第9話:弓使いユースと「人間」の距離
「……Now Loading…」
西の森での激闘から一夜明けた、商業都市ログス。
カイは宿屋の硬いベッドの上で、左肩に走る疼きを感じながら目を覚ました。昨夜、エレナの治癒魔法(という名のシステム修復)を拒絶し、市販の安価な包帯と軟膏だけで処置した傷だ。
「…やっぱり……痛いな。」
カイは自嘲気味に笑う。
この痛みは、彼が「役割」を超えて自らの意志で踏み出した証。上書きされる前の、純粋なログ。
食堂へ降りると、そこにはすでに朝食を待つレオンとエレナ、そして——見慣れない男が一人、当然のように席に座っていた。
「お、起きたかカイ! 紹介するぜ、俺たちの新しい仲間だ!」
レオンがパンを口に詰め込んだまま、隣の男を親指で指す。
男は、若草色の軽装に身を包み、背中に長弓を背負っていた。整った顔立ちには、どこか食えない薄笑いが張り付いている。
「よお、測量士の旦那。俺はユース。ギルドで一番の弓の使い手……ってのは自称だけどな。よろしく頼むぜ」
ひらひらと手を振るユースに、カイはステータスを確認した。
PARTY MEMBER JOINED!
[弓使いユース] が仲間に加わりました。
YOUTH : Lv. 10
STR: 8 | VIT: 7 | INT: 12 | LUK: 15
【SKILL】: [精密射撃] [逃げ足の極意]
「……随分と軽薄そうなのが来たな。本当に戦えるのか?」
「おいおい、旦那。俺はこう見えて、逃げるのと隠れるのに関しては『王宮騎士団』にも負けない自信があるんだぜ? ほら、今の旦那の肩の傷だって、俺なら『あ、やべ』って思った瞬間に3キロ先まで逃げてるね」
「自慢するなよ。それから『旦那』はやめろ」
「はいはい、測量士様。……おっと、聖女様、そんなに睨まないでくれ。俺、綺麗な女の人に叱られると、緊張して矢が変な方向に飛んじゃうんだよ」
ユースがエレナにウィンクを飛ばす。エレナは「不潔です」と一刀両断し、聖典で顔を隠した。
「見てくださいカイ様、この方の装備。至る所に泥がついています。昨日、私が磨いて差し上げた野犬の毛並みを見習ってほしいものです」
「エレナさん、あれは洗剤の宣伝じゃないんだから……」
「いいじゃねえかカイ! ユースは索敵が得意なんだ。これで俺たちも、不意打ちで全滅する心配はなくなるぜ!」
レオンが快活に笑う。カイはため息をついた。
確かにユースの合流は、パーティの「4人枠」を埋めるための必然的なイベントなのだろう。だが、ユースが時折見せる、周囲の空気を探るような鋭い視線だけは、他のNPCの「虚無」とは少し違う色が混じっているように見えた。
昼下がり。一行はログスの市場へ買い出しに出た。
賑わう市場。だが、カイの目には、同じ商品を同じリズムで並べ直す商人や、一定の範囲を延々と往復する背景NPCの姿が見えていた。
「……気持ち悪いだろ、ここ」
ふいに隣を歩くユースが、声を潜めて呟いた。
カイは足を止める。ユースの視線は、30分前から一歩も動かずに立ち話をしている二人の婦人に向けられていた。
「旦那も気づいてんだろ? この街、便利すぎて吐き気がするんだ。欲しいと思った時に欲しいものが並んでる。話しかければ、みんな同じような『いいこと』を言う。まるであらかじめ決められた台詞をなぞってるみたいにな」
ユースの言葉に、カイは心拍が上がるのを感じた。
「お前……自分からそんなことを言うのか」
「ああ。俺は卑怯者だからさ。変化がないってことは、死なないってことだ。でもよ、毎日同じ味のスープを飲んで『最高だ』って笑うレオンたちを見てると、たまに怖くなるんだ。俺だけ、別の世界に迷い込んでるんじゃないかって」
ユースが自嘲的に笑う。その瞳には、レオンやエレナには存在しない「孤独」というログが蓄積されていた。
彼はシステムのバグではない。だが、あまりに「敏感」すぎたために、世界の調和から浮き始めている——カイと同じ、観測者の素質を持っていた。
「……ユース。お前、LUK(運)はいくつだ?」
「15だよ。最低だろ? ギャンブルじゃ負け越し、狙った獲物は逃す。ツイてねえ人生さ」
カイは自分の【LUK: 999】を見つめる。
(運が良いから消されない僕と、運が悪いから本質に気づいてしまったお前。皮肉だな……)
「……この世界は、嘘だらけだ。でも、その違和感を忘れるな。忘れた瞬間に、お前はあいつらと同じ『ガワだけの人間』になる」
「ハッ、旦那。あんた、測量士のくせに随分と物騒なことを言うんだな。……気に入ったぜ」
ユースが初めて、テンプレートではない本物の笑みを浮かべた。
だがその瞬間、市場の空が、ほんの数ミリ秒だけ——静止した。
市場の雑踏。
突然、一人の少女が、積み上げられた荷物の下敷きになりそうになった。
荷物の崩落——それは、物理演算の「揺らぎ」によって発生した突発的なイベント。
少女を助ければ、自分たちも怪我を負うかもしれない。効率的に考えれば、叫んで周囲のNPCに任せるのが「正解」だ。
だが。
「……チッ、ツイてねえな!」
毒突いたのは、ユースだった。
彼は「逃げ足の極意」を、逃げるためではなく、少女を救うために発動した。
「ユース!」
カイが叫ぶ。
ユースは目にも止まらぬ速さで少女を抱き上げ、崩れ落ちる荷物の下を滑り抜けた。
重い木箱がユースの足首を直撃し、鈍い音が響く。
「……っつう……! ほら、お嬢ちゃん、あっちへ行け。危ねえだろ」
ユースは少女を放すと、顔を顰めて自分の足首を押さえた。
そこには、システムの「傷」ではなく、生々しい打撲の跡が刻まれている。
「何やってんだお前! 逃げるのが得意なんじゃなかったのか!」
駆け寄ったカイに、ユースは汗を拭いながら笑った。
「言っただろ、旦那。俺は運が悪いんだ。……助けない方が賢いって分かってるのに、身体が勝手に『損』を選んじまった。……これが俺の、一番のバグらしいぜ」
ユースは、レオンのような正義感でも、エレナのような慈愛でもなく、ただの「意地」で、予測モデルにない行動を選択した。
「……バカだな、お前は」
「ああ、最高にバカな弓使いだ。……旦那、測ってくれよ。俺のこの痛み、何センチの価値がある?」
カイは黙って、ユースの足首に手を当てた。
精密測量は必要ない。この一瞬の「無駄な選択」こそが、カイがこの世界で守りたいと願った、唯一の真実だった。
「……計測不能だ。こんな馬鹿げたログ、世界のメモリには収まりきらない」
二人は、駆け寄ってくるレオンとエレナの声を背に、小さな笑みを交わした。
4人のパーティが完成した。
だがそれは、王国の勇者一行の完成ではない。
世界というシステムに抗う、「異物」たちの絆の始まりだった。
[LUK: 999 (Fixed)]
[SYSTEM LOG]: 新規ログ『自己犠牲』を検出。解析不能なノイズとして隔離中。
[World Stability: 97.8% → 97.4%]
「……Now Saving…」




