友達
山善は表通りにはない。
うちの会社からは微妙に遠いが、お酒好きな人なら高確率で行ったことのあるという隠れた名店だ。
でもお昼時にここまで来る同僚はあまりいない。
聞かれたくない話をするにはちょうどいい。
小上がりの一角に陣取り、日替わりの定食を注文する。かれいの煮付け、いいかも。
食欲が無かったにもかかわらず、歩く内にお腹が鳴っていた。運動は大事だ。
「絵里子、モツ煮じゃないの?」
「飲みたくなるから昼間は我慢するの。和風おろし定食にするわ。」
「愛しのモツ煮さんに呼ばれてたんじゃないの?」と苦笑しながら手を挙げて注文をする。
「好きだからこそ、時には距離を置くことも必要なのよ。」
どこぞの恋愛相談家の助言のようだ。相手モツだけど。
お冷やを飲みながら数瞬の間、無言になる。
「・・・大丈夫なの?」 絵里子が気遣いながら目線を合わせてくる。
「・・・朝はちょっと厳しかった。」 コップを置きながら顔をずらして視線を避ける。
そのままこちらを見てくる絵里子に、何とも言えない感情がよぎる。
心配されることへの感謝、気遣われることへの申し訳のなさ、未だに動揺する自分への不甲斐なさ、会社の人事への不満、元彼への煩わしさ、 、 、
不意に、メールの着信音がした。一言断って携帯を取り出す。
『件名:昼なに食べた?』 思わず口元が緩んだ。
『本文:夕飯作るのに、昼と毛色の違うものがいいかと思って。リクエストとかあれば頑張っちゃうよ~』
・・・なにこれ。話す口調とのギャップがすごい。
そう言えば、音声出力が無ければもっといろいろ出来るのに!って室長さんが言ってたなぁ、と若干遠い目をする。
なんか乙女ゲームのキャラってこんな感じかも、と考えていると、ちょっと、と呼ぶ声がする。
目の前を見ると、悪い顔をしたお姉さんが一人。
「今のメール、彼氏?彼氏よね?彼氏でしょ!なんだーそっかー、心配することなかったー。
ねぇねぇ、かっこいい?優しい?いいなー、リア充いいなー。」
そこで暴走中のお姉さん、あなた婚約者いるでしょ。
「いやいや、両親に紹介はしたけど、まだ結納とかは・・・って私のことはいいのよ、いつから付き合ってるの!?」
ううむ、誤魔化されないか。それより彼氏とか言われるとものすごく違和感があるんだけどなんでだろう。いや、その前にあんまり突っ込まれるとまずい。
「お待たせしました~」
いいタイミングだ、店員さん!
それなりに量があるお膳を黙々と片付けていく。
そうしないと、午後の始業時間に間に合うために満腹を抱えて走る羽目になる。
会社の入り口で脇腹を押さえて痛みを堪える経験はあんまりしたいものじゃない。
早く食べ終わった絵里子が食後のほうじ茶を音無く啜りながら呟く。
「・・・駄目なときは遠慮しないで言うのよ?」
ご飯と香の物を咀嚼しながら目線を上げる。
「私に出来ないことは多いけど、出来ることだって多いんだからね。遠慮とかそう言うのはなし。話したくないことは聞かないから。」
優しい言葉が身体の中に入ってくる。私の負担にならないように、でも“いつでも頼れ”の意味を込めて。
きっと彼女は自分のことなら迷ったりしないだろう。いろんなことを“待っていてくれる”のはみんな私のためだ。
でも、ごめん。私はきっとその“期待”には答えられない。
私の心はまだ、優しい言葉が染み込んでいけるほど柔らかくはなれない。
これは私の弱さ。貴女のように強くは、なれない。
「うん。ありがとう。」
今の私に言えるのは、これだけ。