第十九話 世界樹の恵
「猿酒とは、どのような酒なのかな?」
「現在、王国の肝煎りで遙か南方の大陸の探索と開拓が進んでおりますが、その地に世界樹と呼ばれる巨木に住まう人たちがおります。彼らが、世界樹の木の実と、そこに棲む猿たちを利用して作る特別なお酒です。試飲はいかがですか?」
「貰おうかな。おおっ! いい香りだな。これは素晴らしい酒だ! 買おう! ところで、このとても高価な酒は?」
「こちらは、古酒になっております。ここにはありませんが、猿酒には千年を超えるものもあります」
「それはさぞや高価なのであろうな」
「はい。ですが、お値段に見合う素晴らしいお酒です。なにより大変希少なものでして」
バウルブルクの酒屋に猿酒のコーナーを作ったのだが、お客さんに少量だけ試飲させると飛ぶように売れた。
アルテリオは樽ごと仕入れたが、それを高級酒を入れるような瓶に詰め直し、古酒も在庫と生産量の問題があるので、数量限定で販売した。
まずは販促ということで、アルテリオは売り場に人を置き、興味を持ったお客さんに一年物の猿酒を試飲させる。
すると、猿酒の香りと味を気に入ったお客さんたちが次々と猿酒を購入していく。
豪華な瓶に木箱もついた古酒は、珍しいものが大好きな金持ちや貴族が競うように購入していった。
そして古酒の深い味にハマリ、その希少性からさらに大金を出すようになる。
この辺のアドバイスをしたのは、実は俺だけど。
「毎度感心しますがね」
「王都で金持ち相手の嗜好品商売なんて、みんなこんなやり方だろう?」
無料で試飲した一年物の猿酒でも、他のお酒にない美味しさがあり、古酒はもっと味わい深いがとても高価で数が少ない。
限定数がある品物を高付加価値で売る。
ここが地球でなくても、誰かがやっているはずだ。
「商人なら思いつきますが、どうしてお館様が思いつくのかなとね」
「たまたまさ。それよりも、あまり儲け過ぎるなよ」
ザンス子爵家は、バウマイスター辺境伯家の寄子になったのだ。
アルテリオが猿酒の販売で利益を取り過ぎれば、俺が批判の的になるのだから。
「その辺の匙加減は、我らアルテリオ商会は慣れておりますので。新興の木っ端商人とは違いますとも」
大貴族の御用商人というのも難しいものだ。
あまりに阿漕に儲け過ぎれば、その大貴族にも批判が向かってしまうのだから。
たまに御用商人であることに胡坐をかき、大貴族から解任される奴がいるんだよなぁ……。
アルテリオがやらかすとは思えないけど。
「なるほど。こうやって高い利益を得るのですね」
「これも、猿酒がザンス子爵領のみの特産品だからできることだけどね」
他が造って供給量が増せば、その分値段が下がる。
需要と供給のバランスが必要なのだと、俺に同行して視察をしているアーシャさんに説明した。
彼女のお婿さんが次のザンス子爵なので、その辺のところを理解してもらわないと困るからだ。
「お館様、私もザンス子爵領内の猿酒の醸造現場を視察したが、多分そう簡単に真似できないぞ」
「そうなんだけど、一応念のためね」
猿酒が造られる原理なのだけど、赤い実には糖質の他にかなり大量のデンプン質も含まれているようで、これが虹色猿の唾液に含まれるアミラーゼで糖化し、さらにこれが世界樹自体についている天然の酵母でアルコールになっているらしい。
ただそれだけだと、猿酒独特の香りと美味しさが説明できないので、世界樹自身になにか秘密が……遥か大昔に創られたという伝承と、世界樹自身にかなりの魔力を感じるので、もしかしたらそのせいかもしれない。
世界樹は、魔物にとても性質が似ているのだ。
木なので人間に害はなく、むしろ世界樹に住む人間と動物たちの保護者みたいになっているけど。
「酒の輸送は、暫くはお館様頼りですな。あそこまで魔導飛行船を送るのは無理なので」
世界樹は魔物の領域から解放されたばかりの最前線であり、王国が許可した魔導飛行船しか行けないので仕方がない。
俺が猿酒を魔法の袋に入れ、『瞬間移動』でバウルブルクに運ぶしかないのだ。
「王都の酒の店にも卸すのか?」
「かなり高価になりますが、すぐに売れてしまうでしょう。王都には珍しい物好きの貴族が多いのですよ」
帝国内乱で一時停滞したが、基本的にヘルムート王国の経済は開発ラッシュで上向いている。
高価な贅沢品を買う層が増えているわけだ。
「販売量に気をつけて、価格を落とさないようにな。じゃあ戻りますか」
「はい」
俺はアーシャさんを連れて世界樹に戻った。
アームストロング伯爵が率いる王国軍は、現在世界樹よりさらに南下して、多数いる恐竜モドキな魔物を退治しながら、盛んに魔導師たちによる飛行偵察部隊を放っていた。
