第6話:世界が強要する「微笑み」
「……Now Loading…」
「見てくれカイ、エレナ! 最高の戦利品だ!」
西の洞窟の最深部。
お約束通りに配置された「豪華な宝箱(金メッキ塗装の低解像度オブジェクト)」を豪快に蹴り開けたレオンが、一本の杖を掲げていた。
「おお、これは……『慈愛の法杖』じゃないか! 聖女であるエレナにぴったりだ。神様は本当に僕たちのことを見ていてくれるんだな!」
レオンの曇りなき眼差しに、エレナが「あはは……」と、プログラムされた通りの愛想笑いを返す。その光景の背後で、カイは静かにため息をついた。
「……レオン、その杖の『慈愛』、ただの固定攻撃力上昇バフだぞ。おまけに、それを持った瞬間にエレナさんの『魅力変数』が+5される代わりに、空腹ゲージの減少速度が1.2倍になる隠しデバフ付きだ。どこが慈愛なんだよ、過労死させる気か」
「カイ様、またそんな難しいことを。でも、ありがとうございます」
エレナが杖を受け取る。その瞬間、彼女の周囲にキラキラとした光の粒子が舞った。
システムが「装備変更イベント」を祝福しているのだ。
「【 装備:慈愛の法杖。聖女の輝きが一段と増しました! 】」
脳内に直接響くアナウンス。
カイは耳を塞ぎたくなった。何から何までが、あらかじめ決められた「演出」で固められている。
一行は意気揚々と(カイだけは泥臭い足取りで)洞窟を後にし、拠点である商業都市ログスへと帰還した。
ログスの街は、夕暮れの設定に切り替わっていた。
空は美しい茜色に染まっているが、雲の形は一時間前から一ミリも変わっていない。
「いやぁ、やっぱり街はいいな! カイ、今夜はギルドの酒場で祝杯をあげよう。エレナの初陣の成功を祝ってな!」
「賛成です! 私、少しお腹が空いてしまいました。カイ様も、行きましょう?」
エレナが上目遣いでこちらを見る。杖の隠し効果のせいか、その仕草さえも「男性プレイヤーに媚びるための最適化」がなされているように見えて、カイの胸の奥がチリりと痛んだ。
「……ああ、分かったよ。ただし、酒場の『本日の特製シチュー』は頼むなよ。あれ、満足度数値は高いけど、後味のテクスチャが完全にプラスチックだからな」
三人は軽快な(あるいは計算された)足取りで、冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの重厚な扉を開くと、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。
談笑する冒険者たち(背景アセット)。
依頼書を眺める戦士たち(ループアニメーション)。
そして、カウンターの奥でいつものように、完璧な、あまりにも完璧な微笑みを湛えて立っている彼女——。
「【 お帰りなさいませ、勇者レオン様。西の洞窟の調査、お疲れ様でした。 】」
ギルドの受付嬢。
彼女が口を開いた瞬間、カイの『測量眼』が嫌な反応を示した。
彼女の座標。彼女の発声タイミング。そして、彼女の視線の角度。
昨日と、1分1秒の狂いもなく一致している。
「ああ、聞いてくれよ! エレナがすごい魔法を撃ったんだ。カイの不思議な指示もあって、監視者を一撃で……」
「【 それは素晴らしいですね。勇者様のパーティに相応しい活躍です。 】」
受付嬢は、レオンの話を半分も聞かずに、あらかじめ用意された「称賛のスクリプト」を返した。
その時だった。
カイは、彼女の瞳の奥、一瞬だけ「エラー」のような激しい瞬きを見た。
(……なんだ?)
