未完成の枠
レルシェが課題の金紅石を与えられてから、二十日経った。
石は頑なにレルシェに対して沈黙を守り続け、レルシェは日を追うごとに焦燥を増していく。
工房の作業机の前の椅子に腰かけ、机に突っ伏すように眠ってしまっているレルシェへと静かに毛布がかけられる。
気づかわしげに弟子を覗き込みながら、ラルシャンは溜息を吐く。
彼には分る気がするのだ、金紅石が彼女に対して沈黙を続ける理由が。
今を生きて欲しい、そう願っているからこそ石は少女に対して何も示さない。
石を詠んだわけではないから憶測にすぎないけれど、そう思えてならないのだ。
白い顔で眠るレルシェに、ラルシャンは静かに語り掛ける。
「願いを叶えて欲しいと思います。けれど、例え石詠み師とならなくても貴方は貴方なのです。他の誰でもない……」
レルシェの頬に伸ばしかけた指を、一瞬の躊躇いの後に引いた。
それをしてはならない。その理由は自分が一番よく分かっている。
切ない眼差しでレルシェを見つめていたラルシャンは、再び溜息を吐くと静かに工房を後にした……。
レルシェの顔から笑顔が消え、石が沈黙したまま、また数日が経った。
ラルシャンに心配をかけないように何とか何時も通りであろうと、レルシェは何時ものようにラルシャンの世話を焼いた。
食事を取りに行った先でも、努めて笑顔であろうとした。
けれども、それを何も言わず見守る人々の顔に少しずつ哀しげな色が増してく中、レルシェはその日工房の片づけをしていた。
殊更今することではないと分かっている。これは、ただの逃避行動だ。
期限まであと幾日もない。レルシェが追い続けてきた夢の終わりがそこまできている。それを認めたくないのだ。
この街で石詠み師となる事を諦めるか。それとも、今の環境を全て捨ててでも他に可能性を求めるか。
幾ら考えても答えが出ない。心が、出す事を拒んでいる。
レルシェは作業卓に載せられたままの金紅石を見つめた。
何故この石は、ここまで頑なに何も伝えてくれないのだろう。何故クレスタは、この石をレルシェに課題として与えたのだろう。
この石だけではない。共通点のないあと二つの石だって分からない事が多い。
でも、もうあの二つを目にする事はないかもしれない……。
レルシェがそんな事を考えながら箒で工房の床を掃いていた時、目の前をふわりと何かが過ったような気がして驚いて顔をあげる。
瞬いた目は、ひらひらとゆれる赤い翅を捉えた。
「結びの蝶……。どうして……」
街の中を飛び交う不思議の蝶が、工房の中へと入って来たのだ。恐らく、換気の為にと開けていた窓から入って来たのだろう。
誘われるような花を飾っているわけではないのにと不思議に思っていると、蝶はふとある方向へと向かっていく。
そして柱時計の下部、花の彫刻の施された場所に止まったかと思えば……消えた。
レルシェは思わず目を見開いた。
不思議な蝶だとは聞いていたけれど、まさかこんな風に突然消えて見せるなんて。
訝しんでいたレルシェは、弾かれたように時計を見る。
人と人、人と物。様々なものの縁を結ぶ、結びの蝶。何かを示したかったのだとすれば、もしかして……。
恐る恐る指先で探ると、彫刻の一部が軽い音を立てて凹み、そして板が扉のように開いたのである。
隠し扉、と驚愕に目を見張ったまま呟いたレルシェは、そこに細長い木の箱がある事に気づく。
開けてみたなら、その中には。
「これは、首飾り?」
レルシェの目の前に現われたのは、緻密にして流麗な曲線にて描かれる、連なる花々を意匠とした首飾り。
見ただけでラルシャンの作と分かる見事な作品だ。
だが、一つだけ作品と呼ぶには首を傾げてしまう点があった。
「……枠だけで、石がない……。途中なのかな……」
丁寧に仕上げられた細工は見る者の目を奪う程に美しいのに『枠だけ』なのだ。
繊細な金線と銀線で象られた枠の中央に据えられているはずの石が無い。
せっかくこれだけ美しく仕上がっているのに、肝心な宝石が嵌っていないのは何とも寂しい。
仮にラルシャンが石詠みをして、それに基づいてこの枠を仕上げたのであれば嵌めるべき石がある筈なのに。
途中のままで留め置かれている首飾りに、不思議な程に心が痛む。
何故と自分の中に問うけれど答えは見つからない。
その時、何かに呼ばれたような気がして弾かれたようにそちらを向いたなら。
今まで頑なに何も語らなかった金紅石が、レルシェの戸惑いに呼応するように『声』を発しようとしている。
伝わってくる、まるでこの枠に共鳴するような気配にレルシェは言葉を失った。
違う、この石の為の枠じゃない。けれど……この石は『知っている』……。
この首飾りが、誰が、何の為に作り上げたのか……!