「魔物の領域のボスを見つけているのである!」
「導師はいいんですか? 偵察はしないで」
「某は、バウマイスター辺境伯とブランターク殿と一緒に見つかったボス退治という大切な仕事があるのである!」
基本、隣接する魔物の領域のボスを見つける。
それを俺たちが倒すという作業の繰り返しなので、ボスが見つかるまでは世界樹で待機というわけだ。
バウマイスター辺境伯家はザンス子爵家の寄親であり、猿酒の販売に協力している。
ザンス子爵は、俺たちを歓待してくれた。
そんな状態なので、時間がある俺たちは珍しい樹上生活を楽しんでいた。
「このお茶、さっぱりしていて美味しいなぁ。アーシャさん、このお茶はもしかして世界樹の葉っぱかな?」
「はい。年に一度、新芽と新しい葉っぱを採取し、それを手で揉んでから少し干し、蒸してからカラカラになるまで乾燥させるのです」
ルイーゼの問いに、アーシャさんがお茶のお替りを淹れながら答えていた。
作り方は日本茶に似ているな。
「ミズホのミズホ茶と似ていますが、このお茶はもっと後味がすっきりしますね」
ハルカの言うとおりで、世界樹の葉のお茶は日本茶に似ているけど、後味がミントとかのハーブ茶に似ていた。
それにしても、世界樹って色々と恵んでくれるんだな。
「世界樹って凄いんだな。金属以外ならなんでも恵んでくれる」
「我らの母なる樹ですから」
エルフ族を一万年以上も生き永らえさせた樹なので、アーシャさんたちが『母なる樹』と呼んでも違和感はなかった。
「赤い実が沢山なっているから、これのタネで世界樹を増やせないのかな?」
「それが色々と試してみたのですが、種から芽が出ないのです」
「不思議な話だな」
エルは、赤い実の種で世界樹を増やせばいいと言ったが、アーシャさんによると種を播いても芽が出ないらしい。
世界樹は、太古の遺伝子技術で創られた一代種なのかもしれないな。
古代魔法文明時代以前にそんな技術が……この世界は本当に不思議だ。
「となると、エルフ族は世界樹になにかあった時のために備える必要があるのか……」
「はい。だから父は、世界樹周辺の領地にもこだわりました」
もし世界樹が枯れてしまった場合に備え、移住できる土地を確保したのか。
「プテラノキングも、多くの陸小竜たちも消えましたので、これからは世界樹周辺の土地も開発したいと思っています」
「そのためにも、お金は必要かな」
開発に必要なものを仕入れなければならない。
特に金属類は、今のザンス子爵領では精錬、加工できないのだから。
「時間がかかりそうだけど」
「長い年月が必要ですね」
そのためにも、ザンス子爵領はバウマイスター辺境伯家の寄子になるしかなかったというわけだ。
「ところでお館様、なにを集めているのですか?」
「世界樹の若葉と、若芽を集めているんだ。ザンス子爵の許可は貰ったぞ」
お茶の時間のあとは、自由時間になった。
久々のお休みである俺は、『飛翔』で普段誰も手をつけていない枝の先へと飛んで行き、世界樹の若葉と若芽を集めていた。
「残念ながら、もうお茶にはできないかな」
「そうですね。色が濃すぎますし、もう固くなり始めていますから」
すでに茶葉を集める時期を過ぎたようで、若葉と若芽なのに少し色が濃くて固いようだ。
「お館様、これをどうなされるのですか?」
「おっ、また変わった料理か?」
ハルカとエルが、俺が集めてきた世界樹の葉っぱを興味深そうに見ていた。
なにに使うのかと思ったのであろう。
「ミズホ茶の茶葉と同じで、これを料理に使ってみることにした」
せっかくお休みだ。
試しに料理をしてみよう。
「これは、世界樹の葉っぱのお茶の出し殻だけど」
水気を切り、あのアキラの店で購入してきた『じゃこ』、『乾燥ワカメ』、『ユカリ』、『鰹節』、『岩塩』、『砂糖』をミキサーで混ぜる……のだが、今日は魔法で出し殻を乾燥させ、粉々にする魔法任せにした。
『ウィンドカッター』と『トルネード』を改良した、『ミキサー』の魔法だ。
他にも、ニボシを粉にしたり、ニンニクを擦り下ろしたり、ツミレやハンバーグのタネも作れてしまったりするのでとても便利な魔法であった。
「世界樹の葉のフリカケの完成だ」
これがあれば、大いにご飯が進むであろう。
オニギリに混ぜて握るのもいいな。
「次は、佃煮を作る」
材料は、俺が魔法の袋の中に在庫を確保しているフジバヤシ商店の『醤油』、『ミズホ酒』、『みりん』に、バウマイスター辺境伯領産の砂糖で煮込んで水分を飛ばしていくと完成だ。
「ミズホ茶の茶葉を使った料理と似ていますね。でも、分かりやすい差があります。後味がさっぱりしますね」
「これはこれで美味しいと思うんだ」
「本当に美味しいですね」
