認定試験
テウタ達と少しの間他愛ない会話を交わしたレルシェは、バスケットを抱えて工房へと帰った。
レルシェが工房に辿り着いた時、案の定ラルシャンは再び夢の中だった。
やはり、と溜息を吐きながらまた必死に彼を起こして、二人は朝の食卓を囲む。
あれやこれやと会話を挟みつつの食事が終わってしまえば、あとは何時も通りの学びの時間だ。
少しの後、工房にてレルシェは与えられた課題に取り組んでいた。
ラルシャンの見守る前で一つの紅玉と向き合う。
少し前までは練習での試作品で終わっていたが、最近では街の人々に実際に頼まれた品を手掛けることが増えていた。
独り立ちが近いことを踏まえて、課される課題もより実践的であり、扱う石もより上等なものになっている。
失敗はしたくない。けれど不必要に気負うのもいけない。
自分にそう言い聞かせて意識を石に集中させ、魔力を内から呼び起こす。
深い紅を讃える貴石の中に、揺らめく焔のような石の『声』を感じ、静かに神経を研ぎ澄ます。
感じる。
石が、うたっている。願いを紡いでいる。踊るようにして、望む姿を紡ぎ出そうとしている。
レルシェは、それに必死に意識と魔力を同調させようと試みる。
――つかんだ。
レルシェは現ならざる手でそっと石に触れた。
石がうたう『声』が、少しずつレルシェの内側に沁み込んでいく。レルシェの心の一部となっていく。
やがて温かな波動がレルシェの中から湧き上がってくるのと同時に、レルシェの脳裏にある像が結ばれていく。
緩やかに手を宙空に差し伸べ動かせば、レルシェの指先から生まれる光が宙を滑るように走り、形を結ぶ。
魔力の奔流が、経糸と横糸が絡み合うように一つの姿を描きだして行く。
見る者によってはまるで光を操り舞っているようにも見える姿で、レルシェは一心に紅い石が最も輝く姿を紡いでいく。
レルシェが手を止めた時、そこには羊皮紙にも似た質感の紙に描かれた、踊る焔を意匠とする精緻な首飾りの図案が出現していた。
そこに至ってようやく深く息を吐き出したレルシェの耳に、穏やかな声音の言葉が聞こえる。
「……上出来です。頑張りましたね、レルシェ」
図案を手に細部に至るまで無言で眺めていたラルシャンが、優しい笑みを浮かべてレルシェを見つめている。
石詠み師が魔力で紡いだ図案は、触れることで職人の脳裏に直接形状に手順、要所を伝える不思議な力を持つ。触れてそれが恙無く感じられるかも確かめていたようだ。
やがて師匠が頷きながら言ったのを聞いて、うまくいったのだと悟ったレルシェの顔が一気に喜びに輝く。
「これなら他に出しても恥ずかしくありません。きっと手にした人に喜んでもらえるでしょう」
レルシェの石詠みの結果を確かめている最中のラルシャンは真剣そのものだった。
日頃柔和な気性である師匠は、その指導はただただ真摯であり、時として別人のように厳しい。
しかし、同時に己の持てる全てを与えようとするように、惜しみなく教え、学ばせてくれる。一つとして隠すことなく、希少な知識や技をレルシェに示してくれる。
聞いたところによると、以前はこうではなかったという。いや、そもそも弟子を取ろうとすらしなかったらしい。
頑なに弟子どころか工房に人を入れようとしなかったラルシャンがレルシェの弟子入りを許可した時、街の人々は皆驚愕したそうだ。
領主の口添えがあったからかと訝しんだ人々も、レルシェの修行が進むにつれ一人、また一人納得し頷いてくれるようになった。
今では、街の人々はレルシェの頑張りとその成果に、これならば、と笑みを浮かべて応援してくれる。
いずれラルシャンと並び、煌めきの街の名を背負って立つことのできる石詠み師になるだろうと言われ、少しばかり面映ゆくはあるのだが。
描き終えた図案はレルシェの技量では再現出来ないため、石と共に街の彫金師の元に預けることになった。
休憩しましょうかと言われレルシェはすぐに茶を用意し、二人は一息つく。
暫く和やかに石詠みの振り返りをしていたが、ふとラルシャンが何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、そろそろ『試験』の課題が伝えられますね」
