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願いの理由

「教える程のことはありませんよ」


 穏やかな笑みの師匠の言葉は、あまりに取り付く島もないものだった。

 朝食の席でさりげなく聞いてみたのだ。ラルシャンが一人前の認定の試験を受けた時のことを。

 どんな石を詠んだのか。何を形として作り上げたのか。初仕事はどんなものだったのか……等々。

 レルシェがラルシャンを知った時は、彼は既に名声を確固たるものとしていた。

 だから知りたかったのだ。彼がレルシェと同じ様に一人前と認められる前の事や、駆け出しと呼ばれる時期のことを。

 だが、何度聞いても、何を聞いても、師匠は笑顔で煙に巻くばかりなのだ。

 問いを重ねるうちに、そしてそれに当たり障りのない答えが変える内に。

 レルシェは、ラルシャンは過去に触れられることを『拒絶』しているのだと嫌でも気付くことになる。


「試験は今回だけというわけではないのです。あまり根を詰めないように」

「でも、一度駄目だった人がまた受けられる例というのは稀だって……」


 レルシェの質問攻めを、煮詰まった故の逃避行動とでも思ったのだろうか。

 食事の手を止めて、ラルシャンは少しばかり苦笑すると、宥めるように言う。

 それを聞いたレルシェは顔を歪めて俯いてしまう。

 確かに、石詠み師の試験は一度だけとは定められていない。

 もう一度認定に挑むことが認められた例があると聞いたことがあるが、少なくともレルシェがこの街にきてから今に至るまでは確認出来ていない。

 都市により認定の難易度が違うともいうので、人によっては受験地を変えて再挑戦することもあるらしい。

 この煌めきの街で認定を受けることは最も難しいという話だ。

 自分が無謀なのだろうか。身の程を弁えない挑戦だっただろうか。俯いてしまったレルシェの耳に、ラルシャンが一つ息を吐いたのが聞こえた。


「レルシェ。ここまで修行を続けさせておいてこう言うのも何ですが……。道は、石詠み師だけではないと思います」


 あくまで穏やかに言われた言葉を耳にした瞬間、レルシェは思わず目を見開いた。

 ラルシャンが今言ったことは……諦めろ、ということなのか。

 課題の石がレルシェに沈黙を続けてはや十日。

 いつもならとっくに石詠みを終え、自分で加工を始めるなり、街の名人に依頼するなりしている。

 甘く見ていたわけではないが、ラルシャンもきっとそう思っていたのだろう。

 でも、今目の前にある現実はあまりに想定外で。温厚な師匠をもってしても、先を危ぶむものだということなのか。

 この街でこのまま暮らしていくだけなら、幾らでも道はある。

 ラルシャンの弟子として彼の仕事や日常を支え続けていくことはできるし、街の中だけの個人的な依頼であれば一人前の認定が無くてもできる。

 仮に工房を出たとしても、街に暮らすのは職人だけではない。テウタのように職人達を支える生業の者達だっている。彼女達のように生きる道だってある。

 でも、レルシェの願いは……!

