第5話:最初の試練と「当たり判定」
「……Now Loading…」
商業都市ログスから西へ歩いて数分。
そこには、あまりにも「おあつらえ向き」な洞窟が口を開けていた。
岩肌のテクスチャは入り口付近だけ丁寧に描き込まれ、奥に進むにつれて不自然なほど滑らかなポリゴン状の壁へと変わっていく。
「さあ、ここが神様の示した試練の地『残響の空洞』だ! 気を引き締めていこう!」
レオンが意気揚々と剣を抜き、先頭を切る。その背中には一切の迷いがない。
彼にとって、この「初見のダンジョン」は、攻略本をなぞるように確実な成功が約束されたイベントに過ぎないからだ。
「……ねえカイ様。少し、寒気がしませんか? なんだか、空気が止まっているような……」
エレナが法衣の袖を握りしめ、カイの隣に寄ってきた。
彼女の顔色は、ログスの街にいた時よりも青白い。それは演出としての「恐怖」ではなく、処理の重いダンジョンデータに脳が圧迫されている、生々しい「酔い」のようにカイには見えた。
「大丈夫だよ、エレナさん。空気なんて最初から流れてない。……ほら、あそこを見てな。30秒に一回、天井の岩から全く同じ形の雫が落ちてる。あれ、ただのループアニメーションだから」
「るーぷ……? カイ様は、時々難しいことを仰るのですね」
エレナは困ったように微笑む。
だが、その微笑みが完成する直前。
洞窟の奥から、複数の、しかし完全に同期した足音が響いてきた。
「【 敵影を確認。戦闘態勢に入ります! 】」
レオンの叫びと同時に、視界がフラッシュした。
現れたのは、三体の『迷い子の監視者』。幾何学的な模様が浮かぶ、巨大な浮遊する単眼だ。
「エレナ、援護を! カイ、死ぬなよ!」
「言われなくても、死ぬほど運はいいんだよ僕は!」
レオンが監視者の一体に斬りかかる。
聖剣もどきの輝きが洞窟を照らすが、監視者の動きは異様だった。奴らは物理法則を無視した慣性ゼロの挙動でレオンの剣をかわし、正確なレーザー光線を放ってくる。
「くっ、速い! 攻撃が当たらない……!」
「レオン、無理に振るな! ……エレナさん、神様の声を無視して、僕の言う『点』を見てくれ」
カイは巻尺を腰から引き抜き、地面に突き刺した。
眼前の光景が、測量士の視界——『ワイヤーフレーム』へと書き換わる。
[SKILL: 精密測量(ヒットボックス視認)]
対象:迷い子の監視者
解析:描画サイズと攻撃判定の乖離を検出。
修正:座標(X:142, Y:89, Z:22)に「手抜きデータ」の隙間を確認。
「……やっぱりだ。こいつら、見た目はデカいけど、当たり判定(実体)は中心の核しかない」
カイは皮肉げに口角を上げた。
監視者の巨大な目玉の端を、レオンの剣が通り抜ける。本来なら斬れているはずの距離だ。しかし、システム上の「判定」がそこに存在しないため、ダメージは発生しない。
「エレナさん、あの監視者の『右下』。何も無い空間を狙って、聖なる光を撃ち込んで!」
「えっ? ですが、そこには何も……」
「僕を信じろ! 座標は僕が固定する!」
カイが測量杭を虚空に突き出す。
『世界定義者』の片鱗——まだ名前も持たない力が、監視者の座標をその場に「ピン留め」した。
「……は、はい! 【 聖なる光 】!」
エレナが放った光の弾が、監視者の本体から大きく外れた「何もない空間」を直撃した。
その瞬間。
(システム音:ガギィィィィィン!)
