第1話:測量士の目覚め
「……Now Loading…」
鼓膜にこびりつくような、無機質な少女の声が聞こえた気がした。
カイがまぶたを開けると、そこには鮮やかすぎるほどの新緑が広がっていた。
木漏れ日は計算され尽くしたような角度で差し込み、風に揺れる葉の音は、耳に心地よい完璧なリズムを刻んでいる。
「う、ぐ……」
体を起こそうとして、カイは自分の右手に違和感を覚えた。握りしめていたのは、見慣れぬ真鍮製の測量杭と、使い込まれた巻尺。
「なんだこれ。……っていうか、ここ、どこだ?」
記憶はある。
自分が「カイ」という名前であること。測量士として生きてきたこと。
だが、決定的な何かが欠落している。
なぜ自分がこの森の真ん中で倒れていたのか。その「理由」だけが、霧がかったように思い出せない。
ふと、視界の端に半透明の板が浮かび上がった。
STATUS WINDOW
名前: カイ
職業: 測量士
ランク: C
Lv: 1
HP: 12/12
MP: 5/5
STR: 3 | VIT: 3 | INT: 8 | LUK: ERROR
【保有スキル】
・精密測量:対象との正確な距離を測定する。
・設置(杭):座標の基準点を打つ。
「ステータス……? なんだこのLUKの表示。バグか?」
カイは呆然とそれを見つめた。
まるで、出来の悪いRPGの世界に迷い込んだような感覚。
だが、悩んでいる暇はなかった。
背後の茂みがガサリと揺れ、低く唸るような声が響く。
「……ッ!」
現れたのは、一匹の狼だった。しかし、それはカイの知る生物とは決定的に異なっていた。
毛並みの質感がどこか平面的で、動きの節々に、コンマ数秒の「硬着」がある。
狼が跳んだ。
「あ、これ死んだわ」
カイは直感した。
Cランクの、しかも「測量士」なんて戦闘に不向きな職業が、レベル1で勝てる相手じゃない。
だが、その瞬間。カイの視界が変質した。
狼の周囲に、青白い「枠」が見えたのだ。
その枠は狼の体よりも一回り小さく、地面との接地部分には「Collision(衝突判定)」という文字が明滅している。
(……小さい?)
見た目の迫力に反して、攻撃が当たる「判定」がスカスカなのだ。
カイは無意識に、右手の測量杭を突き出した。
狙ったのは狼の喉元ではない。
その少し下、青白い枠が最も薄くなっている「座標」だ。
「えいっ!」
「ギャンッ!?」
測量杭が、狼の胸元に吸い込まれるように突き刺さる。
狼はキャンと情けない声を上げ、まるで糸が切れた人形のように転がった。
「……当たった。いや、なんで?」
驚くカイの視界に、無慈悲なメッセージが躍る。
EXP +5
LEVEL UP!
