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敗北

 アイツが自殺した、と聞いたのは今朝のことだ。


 昨晩、駅近のビルから飛び降りたらしい。通りがかった人が救急車を呼んだらしいが、蘇生はあり得ず。即死だったということ。


 授業の前に、先生が真っ青な顔で話してくれた。


 その日の授業はいつもよりさらに手短で、先生は『ご家族と話があるから』とさっさと切り上げられた。宿題の量は多かった。


 保健室に戻る。ベッドに寝転ぶ。横に目をやる。


 もうカーテンを突然開くヤツはいない。俺の本を奪って逃げ回るヤツも、テストの分からなかったところを聞きにくる――にも関わらず、すぐに投げ出しておしゃべりを始めるヤツはいない。


 二度と会えなくなった。


 そうか。


 驚くほど冷静だった。一つも悲しくないから涙は流れない。寂しいと胸が痛むこともない。俺の感想はただ一つ。


「とうとうやりやがった」


 俺も自殺は何度考えたことか。電車の路線に飛び出るか、高いビルの屋上から飛び降りる――ちょうどあいつがそうしたように――俺も死ねる確率が最も高いと思う――か、もしくは教室で首でも吊ってやるか。


 自殺は最後にして最大の手段だ。この世の全ての苦しみから解放される。将来の不安も、家族との不仲も、自分が救われない現実からも――何もかも。


 それがどれだけ幸せか。今後自分が感じるだろう幸福と苦痛とを天秤にかけ、苦痛が重くなるのであれば――最後の手段を実行すべきだ。単純な事、数学――いや算数レベルの問題。


 そうして俺は考えに考えた結果――今の今まで達成できたことはない。その手段の結果、万が一生き残ったら? 傷を負って障害だけ残ったまま、病院で死ぬこともできない寝たきり人生になったら? より重い苦痛を一生味わうことになったら?


 ――やりきれない。生半可な覚悟ではそのリスクを避けられない。自分の全てを絶ち、これからの世界を捨てる勇気が不可欠だ。


 俺にはそれがなかった。ただ漫然と死にたい、消えたいという思いだけが浮かんでは通り過ぎる。そんな毎日だった。


 アイツは恐らく――ずっと覚悟を決めていたのだ。俺と話している間さえ、自分をどう終わらせるかを必死に考えていたに違いない。軽口と冗談ばかり吐いていながら、裏で決死の策略を練り上げていた。


 なんてヤツだ。感服した。俺に無い物を持っていた。それだけでうつバトルは俺の負けだろう。素直に頭が下がる。


 俺は一生の敗者としてこれから生きていかなければならないが、それを憂鬱に思うことはなく、むしろスポーツの真剣勝負に負けたような爽やかさが胸に残った。



 アイツの母親と引き合わされたのはその二日後。


 俺よりずっと背が低くく、たっぷり白髪をたくわえた、やせ細った女の人だった。目が真っ赤に充血して、度々鼻を啜る音が聞こえる。


 先生と少し話した後、俺の方を向き直って、頭を下げてきた。俺も反射的に頭を下げる。


「……娘から話は聞いていました。大変お世話になったということで、ありがとう」


 俺は目を伏せる。どだい感謝されることはしていない。ただ保健室にいた者どうし、言葉を交わしただけ。


 俺は、何もしていません――


 言いかけて、止めた。俺がアイツのことを否定すべきではないと気づいた。でないと母親の心が行く先がなくなる。


 母親は小さなバッグから手紙を取り出し、俺に差し出す。


「娘が――あなた宛に遺した手紙です。要らないかもしれませんが、どうか受け取ってください」


 表に俺の名前が書いてある。俺宛で間違いないだろう。何も言わず受け取った。



 母親が何度も頭を下げながら学校を去った後、俺は保健室に戻り、ベッドの上で胡座をかき、慎重に手紙の封を破った。


 中には折りたたまれたA4の半紙が一枚。こう書かれていた。

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