ハルカも気に入ったので、ミズホ人も気に入るかもしれないな。
「続けて、摘んだばかりの葉っぱと若葉を茹でてお浸しにする」
茹で終わったら、削り節を載せて醤油をかける。
味見をすると、ほんのり苦くて甘さもある大人の味であった。
「いいツマミを発見したぜ」
「酒が進みそうなのである!」
なお、最初に完成した世界樹の葉のお浸しは、導師とブランタークさんが持って行ってしまった。
彼らは二人でミズホ酒を飲みながら、お浸しを摘まんでいた。
「他にも、世界樹の葉の天ぷら、野菜と一緒に揚げたかきあげ、炊き込みご飯、抹茶のようにお菓子に入れても美味しそうだ」
「うわぁ、美味しそうですね」
「葉っぱを材料にした料理には見えません」
「お兄さんに教えようかしら?」
このところ、ガトル大陸に滞在することが多いため、領内の開発をアグネス、ベッティ、シンディに任せることが多かった。
それだけ三人の腕前が上がった証拠なのだけど、今日はその慰労も兼ねて三人も『瞬間移動』で連れて来たのだ。
「本当に大きな木ですね、先生」
「凄い」
「おとぎ話みたいです」
アグネスたちは世界樹の葉の料理を食べながら、世界樹を見上げてその大きさにただ驚いていた。
この三人は俺の奥さんになっても、子供を産んでも、俺を先生と呼び続けた。
三人に言わせると、奥さんたちの中で俺を『先生』と呼べるのは自分たちのみの特権だそうだ。
よくわからないけど、別にいいんじゃないかな?
「外の世界には、このような料理があるのですね」
アーシャさんたちも、『世界樹の葉の料理ミズホバージョン』を気に入ったようだ。
「外の世界の酒か……。これはいいな」
なお、エルフ族の男性たちの間では『ミズホ酒』が人気となっていた。
他にも、王国のワイン、帝国のブランデー、フィリップ公爵領のアクアビット、ミズホの焼酎各種なども、よく猿酒と交換してほしいと頼まれることが多かった。
「料理もデザートも美味しかった」
「そうですね。ザンス子爵領でも、再現してみようと思います。材料や調味料は……猿酒と交換ですか」
「頑張って、猿酒の生産量を増やすか」
「そうだな。結局、猿酒が貨幣みたいなものだな」
領民たちがそんな話をしているが、そう言われると確かに……。
ザンス子爵家は案外強かで、猿酒を使って貨幣の備蓄を始めていたのだ。
なにかあった際に、領民たちを飢えさせない工夫であろう。
「デザートは、赤い実を切って食べるとしよう」
「ですがバウマイスター辺境伯様。これは渋を取っていませんよ」
もいだだけの赤い実を切ろうとした俺を、アーシャさんが止めた。
このままだと、渋くて食べられないと。
「もし渋を取った赤い実が必要でしたら、今すぐ持ってきますね」
「ああ、それなら魔法でこうすれば」
赤い実の渋はタンニンであると、俺は確信していた。
柿の渋抜きで焼酎などにつけるのは、お酒に含まれるアセトアルデヒドが、タンニンの渋みを渋みのない不溶性タンニンへと変化させるからだ。
よく覚えていたな、俺。
なお、タンニン自体は緑茶にも含まれるもので、別に食べても害はない。
むしろ、抗酸化作用や整腸作用がある体に有用な成分であった。
薬としても利用されているが、美味しくないので俺は好んで食べないけど。
「(赤い実の渋みがタンニンであることは確実。実際エルフ族も猿酒で渋を抜いているからそうなんだろう。だが、俺なら)」
普段はやらないが今日は休日なので、俺はもいだばかりの赤い実に魔法をかけて渋を抜いた。
ミズホの渋柿でもたまにやるので、そう違いはない。
「渋は抜けたかな? 大丈夫だ」
魔法なら、酒と時間が必要な果物の渋抜きも一瞬で終わってしまう。
『渋抜き』の魔法が、赤い実にも効果があると判明した瞬間であった。
「柿の渋を魔法で抜いた時も驚きましたが、お館様は器用ですね」
「任せてくれ」
こういう魔法の方が俺は得意だからな。
「凄いんだろうけど、もっと他にないのかと思わなくはない」
エルの奴め。
攻撃魔法は破壊しかできないが、果物の渋を抜く魔法は多くの人を幸せにする。
それが理解できないとは……。
「赤い実は渋を抜くと、普通に甘くて美味しい果物だな。フリードリヒたちにも持って帰ろう」
「それはいいですね」
世界樹で休日を過ごすと、面倒な貴族たちと遭遇しないで済んでいいな。
フリードリヒたちがもう少し大きくなったら、観光で連れて来ることにしよう。
なお、お土産に持ち帰った赤い実はフリードリヒたちに好評だった。
とはいえただの果物なので輸送時間とコストの関係で特産品としては厳しかったが、のちに赤い実を猿酒に漬けた果実酒が、ザンス子爵領の特産品として新たに加わり、とても人気となったことだけは記しておこうと思う。