KAI : Lv. 1 → 2
STR: +1 | LUK: 999
「LUKだけ伸びすぎだろ! 成長バランス考えろよこの世界!」
思わずツッコミを入れたが、返ってくるのは森の静寂だけだった。
森を抜け、一時間ほど歩くと、小さな村が見えてきた。
入り口の看板には『始まりの村:ルシード』と記されている。
「助かった……。とりあえず、まともな人間がいれば……」
村に入ると、そこは平和そのものの光景だった。
エプロン姿の女性が洗濯物を干し、麦わら帽子の老人がベンチで居眠りをしている。
カイは喉の渇きを癒そうと、井戸のそばにいた男に声をかけた。
「すみません、ここがどこか教えてもらえませんか?」
男はゆっくりとこちらを振り向いた。その顔には、彫刻のように貼り付いた笑顔があった。
「【 今日はいい天気ですね。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
「……ええ、さっき会いました。それより、ここはなんて国で――」
「【 今日はいい天気ですね。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
男は一字一句違わぬトーンで繰り返した。
「……あの、おじさん?」
「【 今日はいい天気ですね。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
カイの背筋に、冷たいものが走った。
周囲を見渡す。洗濯物を干す女性。
彼女の動きを注視すると、シャツを広げ、パンパンと叩き、籠に戻す。その一連の動作が、一秒の狂いもなく繰り返されている。
カイは震える手で巻尺を取り出し、男から井戸までの距離を測った。
「3.00メートル」
一度離れて、もう一度測る。
「3.00メートル」
次に、村の入り口から中央広場までの歩数を数えた。
「100歩」
だが、村の外側からその距離を測量しようとすると、計算がどうしても合わない。
村の内部は、外から見た面積よりも明らかに「広く」定義されている。
「なんだ、これ……。空間が歪んでるのか? それとも、僕の頭がおかしくなったのか?」
「……お困りのようですね。測量士さん」
背後からかけられた声に、カイは飛び上がった。
そこには、銀色の鎧を纏った一人の青年が立っていた。
抜けるような青い瞳に、眩しいばかりの金髪。まさに「勇者」を体現したような男だった。
「あ……。ええと、はい。ちょっと、測量結果がバグってて」
「バグ? 妙な言葉を使いますね。僕はレオン。魔王を倒すため、旅に出ようとしている剣士です」
レオンは屈託のない笑みを浮かべ、カイの手を握った。
「君のその道具、面白い。僕と一緒に来ませんか? 西の森を抜けて、商業都市ログスまで」
「えっ、いや、僕はただの測量士ですし、戦えませんよ」
「ははは! 謙遜しないでください。君からは、不思議な『運』を感じる。僕の直感が言っているんです。君がいれば、僕は絶対に死なないって」
レオンの言葉は熱く、淀みがなかった。
だが、カイは見てしまった。
レオンが喋っている間、彼の足元にある影が、数ミリ秒だけ「カクッ」と不自然にズレたのを。
村の出口。
「さあ、行きましょう!」
先行するレオンに続き、カイは村の境界線を越えようとした。
その時だ。
「……あ」
カイの足が止まった。
足元の地面。そこには、一本の細い「線」が引かれていた。
物理的な紐が張ってあるわけではない。測量士の目に見える、世界の座標を区切るグリッド。
その線を越えた瞬間、カイの脳内に警告音が響いた。
[Warning]
未開放エリアへの進入を検知。
フラグ:[勇者との面会] 完了を確認。
ワールド・ストリーミングを開始します……。
空を見上げると、一瞬だけ、青空のテクスチャが剥がれ落ち、その向こう側に真っ黒な「虚無」と、流れるような文字列が見えた。
「おい、カイ? どうしたんだい、立ち止まって」
レオンが不思議そうに振り返る。
彼の背後では、ルシード村の住人たちが、全く同じタイミングでこちらに手を振っていた。
「【 いってらっしゃい。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
「【 いってらっしゃい。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
「【 いってらっしゃい。西の森には魔物が出るそうですよ。 】」
合唱のように重なる声。
カイは鳥肌が立つのを抑え、無理やり笑みを作った。
「……いえ。なんでもありません。ただ、この世界の『精度』を、もう少し詳しく測ってみたくなっただけです」
「いいですね! 測量士の相棒なんて、頼もしいな!」
レオンは無邪気に笑い、森の奥へと進んでいく。
カイは自分のステータス画面をもう一度開いた。
異常なLUK値。そして、欠落した記憶。
「『ここに来た理由』か……」
カイは手に持った測量杭を強く握りしめた。
もし、この世界が何者かによって設計された「物語」だとしたら。
自分のような脇役(Cランク)にできることは、一つしかない。
この世界の「ズレ」を、一ミリの狂いもなく測り続けることだ。
「……皮肉だよね。測れば測るほど、この世界が嘘つきだって証拠が集まっていくんだから」
カイの第一歩。
それは、偽りの安寧から踏み出す、測量士の孤独な戦いの始まりだった。
[Now Saving...]




