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第2話 ひみつの同居人

第2話:ひみつの同居人


グレイヴァン家ののけもの。

家族に遠ざけられている末弟、ヴァルグリスの食事は、常に自室に運ばれてくる。


かつては食堂で家族と共にテーブルを囲んでいた時期もあったが、優秀な兄姉と比べられ、母の不機嫌を招くだけなので、いつの間にか部屋食が彼の定番となっていた。


──今日からはしばらく、一人じゃないみたいだけど。


むず痒いような、照れくさいような。とにかくまんざらでもないヴァルグリスは、ワゴンで運ばれてきた豪勢な夕食──分厚い肉のローストや、野菜が溶け込むまで煮込まれたシチュー…──を見下ろし、それからベッドの上で毛布にくるまっている少女を振り返った。


「お腹、空いてるでしょ? 食べて」


孤独な獣人の部屋に先ほど飛び込んできた少女……イツキは目を輝かせ、ベッドを降りるとトコトコとテーブルの前まできて、大きな椅子の上によじ登るようにして座った。


彼はテーブルに二人分の皿を並べた。といっても、食器は一人分しかない。彼は自分が使うはずだった銀のフォークとナイフを丁寧に紙ナプキンで拭いて、イツキに渡した。


「わあ……すごい! こんなごちそう、見たことない」


おずおずとローストビーフを口に運んだ。咀嚼して、ごくりと飲み込む。その顔が、ぱあっと華やいだ。


「おいしい……!」


「そう? よかった」


ヴァルグリスは安堵して、自分は手掴みでパンを齧った。 獣人である彼は、人間よりもはるかに代謝が高い。この極寒の地で体温を維持するためには、大量のカロリーが必要だ。彼は瞬く間に山盛りの肉を平らげ、次の皿へ手を伸ばそうとして──ピタリと止まった。


イツキの手が、止まっている。皿の上には、まだ半分以上の料理が残っていた。


「……あれ? どうしたの? 口に合わなかった?」


「ううん、すごくおいしいよ。でも、もうお腹いっぱい」


「えっ!?」


ヴァルグリスは素っ頓狂な声を上げて、彼女を見下ろした。


「嘘だろ!? まだそれしか食べてないよ? パンなんてひと口しか齧ってないじゃないか!」


「えぇ……? 充分だよ、パンだって大きいんだもの」


彼は戸惑った。信じられなくて、もしかして、遠慮しているのだろうかと思った。


「あのね、もし足りないならもっと運ばせるから、遠慮しなくてもいいんだよ? 僕、これでも育ち盛りだからさ、『今日はすごくお腹が減るんだ!』って言えば、キッチンも怪しまずに……」


「ありがとうヴァルグリス。でも本当に、もういいの。こんなにお腹いっぱいになったの、久しぶり」


イツキは満足そうに目を細め、ナプキンで口元を拭った。

その幸福そうな顔を見て、ヴァルグリスはようやく遠慮ではないことを理解した。それと同時に、彼女の発言からこれまでひどい食生活を強いられてきたのだろうと想像してしまい、胸がちくりと痛んだ。


「……そっか。なら、残りは僕がもらっちゃうね」


彼はイツキが残した分も綺麗に平らげた。



満腹になり一息ついたところで、次は寝床の問題だ。


「さて、と。イツキの寝る場所なんだけど……」


ヴァルグリスは部屋の隅にある、大きなウォークインクローゼットの扉を開けた。中には数着の上等なスーツとコートが掛かっているだけで、床は寒々しいほどにガランとしている。


中にかかっているシャツには、ほとんどカフスがついておらず、コートのボタンもほとんどついていなかった。イツキがそれをしげしげと眺める。


「ここなら、万が一使用人が部屋に入ってきても見つかりにくいよね。僕、私物とかあんまり持ってないからスペースは余ってるし、毛布やクッションを敷き詰めれば、それなりに快適なはず」


