第16話:欠落した座標
第16話:欠落した座標
「……Now Loading…」
廃村を後にした一行は、夜の帳が下りる前に街道沿いの森で野営の準備を整えていた。
「よし! 今日の火の番は俺がやるぜ。カイ、お前は少し休んでろ。なんだか疲れてるみたいだからな!」
レオンが薪を抱えながら快活に笑う。その隣では、アルベールが驚異的な速度でテントを設営していた。
「レオン殿、火の管理は熱力学的効率に基づき、私が担当するのが最適だ。不純物のない乾燥した枝のみを選別し、燃焼温度を一定に保つ。……よし、設営完了。地面との接地角度、完璧だ」
「……あ、ああ、ありがとう。アルベールって本当、何でもできちゃうんだな」
レオンが少し気圧されながらも、感心したように頷く。
エレナは聖典を片手に、焚き火のそばで温かなスープをかき混ぜていた。
「カイ様、少し顔色が優れませんわ。これを飲んで、ゆっくりお休みになってください。明日はきっと、良い日になりますから」
「……ああ、ありがとう。エレナ」
カイは差し出された器を受け取り、スープを啜る。
数値化された「満足度」が脳に直接響く。美味しい、という感情よりも先に、脳が「栄養を摂取した」と認識する感覚。
カイは視線を落とした。
焚き火を囲むレオン、エレナ、そしてアルベール。
四人。
最初からこの四人だった。……少なくとも、彼らの「記憶」の中では。
「なあレオン。……いや、なんでもない」
「なんだよ水臭いな、言いたいことがあるなら言えよ!」
「……もし、僕たちの他にもう一人、すごく腕のいい弓使いがいたとしたら、どう思う?」
レオンは一瞬、きょとんとした顔をしてから、豪快に膝を叩いた。
「ははは! そいつは心強いな! でも、俺たちにはお前がいるだろ? 測量士の目があれば、どんな敵の弱点も見抜ける。五人目なんて必要ないくらい、このパーティは最高だぜ!」
「……そうか。そうだよな」
カイは力なく笑う。
レオンの言葉に嘘はない。悪意もない。ただ、彼の世界からは、ユースという「データ」が綺麗さっぱり削除され、その隙間を埋めるように「四人で完璧なパーティ」という設定が書き込まれているだけなのだ。
深夜。
薪が爆ぜる音だけが響く静寂の中、カイは一人、眠れずにいた。
脳裏に焼き付いているのは、廃村で見たあの光景。村人たちが「再構築された亡霊」へと変貌し、自分たちの共通言語であるはずの「定型文」を口にした瞬間。
(……この世界は、物語を維持するために、僕たちの『生』を部品として扱っている)
カイが懐のショールを握りしめたその時、森の空気が一変した。
鳥の鳴き声が止まり、風が死んだ。
カイの測量眼が、闇の向こうから接近する「異常な質量」を捉える。
「……ッ、みんな、起きろ! 何か来る!」
カイの声に、レオンとアルベールが即座に反応した。
森の闇を裂いて現れたのは、先ほどまで対峙していたキメラなど比較にならないほどの「圧」だった。
その姿を捉えた瞬間、カイの網膜に走ったのは、これまでのどんな魔物とも違う、血のように赤いエラーメッセージの奔流だった。
CAUTION: RESTRICTED AREA GUARDIAN.
STATUS: ∞ (UNMEASURABLE)
OBJECT ID: [BORDER_GUARDIAN]
霧の中から踏み出してきたのは、身の丈3メートルはあろうかという巨大な鎧の騎士だった。しかし、その首から上には頭部がない。代わりに鎮座しているのは、赤と白の無機質な幾何学模様——この世界の言語で言うところの「進入禁止」の標識を模した、巨大な円盤だった。
「なんだ、あいつ……。ステータスが見えない。……いや、見えないんじゃない、『測れない』んだ!」
カイが叫ぶ。測量杭を通じて読み取れる数値は、ゼロと無限の間で激しく明滅し、解析を拒絶している。
「下がってろ、カイ! こいつは俺が——」
レオンが剣を構えて突進する。王道の勇者として、仲間を守るための最短距離。だが。
「——排除。……これより先、未実装…許可なき個体の進入を禁ずる」
守護騎士が、手に持った巨大な盾をただ「置く」ように突き出した。
それだけで、レオンの渾身の一撃は霧散した。衝撃波ですらない。レオンの攻撃という「事象」そのものが、盾に触れた瞬間にキャンセルされたのだ。
「ぐわっ……!? 手応えがねぇ、壁を殴ってるみたいだ!」
「レオン殿、退け! 聖なる裁き(ホーリー・ジャッジメント)!」
アルベールの放つ光の杭が騎士の鎧に直撃する。だが、火花すら散らない。騎士の頭部の標識が鈍く光るたび、アルベールの魔法は「無効な命令」として、その場で消滅していく。
「馬鹿な……。属性相性、魔法強度、全てにおいて私が勝っているはずだ。なぜダメージが0なんだ!?」
アルベールが驚愕に目を見開く。
エレナは震える手で祈りを捧げていたが、その瞳には聖女としての直感ではなく、システム側からの「警告」が反映されていた。
「カイ様……あの騎士、生き物ではありません。あれは……世界の終わりを告げる、神様の『拒絶』ですわ……!」
「……違うよ、エレナ。あれはただの『壁』だ。僕たちがここから先へ、シナリオを無視して進まないように置かれた……理不尽なまでのシステムそのものだ」
カイは歯を食いしばり、測量杭を地面に突き立てた。
騎士がゆっくりと大剣を振り上げる。その予備動作は鈍重だが、カイには見えていた。その剣の「当たり判定」が、森の半分を飲み込むほど巨大な立方体として定義されているのを。
「避けて! 範囲内にいたら、防御力なんて関係なく消されるぞ!」
(ドォォォォォォォン!!)