レルシェは、意を決して今まで何度もしてきたように、金紅石へと意識を集中し思念の手をそっと伸ばした。
これまでとは明確な違いがあると、瞬時にわかる。
レルシェの内に流れ込んでくるようにして像を結んだのは、愛おしむように石が内に宿し続けてきた記憶だった。
――少年が、誰かを呼んでいる。
『セラン様!』
その場には、二つの人影があった。
片方は少年だ。美しい銀の髪をした、少女のようにも見える整った顔立ちの少年。
そしてセランと呼びかけられたのは、燃えるような紅い髪の妙齢の女性だった。
セランという名、一つだけ心当たりがあった。
二十年前に亡くなったというクレスタの先代にあたる領主、その人がセランという名の女性だった。
この街の開祖とも言える人物であり、宝石の鉱脈を見つけ都市を開き。職人達を招いて保護し、今日の繁栄の礎を築いた。
明るく気さくな方だったと、クレスタが頬を緩ませて語っていたのを覚えている。
『僕、また一つ石詠みで作品を作れたよ! セラン様が教えてくれたから!』
『これは大したものだ。頑張ったな』
少年は、小さな石をあしらった飾りを差し出しながら満面の笑みにて言う。
彼は見た処十を少し超えたばかりだと思われる。それでもう石詠みが出来るとはかなりの才だと思わず感心してしまう。
それに、彼には見た事のある面影がある……。
女性が感嘆の表情で称賛すると、少年は頬を紅潮させて更に言葉を続けた。
『まだまだ、小さな飾りばかりだけど……。いつか、一人前になって。貴方に捧げる作品をつくるんだ!』
『ありがとう。楽しみにまっているよ、ラルシャン』
その瞬間、レルシェは目を見開いて言葉を失う。
女性は、少年をラルシャンと呼んだ。つまり、あの笑顔で女性に語り掛ける少年は……かつての師匠だというのか。
本当にそうだとなら、それを知るこの金紅石は一体。
戸惑いに揺れるレルシェを他所に、結ばれる像は徐々に遠ざかるように薄れていく。
必死に手を伸ばすけれど届かない。知りたいけれど、それ以上を知る事ができない。
少年を慈しむ笑みを浮かべる女性は彼に何かを手渡して、言葉を紡いでいる。
聞き取れないし、何を渡したのかが見えない。
だが、女性の右の手首に金紅石の輝きが見えたような気がする。
靄がかかったようにその造りも意匠も見えなかったけれど、何故かレルシェの胸にその輝きが強く焼き付いた。
交わされたのは、一つの約束。ただ、それだけは確信としてレルシェの中にあった。
彼と彼女は約束した。そして信じていた。いつか、互いの願いが叶う日がくると。
私は、わたしは。これからも、ずっと、あなたと――!
脳裏に結ばれた光景が消失すると同時に、レルシェの頬を一筋の透明な雫が伝う。
あれが本当にラルシャンの過去であり、かつて交わされた約束だったとしたら。その約束は叶えられたのだろうか。
そして、女性は少年に何を願ったのだろうか。
それ以上はレルシェには分からない。分からない事がもどかしくてならない。
もどかしさ、哀しみ。慕わしさの懐かしさ。形容することが難しい程に裡から湧き上がる想いが奔流となってレルシェの最奥から湧き上がってくる。
――今なら、できる。
レルシェは身に宿る魔力の全てを目の前の金紅石に集中させ、それは想いの奔流と絡まり合い、一つになる。
胸に募る想いの全てが体中から吹き出したかと思うほどにレルシェの内に宿る魔力は想いを帯びて全身をかけ巡り、石へと向かう。
大きな流れは、石がそう在りたいと願う姿、そう在るべきである姿を織りあげるようにして紡いでいく。
やがて、一つの装身具の図案を為した。
それは、約束を意味する植物を意匠とする、一つの腕輪の姿だった……。
出来上がった図案を見て、息をする事も忘れていたレルシェは暫くの間呆然としていたが、やがて安堵の息を吐く。
否、吐こうとした。
次の瞬間、レルシェは図案に手を伸ばそうとしたまま、その場に倒れ込んでしまったのである――。




