第1章 第1話 記憶喪失の女の子
こんにちは!
わたしは、咲倉杏花!13歳の中学2年生!!
烏坂中学に通う普通の女の子!と言いたいところだが実はちょっと普通じゃない。
それではどのへんが普通ではないのか・・という問いに答えるのは少し後になりそうだ。
「・・ちこくっ・・!!」
そう、わたしは現在進行形で学校への通学路を全力ダッシュしている。
別に寝坊した訳でも家を出る時間が遅かった訳でもなかった。
ちゃんと、お母さんに行ってきますを言って玄関を出たのだ、時間通りに。
時間通りということは即ち、始業チャイムにギリギリ間に合うという算段での「時間」である。
家を出て歩くこと10分、まさかこの時間から迷子に出くわすとは誰が予想しただろうか。
幸いにも、一緒に探すと約束した母親はすぐに見つかった。
母親と迷子の子の感謝の言葉を笑って返し、ふと思い出したように時計を見ると、「時間」15分オーバーであった。
そして今の猛烈ダッシュに至る。
いつもなら、クロワルがあーだこーだと文句を言いながら「変身」させてくれるのだが、あいにく、今日は連れてきていない。
今日は家に「あの子」がまだ眠っているから。起きた時、混乱しないようにクロワルを残してきたのだ。
「とはいっても、なんでこうなるかなぁ・・」
やっと見えてきた校門に向かって走りながら呟いた。
お前が5分前、10分前行動を心がけるべきなんだよ、といういつものクロワルの悪態が聞こえたような気がした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
始業チャイム2分前、藍崎香澄は1時限目の予習ノートをチェックしていた。
ふと気になって、窓際の後ろの席を見やる。その席の主はまだ学校に到着していないようだ。
「またか・・・」
少し呆れたように呟いた。
廊下側、前の席に視線を移すと案の定、日高菜月がこりゃアカンという顔をしている。
始業チャイムが鳴った。担任の爪川先生が教室にあたふたと入ってきて出席をとりはじめる。
わかってはいたが、「さ」行で出席確認が一旦中断した。
「佐賀翔悟!いるな・・。咲倉杏花!・・・咲倉!いないのか?」
次の瞬間、教室のドアが一気に開いた。
「はい!はい!はーい!!咲倉杏花、いまーす!!」
相当息が荒んでいる。おそらく全力で走ってきたのだろう。
「いまーすって今来たばかりだろうが。今日はおまけしといてやるから、早く席に着け」
爪川先生は慣れたように指示した。
クラス中から笑いが起こる中、苦しい笑いを浮かべながら、杏花は席に着いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ホームルームが終わり、1時限前の休み時間、香澄と菜月は杏花の机の周りに集まっていた。
うだる暑さの中を走って疲れたのか杏花は机の上に両腕を大きく伸ばしてつっぷしている。
菜月はおつかれさん、とばかりに自分の下敷きで杏花の顔をぱたぱた仰いでいた。
「人助けして自分が遅刻しかけてちゃ、世話ないでしょう」
香澄は杏花にそう注意する。
友達はただ都合の良いことを喋って笑い合うだけの存在ではない、というのが専ら彼女のポリシーだった。
ーー彼女は、藍崎香澄は真面目で少し不器用なのである。
香澄のその部分を春の一件でよく知っている杏花は特に気分を悪くすることもなく、だってぇ〜と口を尖らせた。
その隣で菜月はまあまあ、とわらいながら香澄をなだめるそぶりをして、杏花にさっきまで気になっていたことをきいてみる。
「・・それで、「あの子」は?」
それは香澄も気になっていたことだった。
腕組みをといて杏花と向き合う。
「まだ眠ってるよ。相当疲れが溜まってるってクロワルが言ってた。」
杏花はそう答え、無意識におでこをさすりながら昨日の夕方のことを思い返していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
7月16日、つまり昨日の夕方日暮れ前、杏花達3人はいつもの学校からの帰り道を歩いていた。
「そういえば4日後の定期試験の後、夏休みだけどさ!4人でどっか遊びにいかない!?」
菜月はそれとなく言ったつもりなのだが、2人の反応は全く異なるものだった。
片方はそうねぇと笑って返すのにたいして、もう片方は完全にギクッとした顔をしていた。
「・・杏花、あなたもしかして定期試験のこと・・」
香澄があっけにとられたような顔で杏花を見る。
「べっ別に、忘れてたわけじゃないよ!?ただ、もうそろそろかなぁ〜って、でもまさかそんなに迫ってたなんて・・!」
いまや、杏花の顔には汗が浮いていた。
ふと隣をみると菜月が爆笑している。
「それじゃあ、明日と明後日に直前勉強会しない?ちょうど夏休みの予定の話し合いもできるし」
「勉強会・・??」
「そうよ、わからないところは教えるから・・・菜月、あなたもよ。この間の歴史のテストやらかしたでしょ。」
今まで爆笑していた菜月の顔が一気に焦りへと変化する。
「なっなんで、そのことを・・」
「なんでってあなた、テスト返された時に思いっきり、『終わったぁ!!』って叫んでたじゃない」
菜月はぽかんと口を開けた。たぶん、本人は無自覚だったのだろう。
「・・お取り込み中のところ、悪いがね」
突然香澄のかばんからクロワルがとびでてきた。
手のひらサイズのカラスのようでかわいい見た目だが、実はかなりの皮肉屋だ。
春に瀕死になっていた所を助けてくれた香澄以外には、だが。
「公園でプランターが出たぜ」
それを聞いた瞬間、クロワルが次の言葉を言う前に3人は公園に向かって走り出していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
クロワルの力で「変身」し、プランターを退治した後、3人は倒れている女の子に駆け寄った。
小学校中学年くらいのその女の子は目を覚ますと、激しく動揺しているようだった。
一人でプランターに襲われたのだ、当たり前である。
いつもなら、クロワルが記憶を消して普通の日常に帰すのだが、その女の子は「いつも」とは違った。
「『おれ』って誰?」
女の子は自分の名前すら覚えていなかった。
「わかってると思うけど、俺はそいつの記憶にまだ何もしてねぇぞ。」
クロワルがそろそろっと木陰からでてきた。
怪訝そうな表情で女の子を見る。
女の子は突然でてきたクロワルに驚いたのか目をパチパチさせていた。
「お前、本当に何も覚えてないのか?何か知ってることは?覚えていることはないのか?」
それを聞いた女の子は目をパチクリさせるのをとりあえずやめ、一生懸命に記憶を思い出そうとしているようだった。そしてふいに女の子は呟いた。
「『私はかならずこの国に戻ってくる。にんげんよ、絶望せよ』」
それを聞いた瞬間、3人は凍りついた。
『絶望』なんて言葉はこんな小さい子が使うものではなかった。
しかし、3人の反応を見て女の子はあわてて言った。
「あっ、えっとこれはおれがそう思ってるってことじゃなくて、このフレーズが思い浮かんだだけというか、いきなりパッとでてきたというか・・」
クロワルはそんな彼女を横目で見ながら言った。
「こいつはこのままにしておくわけにはいかない。
この公園から一番近いのは杏花の家だったな、こいつをお前の家に運んでもいいか?」
女の子の状況とクロワルのするどい目つきに杏花はただ頷くしかなかった。