家庭
相変わらずコイツは授業をボ~っと受ける。小テストの結果も惨憺たるもの。しかし先生は何も注意しない。だって『病気』だから。
コイツはあっけらかんと保健室に戻り、いつも通りバトルを仕掛けてくる……と思ったら。
「そういえば、ウチがうつって分かった理由を話しとらんかったね。教えてあげっちゃ」
自分語りを始めようとする。俺が『聞きたくない』と言うより早く、コイツは口火を切った。
「ウチの家さ、ウチがちっちゃいころからお父さんとお母さんの仲悪かったん。いっつも喧嘩しとった。ホントにうるさかった。夜に二人ともリビングで叫んだりして、ウチの部屋までガンガン響いてきたわ。お陰で寝れん日もちょいちょいあった」
この時既に話の『重さ』を感じた。ここからさらに重くなる。
「たまにひどい時があって、朝にリビングに行くと、椅子が倒れとったり、お皿がバ〜っと割れとったり、壁に穴空いたりしとったんよ。お父さんもお母さんもそれ直さんし。そもそもそんな日はお父さん家からおらんくなっとるし。やからウチが片付けるん。割れたお皿をゴミに出すんは気をつけんといけんよ。新聞でぐるぐる巻きにして、普通のゴミの日には出されんからね」
「……そうか」
生返事しかできない。コイツは続ける。
「一番つらかったんは、よく分からんがにウチが怒られることやったね。ちょ〜っとしたことで怒鳴られたもん。洗濯物裏返してなかったら頭叩かれたし、テストの点悪かったら庭に追い出されたりした。そうそう、お父さんもお母さんも家におらんだから、ウチ一人でご飯作ってお掃除して洗濯までしたんに、帰ったお母さんにめ〜っちゃ怒られた。『肉も野菜も無駄遣いして!』『端っこ全然綺麗になってない! 意味ないこんなんじゃ!』『洗濯物しわくちゃ! 畳む手間増えるだけ!』『何やってんの?! 邪魔!』『意味の無い努力なんて、無駄なんだよ!』なんて……しんどかったなぁ」
コイツは少しの間、遠い目をした。そんな表情今までに見たことがなかった。心からのつらい体験だったのだろう。
俺はいつも手にしていた本を伏せた。コイツと今まで話していて、初めて。
「そうしてウチが中学生になった時――お父さんとお母さんは離婚したんよ。あっけなかったわ。お父さんはさっさとキャリーケースに服とか荷物詰めて、全然振り返らんと家から出てった。お母さんは何も言わんかった。ウチもそんなに悲しいとか思わんかった。むしろ――ホッとしたとこあったよ。『これで夜のうっさい喧嘩無くなる』って。ホントに、お母さんはウチを怒鳴ることも少なくなった。これでハッピーエンド――のはずやったのに、ウチはアカンかったなぁ」
コイツは胸の前で指を組んだ。
「急に学校行けんくなったん。それより部屋出るのもしんどくなった。部屋の外出ようとすると、ズシンって、地球の重力が重くなったみたいに。玄関に行くまでに息切れて、ドッと汗かいて、涙出てきた。吐いちゃった時もある。そんなのが何日も続いてさ。いい加減お母さんが病院に連れてってくれたんやけど」
「最初は内科さん行って、でもお医者さん『分からん』って言うから、あっちこっちのお医者さん行って――もしかしたら精神おかしいってなって精神科さん行ったら、どんぴしゃり。うつなんやって」
「そんで、薬もらうようになって、でも飲んでも全然治らんくて、お母さんもウチのこと気にせんようになってきて――でも学校は行かんなんって思ったから、先生にお願いして、保健室登校ってなったわけ。以上。おもろいやろ?」
コイツはまた笑い出した。何でそんな顔ができる。
「……一つも笑えない。こんな重い話を聞かされて、俺にどうしろってんだ」
「べっつに? うつ友やん、話聞いてほしかっただけよ。『つらかったね』『大変やったね』なんかゆってほしいわけじゃないから。そんなんお医者さんと先生から山ほどゆわれたし。お母さんは――ゆってくれんだけど、まぁいいわ」
「それより、アンタも話してくれんけ。どうしてうつになったかなんて」
俺は視線を泳がせる。
聞きたくなかったものの、聞かせられた内容の対価として、同様に応えなければ不誠実であると感じずにはいられなかった。
俺は重たい唇を開き、つらつらと語った。同級生にいじめられていたこと、あいつらと離れた後も落ち込んだ気持ちは変わらないから、保健室登校を続けているということ。
詳しくは話さないつもりが、一度口にした言葉は止まらず、芋づるのように流れ出た。
コイツは黙って聞いていた。口元こそ緩んでいるが、目は瞬き少なく、しっかと俺を捉えていた。
「……こんな感じだ、俺は。気持ちのいい内容じゃなかったろ」
「いや、おもろかったよ。アンタのことが分かってよかったわ。いじめられとったんね、乙」
「まぁ……いじめがあったのは事実だが、それでうつになったわけじゃない。俺の中に元からうつはあったんだ。いじめでそれが表に出てきただけで」
「ウチらは最初からうつで、ウチはお父さんとお母さんで、アンタはいじめで、自分がうつやって分かったんやね」
「そんなことが無かったら、うつだって気づかなかったら、俺たちは今でも幸せに生きていられたのか」
「ないんやない? 今うつだって分かんなくても、どっか他のタイミングでドカンとうつになるやろ。高校とかの受験とか、大人なってお仕事始めたりしたら、うつポイントでかいと出てくるって。後悔したらあかんよ。ウチらはそんなもんやから」
「うつのために生まれて、うつのせいで死ぬ……分かっているけど、どうも救いようがないんだな」
「そうやね。だから生きるだけいっぱい生きて、死にたい時に死ねるよう頑張ろうね」
何だよ、その励まし方。
失笑。コイツと話していて、まさか俺まで笑う時が来るとは。
コイツは好きじゃない。ものを分かったような口を利くから。それは変わらない。
ただ、全く共感できないこともないんだと、一方的侵略者ではないかもしれないと、コイツの話も僅かながらほんの少し真剣に付き合ってやろうかと、思うようになった。
俺はベッドに寝転んで話を聞いてやり、うつバトルに挑む。それが自然とルーチンになった。




