第二話 スライムイモ。
「本日は魔法で王都に送っていただき、ありがとうござます」
「ファイト殿は王国主催の『農作物品評会』に招かれたのですから、責任を持ってお送りしますよ」
「いやあ、私如きがそんな大層な行事に呼ばれるとは思っていなかったのですが……」
カチヤの兄でオイレンベルク騎士爵領の次期当主ファイトさんは、移転した新領地において『マロイモ』の増産と品質向上に成功し、今では農業関係者達にその名を知られるようになった。
濃厚でいて上品な甘さという、ちょっと矛盾した味の説明になってしまうが、マロイモはそのまま蒸かして食べても美味しく、王都の高級なお菓子屋ではマロイモを使ったお菓子を作って人気を博しているところも多い。
そして何よりも大きいのは、陛下がマロイモを蒸かしたものをよくオヤツとして食べているという点かもしれない。
そんな事情もあり、ファイトさんは今年度の王国主催農作物品評会に招待された。
これは、王国政府が主催する優れた農作物の表彰と紹介を行う行事で、これに呼ばれる事は農業関係者にとってとても名誉な事であった。
とはいえ、オイレンベルク領はバウマイスター辺境伯領と同じくらい王都から遠い。
そこで俺が、ファイトさんを『瞬間移動』で連れて行く事になったのだ。
「実は、うちも毎年出品しているので」
「そういえばそうでしたね」
バウマイスター辺境伯領も、実験農場で品種改良、試作生産された農作物を毎年出品している。
魔の森の果物の木を植樹し、魔物の領域でない場所で育てるとどうなるのか?
バウマイスター辺境伯領はほぼ全域が熱帯なので、普通に栽培できるようになるかもしれないと、試験栽培に取り組んでいる。
他にも、地下遺跡から出土した穀物や野菜の種子に、エリーから購入した種子や苗の栽培も行い、バウマイスター辺境伯領の農作物はかなりの速さで進歩していた。
時間がかかる品種改良をすっ飛ばしているので、当たり前といえば当たり前なのだが。
その成果を発表するため、バウマイスター辺境伯家も毎年品評会に出展していたのだが、今年はファイトさんの面倒を見なければいけない。
こちらは、すべて家臣に任せていた。
「この前いただいた野菜の種は、丸々とした野菜が実りました。みんな、喜んでいましたよ」
「それはよかった」
試験農場で栽培した野菜の種子をファイトさんに送ったのだが、さすがは農業のプロ。
早速領民達と栽培して、その実りのよさを実感してくれたようだ。
「あの野菜の種子はファイト殿への報酬ですから、お気になさらず」
農作物の品種改良先進国である魔族の国でも、マロイモほど甘い芋は存在しなかった。
そこで、ファイトさんが栽培方法込みでエリーの会社に種イモの提供を行い、その報酬に魔族の国の進んだ野菜や穀物の種子を貰ったというわけだ。
「ただ、相当に育てるのが難しいみたいですね」
エリー達は、早速放棄された山の斜面にマロイモ畑を作って栽培を開始したらしいが、思った以上に苦難の連続で、収穫できた甘いマロイモの比率が二割以下と、散々な結果だったらしい。
それでもファイトさんに言わせると、切り開いたばかりの畑でちゃんと甘いマロイモが収穫できただけでも大したものらしい。
それだけ、魔族の国が農業先進国であるという証拠でもあった。
「二年~三年と栽培を続けて畑の土がこなれたら、もっと甘いイモの比率も上がりますよ」
「絶対に続けると言っていました」
「十年も経てば、完全に土がこなれますからね。そうすれば、少し楽になります」
農業は土を作る事が基本というわけだ。
それに、二割以下しか出荷できなかったとはいえ、マロイモはとても高価だったにも拘わらず、あっという間に完売してしまったそうだ。
栽培には手間がかかるが、栽培できれば高く売れるというわけだ。
甘いマロイモの収穫比率が半分を超えれば、十分採算が取れるとライラさんはとても喜んでいた。
「うちの領地にもマロイモの栽培に適した斜面は多いけど、人手がなぁ……」
バウマイスター辺境伯領は、本当に人手が足りないからなぁ……。
場所はあるので、もっと時が経てば……。
最悪、土地だけファイトさんに貸与して栽培を委託する方法もあるのか。
今度、ローデリヒに相談してみよう。
「それにしても、王国主催の品評会ですか……」
「いやあ、ほら、ファイトさんはマロイモの栽培で受賞するに足る功績を挙げたわけで……」
急にファイトさんの表情が曇ってしまった。
この人は、そういうお偉いさんが沢山来そうな場所が苦手だからな。
俺が陛下から送り迎えを頼まれたのだって、陛下は前のトンネル騒動でファイトさんの性格など百も承知、もし参加を嫌がって逃げられでもしたら困るという理由からであった。
俺はファイトさんの捕縛係でもあるのだ。
「年に一度だけですから……本人は五年に一度も出席すればよくて、あとは代理人に任せる事も可能ですし……」
マロイモ以上に甘いイモでも登場すればわからないが、これから毎年ファイトさんは表彰される予定だ。
だが王都は遠いし、農作物の品評会の表彰なので、畑の管理が忙しいから『今年は代理人が表彰式に出席します』というのが許される土壌もあった。
相手は農作物だから、その辺は融通が利くというわけだ。
それでも、最初の表彰くらいは王都に来てね、という話であった。
「これから最低でも五年に一度は、王都で大貴族様から表彰されるのですか? 代理人? 父に頼んでも絶対に逃げますし、うちの家臣達なんてもっと嫌がりますよ」
そういえばそうだった。
名誉とはいえ堅苦しい席に喜んで出席するような人は、元々オイレンベルク領になんて住まないものな。
オイレンベルク卿も、気の弱さではファイトさんと似たり寄ったりだし。
「まあ、あとの事はあとで考えましょう」
実は、今回は陛下が賞状と賞金を渡すと言ったら、この人、どこかに逃げてしまいそうだ。
仕方がない。
騙して連れていく事にしよう。
「兄貴、せっかくの王都なんだから、観光したり、お土産を買ったりとかあるだろう。今回、マリタはお腹が大きいから一緒に来れないんだ。たまには気の利いたプレゼントを贈るくらいしないと」
ファイトさんの送り迎えという事で俺と同行していたカチヤが、遂に我慢できなかったようで、ファイトさんに苦言を呈し始めた。
今回、ファイトさんの奥さんであるマリタさんは、二人目の子供を妊娠中で王都に来れなかった。
その代わりに、普段苦労をさせているお詫びで、綺麗な服やアクセサリーくらい贈れというわけだ。
カチヤから見てもマリタは幼馴染なので、余計兄に強く言ったみたいだ。
「わかったか? 兄貴」
「……」
「どうかしたのか? 兄貴」
「人間、結婚すれば変わるものだね」
ファイトさんは、いつの間にか女性らしい気遣いができるようになった妹を見て、とても感動していた。