彼は「完璧な隠れ家だ」と自画自賛しながら振り返った。

しかし、イツキの反応はあまり嬉しそうではない。

彼女はクローゼットの暗がりをじっと見つめ、それからヴァルグリスの方へ視線を戻した。正確には、彼のもこもこの毛がはみ出ている首元……体へ。


「……ねえ、ヴァルグリス」


「どうしたの? きみなら、狭いことはないと思うけど」


「一緒に寝るのは、だめ?」


「……はい?」


ヴァルグリスの思考が停止した。

イツキは上目遣いで、熱い視線を送ってくる。彼女の大きな瞳は、彼の銀色の豊かな体毛と、ふさふさの尻尾を熱っぽい瞳で見つめている。


「ベッド、広いし。それに……すごく、あったかそう……ヴァルグリスが」


「な、ななな、何言ってるの!? だ、だめだよ!!」


ヴァルグリスは顔を真っ赤にして(毛の下なので見えないが)毛をぼわりと立てて、バッテンを作るように両手を振った。


「種族が違うとはいえ!男女が!一つのベッドで寝るなんて! 良くないよ!?」


「えー。減るもんじゃないのに」


「減るとかそういう問題じゃなくて! だいたい、僕は大きいからきみを潰しちゃうかもしれないし、ねぼけて爪で君を傷つけちゃうかもしれないし……!」


必死に理由を連ねて断る彼に、イツキは頬を膨らませた。


「ケチ……」


「ケチじゃないよ! 絶対そんなのおかしいでしょ!?」


結局、ヴァルグリスの必死の説得により、イツキは不満げながらもクローゼットで寝ることを承諾した。


たっぷりの毛布とクッションで作った巣の中に彼女を押し込み、扉を閉めたあと。ヴァルグリスは自身のキングサイズベッドに倒れ込み、心臓を押さえた。


「……心臓に悪い……」


ドクドクと早鐘を打つ鼓動。人間の少女というのは、あんなに無防備で、距離が近い生き物なのだろうか。


──あったかそうかぁ……どう考えても、暖をとる目的なんだろうけど。


抱きつかれた時の感触が蘇る。華奢な身体。久々に感じた誰かの体温。孤独に冷えた心が、満たされた瞬間……。


彼はぶんぶんと首を振り、頭まで布団を被った。



深夜。


部屋の気温はマイナスまで下がり、窓ガラスがピキピキと音を立てて凍りついていた。けれど、天蓋付きのキングサイズベッドの中は、巨大な獣人の体温でぬくぬくとしている。


ヴァルグリスは、ふいに胸元を這い回る……くすぐったさで目を覚ました。


「……うぅん、ふわふわぁ……」


寝言が聞こえる。ヴァルグリスは薄目を開けた。視界に入ってきたのは、自分の腹の上で丸くなっている小さな影──イツキだった。


重苦しさはない。彼のような屈強な獣人にとって、人間の少女の体重など、羽毛布団の上に小鳥が乗っている程度のものだ。


しかし。


「……え?」


彼女は、ヴァルグリスの自慢の胸毛に、顔ごと埋没していた。


そこは、彼の身体の中でも特に毛並みが良い箇所だ。白銀の冬毛。一度触れれば二度と離れられない、魔性の吸着力を持つ極上の天然毛皮……もっこもこである。


イツキはその銀色の海に、体全体で深く潜り込んでいた。


「……んふふ。きもちい……」


彼女は彼の体温でポカポカに温まり、蕩けるような表情でうっとりと頬ずりをしている。まるで、高級な猫吸いならぬ獣人吸いを堪能しているかのように。

よくみたら、勝手にヴァルグリスの寝具の胸元のボタンがいくつか外されて、直接毛並みに顔を埋められている。


「!?!?!?」


敏感な胸元に、彼女の熱い吐息と、柔らかい頬の感触が直撃する。ヴァルグリスの背筋に、ゾワゾワとした電流が走った。


「うひゃあっ!?」


彼は甲高い声を上げて飛び起きた。


「い、い、イツキ!? なんでここに!? ちょっ! 起きてよ!」


「……んあ? ヴァルグリス……?」


起こされたイツキは、とろんとした目で彼を見上げた。その頬は桜色に上気し、髪は彼の静電気で少しふわふわしている。完全に仕上がっている顔だ。


「……あ、起こしちゃった。ごめんね」


「ごめんねじゃないよ!あと起こしたとかじゃなくて!いつからそこに!?」


「わかんない……クローゼット寒すぎて目が覚めて……ここに来たら、あったかくて……」


彼女は夢見心地でヴァルグリスの胸元を撫でた。


「ヴァルグリスの毛皮、すっごいよ。あったかくて、いい匂いがして、最っ高のもふもふ……」


「いや、それはそのっ、だからってこんなの、」


「あ。ここもふかふか」


イツキは悪びれもせず、再び彼の太もものあたり──ここもまた素晴らしい毛並みだ──に頭を乗せた。


「ひっ!?」


「……だめ? 私、凍え死んじゃうよ……」


上目遣い。とろんとした瞳。そして、無防備に彼の体温を求めてくる信頼(と欲望)の灯された瞳。


「……」


ヴァルグリスは言葉に詰まった。追い出そうにも、彼女の体はすっかり温まっていて、引き剥がせばその熱が失われてしまうのが分かった。やはり人間には、ここは厳しい室温なのだ。何より、自分の毛並みをここまで絶賛されて、悪い気はしない……。


