第21話:疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです・1
【4/1 12:23】
「ではそちらで座ってお待ちください」
「はい、ありがとうございます!」
ようやく面会の手続きが終わり、花梨は受付の前で頭を下げた。
市内最大規模の公立医療施設、御原中央総合病院は外科から精神科まで一通り揃った地域の屋台骨だ。最近リニューアル工事が完了し、入院患者や見舞い客向けのテラスカフェを備えたお洒落な設備へと生まれ変わっている。
花梨の姉が入院しているのもこの病院だが、正直なところ訪問するのはかなり気が重かった。
姉が入院した頃の花梨は荒れに荒れており、昏睡している姉を治せない医者に食って掛かったことも一度や二度ではない。終いには警察を呼ばれた挙句に出入り禁止が言い渡された。とはいえ、唯一の肉親が入院して錯乱している事情を考慮し、精神状態が回復すれば解除するという条件付きの出禁ではあった。
朝一番に花梨が窓口を訪れたときは院内が緊張に包まれたが、落ち着いた口調で謝罪を述べる花梨にナースも優しく応対してくれた。念のため精神科で軽く診察を受けた上で、姉との面会を取り付けたときには時刻は正午を回っていた。
待合室は大きな窓ガラスを壁に埋め込んだモダンな立て付けで、屋内に注ぐ自然光が気持ちいい。病院らしからぬ茶色い革製ソファーの座席はほとんど空いている。
とりあえずテレビが見える適当な座席を目指して歩き、途中で足が止まった。
「……」
すぐ近くで不自然に停止した気配を察知し、二人の視線がこちらに向く。
「……」
「……」
切華と撫子が並んで座っていた。
待ち伏せかと思ったが、二人とも驚いた表情で花梨を見上げているあたり本当に偶然の産物であるらしい。それはもちろん花梨も同じだ。
数秒の硬直の末、撫子がわざとらしく咳払いをして口を開く。だが、続く発声は受付からの呼び出しに割り込まれた。
「櫻撫子さーん、十六番の診察室にお越しください」
「……はーい」
撫子は素直に返事をして立ち上がった。困ったような笑顔で二人に軽く手を振って長い廊下へと消えていく。
これで立ったままの花梨と座っている切華が残された。切華は撫子を真似たのか無意識なのか、やはりわざとらしい咳払いをしてから口を開いた。
「座ったらどうだ?」
「……お気遣いどうも」
花梨は切華から三つ離れた斜め前に座る。
この距離なら『創造』の射程外のはずだ。万が一、街中で他の転移候補といきなり出くわした場合の対策は昨晩のうちに理李が一通り考えてくれた。
切華の刀は浅く反った打刀だ。刃長はおよそ七十センチ、腕の長さと合わせてだいたい一メートル五十センチが刃の届く距離になる。だから人ひとり分くらいの距離を取っていれば一応の危険は避けられる。
「昨晩は申し訳なかった。君は月夜と仲が良さそうに話していたな」
「何それ。人ひとり殺しておいて申し訳なかったで済むと思う?」
「否、思わない。だが、許されないことは謝らない理由にはならぬ」
内心では予想外の謝罪に面食らうが、この程度では切華への警戒を下げる理由にはならない。
むしろ油断させて襲うチャンスを計っているくらいに思っておいた方がいい。理李にもどれだけ備えても備えすぎということはないと念を押されている。
「それで病院って、刀で指でも切ったわけ?」
「否、産婦人科だ。定期健診に来た」
「生理重いの?」
「否、妊娠だ。先週判明した」
「は?」
爆弾発言に思考がフリーズする。
女子高生の妊娠。有り得ないわけではないが、この極限まで緊張した状況で全く別ベクトルから出てきた意外性がその衝撃を何倍にも増していた。
もしこれが言葉の罠で、この隙に切りかかられていたら花梨は死んでいただろう。しかし幸いなことに切華が動く様子はない。
「それはなんというか……ご懐妊おめでとうございます。てか、動いて大丈夫なの?」
