一つ目、達成
課題の石の石詠みに成功し、図案を紡ぎあげられた後。
倒れてしまったレルシェは目覚めるとすぐにでも起き上がり、図案を持って駆けだそうとした。
けれど、それはラルシャンに止められ、結局その日一日は休むこととなる。
翌日になって、昔からレルシェを可愛がってくれていた街一番の彫金師の元に図案を持ち込んで形にしてもらった。
お前が試験を受ける時は何にも優先して仕上げてやるからなと言っていた老職人は、図案を元に素晴らしい細工を作り上げてくれ。金紅石は、幾重にも重ねられた銀線にて紡ぎあげられた美しい腕輪となっていた。
感激するレルシェに、図案が良いからだ、と老人は頬を緩めて褒めてくれた。
そして課題の期日、レルシェの姿は領主館の応接間にあった。
卓の中央に置かれた腕輪を数人の監督官が様々な角度から注視している。
息を飲んで経緯を見守っていると、やがて腕輪の前にはクレスタが立った。
一瞬だけ横顔に懐かしそうな、寂しそうな。不思議な色が過ったような気がしたけれど、次の瞬間にはいつもの領主に戻り、腕輪を手に取っていた。
レルシェが紡ぎあげた図案を具に見つめた後、腕輪を取り、あらゆる角度から真摯な眼差しを向けている。
他の監督官に出来栄えを確認されていた時も緊張したが、クレスタに見られていると尚の事緊張は増す。
気を抜けば顔が強張ってしまいそうだし、鼓動は先程からうるさい程に走っている。
硬い表情のまま腕輪を傾け、ひっくり返し、細部に至るまで何一つ見逃さないという様子のクレスタは黙したままだ。
彼の口から次に紡がれる言葉が何なのか、固唾を飲んで待ち続ける時間はひどく長く感じた。
やがて、領主は丁寧に腕輪を卓にある台座に戻した。
そして蒼の瞳を一度伏せ、再び開いたかと思えばレルシェに向き直る。
「一つ目の課題は、これで良しとしよう」
無意識のうちに祈りの形に手を組み合わせてしまっていたレルシェは、一瞬何を言われたのかを理解出来なかった。
思わず目を瞬き、クレスタを、そして周囲にいる監督官たちを見てしまう。
彼らは揃って頷き、レルシェへ穏やかな眼差しを返してくれている。
一つ目の課題に合格したのだ。乗り越え、次に進む事ができるのだ。
すぐにはそれを現実のものと受け止め切れず呆然としていたけれど、一呼吸おいて、ようやくレルシェの顔に喜びの色が表れる。
歓喜は見る間にレルシェを満たし、目頭に熱いものがこみ上げてくる。
咄嗟に言葉を返せなかったものの、必死に自分を叱咤してレルシェは勢いよく頭を下げた。
「ありがとう、ございます……!」
レルシェは必死で溢れかける涙を堪えていた。
こんなところで泣いてはいけない。まだ、ここで泣いてはいけない。
だって、レルシェの夢はまだここから続いていくのだから。
喜びを噛みしめながら顔をあげると、優しくレルシェを見つめるクレスタの眼差しに気付いた。
この街に自分を迎え入れ見守り続けてくれた男性が、レルシェが一つ目の課題を乗り越えてられた事を喜んでくれているが伝わってくる。
それが嬉しくて、抑えても抑えてもレルシェの心には温かい想いが満ちていく。
暫しレルシェを見つめていたクレスタは、表情を引き締めると改めて口を開いた。
「二つ目の課題については、今暫く時間を置く事とする」
思わぬ言葉に、一瞬きょとんとした表情を浮かべてしまうレルシェ。
そんなレルシェに、僅かに苦笑いの様子でクレスタは続ける。
「街全体が少し忙しくなるからな。待たせることになってすまないが」
「い、いいえ! 分かっていますから!」
やや申し訳なさそうに言うクレスタに、レルシェは慌てて首を左右に振る。
街全体が忙しくなる理由に心当たりがある、それをおしての無理は言いたくない。
慌てなくても、レルシェの道はまだ続いていくのだ。その事実だけが、今のレルシェにとっての全てだった。
監督官たちは静かに応接間から退室していったが、クレスタはその場に残ったまま。
何かあるのだろうかと不思議に思うレルシェの頭に、優しい感触が触れる。
「……倒れたと聞いている。次の課題を言い渡すまで、大事を取り調子を整えておけ」
幼い頃にしてくれたよう頭を撫でながら。クレスタは慈しみの籠った言葉を紡いだ。
ご領主様にまで自分が根を詰めすぎたことが知れていると思えば肩身を狭く感じてしまったけれど、自分を見つめる蒼い眼差しはとても優しい。
こくりと一つ頷いたレルシェを見て、クレスタはその場から退出していった。
少しして、レルシェは領主館を辞した。
中層へと戻る階段へと差し掛かった時、レルシェの前に紅い色彩を持つものが舞い降りた。
一瞬驚いたものの、それが結びの蝶であると知ったレルシェは思わずといった風に微笑んでしまう。
蝶は、そのまま階段を下へと下りるように飛んでいく。