カイは無意識に、カウンター越しに彼女の手元を『測量』した。
彼女の指が、書類を整理するルーチンワークの途中で、わずかに震えている。
「……なあ、あんた。さっきから同じことしか言ってないけど、体調でも悪いのか?」
カイがぶっきらぼうに問いかけた。
レオンが「おい、カイ。レディに失礼だぞ」と窘める。
しかし、受付嬢の反応は異質だった。
「【 体調……? はい、私はいつでも…… 】」
彼女の言葉が途切れる。
空気が、凍りついた。
ギルド内のNPC全員が、同時に動きを止め、首を直角に曲げてカイの方を向いた。
数ミリ秒のフリーズ。世界の処理が、カイの「スクリプト外の質問」に対して、解答を生成しようとフル回転している音が、カイの耳には聞こえた。
「……あ、あはは。申し訳ありません、カイ様。……少し、……使いすぎた、みたいで」
受付嬢が、ふっと「人間らしい」声を出した。
それは、システムが用意した定型文ではない。
彼女の頬を、一筋の、冷たい汗が伝う。
「……使いすぎた? 何をだよ」
「【……Cランク……測量士…… 】」
彼女が、掠れた声で呟いた。
その瞬間、カイの脳裏に、かつてここに初めて来た時の、微かな「記憶の残滓」が閃いた。
彼女は、あの時もこうして僕のステータスを見て、微笑んでいたはずだ。
「……あんた、まさか」
「【 さあ! 報酬の精算を行いましょう! 】」
突如、彼女の表情が「初期化」された。
先ほどの人間味のある影は消え、再びプラスチックのような、完璧な受付嬢の笑顔に戻る。
その笑顔は、あまりにも明るすぎて、かえってホラー映画のような不気味さを放っていた。
「【 今回のクエスト報酬は、300ゴールドと…… 】」
「……もういい。精算はレオンに任せる」
カイは背を向け、ギルドを出た。
追いかけてくるエレナとレオンの声も、今はノイズにしか聞こえなかった。
夜のログス。
カイは一人、街の外れの運河沿いに座り込んでいた。
測量杭で地面を叩くと、空洞のような音が返ってくる。
この世界は、皮を剥けば中身は何もない。
「……カイ様」
静かな足音。エレナだった。
彼女は、レオンが酒場で騒いでいる隙に抜け出してきたらしい。
「あの受付嬢さん……。私、なんだか、他人事とは思えなかったんです」
エレナがカイの隣に座る。
彼女の持つ『慈愛の法杖』が、月光を反射して冷たく光っていた。
「彼女の笑顔。……あれ、本当はすごく『痛そう』でした。……私、分かります。神様の声を聴きすぎて、自分の声がどこにあるか分からなくなる時の、あの感覚……」
「…………」
「カイ様は、彼女の『ズレ』を測ったんですよね? だから、彼女は一瞬だけ、自分に戻れた」
エレナの言葉に、カイは自嘲気味に鼻を鳴らした。
「戻れたんじゃない。僕が無理やり、システムの裏側を覗いただけだ。……あいつは、ただのNPCだ。明日になれば、僕との今の会話だって忘れて、また同じ笑顔で『お帰りなさいませ』って言うんだ」
「それでも…」
エレナが、カイの測量杭を持つ手に、自分の手を重ねた。
温かい。
洞窟で感じた時よりも、ずっと確かな温もりだった。
「たとえ明日、すべてが書き換えられても。……今、彼女が流した汗も、私がこうしてカイ様の隣にいることも。……この『ログ』だけは、私たちが持っていればいいんですよね?」
エレナの瞳は、今度こそ真っ直ぐにカイを捉えていた。
その瞳には、どんな聖なる魔法よりも力強い、生きた人間の意志が宿っているように見えた。
「……ああ、そうだな。……誰にも上書きさせない。僕が全部、測って記録してやるよ」
カイは、彼女の手を握り返すことはしなかった。
ただ、その温もりを忘れないように、自分のステータスの端に、見えないログを書き込んだ。
「さて、戻るか。そろそろレオンが酒場で誰かと決闘を始めてる頃だ」
「ふふ、そうですね。行きましょう、カイ様」
二人が歩き出す。
その頭上、ログスの空には、今日も不自然なほど大きな月が浮かんでいた。
だが、その月の表面を測量したカイは、気づいてしまう。
月のクレーターの一部が、さっきよりも微妙に「変形」していることに。
世界が、何かの負荷に耐えかねて、少しずつ歪み始めていることに。
[LUK: 999 (Overflowing...)]
[World Stability: 98.4% → 98.2%]
「……Now Saving…」




