第19話:履歴の杭
第19話:履歴の杭
「……Now Loading…」
視界が、暗転する。
足元の石畳が、まるで情報の海に溶けるようにその輪郭を失っていく。アルベリクが広げた漆黒の翼から零れ落ちる影は、物理的な暗闇ではない。それは世界の「存在定義」が剥奪された、ただの空虚だ。
「……あ……が……」
エレナが膝をつく。彼女の身体が、古い映像のようにノイズを走らせ、透け始めていた。
アルベールが叫びながら杖を振るうが、放たれた光弾はアルベリクに届く手前で、まるで最初から放たれていなかったかのように「消滅」した。
「……計算が……合わない……。魔力出力は正常、発動も正常……なのに、なぜ『無かったこと』にされるのだ……!」
「演算順位が違うんだ……!」
カイは鼻血を拭う余裕もなく、測量杭を強く握りしめた。
カイの眼には、アルベリクを中心とした半径10メートルが、完全に世界の法則から切り離された「領域」へと書き換えられているのが見えていた。
この領域内では、アルベリクが「当たる」と定義すれば当たり、「消える」と定義すればすべては消える。勇者の剣も、聖女の祈りも、この無敵のロジックの前ではただのエフェクトに過ぎない。
「測量士……。……君のログを……回収する」
アルベリクが、感情の消えた声で宣告した。
彼が黒剣を振り上げる。その予備動作は一切ない。
「振り下ろされた」という結果だけが、次の瞬間に上書きされる。
(――死ぬ。いや、デリートされる)
カイの脳が、極限状態で高速演算を開始した。
まともに戦えば勝てるはずがない。こちらが1歩進む間に、向こうは世界の座標を書き換えて100歩先に到達する。
逃げ道はない。防御も意味をなさない。
なら、どうする?
「……ふっ、……はは。……やってくれるよな。理不尽すぎる」
カイは皮肉な笑みを浮かべた。
恐怖はない。ただ、圧倒的な不快感があった。
目の前で、かつての英雄だった男が、意思も誇りも剥ぎ取られて「消しゴム」代わりに使われている。その残酷さが、カイの胸の奥にある「泥臭い執念」に火をつけた。
「レオン! アルベール! エレナ! 僕から離れるな!!」
カイは一歩踏み出し、地面へと測量杭を突き立てた。
それは攻撃でも、防御でもない。
ただの、測量だ。
「【測量:履歴固定】!!」
(システム音:ピーーーー!)
カイの脳内に、激痛と共に真っ赤なエラーメッセージが奔流となって流れ込む。
杭から放たれた青い光の線が、崩壊し始めた司令室の床、壁、そして仲間の足元へと次々に突き刺さり、繋ぎ止めていく。
「カイ!? 何をしてるんだ、そんなことしてたらお前――!」
「黙って見てろ! ……僕は、今のこの場所を……こいつらが生きてるこの1秒を……! 『未確定』になんて、させない!!」
カイが行っているのは、この瞬間の全座標の「静的保存」だった。
セカイがどれほど上書きしようと、カイが「ここに彼らがいた」というログを杭を通じて世界に縫い付けていく。
CRITICAL ERROR!
LUK VALUE: 820 → 750 → 680...
SYSTEM OVERLOAD!
カイの運が、代償として凄まじい勢いで削り取られていく。
だが、その瞬間。
振り下ろされたアルベリクの黒剣が、レオンの頭上で「止まった」。
「……!? ……干渉、不可能。……対象の座標が……固定されている?」
アルベリクの無機質な声に、初めて困惑のノイズが混じる。
上書きしようとしても、カイが「不変」として定義し続けるデータがコマンドを弾き返していた。
「……はぁ……はぁ……。……見たか……。……どれだけ偉そうにコードを叩いたって……測量した『事実』は、消せないんだよ……!」
カイは血を吐きながら、不敵に笑った。
杭を握る手は震え、視界は半分以上がバグに侵食されて欠落している。
1秒、座標を維持するだけで、魂が削られるような負荷がかかる。
しかし、その「ヒビ」こそが、反撃の糸口だった。
「……アルベリク……さん。……あんた、さっき言ったよな。……『逃げろ』って。……あれはスクリプトじゃない……あんたの、本当の言葉だったんだろ……?」
カイの問いかけに、アルベリクの漆黒の仮面の下で、光が明滅した。
セカイの制御と、カイが固定した「英雄のログ」が、その内側で激しく衝突を起こしている。
「あ……が……。……せ……い、ぎ……は……」
「……っ、アルベリク殿!?」
レオンが叫ぶ。だが、その隙を逃さず、背後の虚空から冷ややかな声が再び響いた。
『――不快だね。なら、出力を上げるよ。再構築レベル:最大』
瞬間、アルベリクの翼が肥大化し、司令室全体を覆い尽くすほどの質量を持った「虚無の刃」へと変貌した。
カイの杭が、ミシミシと悲鳴を上げる。
「……カイ様! もう、もうおやめください! あなたが壊れてしまいます!」
エレナの悲痛な叫びが響く。
だが、カイは杭から手を離さない。
「……言わせるなよ、エレナ。……僕は、こいつが気に入らないだけなんだ。……僕たちが、死ななきゃいけない理由なんて……どこにも、ないんだからな……!」
カイのLUK値が、限界を超えて点滅を開始する。
LUK: 120... 80... 30...
LUK: ERROR
数値が消えた。
その瞬間、カイの意識は真っ白な「ソースコードの海」へと叩き落とされる。
――そこには、人影のようなものがあった。
モニター越しにこちらを見下ろし、苛立たしげにキーボードを叩く姿。
「……なんだ?」
カイは、意識の果てで呟いた。
司令室の空間が、大きく歪む。
アルベリクの猛攻は止まらない。翼から放たれる漆黒の刃が、固定されたはずの空間さえも力尽くで引き裂こうとする。
「レオン!! アルベール!! 次の一撃を、全力で受けろ!! 座標のズレが……今、最大になる!!」
カイの咆哮が響く。
だが、アルベリクの力は、その限界さえも嘲笑うように膨れ上がっていく。
反撃の糸口は見えた。しかし、それを掴み取るための「身体」が、もう限界に達していた。
漆黒の刃が、カイたちの頭上から、すべてを飲み込むように振り下ろされる――。
「……Now Saving…」




