人にも聞いてみるから!」

 

 俺は慌てて他の人たちにも、俺の『幻術』を見てもらった。

 きっとみんな、これを竜だと認めてくれるはず。


「竜? ヘビでは?」


「トカゲ? ヤモリ? イモリ? その辺のやつですか?」


「敵軍を敗走させた化け物ですな。竜なのですか? 新種の竜とかでしょうか?」


「がぁーーー!」


 駄目だ!

 誰に聞いても、俺の作った竜は竜じゃないと言う。

 俺、そんなに美術系の科目が苦手だったか?

 ……ああ、苦手だったな……。

 ちゃんと作品を提出し、筆記試験で頑張っても、ずーーーと五段階で三だった。


「クソぉーーー! 神様、俺に美術の才能を!」


「ヴェル君、相手を怖がらせる意図なら、あれでいいと思うわよ」


 アマーリエ義姉さん、俺を慰めてくれるのか。


「そうそう、みんな『化け物だぁーーー』って怖がっていたじゃん」


 カチヤもか。

 それは嬉しいんだが……。


「目的はちゃんと達していても、竜の『幻術』がいい」


「どうしてなの? ヴェル君」


「だって、格好いいから」


「「……子供だ」」


 こうして、アマーリエ義姉さんの実家が巻き込まれた紛争は、無事こちらの勝利で終了した。

 なお、俺は完璧な竜の『幻術』を目指して改良を重ねていくのだが、最後まで『なんかよくわからないけど、不気味な化け物』と評価されるのみであった。


 来世は、芸術家に生まれ変わりたいと思います。






「もっと効率よく畑を耕せ!」


「……口先ばかりで、手を動かさない無能が」


「言わせておけば! 私はこんなところで終わる男じゃないんだ! そんな私にそういう口を利くとあとで後悔するぞ!」


「言うことだけは立派だな」


 南方のとある場所に、非常に小さな男爵領が存在した。

 粗末でとても貴族が住むとは思えない家には父親とその息子が住み、わずかな畑を耕す日々。

 この畑で採れる作物の量は二人分のみであり、この親子には家臣も領民も一人も存在せず、しかもお互いに仲が悪く、借金だらけで貧乏なので他人は誰も近寄りません。


 こんな家に奥さんがくるはずもなく、数十年後、この男爵領は息子の死で完全に断絶し、残されたわずかな領地は、ヘルムート王国も管理が面倒だからと、マインバッハ男爵家へと引き渡されたのでした。

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[良い点] この話が元になった書籍24巻を読みました。 6世代も無能が続く哀れな家系 帯でも紹介された甥カールの恋愛成就 若過ぎる新興貴族の第一歩 竜のようで竜でない微妙な挿絵 あれこれと面白い一冊…
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