「いやあ、女性は奥さんや母親になると変わるものだ。驚いた。あの幼い頃、蟻の巣に水を流して『洪水ゴッコ』をしていた妹と同人物には思えない」
カチヤ、子供の頃にそんな事をしていたのか……。
でも、俺も子供の頃にやった記憶があるな。
そんなに珍しい事でもないか。
「人の事はいいから! 夫として、マリタに何か買って帰れよ! 金がないわけじゃないんだから!」
カチヤの言うとおり、オイレンベルク領の金回りは悪くない。
元々貴族として見栄を張るという慣習が一切なく、収穫したマロイモがとても高く売れるからだ。
週に一度領地に来るようになった魔導飛行船により、増産したマロイモはブライヒブルクや王都に運ばれ、かなりの高値がつくようになっていた。
「勿論、マリタには普段苦労をかけているから、賞金も出るし何か買って帰るさ」
「それがいい」
「それで、カチヤ。私は田舎者でよくわからないのだが、どういう物を贈ればマリタは喜ぶのかね?」
「……」
そのたった一つの質問で、カチヤが一瞬で硬直してしまった。
そういえば、カチヤにはそういうセンスが皆無だったんだ。
全部エリーゼとかに丸投げできるから、ファッションセンスを磨くなんてしていない。
本人は『そういうのはエリーゼの分担』とか、平気で言っていたし。
ここにきて、そういう事をサボった因果がやってきたな。
「旦那……」
「しょうがないな」
「おおっ! さすがは旦那だ! あれ? でも旦那も……」
そう、実は俺も、女性に気の利いたプレゼントを選ぶセンスとかはあまり持ち合わせていない。
だが、それを解決するいい方法があるのだ。
「セバスチャンにお任せで」
「何だ。エリーゼの実家の執事じゃないか」
「だって、セバスチャンは完璧だもの」
彼は伊達に、王都で長年ホーエンハイム子爵家に仕えているわけじゃない。
下手な田舎貴族よりも、よほど洗練されたセンスを持っているのだから。
「別に嫌なら、カチヤが自分で選べばいいし」
「旦那ぁ、そんなわけないじゃん。セバスチャン、最高!」
実際、品評会のあとでプレゼント選びに同行させたら、とてもセンスのいい品を選んでくれた。
マリタさんも大喜びだったようで、さすがはセバスチャンだと俺とカチヤは感動したものであった。
「兄貴、水を飲むか?」
「うん……」
「情けないなぁ。陛下から叱責されたんじゃなくて褒められたんだぞ。もうちょっと、堂々としていればいいのに」
「代々貴族なのが不思議な我が家の人間に、陛下の前で堂々とした態度は無理だよ。でも、ようやく終わったぁ……」
俺とカチヤはファイトさんを連れて王都へと飛び、そこで行われていた農作物の品評会に参加した。
品評会は、前世でJA(農協)がやっていたようなものと同じだと思う。
王国各地の有名な農作物が展示され、それぞれの部門で優秀な成績を残した者の代わりに領主が表彰される。
普通は、その領主があとで表彰された農作物を栽培した農民に褒美を与えたりするのだが、オイレンベルク領は生産指導者と領主が同じであった。
農業研究家肌の貴族は珍しくはないのだが、ファイトさんのように表彰まで受けてしまうレベルの人は珍しい。
知識は豊富でも、実際に栽培となると現場の農民の方が経験豊富で、いい成績を出す事が多かったからだ。
そんな中で、ファイトさんは表彰式の直前で陛下から表彰を受けるのだと知って卒倒しかけた。
俺とカチヤはファイトさんの両脇を抱え、彼が突然土下座をしたり、意識を失って倒れないか警戒する羽目になっていた。
マロイモの栽培では間違いなくリンガイア大陸一なのだが、こうも気が弱いと困ってしまう。
「ちょっとは、お袋でも見習えよ」
「私に、母さんの真似は無理だよ」
オイレンベルク領に陛下が来た時、ファイトさんとカチヤのお母さんは、まったく動揺する事なくお茶を出し、陛下にマロイモを売っていたものな。
きっとファイトさんは、完全に父親似なのであろう。
あの人も、息子と一緒に土下座していたし。
「表彰も終わったので、展示品でも見てみましょう」
「そうですね。何か面白い農作物があるかもしれないですし」
最大のプレッシャーから解放されたファイトさんは、ようやく元気になった。
三人で、他の展示品などを見て回る事にする。
会場には様々な農作物が展示されており、その前で複数の人達が話し合っているところも多かった。
「ヴァーゲル子爵様、今年はもうちょっと安く売ってくださいよ」
「無理だな。畑を広げて収量も増えたんだが、最近の王都はどこに行っても『あるだけくれ!』だ。他の商人が仕入れ値を吊り上げるのだから仕方がない。今年は一割ほど値段を上げる予定だ」
「そんな、ご無体な」
「それでも売れるんだろう? 問題あるまい。畑を広げる費用だって無料じゃないんだぞ」
どうやら、貴族と商人が商談をしているようだ。
領地の主産業が農業である田舎貴族だと、王都にいるような法衣貴族とは違って、馴染みの商人などとは気安い口調で話をしたりする。
こんな様子を、王都の貴族らしい貴族は『マナーもなっていない田舎貴族』と陰口を叩き、逆に在地貴族の方は『無駄にお高く留まった王都の貴族連中』と揶揄したりもした。
同じ貴族でも生活がまるで違うので、双方歩み寄るのは難しいであろう。
大半の貴族は、そういうものだと思っているので問題はないのだが。
「ファイトさん、商談はしないのですか?」
せっかく王都まで来たのだから、他の領主みたいに商談でもすればいいのにと俺は思ったのだ。
「実は、今年収穫予定のイモまでみんな買い占められているのですよ」
「今年収穫予定って……まだイモが実っていないじゃないか」
カチヤが驚いているが、相手は農作物だから天候不順などで収穫できない可能性もなくはない。
それなのに、事前にマロイモ買い占めてしまう商人というのも凄いと思った。
「そうなんだけどね。イモが実ってから交渉しても間に合わないそうだ。よほど何かなければほぼ前年どおりの収穫だと思うから、損はさせないと思うけど」
向こうが勝手に収穫前のマロイモを買い占めたのに、もし収穫できなかったらと、買い占めた商人達の心配をするとは。
ファイトさんは本当に人がいいな。
「奪い合いかよ」
「人気があるとは聞いてたけど……」
オイレンベルク領産のマロイモは、現在最高級品として王都のセレブに大人気であった。
商人としても、是非入手しておきたいのであろう。
「バウマイスター辺境伯殿の宣伝もよかったから」
「そうなのか? 旦那」
「ああ」
俺はちょっと宣伝文句を考えただけだ。
マロイモは、ケーキなどを食べるよりも太りにくくて健康にもいいですよと。
サツマイモに似た芋なので、食物繊維も豊富で便秘に効果あり。
ビタミンB群も豊富で、疲労回復や美肌効果あり。
ビタミンEの力で抗酸化作用もあり。
生活習慣病、更年期障害、冷え性を防ぎます。
この世界の人間にビタミンとか食物繊維の話をしてもわからないと思うので、その辺はこの世界風に宣伝文句を改良してある。