「否、拙ではない。撫子だ。まだ妊娠の初期も初期、まだ身体への影響は無い」
横目で壁際の院内図をちらりと見れば、確かにさっき呼び出された十六番診察室は産婦人科だ。
「っていやいやいや、撫子ちゃんの方が小さいじゃん」
「白い目で見る者もいようが、青春を謳歌していればそういうこともあるだろうよ。別に法を犯しているわけでもあるまいし、撫子はきちんと生んで育てるつもりだ。もちろん拙も家族として協力する。扱いについてもAAに確認済だ」
「ああ、あれってこれだったんだ……」
朝方、AAサーバーに「出産前の胎児は異世界転移の定員にはカウントされない」と流れてきたことを思い出す。
変なことを聞くやつがいると思ったものだが、実際に妊娠している転移候補がいるとは思わなかった。仮に撫子が転移したとしても胎児はカウントせず一枠の扱いで残りは二枠になるわけだ。
「死ぬ命があれば生まれる命もある。君のチート能力はどちらかな。ここには姉の蘇生に来たのであろう」
「どどど……どうだろうね? あーそういえば私も妊娠してたような」
「君は誤魔化すのが下手だな」
「そりゃ悪かったな」
「否。見方によっては美徳である」
理李の治療に来たとか言えば良かった、と思い直すがもう遅い。
今は理李とは別行動だ。『蘇生』と『治癒』というサポート系で似通った能力の二人が固まって動くのはあまり得策ではないらしい。とりあえずは各自が生き延びることを最優先に考えて情報収集しつつ、まだ誰とも組んでいなさそうで戦える誰か、とりあえずは穏健そうな『身体強化』の小百合あたりを取り込めれば理想的というのが理李の見立てではある。
「それで? 私がお姉ちゃんを蘇生するのを止める?」
「否。それ自体は拙には無関係である、止める理由はない。しかしその前に確認しておきたいことがある。君は月夜を蘇生することはできないのか?」
「蘇生してどうするのさ。昨日殺した癖に」
「殺さなくてもいいかもしれないだろうよ。三日間は目を隠して手足を縛って置いておくなり、他にやりようはある」
「今更言うなあ。それって他の人のことも殺したくないってこと?」
「否。不意打ちでだけは殺したくないというだけだ。もうこうなってしまった以上、他の者を殺さない理由はそれほどない。それで月夜の蘇生はできるのか? できないのか?」
「できないよ。『お姉ちゃんを蘇生する能力が欲しい』って女神様に言っちゃったから、お姉ちゃん限定の蘇生能力。月夜ちゃんは対象外」
チート能力の詳細は女神に申告した内容に依存する。この情報も理李がAAに確認してAAサーバーに記載されている。
今考えれば姉限定などという条件を付けずに誰でも蘇生できる方が便利に決まっているが、あのとき花梨の頭には姉を蘇生するイメージしかなかったのだから仕方ない。
もっとも、女神に申告する段階ではチート能力で戦うことになるなんて思っていなかったのは皆同じだ。あのとき告げたのは誰にとっても一番純粋な願いの形。今から変更することもできない。
「承知した。それでは、いまや我々は敵対する理由しかない。故に最終確認に移らざるを得ない」
切華は手を腰に回した。それだけでスッと空気が冷える。一気に背筋に緊張が走り、今まさに構えに入ったことが素人の花梨でもわかった。
「一応確認するが、諦める気はあるか? 拙とて戦意のない者を切るのは忍びないとは思っている。今から目隠しの上で手足を縛られて三日間監禁されることに同意するなら殺しはしない。ただし逃げれば敵対の意志ありとみなしてただちに切る」
「諦めるわけないだろ!」
「そうか。残念だ」
切華がソファーから踏み出した。前傾しながら腕を腰から振り上げる。
居合の軌道だ。その手にまだ刀は握られていないが、軌道が花梨の身体を横切った瞬間に『創造』で切られる。月夜が昨夜首を切られたように。