「ギギッ……!?」
何もないはずの空間で、火花が散った。
ダメージを受けた監視者の体が激しくノイズを発し、血の代わりに「0」と「1」のバイナリデータを撒き散らしながら爆散した。
「あ……当たった? どうして……」
「見た目に騙されちゃダメだ、エレナさん。この世界は『もっともらしく見せている』だけの欠陥品なんだ。……レオン! 残りの二体、左斜め45度。奴らの影の『先端』が本体だ。そこを叩け!」
「よく分からんが、お前の測量を信じるぞ! おおぉぉ!」
カイの指示通り、レオンがデタラメな方向へ剣を振り抜く。
空振りにしか見えない一撃が、次々と監視者たちを「消去」していった。
[BATTLE CLEAR!]
EXP: +120
KAI: Lv.3 → 4
STR: +1 | LUK: +99 (Fixed)
「ふぅ……。カイ、お前やっぱり天才だよ! あの動き、どうやって見切ったんだ?」
レオンが興奮気味に剣を収める。
カイは膝をつき、激しい息を吐いた。
「天才なもんか。……ただ、この世界の『手抜き』を測っただけだ。……ったく、こんな序盤のザコからしてこれかよ」
カイは震える指先で、地面の土を掬った。
土の感触。重み。
それすらも、指に触れた瞬間に「土という概念」が脳に直接書き込まれているだけの電気信号に思えてくる。
「……カイ様、お顔の色が……」
エレナがそっと、カイの肩に手を置いた。
その手の温もり。
カイは一瞬、それを振り払おうとして——踏み止まった。
もし、この温もりすらも計算された「設定」だとしたら。
もし、彼女が今、僕を心配してくれているこの感情すらも、パーティメンバーとの「好感度イベント」の自動発生だとしたら。
だが。
カイはエレナの瞳を見た。
そこには、ログスでの「神託」を受けた時の無機質な光はなかった。
自分の放った光が、あり得ない場所で敵を討ったことへの、純粋な驚きと困惑。
それは、AIが想定した「聖女の完璧な勝利」とは明らかに異なる、不確定な感情の揺らぎだった。
「……エレナさん。さっきの攻撃、神様はなんて言ってた?」
「え……。神様は……『失敗です。座標を修正してください』と、頭の中で叫んでおられました。でも……」
エレナは俯き、自分の手を見つめた。
「でも、私の心は……カイ様の言葉に従った時の方が、ずっと『正しい』気がしたんです。……変ですね。神様の言葉に背いて、安心するなんて」
エレナが自嘲気味に微笑む。
その微笑みは、まだどこか不自然だが、ログスで見た「貼り付けた笑顔」よりは、ずっと人間臭い歪みを持っていた。
「……いいんだよ、それで。神様なんて、所詮はこの世界の管理者だ。……僕たちの人生の測量図は、僕たちが書き込むもんだ」
カイは立ち上がり、泥を払った。
熱い名言なんていらない。
ただ、この少女の「バグ」を守りたいと思った。
システムが「失敗」と断ずるその違和感こそが、彼女がこの世界で「生きている」唯一の証拠だからだ。
「よし、行こう。奥に宝箱があるはずだ。どうせ中身は『薬草』か『錆びたナイフ』だろうけどな」
「わあ、カイ様! それは楽しみですね!」
エレナがパッと顔を輝かせる。
その過剰なまでの「喜びのリアクション」に、カイは少しだけ毒気を抜かれた。
「……おい、レオン。そんなに宝箱を蹴るな。オブジェクトが壊れてフリーズしたらどうするんだ」
「ははは! 丈夫な箱だなあ、これ!」
賑やかに行く仲間たちの背中を見ながら、カイは測量杭を握り直す。
この洞窟の先に待ち受けているのは、きっともっと酷い「作り物」の光景だろう。
だが、その一つひとつを測り、暴き、ログに残してやる。
いつかこの世界が「上書き」されるその日まで。
僕たちだけの不器用な足跡が、この座標に刻まれていたことを、管理者に見せつけるために。
「……Now Saving…」