「……はぁ」


彼は観念して、再び枕に沈んだ。


「……今日だけだからね。明日はもっと分厚い布団を用意するから」


「ん……ありがと……」


「あと、あんまり動かないで。くすぐったいから」


「はーい。……おやすみ、ヴァルグリス」


「……おやすみ」


イツキは彼の脇腹にぴったりと寄り添い、すぐに安らかな寝息を立て始めた。その小さな体温が、分厚い毛皮越しに、彼の心臓へと伝わってくる。


──変な感じ……。


ドクドクと自分の脈がうるさい。ヴァルグリスは必死に無心になるのを心掛けて、眼を閉じた。


結局、翌日以降どんなに高級な羽毛布団を用意しても、ヴァルグリスの毛並みの良さを味わってしまったイツキは毎晩のように彼のベッドへ潜りこんでくることになる。それはまだ、彼の知るところではない話だ。



朝の光が、分厚いカーテンの隙間から細く差し込んでいた。ヴァルグリスは、ぼんやりと目を開け──そして硬直した。


「……ん?」


自分の腕の中に、柔らかな温もりがある。視線を落とすと、イツキがすっぽりと彼の胸に抱きついていた。頬を彼の毛並みに埋め、うっとりとした寝顔を晒している。

とんでもないのはイツキの格好だ。ボロ布のワンピースは裾が捲れ上がり、素肌の足が惜しげもなく晒されていた。その足がぬくもりを求めるようにヴァルグリスの腰に絡みついているのである。


「……ちょ、ちょっと……!?」


ヴァルグリスが混乱状態で慌てて身じろぎすると、イツキが薄く目を開け、甘えるように呟いた。


「……もう起きるのぉ?」


ぐずるように言って、愛らしい顔をこてんとかしげてヴァルグリスの肩に顎を乗せた。


「もう少し寝てようよ……」


「なっ……!」


その言葉に、ヴァルグリスの脳がショートした。毛に覆われて見えないが、顔が真っ赤になり、毛がぼわわわと逆立つ。


「だ、だめだよ! 僕、学校に行かなきゃ……!」


彼は慌ててイツキをふりほどき、ベッドから飛び退き──勢い余って、床に転げ落ちた。


「いったあ……!」


痛みに顔をしかめながらも、その勢いを殺さないように急いでクローゼットを開け、制服を引っ張り出してばたばたと身支度を整える。制服のボタンを留めながら、ベッドに向かって早口で言った。


「日中は昨日とっておいたパンを食べてね! カギはかけていくけど、なるべくクローゼットの中にいるんだよ! 絶対に外に出ちゃだめだから!」


ベッドの方は見ないようにした。あられもない姿のイツキが目に毒だったからだ。


「……はーい……」


イツキは寝ぼけた声で返事をし、再び毛布に潜り込んだ。ヴァルグリスは小さく深呼吸してから部屋を飛び出す。


廊下をパタパタと駆け抜け──ふと、足が止まった。


……冷たい。


廊下の一角から、異様な冷気が流れ出ている。視線を向けると、重厚な扉が半ば開いていた。


氷室。またの名を、コレクションルーム。


ヴァルグリスの背筋に、ぞわりと寒気が走る。扉の隙間から覗いたのは、青白い光に照らされた室内。


見たくもないのに、目に入ってしまった──そこに並ぶ、氷の中の人影。


凍り付いた"コレクション"。


美しい衣装を纏った人間たちが、無言のまま氷に閉じ込められている。その顔は、ある者は恐怖に歪み、ある者は表情がごっそりなくなったかのような能面、ある者は眠るように目を閉じていて──


「……っ」


ヴァルグリスは息を呑み、慌てて目をそらした。


心臓が嫌な音を立てる。


イツキを匿うこと……それがどれほど危ういことなのか。わかっているはずだったが……それが痛いほど、思い知らされたような心地だった。


ばれた時に、あの少女の行きつく運命はただ一つ……。


彼は逃げるように、恐怖を振り払うように、廊下を駆け抜けていった。

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