トンネル騒動の時のエリーゼ達の反応を見ればわかるが、特に女性にマロイモは人気であった。
「マロイモは保存も利くからね」
「収穫したイモは、いつもムロに保存しているものな」
これもサツマイモと同じで、収穫してから家の軒下などで二~三日乾燥させ、半地下式のムロにもみ殻や藁で包んで保存する。
サツマイモの仲間であるマロイモを冷温保存すると逆に痛むので、商人からすれば魔道具である冷蔵庫や魔蔵庫も必要なく、在庫を分けて出荷し、価格を維持する事も容易であった。
いくら高級品でも農作物なのでそこまで高価ではないが、安定した利潤を得やすい品なので、商人同士で奪い合いになっているのであろう。
「せっかく拡大したムロも、そこに貯蔵するイモがなくてね……」
「商売繁盛でいいじゃないか、兄貴」
「でも、カチヤに送るイモがなくなるかも」
「そんなぁ……」
実家から送られるマロイモやその干しイモが大好物であるカチヤは、ファイトさんからイモが不足しているから仕送りができないかも、と言われ落ち込んでしまった。
「大丈夫、家族で食べる分くらいはちゃんと確保しているから」
「兄貴、脅かすなよ」
「今のところは毎年畑を広げているけど、マロイモが足りないのは事実なんだ」
「高く売れていいじゃん」
「高ければいいってものじゃないよ。普通の人が気軽に買えた方がいいんだから」
ファイトさんは、マロイモが高級品扱いな事に不満があるようだ。
欲がないというか、やはりこの人は農業博士資質の人物なのであろう。
「でもファイトさん、あそこにマロイモが展示されていますよ」
他の領地で栽培されたものらしいが、商品見本としてマロイモが展示してあった。
数名の商人が、興味深そうに商品を品定めしている。
「みたいですね」
「兄貴、いいのか?」
「何が?」
「だって、ライバルじゃないか。種イモの管理とか大丈夫なのか?」
カチヤは、オイレンベルク領産の種イモが他領に流出したのではないかと心配していた。
「種イモの流出は仕方がないよ。要はマロイモを商人から買えばいいんだから。それに、マロイモ自体は昔から大陸南方で栽培されていたからね」
そう、マロイモ自体は南方なら簡単に栽培できるので大量に存在した。
オイレンベルク領産のマロイモみたいに、甘く栽培するのが非常に難しいのだ。
「駄目だな。甘くない」
「これなら、普通のイモに砂糖でも混ぜた方がマシだな」
展示品を試食した商人達は、これは売り物にならないと判断した。
試作品を展示していた貴族はガックリと肩を落としている。
「甘くないマロイモは、普通のイモに比べると小さいからね」
この世界にもサツマイモに似たイモがあり、こちらは南方で大量に生産されている。
マロイモは、このイモの原種から出た突然変異種なのだが、普通に栽培してしまうと味も素っ気もないイモになってしまう。
栽培効率を考えると、普通のイモを栽培した方がいいという話になってしまうのだ。
「マロイモは、普通のイモと違って肥料も必要なのです」
サツマイモの利点に、痩せた土地でも作れるというのがあるが、マロイモを甘くするには肥料が必要となる。
甘く栽培できればいいが、できなければ作る意味をあまり感じない農作物というわけだ。
「オイレンベルク領産のマロイモが高く売れるので、自分達もと挑戦しているのか」
「そうみたいですね」
いくつかの展示品にマロイモがあったが、どれも甘くないようで試食した商人達が首を横に振っていた。
「そう簡単に高級品の栽培はできないよね」
ファイトさんのみならず、オイレンベルク卿やその先祖が苦労して栽培方法を確立させたのだから、簡単に真似はできないというわけだ。
「兄貴、あのイモは変わっているな」
「そうだね、私も見た事がないよ」
さらに見回っていると、ここでカチヤが珍しい作物を見つけた。
マロイモのみならず、実は他の農作物にも詳しいファイトさんでも見た事がないイモ。
俺も興味が湧いてきた。
「変わった形のイモ……イモだよな?」
「はい、我がベルクシュタイン男爵領の特産品通称『スライムイモ』です」
まるでコンパニオンにように、変わったイモの説明を始める少女がいた。
彼女がベルクシュタイン男爵という事はないであろうから、その妹か娘かもしれない。
「またリスキーな名前のイモだな……」
実はこの世界にもスライムが存在しているが、かなり希少な魔物であった。
魔物の領域の木の上、地下遺跡の天井などに潜み、獲物がその下を通ると落下して相手を包み込んでしまう。
そして、強酸性の体液で獲物を溶かして栄養にしてしまうのだ。
こう書くととても怖い魔物に聞こえるが、実はとても臆病な魔物で、獲物が小動物や小さな虫などでないと狩りを行わない。
スライムはとても省エネな魔物であり、十年や二十年獲物が捕れなくても死なないので、冒険者の中には見た事がないという人も珍しくないのだ。
その素材なり体液が高く売れるのであれば冒険者も懸命に狩ろうとするのであろうが、そんな事もないので気にもされず、とにかく地味で目立たない魔物であった。
「スライムの名を冠したイモ?」
「このスライムイモは、形もスライムによく似ていますから」
形がスライムに似ているとはいっても、俺が想像する前世のRPGゲームに出てくるスライムではなく、水溜まりのような形をしているイモであった。
スライムに決まった形なんてないが、スライムのイメージにピッタリなイモではあった。
「これ、美味いのか? 姉ちゃん」
「ええと……実はこのイモ、困窮作物なので……」
普通のイモもそうだから、スライムイモはもっと痩せた土地でも作れるというわけだ。
「砂地でも作れます。一旦水を抱え込むとなかなか離さないので、少量の水でも育ちます。むしろ、少ない方がいいです」
「確かに、困窮作物だな。でも、どうして普及しないんだ?」
「それは……蒸かしたものがあるので味を見てみますか?」
「ちょっと興味出てきたから是非に」
少女の勧めでスライムイモを蒸かしたものを三人で試食みたが、その味はお世辞にも美味しいとは言えなかった。
「味がないですね」
「水を食っているみたいだな」
試食したファイトさんとカチヤは、微妙な表情を浮かべた。
「これ、栄養あるの?」
「ない事はないのです。とても少ないみたいで、沢山食べないとお腹一杯になりませんけど」
少女の説明によると、大昔、ベルクシュタイン男爵領がある地方を大干ばつが襲った時、他の作物はすべて全滅という状態でも、スライムイモだけは通常どおり収穫できた。
味は美味しくないというか無味だが、スライムイモのおかげで、ベルクシュタイン男爵領を始めとして、スライムイモを栽培していた領地では餓死者が出なかったと、少女は説明してくれた。
「ちなみに、今このスライムイモを栽培している領地は?」
