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三つの石

 その日、いつもとは違い、テウタの店の人間が、食事のバスケットを届けてくれた。

 頑張れよ、と言って若い男性は帰っていき、勇気づけられると共に今日がいつもとは違うのだと改めて感じさせられる。

 ラルシャンですら、一度起こしただけで起きてくれた。

 とうとうその日が来たのか、と朝から何度深呼吸をしたことだろう。

 改まった場に赴く為の装いが身体に重く感じる。平常心、と心に言い聞かせても、気を抜いたら鼓動が暴れ出しそうだ。

 ラルシャンはレルシェを見守りつつも、敢えて何も言わない。

 ただ何時も通り穏やかな眼差しで見守ってくれている。それがレルシェにはかえってありがたかった。

 内心煩悶しつつも、時間は止まることなく過ぎていく。

 やがて、その時間はやってきた。


「師匠、行ってきます」

「はい。行ってらっしゃい、レルシェ」


 工房の入口にて、何とか笑みを作りながら振り向くレルシェ。

 笑えているだろうか。もしかしたらひきつった笑顔になってしまっているかもしれないが。

 ラルシャンは少しだけ苦笑いの雰囲気を滲ませつつも、優しい笑みを浮かべて見送ってくれた。

 工房を出たレルシェは、そのまま上層へと繋がる階段へと向かう。

 馴染んだ街並みの中を歩いているのに、今日だけはいつもと違って見える。

 道行く人々も、皆今日がレルシェにとってどんな日であるかを知っている。顔を見ると、揃って激励の言葉をかけてくれた。

 ともすれば緊張に足が止まってしまいそうになるのを、励ましの言葉に背を押されてレルシェは進む。

 改まった装いにて向かった先は、いつもはあまり立ち入ることのない上層だった。

 宙に浮かぶ岩塊にも似た上層には、都市の政治的機構を司る施設と、統治者である領主の住まう館がある。

 一刻後、レルシェの姿はその領主館の応接間にあった。

 各所に竜を意匠とした装飾が施され、柱一つとっても流麗な趣のある場には、レルシェの他に数名の姿。

 居合わせるのは、試験を担当する監査官たちと、他でもないこの都市の領主である。

 三十半ば頃に見える男性の名は、クレスタという。

 先代である女性が亡くなったのは二十年程前だというから、まだ少年のうちに地位を継ぐ事となったのだろう。

 都市を守り導く敏腕ぶりは誰もが認めるところであり、ただ一つの特異な点だけを除けば非の打ちどころのない人物である。

 威厳ある佇まいの若き領主は、レルシェを暫し見つめた後ゆっくりと口を開いた。


「楽にするがいい。お前の成長ぶりは『あれ』から報告をうけている。頑張っているようだな」

「あ、ありがとうございます、クレスタ様……!」


 クレスタは、声が震えそうになるのを必死で堪えるレルシェに少しばかり苦笑いを浮かべる。

 緊張した面持ちのレルシェは、監督官を背に従え立つ領主へと不躾にならぬよう気を付けながら視線を向ける。 

 流れる絹糸のような黄金の髪に、空の紺碧を写し取ったような切れ長の蒼い瞳。

 陽に焼けることのない白い肌の端整な容貌は、時として人に冷たい印象を与えることもあるようだが、レルシェは知っている。

 この人が日々レルシェを見守ってくれていて、温かな眼差しを向けてくれることを。

 公の場では謹厳な態度を崩さない彼が、私の場においては屈託ないまでの笑みを浮かべることを。

 かつて傷だらけでこの街に辿り着いたレルシェを抱き上げてくれた腕は、とても優しかったということを……。

 折に触れ工房を訪れては、レルシェを気遣ってくれるクレスタ。

 ラルシャンを指して『あれ』と言い、名を呼ぼうとしないところだけはいつも密かに気になっているのだけれど……。


「街の定めに従い、お前を一人前の石詠み師として認めるか否か、試験を行う」


 クレスタは、公の顔にて厳かに宣言した。

 レルシェは唇を引き結び、固い面持ちにて静かに頷き応える。

 傍らにいる監督官にクレスタが一言命じると、三つの小さな箱を載せた銀のトレイを手にした一人がレルシェの前に進み出る。

 息を飲んで見守るレルシェの前で三つの小箱を卓に載せた監督官が、続けてそれらを開いた。


「これは……」


 張られた天鵞絨に収まるように鎮座していたのは、研磨された三つの石だった。

 目に映るのは、青と緑と黄金。

 一つは角度によって見せる色を変える菫青石。

 もう一つは、太陽の光に煌めく草原を思わせる橄欖石。

 そして、幾重にも重なる黄金の糸を閉じ込めたような金紅石。

 それぞれに質は良いものだと見てわかる。だが、共通点らしきものは見つからない。

 けれど、何故か、何処か……。


「これらの石詠みを行い、石にとって最も相応しき形を為す事。それが課題だ」


 何を以てこれらの石が課題として選ばれたのか心に疑問を抱くレルシェへと、クレスタが厳格な声音で告げる。

 それを聞いて、レルシェは目を見開く。

 色々と戸惑いはあるけれど、分かる事は一つ。試験は今ここに始まったのだということ。迷っている暇などないのだ。

 クレスタは三つの石の中から一つ……金紅石を収めた箱をとると、レルシェへと差し出した。


「一度にお前に渡す石は一つ。期限は一つにつき一か月。一つの課題を達成出来たら次に進むこととする」


 レルシェは表情が強張りそうになるのを必死で堪えながら、丁重に差し出された金紅石の小箱を受け取った。

 これが、第一の課題。この石の石詠みにてクレスタと監督官たちが納得する成果をあげることができたら、次なる石を受け取ることができる。

 つまり、つまずいてしまえばそこで終わり。次に進む事すら許されない。

 その事実を認識するに至り、レルシェは思わず息を飲んでしまう。

 もしも失敗してしまえば、レルシェの夢はそこで。


「そう気負うな。……お前になら、これらの石はきっと応えてくれる」


 穏やかな声音を耳にして、レルシェは自分が無意識のうちに唇を噛みしめていたことに気付く。

 弾かれるように顔をあげた先には、慮る色を蒼い瞳に宿した優しい苦笑いがあった。

 様々な思いが入り交じり複雑な面持ちになってしまっているレルシェへと、クレスタは更に続ける。


「これらの石があるべき姿を為した時、お前はあるべき場所へと導かれるだろう」


 不思議な言い回しにレルシェは微かに戸惑うけれど、それを問う事は出来なかった。

 内を巡る問いをまとめようとしている間に、クレスタが監督官を従えて退室してしまったからだ。

 残されたのはレルシェと、一つの金紅石。

 黄金色を封じ込めた美しい水晶は、窓から差し込む陽の光を受けて煌めき、レルシェの目を惹きつける。

 何故、自分への課題として三つの石が選ばれたのか。

 分からない。分からないけれど、進まなければいけない。その先に行かなければ、レルシェの夢は叶わない。

 レルシェはそっと金紅石の小箱を胸に抱くようにして手にする。

 何故か、温かいような気がして。

 何故か……不思議と『懐かしい』と感じる気がした。

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