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第14話:剣の達人は異世界でもモンスターを切りまくるようです・7

【4/1 02:05】


 時刻はもう午前二時を回っている。

 深夜の住宅街は静かだ。どの建物もとうに消灯し、出歩く者は誰一人いない。唯一動くのは心細げに点滅する街灯くらいだ。

 小百合は車椅子に乗って一人で移動していた。等間隔で並ぶ街灯が足元を照らすたび、自分が闇の中で前に進んでいることを確認する。

 しかしどこに向かっているのかは自分でもわからない。何となく車輪を転がしているだけだ。グラウンドから逃げ出したはいいが、行く先が全く思い浮かばない。

 襲撃される危険がある家に戻るのは無し。代わりに怪しまれずに泊まれる建物はあるだろうか。いっそ河川敷にでも身を潜めようか。野宿はやったことがない。宿泊の権利とかは必要なのだろうか。屋外よりも屋根があって視線が遮れる場所の方が安全ではないか。車椅子に座って夜を明かすのも車中泊と呼ぶのだろうか。

 考えがまとまらない。本当に検討すべき事柄と、他愛もない不安と、考え未満の断片が区別できない。

 経験のない状況に放り込まれて自分が混乱しているのはわかる。だが、混乱しているときにどうすればいいのかがわからない。


「所詮は温室育ちのお嬢様、ですね……」


 いつか誰かに言われた陰口を呟く。本当にその通りだ。

 今まで、自分は冷静で迷わないタイプだと思っていた。身体が不自由な代わりに強靭な理性を武器にしている人間だと思っていた。いつでも正しい目的を定め、達成に必要な手段を洗い出し、落ち着いて遂行できる人間だと思っていた。少なくとも校内模試と生徒会選挙はそうやって乗り切ってきた。

 だが、そんなものは安全が保障された日常での強さでしかない。車椅子が何のハンデにもならない程度の安全地帯でしか機能しないのだ。月夜の死を目の前で見てそれを思い知った。

 小百合のチート能力『身体強化(ストレングス)』は物理的な強化ではなく概念的な強化である。強化された身体は刀なんて通さない。小百合を切ろうとした途端、刀は枯れ枝のように折れてしまうだろう。

 だから小百合はあの場で何でもできたはずだ。切華を取り押さえることも、切華より先に月夜を殺すこともできた。あの場の主導権は小百合にあってもよかった。

 しかし、実際には全く身動きできなかった。頭が真っ白になり、何をすべきか考えることもできなかった。辛うじて逃げるのが精一杯だ。

 身体が強くなっても心が弱い。いまや何も恐れる必要はないはずなのに、理性と行動が噛み合わない。頭で思い描いている自分の理想と、実際に直面している自分の現実が食い違っている。

 いま車椅子を押しているのがその証拠だ。『身体強化(ストレングス)』はもちろん不随の下半身も治している。今すぐこんなものは投げ捨てて、死ぬほど欲しかった健脚で走り出してしまえばいい。

 だというのに、十七年間乗ってきた車椅子を捨てる勇気がない。これを捨ててしまえばもう一メートルも動けない気がして仕方ない。


「おねえさーん、大丈夫?」


 場違いに明るい声に振り返ると、マスクを付けた男二人がにやにやと笑っていた。

 声をかけた男は頭を金色に染め、どこに売っているのかというような真っ赤で下品なジャケットを羽織っている。ジーパンはヴィンテージものなのか単に薄汚れているのかわからず、何の機能もないチェーンがジャラジャラと耳障りな音を立てた。

 後ろに控えている男も似たような風体だが、帽子を深く被って警棒を持っているあたりはいかにも「実行役」という趣きだ。


「送ってあげよっかあ? もちろんタダじゃねえけどさ」

「結構です」

「そう言わずにさっ」


 軽薄そうな男が前に回り込んできた。よく見れば、背後にはナンバープレートを外した汚いバンが止まっている。

 いくら世間知らずの小百合でもわかる。この二人は小百合に危害を加えようとしている社会のならず者だということくらい。

 思えば、ただでさえまともな人間が出歩く時間ではないのに車椅子に乗った女子高生が一人で徘徊しているというのは危険どころの話ではない。そんなことにすら思いが至らなかった自分に眩暈がしてくる。

 だが、同時にこの状況に対しては落ち着いている自分に安堵もする。女神の祝福を受けている手前、いくら何でもそこらのチンピラに動じる必要は無いということくらいは全身で理解している。