「今ではうちだけです。あっ、申し遅れました。私、ベルクシュタイン男爵の十三女エステルと申します」
十三女……八男である俺を上回る凄さだな。
具体的に何が凄いのかと聞かれると困ってしまうのだが。
あと、ベルクシュタイン男爵、えらく頑張ったな。
「バウマイスター辺境伯です」
「知っています。偉大な魔法使い様ですよね」
「うん……」
偉大かどうかは微妙な線だが、俺が魔法使いなのは確かだ。
続けてカチヤとファイトさんも自己紹介したが、エステル嬢は表彰式を見ていたので、二人の事も知っていた。
「エステルさんは、このスライムイモの普及を目指しているのか?」
「決して美味しくはないのですが、すぐに大きくなって簡単に収穫できますから、飢饉の時には必要な作物だと思うのです。栽培しているのは私だけですけど」
帝国にあるバカ大根と同じような作物らしい。
バカ大根は暑さに弱いが、スライムイモはやはりサツマイモの仲間なので寒さに弱いそうだ。
「勿論、ベルクシュタイン男爵領の特産品というわけでもないのですが」
そう言われたので見てみると、ベルクシュタイン男爵家の他の展示ブースには普通のイモが置かれていた。
ベルクシュタイン男爵領の特産品は、普通のイモというわけだ。
「長年の品種改良により、ほんのりとした甘さが特徴で、料理に使いやすいので人気ですね」
「マロイモほど甘くないから、逆に料理には使いやすいのか」
マロイモはデザートの材料には向くが、料理には向かない。
ベルクシュタイン男爵領のイモは、料理に自然な甘さをつける時に便利だそうだ。
「飢饉の時には必要になると思うのですが、不味いですからね。何かいい利用方法があればいいのですが……」
今日は変わった作物を知る機会を得たが、不味いという致命的な欠点のためか、俺達以外に興味を示す者はおらず、現時点でスライムイモが普及する可能性はかなり低かった。
「不味っ!」
「味がしませんね。これは厳しいです」
ファイトさんをオイレンベルク領に送り届けてから屋敷に戻った俺達は、他のお土産と共に試しにエステルさんから購入したスライムイモの試食を行っていた。
どうしてこんな不味いイモを買ったのかって?
人間、出先でもの凄く不味い食べ物を見つけると、つい買って帰りたくならないか?
そしてそれを、親しい人に食べさせてその反応を楽しむというわけだ。
早速蒸かしたスライムイモを試食したエルとエリーゼは、今まで生きてきてこんなに不味いイモは食べた事がないという顔をしていた。
「究極の選択だな。これ食って生き延びるか、諦めて餓死するか」
「あなた、これを食べなければならない状況まで追い込まれないようにするのが正しいと思います」
「エリーゼの言うとおりだ。飢饉に備えて食料を備蓄すればいいだろうに」
「まあ、実はこのイモを飢饉に備えて作らなくても問題ないんだけど……」
エステルさんが話をしていた大昔の飢饉、その時にはもっと王国領内の交通や流通が乏しく、他の地域から食料をあまり持って来れなかった。
今は栽培技術も進んでおり、そう簡単にすべての農作物が全滅という事もないと思う。
水不足は深刻だが、魔族から海水をろ過する装置も大量に輸入されるようになったから、最悪王国政府がろ過した水を運んでくれば、人が餓死する可能性は低いはずなのだ。
「じゃあ、いらないじゃん」
「エルでも駄目な食べ物があるのね」
「イーナも食ってみろよ。これは、美味い不味い以前の問題だから」
エルは、残ったスライムイモをイーナにも勧めた。
「うわっ、凄い味というか味がないわね。水?」
そう、俺も食べてみたのだが、このスライムイモ。
味はまるで、蒸留水で作ったゼリーでも食べているかのようだ。
きっと、実が水を蓄えやすいのでそういう味がするのであろう。
「食味も最低ですわね」
カタリーナもスライムイモを試食したが、口に入れた途端顔を顰めた。
「飢饉に備えてこれを栽培ですか? どのくらい保つのか知りませんが、栽培して収穫した以上、腐る前にちゃんと食べて備蓄用の倉庫を空ける必要がありますわね」
つまり、栽培した以上責任を持って食べないといけないわけか。
それは辛いな。
「ヴェル様、この世には必要がない食べ物も存在する」
「酷い言い方だな、ヴィルマは」
「じゃあ、カチヤが食べる?」
「いらねえ、あたいはマロイモが好物だから」
エステルさんには悪いけど、このスライムイモを栽培する価値はないよなぁ……。
「旦那様、言われたとおりに調理してみましたけど」
生で食べるのは論外、水分補給はできるのか?
水筒の水を飲んだ方がマシだけど……。
一縷の望みをかけて煮物をリサに作ってもらったのだが、これで不味かったら終わりだな。
「……ヴェル君、どう?」
リサと一緒にスライムイモも煮ていたアマーリエ義姉さんが味を聞いてきたが……。
「駄目だ。水っぽくて余計に不味い!」
水の味しかしないイモを醤油、酒、ミリン、砂糖で煮ても、ただ味が薄まって不味いだけだな。
「煮ても繊維が微妙に口に当たるし、こんな不味いイモ、よく今の今まで残っていたな。品種改良でもしていたのかな?」
「これをどう品種改良すると食えるようになるんだ?」
「それは俺もわからない」
ちょっとやそっとの努力でスライムイモが普通に食べられるようになるとは、エルも俺も思わなかった。
「ただちょっとエステルさんには言いにくいな、旦那」
「ああ……」
「何か事情があるのですか?」
「そうなんだよ、エリーゼ」
こう言うと失礼だが、エステルさんはベルクシュタイン男爵の十三女だ。
いかに男爵家とはいえ、さらに政略結婚に使える娘とはいえ、十三女ではあまり利用価値はなかった。
エステルさんは、実家でもあまり居場所がないうえに、娘なので労働力として期待されているわけでもない。
普通はいくら王都で開催される品評会でも、貴族の娘に売り子モドキはさせない。
どうでもいい娘だから、そういう事をしていてもベルクシュタイン男爵は気にしないというわけだ。
『私は、このスライムイモみたいな存在なんです。ベルクシュタイン男爵領にはあるけど、何の役にも立ちません。でも、こんなスライムイモでも、誰か価値があると認めてくれたら嬉しいですね』
そんな状況でも、彼女はスライムイモを畑で作り、王都の品評会に持ってきて有効な使い道はないか、と懸命だった。
「きっと、自分とスライムイモを重ねているのですね」
エリーゼは優しいので、彼女の境遇に同情していた。
もしスライムイモの利用方法が見つかれば、それを栽培していたエステルさんにも価値があったと評価される。
十三女という境遇にあり、父親からもあまり気にされていない娘なりの足掻きに見えてしまうのだ。
「だから、何かスライムイモに使い道があればと思うんだ」
「でもさ、ヴェル。バカダイコンなら家畜が食うけど、スライムイモは家畜も食わないんじゃあ……」
水分補給でも嫌がるであろうか?
