第24話:疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです・4
部屋の隅にある小さな冷蔵庫を開ける。
缶ジュースやお菓子が入っているが、どれもパッケージは英語で小百合には見覚えのないものばかりだ。その上には魚肉ソーセージや果物類が乱雑に転がっており、自由に食べていいと言われている。
小百合は正座をしてバナナを一本食む。龍魅は床に寝転んで目を閉じていた。
小百合が何かを言わない限り、基本的に龍魅は動かない。格闘訓練も小百合が言えば付き合ってくれるが、龍魅から何か要求してくることはない。生まれも環境も全く違う素性には未だ謎が多い。
しかしこうしてペアを組む運びになった以上、お互いのことは知っておいた方がいい。小百合は暇を見付けては龍魅に色々なことを聞いてみているが、意外とプライベートなことも答えてくれる傾向にはある。拒否されないことを願いつつ、適当な足掛かりからまた質問を重ねる。
「龍魅さんにはきょうだいはいらっしゃらないのですか? 私は一人っ子ですが」
「いねえなあ。きょうだい分ならいくらでもいるけんど」
「龍魅さんはどうして異世界に転移しようと思ったのですか? チート能力が無くても龍魅さんは十分強い気がします、私と違って」
龍魅は僅かに目を開け、天井を見つめて静止した。
そのまま十秒が経ち、小百合が踏み込んだ質問をしたことを謝ろうとしたとき、龍魅は立ち上がりながら口を開いた。
「わしの刺青彫ったやつがなあ、龍になれっちゅうのが口癖だったんだあ。顔合わせるたびに龍になれ龍になれってうるさくてよお、わしは訳のわからんやつだと思っとった」
龍魅は壁際にある小さな箪笥の引き出しを開けた。取り出した小さな写真を軽く放って小百合によこす。
そこには龍魅と腕を組んでいる小柄な女の子が映っていた。龍魅は煙たそうな顔をしているが、小柄な女の子の方は笑顔満面だ。破顔した顔には放射状にカラフルな刺青が彫られており、小百合は何かの果物のような模様だと思った。
写真の表面は赤いインクで汚れているのかと思ったが、よく見るとそれは乱暴な走り書きであり、目を凝らせば確かに「リュウになれ!!!」と大きく書いてあるのがわかった。
「仲が良いのですね」
「死んだよ。車に細工されとってなあ、わしとバイク乗ってるときに事故ってよお。陸橋の上で派手に爆発してなあ、落ちてくときも龍になれ龍になれってずっと呟いとったなあ。そんときようやくそいつが何言ってたかわかったんだあ」
龍魅は気付けば細い葉巻に火を付けていた。喫煙しているのは初めて見た。
「わしが龍になってりゃ、あいつあ死ななかったんだあ。思い出してみりゃあ、あいつがわしに龍になれっつっとったのは食い逃げしたときとか、反目に追われとったときとか、川にブチ込まれたときとかだあ。どれもわしが龍になりゃあそれで片がついとった」
「……失礼かもしれませんが、それは龍にならなくてもどうにかできたことではないですか?」
「でも龍になれりゃあどうにかできとった。いつでもどこでもそうだ、いっちゃん何でもできるのがあいつにとっての龍だったんだあ」
「何でもできる……」
「わしみてえな生き方はなあ、いつ何があるかあわからねんだ。危ねえと思ってもよお、死ぬのが怖くちゃ始まんねえ。突っ込むしかねえ、それで死んでも恨まねえ、あいつが死んだのも恨んじゃいねえ。どうせ突っ込んでいくしかねえんなら、突っ込んでも負けねえ何かになるしかねんだ。龍にでも成るのが一番ええ」
「……」
小百合は自分の足を撫でる。
龍魅と違って、小百合には友人が死ぬような劇的な経験はない。概ね幸福に暮らしていて、足が動かなくても大きな不満はなかった。実際、「足が動かなくても友達がいる」とか「足が動かなくても頭でどうにかできる」とかいうことをよく口にしていたし、昔はそう言うたびに前向きな気持ちになっていたものだ。
しかし、そもそも最初から足が動いていれば努めて前向きになる必要もなかったのではないか。自分は無駄に落ち込んで無駄に復調しているだけではないか。その疑問が確信に変わり、ポジティブなフレーズを口にするたび惨めな気持ちになるようになったのはいつからだった?
足が動かなくても何とかなるかもしれないが、動いた方がいいに決まっている。自分の足が動けば、好きなお手伝いさんと一緒に庭の掃除ができた。自分の足が動けば、友達と一緒に走って泳げた。大きな不満は一つもなくても、小さな不満は無数にあった。そしてきっとこれからもいくらでも。
結局のところ、根治するしか解決方法はないのだ。小手先の対応で後手後手に回るのではなく、チート能力でも使って自分自身を作り変えなければならない。何でもできるようにする、あらゆる局面に対応できるようにする。それでようやく不確かな未来と向き合っていくための準備が整う。
弱点を消し去って汎用能力を取る、その思考回路こそが龍魅と自分の共通点であることを理解する。
龍になれないよりは龍になれた方がいいし、足は動かないよりは動いた方がいい。当たり前のことだ。
「やはり私たちは異世界転移するべきです」
「あたりめえだあ」
小百合が写真を返そうと手を伸ばすと、葉巻を咥えたままの龍魅と目が合った。
いつも仏頂面の口元が緩んでいるように見えたのも束の間、煙の揺らめきがそれをかき消してしまう。返した写真はまた元の箪笥の中にしまわれていった。
よく見れば、箪笥の中には似たような紙切れがいくつも入っている。大きさも色もまちまちの紙片が大量に。小百合の視線に気付いたのか、龍魅が引き出しを大きく開けてみせた。
中で圧し潰されていた紙が膨らんで何枚かが飛び出してきた。全部で数十枚はあるだろうか。全てが写真というわけでもなく、汚れた便箋のようなものも多い。どれも違う筆跡で何か書いてあるが、乱暴な殴り書きでとても読めない。
「全部誰かが置いてったもんだあ。いなくなったやつらがなあ」
「それは……全員お亡くなりになったということですか?」
「いんや、そうとも限らねえけんど。わしらはいつ消えるかわかんねえからよお。先に渡しとくやつも多いんだあ」
「じゃあ、とても大切なものなんですね」
「そうだなあ、誰かが死んだら誰かが困ることがあらあな。隠してるもんとかよお、後で誰かがやっとかにゃいけねえもんとかあるだんろ」
そのとき龍魅のスマートフォンから通知音が割り込んだ。




