第2話:ルシード村の安寧
「……Now Loading…」
「……ねえ、レオン。さっきから思ってたんだけど」
森の小道を歩きながら、カイは手元の真鍮製測量杭を弄び、背後を振り返った。
そこには、今しがた出たばかりの『始まりの村:ルシード』が、絵画のように美しく佇んでいる。
「なんだい、カイ?」
「あの村、近すぎない? もう二十分は歩いてるはずなのに、教会の屋根の大きさが一ミリも変わってない気がするんだ」
レオンは歩みを止め、不思議そうに瞬きをした。
「ははは、何を言ってるんだい。一生懸命歩けば、景色なんてそんなものさ。それより見てくれ、この澄み渡った空を! 冒険の始まりに相応しい、最高の青じゃないか!」
「いや、空の話はしてない。距離の話をしてるんだ。僕の歩幅は1歩約70センチ。20分で約2000歩。理論上、村からは1.4キロ離れているはず。なのに、あの教会の見え方は、せいぜい200メートル先にある時のそれだ」
カイは巻尺をシュルリと引き出し、空中に固定した。
精密測量スキル――発動。
[SKILL: 精密測量]
対象:ルシード村・中央教会
現在距離:256m
……Error: 座標の重複定義を検出。
「……ほら見ろ。256メートルだってさ。20分歩いてこれかよ。僕の足は、実はルームランナーの上でも走らされてるのか?」
「るーむらんなー? 君は時々、本当に面白い冗談を言うね!」
レオンは豪快にカイの背中を叩いた。その衝撃で、カイのHPが1削れる。
「痛っ! ちょ、おまっ……。勇者の腕力でCランクの背中を叩くな! 死ぬぞ!」
「おっと、すまない。でもカイ、そんな細かいことはいいじゃないか。僕たちは今、世界を救う第一歩を踏み出したんだ。小さなズレなんて、この高鳴る鼓動の前には無意味さ!」
レオンは腰の剣を高く掲げ、太陽の光を反射させた。
そのあまりにも「王道」な輝きに、カイは深い溜息をついた。
「鼓動で距離は測れないんだよ、レオン。……まあいい。どうせ僕の言うことなんて、この世界の『仕様』には届かないんだろうし」
皮肉を吐き捨てながらも、カイの目は鋭く周囲を観察していた。
木々の配置。草花の揺れ方。そして、レオンの影。
それらは、あまりにも「美しすぎた」。
自然界には必ず存在するはずの「無駄な不揃い」が、この場所には一切存在しない。
しばらく進むと、森の植生が急に変化した。
それまでは明るい広葉樹林だったのが、ある一線を境に、重苦しい針葉樹が壁のように立ち並んでいる。
「ここが西の森の深部だ。ここを抜ければ、商業都市ログスへの街道に出る」
レオンの顔が、少しだけ引き締まった。
「ここからは魔物も強くなる。カイ、僕の後ろにいてくれ」
「言われなくてもそうするよ。僕は自分の身の程を測ることに関しては、世界一の自信があるからね」
カイはレオンの背中に隠れるようにして、針葉樹の隙間へ足を踏み入れた。
――その瞬間。
「……え?」
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
万華鏡を覗き込んだような色彩の反転。
平衡感覚が消失し、胃の底からせり上がるような不快感が襲う。
気づくと、カイは立っていた。
爽やかな風。心地よい葉の音。
目の前には、絵画のように美しい、ルシード村の教会の屋根。
「……戻ってる」
カイは呆然と呟いた。
隣には、同じように驚いた顔をしているレオンがいる。
「おや? おかしいな、道に迷ったかな。もう一度行ってみよう!」
レオンは迷いなく、再び森の奥へと走り出した。
二度目。
やはり、針葉樹の境界を越えた瞬間に、景色はリセットされた。
三度目。レオンが「不思議だねぇ」と笑いながら戻ってくる。
「……おい、レオン。これ、道に迷ってるんじゃない」
四度目の「リセット」を終えたところで、カイは地面に膝をついた。
猛烈な吐き気がする。世界が自分を拒絶しているような、生理的な嫌悪感だ。
「どういうことだい、カイ?」
「ここ、行き止まりなんだよ。物理的な壁はないけど、システム的な……いや、論理的な行き止まりだ」
カイは震える手で測量杭を取り出すと、目の前の「見えない境界線」に向かって力一杯投げつけた。
杭は空中でパキン、と乾いた音を立てて弾き飛ばされた。
何もないはずの空間に、一瞬だけ、デジタルノイズのような赤い火花が散る。
「……ほら。見ろよ。これのどこが『澄み渡った空』なんだよ」
カイの視界には、空中に浮かぶ巨大な警告文が見えていた。
[NOTICE]
これより先は「商業都市ログス編」のフラグ未達成のため、進入できません。
[QUEST: 村の守備隊長に報告せよ] を完了してください。
