第7話:祈りのノイズと完璧な聖女
「……Now Loading…」
翌朝、商業都市ログスの宿屋の一室。
カイは、安っぽい羽毛布団を跳ね除け、体を起こした。
窓から差し込む陽光は、昨日と1ルクスも変わらない。
隣のベッドでは、レオンが「むにゃ……魔王め……」と、いかにも勇者然とした寝言をこぼしている。
「……ったく、幸せなやつだな。世界が壊れかけてるってのに」
カイは溜息をつきながら、視界の端に浮かぶステータス・ウィンドウを呼び出した。
KAI : Lv. 4
STR: 12 | VIT: 10 | INT: 15 | LUK: 999 (Fixed)
[SYSTEM LOG]: 世界安定度 98.1%
昨日よりさらに0.1%低下している。
カイは無意識に、昨日エレナが重ねた手の感触を思い出した。あの瞬間、システムが想定した「聖女の定型」は確かに壊れていた。だが、今の彼女はどうだろうか。
一階の食堂へ降りると、そこにはすでに朝食を終えたエレナが、聖典を広げて祈りを捧げていた。
「おはよう、エレナさん。朝から熱心だね」
「あ、カイ様! おはようございます!」
エレナがパッと顔を輝かせる。
その笑顔は、昨夜の運河で見せた歪な微笑みとは対照的に、不自然なほど「完璧」だった。
「見てくださいカイ様! 今朝の祈りで、新しい奇跡を授かったんです! その名も……」
エレナが杖を掲げる。
(システム音:ピコン!)
【NEW SKILL】: [強制浄化] を習得しました。
説明:対象の汚れを0.01秒で分解し、強制的にピカピカにします。
「……強制浄化?」
「はい! これでカイ様のドロドロの測量杭も、レオン様の汗臭い靴下も、一瞬で新品同様です! ほら、カイ様、じっとしていてくださいね!」
「待て、エレナさん。その杖の先が光って——」
「【 輝け、清らかなる世界! 】」
ドォォォォン!
真っ白な光が食堂を包み込んだ。
視界が晴れたとき、カイの測量杭は鏡のように輝き、それどころかカイの着ていたシャツの襟足はピンと立ちすぎて首を絞めんばかりになっていた。
「どうですか! これでMPを消費するたびに、私の肌のツヤも+10%されるんです! 神様って本当に実用的ですね!」
「実用的すぎるだろ。……っていうか、エレナさん、その台詞……」
「え? 何か変でしたか?」
エレナは小首を傾げる。
昨夜の「神様の声に背いて安心する」と言った彼女の面影は、どこにもなかった。
彼女の行動ルーチンが、一晩の『オートセーブ』で再最適化されたのだと、カイは直感した。
「よお、二人とも! 出発の準備はいいか?」
二階からレオンが元気よく降りてくる。
彼は受付嬢のことなど欠片も覚えていない様子で、意気揚々とギルドへ向かおうとする。
ギルドに入ると、そこには案の定、あの受付嬢が立っていた。
「【 お帰りなさいませ、勇者レオン様。……あ、いえ、おはようございます。 】」
彼女の台詞が一瞬だけバグった。
カイはカウンターへ歩み寄り、彼女の目を覗き込む。
「昨日のこと、覚えてるか?」
「【 昨日……? 精算のことでしょうか。はい、記録に問題はありません。 】」
彼女の瞳は、昨日見たようなエラーの瞬きを一切見せない。
完全に、初期化されている。
いや、それどころかギルド全体のNPCが、カイとの間に一定の「距離」を保つように配置されていた。
「レオン、エレナさん。……今日のクエストは中止だ。僕はこの街の『境界線』を測り直す」
「ええっ!? どうしたんだよカイ、せっかく新しい装備も買ったのに!」
レオンが不満げに声を上げるが、カイの決意は固かった。
「嫌な予感がするんだ。……この街の『再レンダリング』が、早まってる気がする」
カイは一人、ログスの北門へと向かった。
そこは、次のエリアへと続くはずの街道だが、今は「大型アップデート待ち」のような深い霧に包まれている。
「測量開始……。座標、固定」
カイは測量杭を地面に叩き込んだ。
[SKILL: 精密測量] を発動する。
彼の視界の中で、美しい夕暮れの街が、無機質なワイヤーフレームの檻へと変貌していく。
そこで、カイは見つけた。
北門の先。道があるはずの場所に、巨大な、物理的な衝突判定の壁がそびえ立っているのを。
「……やっぱりだ。ここから先は『未実装』なんだな」
その時。
背後から、無機質な足音が聞こえた。
「【 ……警告。これ以上の測量は、利用規約に抵触します。 】」
振り返ると、そこには三体の『迷い子の監視者』。
そして、その中心に、感情の抜け落ちた瞳をしたエレナが立っていた。
「エレナさん……? なんでここに」
「【 カイ様。……戻りましょう。神様が、そこから先は『虚無』だと仰っています。 】」
彼女の言葉は、もはや彼女自身の喉から出たものではなかった。
システムが、聖女というインターフェースを介してカイを排除しようとしている。
「……悪いけど、エレナさん。僕は神様の規約なんて読んでないんだ」
カイは測量杭を強く握り直す。
「君が、自分を『設定の塊』だと思い込まされてるなら。……僕が、その『設定』をぶち壊してやる」
カイは逃げなかった。
ステータス∞(無限)の監視者たちがレーザーを構える中、彼は一歩、前へ踏み出した。
「言わせるなよ、エレナさん。……君の本当の言葉を、僕のログから消させやしない!」
カイが地面の座標を無理やり「再定義」した。
バキバキと、世界の表面にヒビが入る。
それは、弱者がシステムに突き立てた、たった一本の楔だった。
「精密補正、発動! 100メートルの仮想自由落下……オーバーライド!」
カイは叫ばない。
ただ、その「事実」を世界に叩きつけた。
「……Now Saving…」