「試しに食わせてみるか……」
屋敷の敷地内にある馬小屋まで移動し、蒸かしていないスライムイモを俺の愛馬に食べさせてみようとしたが……。
「あれ? 食わないな?」
「お館様、馬は繊細な生き物なんで、変なものは与えんでくだせえ」
愛馬にスライムイモをあげようとしたら、馬の管理をしているノベッタ爺さんから注意されてしまった。
「馬も食わないなんて、バカダイコン以下だな」
「これは困った」
結局スライムイモの利用方法が思いつかず、俺は珍しく悩み込んでしまうのであった。
「お館様、もっと他の事で悩んでください」
「ローデリヒは容赦ないな!」
人が珍しく色々と考えているというのに、ローデリヒは俺が領地の事で悩んでいないと知ると、途端に冷たくなった。
「そのエステルというご令嬢を奥様にするのですか?」
「するか!」
だから!
俺の嫁を勝手に増やすな!
「ローデリヒさん、ヴェンデリン様はエステルさんの境遇を昔の自分と重ね合わせているようなのです」
「なるほど。そういう事ですか。いくら男爵家でも十三女ですからね……富農に嫁いでも、誰も不思議に思いませんか。それにしても……味がしませんな」
エリーゼから蒸かしたスライムイモを渡されたローデリヒが試食してみたが、すぐにその顔を顰めさせた。
本当に味がないので、食べるのが辛いイモなのだ。
「飢饉の時にみんな食べたらしいのですが……」
「奥方様、拙者も飢饉に巻き込まれた経験はありませんが、飢え死にするくらいならと、我慢して食べたのだと思います。もしくは、あまりに空腹すぎてスライムイモでも美味しく感じられたとかでしょうか?」
「空腹は最高の調味料なのですね。味がしないのに栄養があるのでしょうか?」
「イモなら少しは甘いような気もしないでもないのですが……何かしら無味の栄養があるのでしょう。栄養がなければ、いくら食べても飢え死にしてしまいますからな」
イモだから炭水化物や糖質が入っている……よな?
炭水化物って味がしないわけがないと思うから、スライムイモはそれを感じないほど水で薄まっているのであろう。
どちらにしても、調理しても不味いのには困ってしまった。
「旦那、兄貴もスライムイモを持ち帰ったけど、どうかな? 何かいい利用方法を思いついたかな?」
「どうだろう?」
あの場にいたファイトさんも、スライムイモを購入してオイレンベルク領に持ち帰った。
研究用だと思われる。
マロイモみたいに上手く栽培すると、スライムイモも甘くなると考えたのであろうか?
「スライムイモは、どう上手く栽培しても美味しくならないような……」
「肥料やると逆によくないって、エステルも言っていたからな」
スライムイモの厄介な部分は、痩せた土地じゃないと栽培できない。
土地の条件が悪ければ悪いほどいいという点にあった。
逆に水と肥料をたっぷりと与えたりすると、実が異常に小さくなったり、最悪地下茎の部分が腐ってしまうのだそうだ。
「いくら兄貴でも、スライムイモはどうにもならないだろう」
「そうだよなぁ……」
と、思っていたのだが、それから数か月後。
ファイトさんから連絡があった。
何と、あのスライムイモの利用方法を思いついたそうだ。
「マジでか? 旦那、あの水の味しかしないイモに使い道なんてあるのか?」
「俺も驚いている」
急ぎオイレンベルク領に向かうと、ファイトさんは領地移転に伴って新築された屋敷の隣にある作業場で、大鍋に入れた何かを煮ていた。
「バウマイスター辺境伯殿、スライムイモの使い道を見つけましたよ」
「本当に? この大鍋の中で煮ているのがそうですか?」
「はい」
ファイトさんによると、スライムイモは痩せた土地に植えておけば何の世話をしなくても育つそうだ。
そうやって増やしたスライムイモを皮ごと擂り下ろし、水と一緒に大鍋で煮る。
煮えたら、熱い間に布で濾して筋や皮の部分を取り去ってしまう。
「綺麗な型に入れて冷ますと、このように……」
水を大量に含んだゼリー状のものが完成した。
「つまり、これでお菓子や料理を作ると」
ゼラチンや寒天みたいなものだ。
リンガイア大陸には、魔物と家畜由来の膠やゼラチンが存在し、ミズホにはというか、北方の海に天草に似た海藻が生えていたので、寒天も存在した。
ただ寒天は、ミズホから輸入するしかなく、これも貴族の健康志向に支えられゼラチンよりも高価であった。
そしてここに、スライムイモ由来のゲル材料が開発されたというわけだ。
それにしても、スライムイモの味見までしておいて、俺がこれに気がつかないとは……。
「それにしては、少し柔らかいか?」
「バウマイスター辺境伯殿、これは食材にも使えますけど、私は別の用途で使い方を発見したのです」
「そうなの?」
「はい、実際に見てみますか」
ファイトさんの案内で、俺達はマロイモ畑まで移動した。
マロイモのツルが出ている場所のすぐ近くの土を掘ると、そこに先ほどのスライムイモのゼリーの塊が埋まっていた。
「畑の土の保水に使っているのか」
「はい。マロイモを甘くするには、厳しい水分量の調整があるのですが、これがあると作業が楽になりました」
水分を抱えてなかなか離さないスライムイモのゼリーであるが、加熱して加工したゼリーは保水力が弱められている。
周辺の土の水分が減ると浸透圧の関係で外に水分が排出され、逆に水が多すぎると、それを蓄えて土が必要以上に湿らないようにする。
「今まで、大雨が降ると対策で一苦労だったのですが、これを埋めておけばその手間も省けますよ」
スライムイモのゼリーは、高吸水性高分子と同じ働きをするわけか。
地球では紙オムツの材料であったり、砂漠の緑地化で保水性を上げるのに使っていると聞いた事がある。
そういうものが、まさかスライムイモから作れるとは……そして、それに気がつくファイトさんって……。
「カチヤのお兄さんって、実はもの凄く優秀なんじゃないか?」
「そう言われると、そんな気がしてきた」
荒れ地や砂漠でも簡単に作れるイモから、その荒れ地を緑地や畑にできる高吸水性高分子に似た物が作れる。
ファイトさんの発明は歴史を変えるかもしれないが、それを見つけた本人はマロイモの水やりが楽になったと喜んでいた。
案外、大発明をした本人というのは、あまり大げさに考えていないのかもしれない。
「そうだ。このスライムイモを売ってくれたエステルさんにお礼を言わないといけませんね」
「「はあ……」」
俺とカチヤは、一斉にため息をついた。
俺も人の事は言えないが、ファイトさんはどうも貴族的な駆け引きとか、利権を確保するとか、そういう事に向いていないようだ。
ここで、ただエステルさんのお礼を言いに行かれても困ってしまう。
「(暫くは、スライムイモなんて役に立たないという事にしてもらわないと。特に、ベルクシュタイン男爵には)」
多分、現時点でスライムイモなんて栽培しているのはエステルさんくらい。
探せば他にもいるかもしれないが、いても問題ではない。
要は、スライムイモから高吸水性高分子モドキが作れる事を他人に知られなければいいのだ。