「見えない壁……。僕たちは、この小さな箱の中に閉じ込められてるんだ。魔王を倒す旅? 笑わせるなよ。まずはこの『見えない檻』から出ることすら、許可制なんだ」
カイの声は冷たく、そして少しだけ震えていた。
「カイ……」
レオンが、いつになく真剣な表情でカイを見つめていた。
彼は、カイが見ている「警告文」は見えていないはずだ。それでも、カイの絶望だけは伝わっているようだった。
「ごめんよ。僕が頼りないばかりに、君に不安な思いをさせて。でも、僕は諦めない」
「諦めないって、何を。これは根性でどうにかなる壁じゃないんだよ。座標そのものが遮断されてるんだ」
「座標とか、難しいことはわからない。でも」
レオンは一歩、その「見えない境界」に向かって踏み出した。
透明な壁に阻まれ、彼の体はそれ以上進めない。だが、レオンは力一杯、壁を押し始めた。
「勇者の役割だとか、そんなの関係ない。僕は、君と一緒に新しい世界を見に行きたいんだ。そのためなら、この得体の知れない空気だって、力ずくでこじ開けてみせる!」
「無駄だって……」
「無駄じゃない! ほら、カイ! 見てくれ!」
レオンの腕に、血管が浮き出る。
ミシミシ、という音が響いた。
それは物理的な音ではない。世界のコードが、想定外の負荷に悲鳴を上げている音だ。
「……っ、バカかよ」
カイは、その光景に言葉を失った。
効率を、最適化を、役割を押し付けてくるこの世界において、レオンの行動は「最も非効率な無駄」だった。
逃げればいい。別の道を探せばいい。あるいは、あてがわれたクエストをこなせば済む話だ。
なのに、この金髪の「勇者役」は、正解でもない、評価もされない、ただの「抵抗」を選んでいる。
(……僕は何を測ってるんだ)
カイは自分の巻尺を見た。
距離を測り、ズレを暴き、絶望する。それが自分の役割だと思っていた。
だが、目の前で抗うレオンの背中。その「無謀な意志の熱量」だけは、まだ一度も測ったことがなかった。
「……チッ。どうせ一回死んだようなもんだしな」
カイは立ち上がると、レオンの隣に立った。
「カイ? 危ないよ、下がって――」
「黙ってろ脳筋。測量士には測量士の、『バグの突き方』があるんだ」
カイは測量杭を手に取り、レオンが押している空間の、最も負荷がかかっている一点を見定めた。
精密測量。
いや、今の彼が求めたのは、ただの数値ではない。
この世界の「ルール」と、レオンの「意志」。その二つがぶつかり合い、火花を散らしている『座標の綻び』。
(そこだ……!)
「レオン、三秒後に全力で踏み込め! 三、二、一……今だ!」
カイは測量杭を、空間の「継ぎ目」に力一杯叩き込んだ。
「精密補正」による一点集中。
レオンの馬鹿げた筋力。
パリンッ!!
ガラスが割れるような凄まじい音が響き、視界を覆っていた「見えない壁」が、光の破片となって霧散した。
[CRITICAL ERROR]
不適切なフラグ通過を検知。
シーケンスを強制進行します……。
猛烈な突風が吹き抜け、二人の体を飲み込んだ。
次にカイが目覚めたのは、硬い石畳の上だった。
鼻をつくのは、馬の匂いと、大勢の人々の喧騒。そして、焦げたような機械油の香り。
「う、うぷ……。今度はなんだ……」
「……すごい。カイ、見てくれ!」
隣で声を弾ませるレオンに従い、カイは顔を上げた。
そこには、ルシード村とは比べ物にならないほど巨大な、石造りの街並みが広がっていた。
空を貫くような時計塔。ひしめき合う露店。そして、数え切れないほどの人、人、人。
「……商業都市、ログス」
カイは呟いた。
クエストも、守備隊長への報告も、全てをスキップして、彼らは「次のステージ」へと辿り着いたのだ。
だが、カイの目は笑っていなかった。
足元の石畳を測量する。
「3.14メートル……」
やはり、数値は完璧すぎる。
そして、すれ違う人々の顔。
その八割が、まるでコピーしたかのように似通った、無個性な「背景」であることに、カイだけが気づいていた。
「……突破したと思ったのに。結局、もっと大きな箱の中に放り込まれただけか」
カイは独り言のように毒づいたが、その表情には、先ほどまでのような絶望はなかった。
右手の測量杭には、先ほど「壁」を砕いた時の、微かな感触が残っている。
「行こう、カイ! まずはギルドだ。そこで仲間を探そう!」
「……ああ。せいぜい、僕のLUK値が仕事をしてくれることを祈るよ」
カイは、自分のステータスウィンドウを閉じた。
その端で、一瞬だけ [Warning: 観測者の自覚を検知] という赤い文字が躍ったが、彼はそれに気づかないふりをした。
不自由で、書き換えだらけの世界。
その中で、唯一「上書き」できない自分の意志を、カイは初めて意識し始めていた。
[Now Saving...]