一振り。
森の木々が、折れるのではなく「消えた」。
剣が通過した軌跡に沿って、空間そのものが黒い欠落となって口を開ける。
「ハァ……ハァ……。冗談だろ……。あんなの、どうやって倒せばいいんだよ!」
レオンが冷や汗を流しながら叫ぶ。
絶望が場を支配する。アルベールの計算は狂い、エレナの祈りは届かない。
勇者、聖騎士、聖女。この世界の「正解」とされる職業では、システムという絶対的な「不変」には太刀打ちできない。
(……測るんだ。あいつのステータスじゃない。あいつが存在している『理由』を!)
カイは泥を噛みながら、脳を焼くようなノイズに意識を沈めた。
LUK値が急激に減少していく。運命を削り、システムの裏側に手を伸ばす。
「……見つけた。あいつのステータスが無限なのは、あいつが『強すぎる』からじゃない。この場所でだけ、『無敵』という属性を常時付与されてるだけだ……!」
カイは立ち上がり、叫んだ。
「レオン! 奴を3歩、後ろへ押し出せ! アルベール、全力で座標をずらす衝撃を与えてくれ!」
「3歩? そんなことで勝てるのか!?」
「勝つんじゃない! 『仕様外』に追い出すんだよ!」
レオンとアルベールが顔を見合わせ、頷く。
「理屈は分からんが、お前が言うならやるしかないな!」
2人の同時攻撃が騎士に炸裂する。ダメージは入らない。だが、カイが示した「ノックバック」のベクトルだけは、物理演算の基本法則に従って騎士の巨体を数メートル後退させた。
騎士の足が、街道の境界線——カイが測量で見抜いた「定義の境界」を跨いだ。
(今だ!)
「【測量スキル:領域再定義】!」
カイが杭に全力を込める。騎士の足元の地面から、青いグリッド線が噴き出した。
システム上の「未実装エリア(進入不可)」のラベルを、一瞬だけ「戦闘可能領域」へと書き換える。
『——警告。……境界設定に……齟齬……発生。……ステータス修正……実行中……』
守護騎士の頭部が激しく点滅し、エラー音を撒き散らす。
その瞬間、騎士のステータスから「∞」の文字が消え、実数へと書き換わった。
「叩け! 今この瞬間だけ、そいつはただの『大きな木偶』だ!」
「おおおぉぉぉぉ!!」
レオンの剣が、アルベールの光が、今度は騎士の鎧を砕いた。
属性も、設定も、役割も関係ない。
自分たちの「汗」と「意志」が、初めてシステムの壁を突破した瞬間だった。
(ドサッ……!)
巨大な鎧が、ただの鉄屑となって崩れ落ちる。
周囲を包んでいた黒い霧が晴れ、静寂が戻った。
WARNING: UNEXPECTED PROGRESSION.
ADJUSTING SCENARIO DATA...
「……やった。僕たちの勝ちだ」
カイは膝をつき、激しく咳き込んだ。
掌の測量杭は熱を帯び、今にも砕けそうだ。
レオンが駆け寄り、カイの肩を強く抱いた。
「すごいぜカイ! あの無敵のバケモノを倒しちまうなんて、やっぱりお前は最高の軍師だ!」
「……軍師じゃないよ、ただの測量士。……正確な距離を測っただけさ」
カイは皮肉っぽく笑ったが、その瞳は笑っていなかった。
勝ったのではない。システムに「一泡吹かせた」に過ぎないのだ。
空を見上げると、夜の闇の向こうに、先ほどよりも一回り大きな「ヒビ」が入っていた。
「さあ、行こう。……夜が明ける前に。世界が僕たちの『イレギュラー』に気づいて、また書き換えてしまう前に」
カイは、拾い上げた村人のショールを強く握りしめ、前へと歩き出した。
背後では、崩れた騎士の残骸が、デジタルノイズとなって静かに空へと消えていった。
[LUK: 980 → 950]
[SYSTEM LOAD: INCREASED]
「……Now Saving…」