どうせ時が経てば知られてしまうが、それはなるべく遅い方がいい。
それなのに、ファイトさんが堂々とお礼を言いに行けば、ベルクシュタイン男爵にバレてしまう。
「兄貴、お礼を言いに行くのはよくないと思うな」
「そうなのかい? カチヤ」
「正確にいうと、相手は女性、それも貴族令嬢じゃないか。お礼を言いに行くにも、身形とかに気を使わないと。プレゼントもいるな」
「そう言われるとそうだね」
基本的に人がいいファイトさんは、冒険者稼業でよくも悪くも人間を理解しているカチヤに上手く丸め込まれていた。
「第一、ベルクシュタイン男爵領がどこにあるか知っているのか?」
「調べていないね。これは不勉強だったよ」
「兄貴も忙しいからな。あたいと旦那に任せてくれよ」
「いいの? 悪いね」
いえいえ、全然悪くなんてありませんよ。
むしろ悪いのは、俺達の方なんだから。
「じゃあ、早速」
「えっ! もう? でも、畑の視察が……」
「そんなの、今日くらい家臣に任せておけって」
そのまま有無を言わさず、俺達はファイトさんと『瞬間移動』で王都へと向かった。
まずは、身嗜みを整えるとしよう。
「あらあ、服装はダサイけど、意外といい体をした男発見!」
「カチヤ? バウマイスター辺境伯殿?」
まずは、農作業ばかりしているので野良着姿の彼を、貴族の嫡男らしい服装にする。
コーディネートを頼むのは、見た目は筋肉大男、心は乙女であるキャンディーさんだ。
彼は……彼女は、ファイトさんの体を見てニンマリとしていた。
彼女にロックオンされたファイトさんは、肉食獣に睨まれた小動物のように怯えていたが。
「取って食われるわけじゃないから大丈夫ですよ」
「兄貴、この人に服を合わせてもらうから」
「そうなんだ……」
まあ、オイレンベルク領に住んでいたら、キャンディーさんにみたいな人に会える機会はほぼないからな。
動揺が大きかったのであろう。
「この人、下半身がよく鍛えられているわね。持久力がありそう」
さすがはキャンディーさん。
男の体を見て、その状態を言い当てるのが上手だった。
ただし、その熱い視線はファイトさんの締まったお尻に向いている。
ファイトさんは毎日、領内の山の斜面にある畑を見回っているので、自然と脚力などがついたのであろう。
足の強さは妹であるカチヤも同じだが、彼女も実家を出る前は畑仕事をよく手伝っていたそうだから、斜面での畑仕事はいい鍛錬になるようだ。
「あらぁ、いい体」
キャンディーさんが、ワクワクしながら彼が普段着ている野良着を脱がせているが、上半身もかなり鍛えられていた。
「毎日じゃないですけど、鍬も振るうので」
「俺も農作業とかした方がいいのかな?」
そうしたら、細マッチョになれるかな?
できたら、明日にでもなりたいわ。
「旦那、バウマイスター辺境伯が農業するのはどうかと思うな」
「だよなぁ……」
毎日ちゃんと鍛錬している俺よりも、ファイトさんの方が脱ぐと筋肉質だった。
この人、えらく着痩せするので今まで全然気がつかなかった。
二人の筋肉を比較してから、俺はちょっと凹んでしまう。
「あのぅ……キャンディーさん。ファイトさんを脱がせたのはいいんですけど、頼んでいた服はあるのですか?」
キャンディーさんの洋裁店は、どちらかというとカジュアルな服を取り扱う事が多い。
貴族の嫡男が着るのに相応しい服が置いてあるのであろうか?
「大丈夫よ。私、そういうお洋服も作れるから。前にいい感じの服を縫っていたから、これをサイズ合せしてみようと思うの」
「ふーーーん、ただ男の裸が見たくて兄貴を脱がせた…「あははっ! じゃあ早速お願いします!」」
カチヤが失礼な事を言おうとしたので、俺は慌てて彼女の口を塞いだ。
そりゃあ、俺もそう思わなくはなかったけど……。
「あらぁ、これならそんなに大きくサイズを変える必要はないわね。とても似合っているわ」
確かに、いい服に着替えたらファイトさんは貴族の若様らしくなった。
元から貴族の嫡男なんだが、いつもの服装だと、よく言って若い農業研究者、悪くいうと農民にしか見えなかったのだ。
「兄貴も普段からこういう格好をすればいいのに」
「でも、カチヤ。この服で畑の見回りをしたらみんな驚いてしまうよ。汚れてしまうし、普段は汚れてもいい動きやすい服装がいいね」
ファイトさんは、どこまでもマロイモ畑が生活の中心なんだな。
ここまで拘られると、もはや尊敬の領域に達しつつあった。
「こんなものでいいかしら。あとは、花束と、何かプレゼントね」
これも、センスが抜群であるキャンディーさんがチョイスしてくれた。
というか、俺、カチヤ、ファイトさんが束になっても、キャンディーさんのファッションセンスには歯が立たないというのが現実だ。
「これで貴族の若様に見えるようになったな」
人は見た目が九割という。
これで、ベルクシュタイン男爵領に向かって大丈夫だ。
「バウマイスター辺境伯殿、ベルクシュタイン男爵領の場所は?」
「王都からそんなに遠くないですよ」
王都の品評会に、エステルさんが売り子として参加できるくらいだからな。
もし交通費がかかるような場所にあったら、ベルクシュタイン男爵がエステルさんの参加にいい顔をしなかったであろう。
「とはいえ……」
「あの子、あたいや兄貴と同じで足腰が頑丈なんだな」
ベルクシュタイン男爵領は、昔所用で行った王都近郊にある貴族領から、さらに徒歩で一日ほどの距離にあった。
俺は二人を抱えて『飛翔』で現地に到着したが、この距離を若い娘が馬車や徒歩で王都と往復したのだから凄い。
そういえば彼女、結構重たいスライムイモを楽々持っていたな。
ヴィルマほどじゃないけど、健康優良児で力もあるのであろう。
「田舎だなぁ。あまり人の領地の事は言えないけど……」
到着したベルクシュタイン男爵領は、農業が主産業でのどかな農村地帯といった感じであった。
そんな場所に空から降り立つ貴族二人とカチヤ。
きっと珍しかったのであろう、すぐに領民達が近寄ってきた。
「あんのぉ……お貴族様はどのようなご用件で?」
「ベルクシュタイン男爵のご令嬢エステル殿はいらっしゃるかな? 実は、ここにいるオイレンベルク卿の嫡男ファイト殿が是非お会いしたいそうだ」
「いつものようには農作業をしていると思いますだ」
「すぐに呼んできます」
やはり、元々魔法使いの格好をした俺もいたが、ファイトさんの服装は役に立ったな。
そしてもう一つ、若い貴族がわざわざベルクシュタイン男爵の十三女であるエステルさんを指名して呼び出した。
「(ここは田舎だからなぁ……)」
「(噂になるよな、旦那)」
そう、領民達は勝手に噂してくれる。
ファイトさんが、惚れたエステルさんを迎えに来たのだと。
「どうかしたのですか? 二人とも」
「「いいや、何でも!」」
「そうですか」
「それよりも、兄貴。さっき打ち合わせたとおりに頼むぜ」
「そうだったね」
こういう時、若い女性にどう声をかけたらいいものか。
俺に聞かれても、実は経験不足なような気もしたが、ファイトさんよりはマシ?