レルシェの行く先を導くようにして飛ぶ蝶が、どこへ向かっているのかは分かった気がする。
足取りは踊るように軽く、階段を下りた後に気づけばレルシェは走り出した。
街を行く人々は、輝くような笑みを浮かべて駆けていく少女を優しく見送っていた。
ひらひらと舞う紅い翅は、やがてレルシェが夢を追う場所――工房の扉へと吸い込まれるようにして消えた。
息を切らせながらも満面の笑みで工房へと駆け込んだレルシェは、作業台の前に佇んでいた人影に飛びつくようにして抱きついた。
「師匠! 一つ目の課題、通りました!」
「おめでとう、レルシェ。良かったですね」
人影……ラルシャンは一瞬驚きよろめきかけたけれど、レルシェをしっかりと受け止めてくれた。
ラルシャンにしがみ付いたまま、感じる温もりに泣き出しそうになる。
だが、流石にいつまでもこうしていては、と一つ咳払いをして離れた後に、改めて何かを告げようとする。
けれども、次々と様々な思いが溢れてきて、なかなか言葉にならない。感謝も喜びも、伝えたい事なら沢山あるのに。
漸く調子を整えて、改めてどういうやり取りが先程為されたのかをラルシャンに説明する。
一つ一つに微笑みながら頷いて聞いてくれていたラルシャンは、なるほど、と呟くと考え込むように口元に手をやる。
「次の課題が言い渡されるのは、祭りの後になるかもしれませんね」
「クレスタ様も、監督官の皆様も忙しくなりそうですもんね……」
月が変われば、煌めきの街には祭りの時期がやってくる。
街が開かれた事を祝う祭りであり、街中が竜を象った様々飾りもので飾られる。
創始者である先代領主が、おとぎ話の存在である竜の加護を受けていたと語られる事が所以らしい。
都市をあげての祭りである以上、領主であるクレスタもやらねばならない事が山積みとなり、監督官たちもその手伝いに駆り出される。
レルシェもまた、街の人々がする祭りの準備や、数々の催し物の手伝うことになっている。
審査する方もされる方も、それが終わるまでは手が空かない状態だと言える。
「私、二つ目も頑張ります。……師匠に教えてもらったことを活かして、頑張ります」
静かな決意を宿した声音で、ラルシャンを真っ直ぐに見据えたレルシェは一言一言、しっかりと言葉を紡いだ。
あの金紅石が内に宿していた少年の日のラルシャンの姿。彼が先代領主と交わした約束。何故かそれが胸に焼き付いて離れない。
本当はそのことについて聞きたい。あの石は何故それを宿していたのか。彼の過去に何があったのか。
でも、レルシェはそれを静かに飲み込んだ。
レルシェの願いに至る道はまだまだ続くのだ。まだ、彼女は歩いていけるのだ。
ならば焦る事はやめようと思う。
そして何時か、レルシェが夢に辿り着いた時。その時にはもしかしたら、それを聞けるようになるかもしれない。
何時の日かを夢見ることができると信じるから、今はまだ。
ラルシャンは優しい笑みを浮かべながら、レルシェの言葉に頷いてくれた。
そうだ、と思い出した風にレルシェは身を翻して工房の外へ向かおうとする。
「テウタさんが、今日は夕に食事を取りにおいでって言っていました。絶対合格するから、御馳走を作っておくよって!」
どうしたのかと問うラルシャンへと、レルシェは嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら応える。
応援してくれた人々、力を貸してくれた人々への感謝を胸に思い出し噛みしめるレルシェの耳に、聞き捨てならない呟きが聞こえたのはその直後である。
「お野菜が入ってないといいのですが……」
「今日ぐらい、私のお祝いだと思って我儘言わないで食べて下さい!」
いい空気を台無しにしないで! と悲鳴のように叫んだレルシェは、行ってきますと残して工房から出ていった。
「頑張って……。貴方はそのまま前に進んで、一人前になって下さい……」
目の前に広がる未来を見つめて駆けていく少女を見送って、残されたラルシャンは静寂の満ちた工房にて独白する。
「早く一人前になって……どうか私を……」
あまりに苦く、切ない響きの帯びる声音には、何かの咎を責める響きがあった。
それきり、場には沈黙が満ちて。続く彼の言葉を聞いたものはなかった。
工房の外へと踊るように駆けだしたレルシェは、そのまま息を切らせながら街中を軽い足取りで進む。
輝くような笑みを浮かべ、不思議の都市にて夢を追い続ける少女を。
街の景色に煌めきを与えていた夕陽が、温かに見守るように照らしていた――。
====================================
お読みいただいてありがとうございます。
この物語については続きの構想もありますが、ひとまず区切りを置かせて頂きます。
書きあがりましたらまた再開する形で公開していきたいと思います。