 そう思った瞬間、レルシェは弾かれたように叫んでいた。


「私は、石詠み師になりたいんです! 良くしてくれたこの街の人たちの……みんなの期待に応えたいんです!」


 ラルシャンは、レルシェの剣幕に目を見張って言葉を失っている。

 落ち着かなければと思う自分がいるけれど、堰を切ったように零れる言葉を止められない。


「今まで師匠に沢山教えてもらって、色々なことを覚えて、出来るようになって……。沢山、沢山もらったものがあるのに。頑張って来たのに……!」

「レルシェ……」


 呆然としている師匠を感じるけれど。気を抜けば子供のように泣き出してしまいそうだけれど、止められない。

 石詠み師になることは、レルシェが『初めて』抱いた自分の願いであり、追い続けてきた夢なのだ。

 領主館でラルシャンが石詠みして作り上げた装身具を初めてみた時の衝撃は未だに忘れられない。

 魂を揺さぶるほどの輝きを秘めた作品を見た時、レルシェは思ったのだ。いつか、自分もこんな美しいものを生み出せるようになりたいと。

 諦めなさいと言われても諦めきれない。足掻いたとしても、手放せない。

 初めて抱いた夢は、追い続けるうちに新しい夢をくれた。それは。


「私は、師匠の作品を見て夢をもらいました。……石詠み師になって、いつか師匠に捧げられるだけの作品を作りたいです!」


 尊いとまで言われる技と知識を持ちながら、惜しむ事なくレルシェに与えてくれるラルシャン。

 彼の元で修行を続けるうちに、彼の優しさに触れ歩み続ける内に、レルシェにはもう一つの夢が出来た。

 いつかラルシャンに教えてもらった技で、ラルシャンに捧げられるだけの作品を作り上げたいと。

 それは、身の程知らずの夢かもしれない。けれど、レルシェの背を押してくれる大切な夢なのだ。

 レルシェが口を閉ざすと、その場には沈黙が満ちる。

 呆れられてしまっただろうかと不安になりながらラルシャンを伺うようにして視線を向けたレルシェは、思わず言葉を失う。

 先日レルシェが金紅石を工房に持ち帰った時。貴石を見たラルシャンが、一瞬だけ目を見張り顔色を変えたような気がしたが。

 今の彼は、あの時と同じ表情――深い悲しみに満ちた、傷ついた顔をしていた。

 暫く何かを言おうと逡巡している様子だったラルシャンは、自分を落ち着けるように深く息をした後に立ち上がった。

 レルシェに背を向けたラルシャンは、振り返ることなく呟いた。


「私は、そんな事を言ってもらえるような人間ではありません……」


 呼び止めようとするのを拒む空気を纏う背に、レルシェは何も言えず居間から消えていくラルシャンを見送った。

 食べかけの食事が、皿の上でぽつんと寂しく残されている。

 自身も手を止めてしまっていたレルシェは、一人になってしまった食卓でただ俯き、ラルシャンが居た場所を見つめていた。

 振り向くことなく行ってしまったラルシャンが……彼の拒絶が痛くて、悲しかった。

 課題を言い渡される前は、食卓にはいつも他愛ない会話があって、穏やかな時間が流れていて。手のかかる師匠を叱咤しながらも、楽しく温かな日々を送っていたのに。

 自分が課題をこなせないから。或いは、自分が潔くないから。夢にしがみつこうとしているから。

 目の前にある現実を認めてしまって諦めれば、楽になるだろうか。

 でも、このまま石詠み師になれなかったら、街の皆はがっかりするだろう。

 課題を与えてくれたクレスタも。テウタやレンツォ、応援してくれていた街の人々。

 皆は、レルシェがいずれラルシャンと共に石詠み師としてこの街で生きていくと思っていたからこそ、認め、受け入れてくれていたのかもしれないのに……。

 そこで、レルシェは深い溜息を吐く。

 考えすぎた、とは思う。ここで例え石詠み師となる道を諦めたとしても、街の人々はレルシェを追い出したりはしないと思う。

 けれど、怖いのだ。受け入れてくれたはずの人々が、場所が、無くなることが。

 元の『何も無い』自分に戻ることが……。

 黙したまま、陽光差し込む窓へ視線を向けて、もう一つ溜息をつきながら過去に思いを馳せる。

 食堂にて働くレンツォと同じ様に、レルシェも元は『外』の人間だった。

 記憶にかろうじて残っているのは、鞭の音と飢えを抱えていた日々。

 レルシェは、かつてとある隊商にて奴隷として使われていたのだ。

 しかし、数年前にこの街の近辺にて隊商は砂嵐に巻き込まれて壊滅した。

 どう逃げたのかも覚えていない。かろうじて命を繋いだレルシェは、煌めきの街へと辿り着いた。

 たまたま下層を訪れていたクレスタが生死の境を彷徨うレルシェを見つけ、街にて保護してくれたのだ。

 かつてない年若い漂着者ということで街はどよめいたらしい。

 特例としてクレスタが領主館にて保護してくれたのだが、そこでレルシェはラルシャンの作品を見つけた。

 そして、街に居住が許されることになった時クレスタに訴えたのだ――石詠み師になりたいと。 

 それまで、レルシェには何も無かった。

 無価値なものとして、いつも罵られて打たれて。自分には何もできない。だから、言誰かのいう事を聞くしか、自分の存在には意味がないと思っていた。

 そうでなければそこに居てはいけないのだと。自分の居場所はそこだけで、存在意義はそれだけだと。

 けれどこの街にきて、クレスタに助けられ、街の人々に受け入れられ。生まれて初めて心から、自分だけの『願い』を抱いた。

 それが叶えられて、ラルシャンの工房に弟子入りして。夢を追い続けることによって、ようやく自分はここに居るのだと実感できている。

 石詠み師になることは、レルシェが初めて抱いた願いであり、見つけた生きる理由であり。笑顔で受け入れてくれた人々と、自分が居てもいい場所を守り続ける為の術でもあったのだ。

 ラルシャンに続く石詠み師になれた時、その時、本当の意味でレルシェはこの街の一人になれる気がする。本当の意味で、この街に根付ける気がするのだ……。

 立ち止まりたくないし、諦めたくない。

 レルシェは勢いよく立ち上がると食卓の皿や道具を片づけ、課題の石に向き合った。


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