一章
恋愛ものです
梅雨時の晴れ間は僕たちに何かを伝えたいのかもしれない。
「今日、『恋人』としての最後のデートにしよう」
朝早くに僕の恋人の桜井 にこは何の脈絡もなく電話で突然そう話してきた。
天気は、久々に晴れている。
「えっ、どういうこと?」
僕の戸惑いには答えてくれないかのように、彼女はさらに話を続けた。
「暖、今回のデートにおいて約束事が一つある」
「約束事?」
僕はスマホに耳を押し当てて彼女の話をしっかりと聞いた。
スマホから緊張感が伝わってしまいそうだ。
「恋人としての最後のデートの間は、何があったとしても楽しく過ごすことを約束してくれない?」
僕は未だに彼女の話についていけてないけど、言われた内容を嫌だという気持ちはなかった。
「うん、約束する」
「今回のデートは旅行に行きたいな。暖、急だけどこれからどこかいいところ探してくれる?」
僕はなんだか小さな違和感を感じた。本当に些細なことで取るに足らないことだけど。
僕たち二人において、デートのコースを決めるのはいつも彼女だ。
彼女がしたいことをいつも積極的に言ってくれる。それを僕も同じようにしたいと思い、二人でするのが僕たちのいつものデートだ。
僕は自分よりも彼女を優先したいから。
私が決めたいと彼女が言ったことは一度もない。でもいつの間にかこの形が定番になっていた。
今回はそこだけがいつもと違う。
「うん、わかったよ。決まったらま、」
「おっけー」と、彼女は僕の話を最後まで聞く前に答えた。長く付き合っている僕たちだからできる阿吽の呼吸のようなものだろう。
僕たちは大学生の頃に知り合って今僕が二十六歳だから、彼女とは付き合って六年が経つ。
「またすぐに電話するから」という言葉を僕はゆっくり飲み込んだ。
電話を切って、僕はすぐに旅行先を探した。
どこがいいだろうか。
普段しないことをするのはワクワクする。
彼女もこの感じをよく味わっているのかと思うと、その話を後でしようと思った。
考えた結果、彼女とのんびり過ごしたかったから箱根湯本で温泉に入ろうと思った。あと食べ歩きもデートに入れた。
箱根湯本駅の周りは元々食べ歩きできるところが多いけど、食べ歩きをプランに入れたのは二人とも好きなことでよく行っているからという理由もあった。
僕は彼女に何時待ち合わせかを伝えた。
こうして、僕たちの恋人としての最後のデートが始まったのだった。
待ち合わせ場所に現れた彼女は、いつもと明らかに雰囲気が違った。
いつもは全体的に落ち着いた色合いの服装で、ロングスカートのことが多い。
今日は、オレンジ色に近い黄色の服に、膝が少し見えるぐらいの長さのスカート姿だ。
服に疎い僕には黄色の服の名前がわからないけど、上下ともにふわっとしてかわいらしい彼女にすごく似合っている。また、彼女の小さな顔がより際立っている。
僕が少し見惚れていると、「本当は明るい黄色の服が好きなの」と彼女は少しもじもじして言った。
「えっ、そうなの?」
僕はそのことを今まで知らなくてかなり驚いた。
「うん。でも、着るのはなんだか恥ずかしかったから今まで着れなかった。でも今日は暖のために着てきたんだよ」
「ありがとう。すごく似合っているよ」
僕は頭を優しくなでた。僕たちは身長差が十センチぐらいあるから、少しだけ屈んだ。
彼女はナチュラルに上目遣いになった後、顔をまっ赤にした。
じゃあ行こうかと僕はつい早口になって言うと、彼女は僕の腕に手を絡ませてきた。
僕たちはいつもデートの時は手をつないでいるので、内心かなりドキッとした。
しかも、今日はこの状態でずっと歩くようだ。ドキドキ感がかなり大きくなったので、腕を伝って彼女に気づかれないか恥ずかしくなった。
でも彼女が笑顔でいるので、僕は腕を組んできたことについてあえて聞くことはしなかった。
目的地に向かいながら、僕は正直戸惑っていた。
どうして彼女は「今日、『恋人』としての最後のデートにしよう」と言ったのだろうか。
恋人として最後なら、二人の今後はどうなるのだろう。
最近彼女が仕事で忙しくて、少し冷たい時は確かあった。僕が甘えん坊だから求め過ぎなところはあることは自分でもわかっている。それに誰しも忙しい時はあって当たり前とそこの理解は多少はあるつもりだ。
単純に僕と別れたいということなのだろうか。
いや、冷たいということで二人の何かが大きく揺らぐ気はあまりしなかった。
今までケンカは数回したことはある。ケンカした時はお互いに自分の気持ちをちゃんと言い合って、相手の気持ちも理解し合った。
時間がかかる時もあった。ずっと平坦な道ではなかった。でも、ケンカした時は辛かったけど、今思えばあのケンカも二人が仲良くなるために必要なことだったと思える。
今は少し冷たい時があったぐらいで、ケンカをしているわけでもないし、二人の間の空気が悪いこともない。むしろ今日はとてもいい感じだ。
それなのにどうして、最後なのだろう。
別れたいということではなさそうな気がする。
朝に旅行に行こうと決めて、その日のうちに出発することも僕たちの間では特別なことではない。
彼女が行きたいとなったら、その時の行動力はすごいから。
少し前と、今日の行動も振り返ってみたけど、あの言葉以外は特に引っかかることはなかった。
本当に彼女はどうしたというのだろうか。
僕は頭を悩ませたのだった。
お読み頂きありがとうございます。
短い物語ですが、楽しんでもらえますように