 考えようによってはチャンスかもしれない。『身体強化(ストレングス)』があれば敵ではないはずだ。一発くらい殴ってみれば自分に自信を付けられるかもしれない。

 軽く身を引き、拳を固め、目の前の男に向かって突き出した。


「えいっ」


 べちゃ。

 小百合の身体は車椅子の上から滑り落ちた。それだけだ。拳はチンピラに掠りもしない。


「あれ?」


 慌てて足に力を入れてみる。

 太ももがアスファルトの地面を擦った。ちゃんと動く。感覚もある。あんなにも望んでいた下半身不随からの回復、しかし今頭を満たすのは困惑だけだ。

 チート能力『身体強化(ストレングス)』は確実に発動している。ならばどうして殴れないのか。

 少し考えて理解する。まだ身体の使い方がわかっていないのだ。『身体強化(ストレングス)』を女神に願うとき、小百合は「頑丈で強靭な身体」と言った。それはあくまでもハードウェアとしての身体を強化するものでしかない。ソフトウェアに属する身体の使い方、運動神経は管轄外だ。

 思えば、女神にチート能力を貰ってからまだ一度も自分の足で歩いていない。十七年も使ったことがない器官をいきなり使えるわけがない。


「あははは! 何それ! 可愛いね~」


 男が下卑た笑い声をあげて道路にしゃがむ。小百合の髪を乱暴に掴んで地面から引き上げ、弄ぶように軽く頬を張ってきた。全く痛くはないが、惨めさで目に涙が滲む。それを恐怖の表れと勘違いしたチンピラが更に嘲笑の声を上げる。

 せっかくチート能力を手に入れたのに身体が動かない。動くとわかっているのに動かし方がわからない。頭で思うように身体を使えない。その挙句、こんなチンピラたちに良いようにしてやられている。

 きっと希望するチート能力を間違えたのだ。単に『身体強化(ストレングス)』ではなく、戦闘能力の向上まで全てこなす能力を、『武道熟達(バトルマスター)』みたいなものを希望すべきだったのだ。


「……今からでもチート能力の変更はできないでしょうか?」

「それは出来ません」


 淡々とした声が頭上から降ってくる。


「チート能力は一人一回しか付与できません。皆様がいまチート能力を抹消されていないのもそのためです。本来であれば余計なチート能力を所持している状態は望ましくないのですが、一度消してしまうと再付与ができません。三日後の再転移があるケースに備え、やむを得ず付与したままにしているということです」


 見上げると、チンピラの背後にAAが浮遊していた。天使の羽を広げ、相変わらず全身がぼんやりと光っている。だが、チンピラたちはAAの光にも声にも反応する様子がない。


「私の存在は転移候補者以外には認識できません。存在濃度を操作した上で意識迷彩をかけています」

「ではすみませんが、この方たちを何とかしてくれませんか?」

「それは出来ません。私は異世界転移以外には皆様の人生に関わる権限を持たないからです。転移に関わる質問にはいつでもどこでもお答えしますが、それ以外の要求は一切受けられません」

「人生に関わる権限を持たないとはよく言えたものですね。私たちに殺し合いを始めさせたのはあなたでしょう?」

「何か大きな勘違いをされているようですね。我々は異世界転移に関して可能な限り誠実な対応をしています。仮に皆様の判断によって殺し合いのような状況が生まれたとしても、それは我々の関与するところではありません」

「あなたは仮にも天使でしょう。目の前で人が死ぬのを見て何とも思わないのですか?」

「天使のイメージを押し付けられても困ります。私が司るのは異世界転移のみです。生死の全てを司る存在ではありませんし、人間同士の殺人行為に介入する義務もありません」

「おい嬢ちゃん、誰と話してんだよ」


 チンピラが怪訝な声で割り込んでくる。こいつ頭いっちゃってんのかなあ、可愛いからいいでしょ、と下卑た声が取り巻いて続く。

 その間にもAAは後ろで浮遊しているのみだ。役に立たないどころか、結局この状況はどうにもならないことをわざわざ教えに来ただけだ。

 ただただ無様だった。こんなことでは異世界に転移できても先行きは暗い。頑丈な身体さえあれば異世界で幸せに暮らせると思っていたが、その前提が誤っていたのかもしれない。転移したところで荒れた世界の隅っこで怯えているのが関の山ではないか。

 自分で自分の弱さを理解していなかった。そもそも自分の想定や判断が根っこから間違っていたというのは初めての経験だ。異世界もチンピラも、非日常など自分の器ではなかったのかもしれない。


「見てらんねえなあ。あんたん能力よお、身体あ強くなるだけだんろ? 喧嘩まで得意になるわけじゃあなかろ」


 声と共に、また新たな乱入者が降ってきた。

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