でも、マリタさんと一緒になると断言した時の彼は格好よかったな。
大貴族の娘であるエリーゼですら、貴族と名主の娘という不釣り合いな二人の結婚を祝福したほどなのだから。
それを考えると、実はファイトさんって凄い人なのか?
「いいか、兄貴。さり気なく誘うんだぜ」
「あれ? お礼は?」
「あとでいいから!」
ここで、スライムイモの有効な使い道がわかったからお礼を言いに来ましたなんて言ってみろ。
領民達がすぐに噂を流してしまうじゃないか。
前世で、まだ生きているはずのお婆さんが言っていた。
『田舎の情報拡散能力を舐めるな』と。
ここは、何もわからないままファイトさんがエステルさんを引き抜けばいいのだ。
どうせベルクシュタイン男爵としても、十三女に有効な政略結婚先があるとは思っていないであろう。
そこで、『オイレンベルク領で働きませんか?』。
『お婿さんなら、俺が紹介しますので』とファイトさんにスカウトさせる。
「(エステルさんのお婿さんは紹介するよ。俺がファイトさんを)」
オイレンベルク領にも、バウマイスター辺境伯領にも痩せた土地なんていくらでもある。
スライムイモの大量生産計画はベルクシュタイン男爵には黙っていて、エステルさんはファイトさんの側室となり、完全に囲い込んでしまう。
ベルクシュタイン男爵も、十三女が貴族の正妻になれるとは思っていないであろう。
文句は言わないはずだ。
「お久しぶりです。バウマイスター辺境伯様にカチヤさんに、ファイト様」
農作業を中断してこちらに来たエステルさんは、男爵令嬢とは思えない、まるで農婦のような格好をしていた。
父親であるベルクシュタイン男爵も、十三女なので農作業をしても何も言わない……こういう田舎領地って、普通に農作業をする子供とかもいるらしいけど。
「ちょっと畑で作業していまして。本当は貴族令嬢のする事ではありませんけど」
「お好きなのですか?」
「はい、こういう場所に生れましたので。父から、屋敷の隣の家庭菜園くらいで止めておけとよく言われますけど……」
どうやらエステルさん、実家が貧しいからではなく、好きで農作業やスライムイモ栽培の実験していたみたいだ。
それがわかった途端、ファイトさんは笑顔になり、珍しく饒舌な口調で話しかけていた。
趣味が合うと思ったのであろう。
二人は、農業の話などを暫くしていた。
「そうでした。これをどうぞ」
「これを私にですか?」
「はい」
「ありがとうございます、ファイト様」
そしてファイトさんが準備していた花束とプレゼントをエステルさんに渡し、彼女も嬉しそうに受け取った。
傍から見ると、着飾った貴族の貴公子が、惚れた女性にプレゼントを贈っているようにしか見えなかった。
周囲で様子を窺っている領民達もそう思っているようだ。
『よかった』と、みんな笑顔を浮かべている。
知らぬは、ファイトさんばかりというわけだ。
「農作業が好きな方というのが確認できてよかった。今日は、エステルさんにお願いがあってきました」
「はい、何でしょうか?」
「私の領地に来ませんか?」
「「「「「おおっ!」」」」」
領民達は、いよいよプロポーズの言葉が出たと歓声をあげた。
その言葉を発したファイトさんは、彼女を働き手としてスカウトしているだけだと思っているようだが。
「(兄貴、いい加減に気がつけよ……)」
「(事情説明はあとでいいじゃないか)」
例え本人が何もわかっていなくても、今はエステルさんがオイレンベルク領に来てくれればそれでいい。
彼女がファイトさんの側室となり、スライムイモ作りに協力する。
ファイトさんも深窓の令嬢なんて奥さんに欲しくないだろうが、エステルさんなら農業ガールなので趣味も合う。
彼女がいれば、バウマイスター辺境伯領の荒地でスライムイモの栽培をファイトさんに委託する事もできるであろう。
ファイトさんを騙しているようで悪いが、彼も貴族の一員だ。
きっと俺の考えを理解してくれるはず。
「ベルクシュタイン男爵殿への説得は任せてください」
「(まあ、旦那がいるからな)」
その辺、ファイトさんは気が弱い部分があるのだが、意外にも本人も積極的だった。
趣味が合う女性ってのがよかったのかもしれない。
「ファイト様、お話を受けようと思います。末永くお願いします」
「「「「「エステル様、おめでとうございます!」」」」」
「ありがとう、みんな」
エステルさんは、領民達から結婚おめでとうという意味で祝福を受けていた。
そしてそれは間違っていない。
何しろ、そう思っていないのはファイトさんだけなのだから。
「じゃあ、早速交渉を」
「そうですね」
あとは、ベルクシュタイン男爵の許可を貰うだけだ。
実は一つ懸念があるのだが、さすがにベルクシュタイン男爵も気がつくはず。
もし気がつかなかったら、今後、ベルクシュタイン男爵家との付き合いは社交辞令的なところから逸脱できないな。
俺達はベルクシュタイン男爵邸へと移動し、そこでエステルさんをオイレンベルク領に行かせてくれと要請をした。
「バウマイスター辺境伯殿、うちのエステルがオイレンブルク家にですか?」
屋敷で応対したベルクシュタイン男爵は、まさか十三女が貴族に嫁げるなんて思っていなかったのであろう。
えらく驚いたが、すぐに何かを企むような笑みを浮かべた。
「(旦那、駄目っぽい)」
「(みたいだな)」
残念、ちょっと思慮が足りていたらもう少しつき合いを考えたのに……。
そして俺達の予想どおりの発言をベルクシュタイン男爵はした。
「オイレンベルク家は、トンネルの事件などでその名を存じております。我が領のように、農業が主体の領地だとか。そして、その跡継ぎであるファイト殿の正妻は名主の娘だとか? 我が娘が嫁ぐのであれば、当然正妻は我が娘エステルなのでしょうね? 跡継ぎも、うちの娘が産んだ子になるのが正しいですな」
「お父様! 私は側室で構いませんが……」
「エステルは黙っていなさい!」