レルシェは、静かに一度頷いた。
この街において、石詠み師に限らず職人として一人前と認定される為には、試験を受ける必要があるのだ。
課題は領主によって言い渡され、審査は領主と街の監督官が行うことになっている。一人前の認定を受けるまでは、街の外へ作品を送り出すことは許されていない。
半端なレベルの作品を流通させては煌めきの街の権威を損ねることになる。
出回る作品の質を維持するために管理者による試験により、職人達の水準を一定に保つ必要があるのだ。
そして、レルシェがその試験を受ける日がすぐそこまできていた。
来たる日に、レルシェは領主から直々に課題を言い渡されることになる。
どんな課題が言い渡されるかわからない。想像もつかないほど、難しいものである可能性だってある。
その試験に合格できなければ、今までどれほど研鑽を重ねてきたとしても、築いてきたものがあったとしても、レルシェは石詠み師を名乗る事ができないのだ。
心の中に不安の霧が立ち込めようとするのを、大丈夫ですよ、というラルシャンの言葉が払ってくれる。
「今まで積み重ねてきたものを信じなさい。貴方なら、きっと大丈夫です」
柔らかな微笑みと声音で紡がれる言葉に、レルシェは胸の奥が熱くなる。
稀代の、とまで言われる石詠み師の秘されるべき知識も技も、けして惜しむ事なく持てる全てを与えてくれたラルシャン。
この人を師に持つに恥じない石詠み師になりたいと思う。
今はその背を追うばかりで、届くことなどないけれど。いつか、自分だけの強さを手に入れて、追いつく事が出来たなら。
レルシェ目の端に滲みかけたものを必死でこらえながら、何度も頷いて見せた。
その様子を見て笑みを深くしたラルシャンは、一つ息を吐くと静かに告げた。
「早く一人前になって欲しいです。そうしたら、すぐにでもこの工房を譲りますから」
感激して聞いていたが、レルシェの動きがぴたりと止まる。
聞き逃せない内容に、思わず顔が強ばった。
「……まさか、師匠はそのまま引退、悠々自適な楽隠居生活とかいわないですよね?」
如何に一人前の呼び名を得たとして、何故そこからすぐさま工房を譲る・譲らないという話になるのか。
よもやまさかと思いながら静かに問いかけると、す……と視線を逸らすラルシャン。
レルシェの顔が、更に強ばり口元が引き攣る。
間違いない。レルシェが一人前になったら、この師匠は引退するつもりだ。
更には、盛大にぐうたら好き放題に生きる気満々だ。
「しっかりして下さい! まだそんな年齢じゃないでしょう⁉」
せっかくのいい空気が台無しだ! と心の中で悲鳴をあげながらレルシェは叫ぶ。
怒りの形相で自分を問い詰めようとする弟子に、師匠は口を尖らせ膨れて見せながら応える。
「今までとても頑張ったので、楽をしたいなーって思うのですよね……」
「いくら一人前の認定をされたって、まだまだ教えてもらいたい事はありますから!」
一人前=後を任せていい、ではないのだと必死に訴えるレルシェ。
まだまだラルシャンの領域にはほど遠いのだ。教えてもらいたいことは山ほどある。
そうそう簡単に引退されてたまるかと血相を変えて詰め寄るレルシェを見て、ラルシャンは苦笑する。
「レルシェは大丈夫です。……貴方なら、きっと」
思わず動きを止めてしまうレルシェ。
その声音がどこか哀しげで、寂しげで……あまりに複雑なものを秘めているように聞こえてしまったから。
レルシェに対して言っているはずなのに、レルシェではない誰かに言っているようにも感じる声音。
大丈夫なんてことはないのに。私は、あなたにまだ教わりたいことがあって。まだ、一緒にいたくて。私は……。
「さて。休憩はそろそろ終わりにしましょうか」
目に見えて肩を落し哀しげな表情になってしまったレルシェを見て、一つ息を吐いたラルシャンは椅子から立ち上がる。
いつもの穏やかで明るい声音で言いながら、くるりとレルシェに背を向けて作業台へと歩いていく。
茶のカップを片づけるレルシェは、何故かその背を見ながら心に説明できない小さな棘が刺さったように感じた……。




