第30話:座標外の遺言
第30話:座標外の遺言
「……Now Loading…」
視界を埋め尽くしていた漆黒のノイズが、砂嵐のように引いていく。
カイが次に目を開けた時、そこは商業都市ログスの喧騒でも、先ほどまでの地獄絵図でもなかった。
見渡す限り、何もない。
空はどんよりとした灰色で、足元にはテクスチャの貼られていない、のっぺりとした白い大地が無限に広がっている。
ただ一つ、カイの目の前に、「それ」は突き刺さっていた。
「……これ、は」
古びた、しかし見覚えのある測量杭だ。
先端はひどく摩耗し、柄には無数の傷が刻まれている。カイが今手に持っている支給品の杭とは違う、使い込まれた「本物」の重みがそこにはあった。
カイがその杭に触れようとした瞬間、周囲の空間が微かに歪み、一人の男の背中が浮かび上がった。
陽炎のように揺らめくその姿は、カイと同じ測量士の服を纏っている。
『――もし、これを観測している者がいるなら、君は「ズレ」に耐えきったということだ』
男の声は、頭の中に直接響いてきた。
『私の名はロラン。君と同じ、この世界の座標を測り続けた男だ。……いや、「先代」と呼ぶべきかな』
「ロラン……。あんたが、各地に杭を残していた主か」
カイの問いに、映像の中の男は答えない。これは過去に記録された「遺言」なのだ。
『君も気づいているはずだ。この世界は、効率と最適化のために、私たちの「生」を削り取っている。魔王を倒せば世界が救われる? 笑わせるな。それはシステムが新しい物語を回すための、単なるリセットボタンに過ぎない』
ロランの映像が、ノイズと共に激しく乱れる。
『私は、世界の果てを測量した。そこには神も希望もなかった。あるのは、ただの「演算」だ。……だが、一つだけ、奴らにも消せないものがあった』
ロランが地面に突き立てた杭の周囲に、無数の数字が溢れ出す。それは世界のソースコード、あるいは座標の歪みの記録だった。
『無駄だと思える時間。効率を無視した感情。……君が仲間と交わした、台本にない会話。それこそが、この世界を「現実」に繋ぎ止める唯一の錨だ。……カイ、君にこの座標を託す。世界の「外」へ至るための、一点の曇りもない真実の数値を』
映像が弾け、カイの脳内に膨大なデータが流れ込んできた。
それは、この空間の「参照範囲外(Out of Reference)」を示すポインタ。システムが管理を放棄した、しかし確実に存在する「余白」の場所だった。
「……Now Saving…」
再び、世界が急激に色を取り戻す。
耳を劈くのは、風の音と、レオンの焦燥に満ちた叫び声だった。
「おい、カイ! しっかりしろ! 急に意識を失って……」
気づけば、カイはログスの街の裏路地で、レオンに肩を揺さぶられていた。
隣ではエレナが心配そうに祈りを捧げ、ユースが周囲を警戒している。
「……ああ、大丈夫だ。ちょっと、長いロードを挟んだだけだよ」
カイはふらつく足で立ち上がり、手の中の測量杭を見つめた。
支給品の杭。しかし、その持ち手には、先ほど見たロランの杭と同じ場所に、一筋の深い傷が刻まれていた。
「レオン、エレナ、ユース。……聞け」
カイの声は、かつてないほど低く、重い意志を孕んでいた。
「魔王を倒しに行くのはやめだ。……いや、倒す必要はあるけど、それは『世界を救うため』じゃない。僕たちの人生を、これ以上上書きさせないためだ」
「カイ……? 何を言ってるんだ?」
レオンが困惑の表情を浮かべる。無理もない。彼には、「魔王討伐=正義」という定義が深く刻まれているのだから。
「今から、世界の『外側』を測りに行く。……そこに行けば、たぶん、二度と王道な冒険には戻れない。レベルも、ステータスも、誰も保証してくれない場所にね」
カイは皮肉っぽく笑った。
「どうする? 決まったセリフを喋り続けるだけの『人形』でいるか、それとも、報われないかもしれないけど『自分の足』で歩くか。……選ばせてやるよ。YESか、はい、じゃなくてね」
カイの目の前に、透明な選択肢のウィンドウが表示される。
そこにはシステムが用意した【はい / YES】の文字が並んでいたが、カイはそれを無視し、ウィンドウそのものを測量杭で叩き割った。
沈黙が流れる。
レオンは、自分の震える手を見つめた。
ユースは、先ほど思い出した「死の記憶」を反芻するように奥歯を噛み締める。
そしてエレナは、空を見上げた。神の使いであるはずの彼女の瞳には、エラーの明滅ではなく、静かな決意の光が宿っていた。
「……損な役回りだな。でも、カイ。お前がそう言うなら、そこには『面白いズレ』があるんだろ?」
ユースが真っ先に口を開いた。彼の言葉は、もはや台本通りの軽薄なものではなかった。
「私は……神の声に従うのではなく、今、隣にいる方の声を信じたいと思います」
エレナが杖を握り直す。
「……わかったよ、カイ。俺は勇者だ。なら、世界が用意した道じゃなく、仲間が信じた道を進むのが、俺の正義だ」
レオンが聖剣を抜く。その刀身には、システムの補正ではない、彼自身の魂の輝きが宿っていた。
「……よし。脳筋どもめ、後悔しても知らないからな」
カイは背を向け、歩き出した。
ロランから託された座標。世界の「綻び」を目指して。
その時、空の果てから、ノイズ混じりの冷たい声が響いた。
『――観測、完了。……検体カイによる、重度の論理エラーを確認。……これより、世界全体の「聖域アーカイブ」への強制同期を開始します』
世界が、黄金色の夕暮れに染まっていく。
それは美しく、しかし呼吸を止めるほどに不気味な、「修正」の始まりだった。
「……Now Saving…」