ベルクシュタイン男爵は、大声で娘の発言を遮った。
人間、欲望をコントロールするのは難しい。
いらない子扱いされた娘がいい条件で嫁げると知ったら、欲が出て要求を釣り上げたというわけだ。
「えっ? どういう事ですか? エステルさんが?「兄貴、ちょっと大人しくしてな」うぐぐっ……」」
この状況に至っても、いまだファイトさんは俺達の企みに気がついておらず、ベルクシュタイン男爵の話を聞いて一人動揺していた。
エステルさんを領内で働かせるためにスカウトするという話が、自分の奥さんになると聞いたからであろう。
だが、未婚の貴族女性に花束とプレゼントを贈っているのだから、いい加減気がついてもいいと思う。
この人、気は弱いが、同時にえらく抜けている部分もあり、ある意味大物なのかもしれない。
「つまり、要求があると?」
「当たり前ではないですか。それが貴族というものでしょう」
ベルクシュタイン男爵は、ドヤ顔で勝ち誇っていた。
まあ、確かにそれはそうだ。
貴族家の跡取りに奥さんが一人しかおらず、しかも出自が平民。
いくら自分の娘が十三女でも、平民の娘よりは序列が上になって当然だと。
だが、ベルクシュタイン男爵はもっとよく考えてほしかった。
バウマイスター辺境伯がオイレンブルク家を寄子にする時、そんな他の貴族に攻撃されそうな弱点をいつまでも俺やローデリヒが放置していると思うか?
「ファイト殿の奥方であるマリタ殿ですが、分家筋とはいえ我が兄バウマイスター準男爵の養女ですが、それに何か文句でも?」
「えっ?」
そりゃあ、そういう対策は打つさ。
ブライヒレーダー辺境伯とローデリヒがすぐにそうした方がいいと言ってきたので、マリタさんは形式上だけだが、パウル兄さんの養女になっている。
お互い領地も近いので、婚姻関係を結んで仲良くする事は悪くない。
そのお礼で、ファイトさんはたまにパウル兄さんの領地で農業指導も行っており、これで貸し借りはチャラという事になっていた。
「俺の聞き間違いだと思うのですが、ファイト殿の正妻は義理とはいえ俺の姪なのに、正妻に相応しくないと仰るので?」
「いえ、そんな事は……」
残念、ちょっと考えて聞き流せばよかったのに。
人間、欲のかきすぎはよくないな。
「それで、許可はいただけるのでしょうか?」
「勿論ですよ」
ヘマをしたベルクシュタイン男爵は、えらく卑屈な態度で婚姻の許可を出した。
こうしてファイトさんは、エステルさんという側室を迎えるのであった。
スライムイモの秘密と共に……。
「バウマイスター辺境伯殿、見てくださいよ。このスライムイモの畑を」
ファイトさんとエステルさんが結婚してから二か月後、久しぶりにオイレンベルク領に行くと、そこには広大なスライムイモ畑が広がっていた。
「成長が早いなぁ……」
「スライムイモは、種芋を植えてから二か月もすれば収穫ですから」
その昔、飢饉対策で栽培されていただけの事はあるのか。
その代わり、栄養はほとんどないみたいだが。
「この土地は、痩せすぎていて農作物を作れるまで土を育てるのが面倒な場所なんです。水場からも離れているので、スライムイモにはちょうどいいですね」
「こういう土の方がよく育つんですよ」
ファイトさんと結婚したエステルさんも、彼と一緒に農作業を手伝っていた。
スライムイモはそれほど手間がかからないので、他はマロイモの栽培も手伝っているそうだ。
「マリタと一緒に頑張ってくれていますね。覚えもいいですから」
「私なんてまだまだですよ」
「そんな事はないよ。私はエステルに来てもらってよかったと思っているんだ」
「私も、ファイトさんと結婚できてよかったです」
最初は俺達に謀られて結婚した癖に、この二人はこちらが引くくらい常にイチャイチャしていた。
カチヤは自分の兄の恥かしい姿を見て、自分が顔を赤くさせていた。
「栽培が順調でよかった」
「スライムイモも、近年では誰も食べなくなったので数が減り、今は種イモを増やしているところです。近隣のバウマイスター辺境伯領にある荒れ地で栽培するには、もう少し時間がかかりますね」
「それは焦らないから」
スライムイモ自体はともかく、それから作れる物の情報をなるべく流したくない。
秘密保持のため、慎重に作業をする人間を集める必要がある。
「成長が早いスライムイモは、こんなに大きくなりましたよ」
試しにエステルさんが、栽培中のスライムイモを掘り出してくれたが、その中には直径五十センチを超える巨大なイモもあった。
「育つのが早いなぁ……」
でも、栄養が少なくて味もない。
俺は、もし食料がなくてもこのスライムイモは食べないかもしれない。
「栄養を与えて育てるとどうなるの?」
「イモが大きくならないんですよ。肥料なんてかえって害ですね」
「やっぱり変わったイモだな」
そんな話をしていたら、そこに一つの弾丸が土埃をあげながら着陸した。
そう、今日も王宮筆頭魔導師なのに暇な導師が姿を見せたのだ。
「美味そうなイモである!」
到着するなり、導師はエステルさんが持っているスライムイモを見て美味しそうだと言い始めた。
確かに、見た目だけならイモっぽいので美味しそうに見えなくはない。
「早速、試食するのである!」
そういうと、導師はスライムイモをそのまま火も通さずに食べ始めた。
加熱しても味がないのに、よくスライムイモを生で食べられるな。
「導師?」
「味がしない、水っぽいだけである! 水筒代わりにはいいのである!」
「それなら素直に水筒を持っていきますよ」
「それはそうなのである!」
後世、天然由来で食べられる高吸水性高分子の材料として知られるようになるスライムイモであったが、誰がどのように栽培しても、品種改良をしても味をつける事はできなかった。
荒廃地の土壌改良、水分保湿に使う高吸水性高分子、紙オムツの材料などとして長らく使われていくのだが、食品としての需要はゼリーを固める材料として、ダイエット食品の材料として世間に普及していくのであった。