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石詠み師

 下層には幾つもの食堂がある。

 レルシェが向かった先はその中でも最も賑わう店だった。

 店の中には幾つもの円卓があり、職人であったり、或いは鉱山関係者であったり。様々な人達が卓について賑やかに飲み食いしていた。

 多くの工房は、せいぜい温めたり湯を沸かしたりする程度の簡易な設備しか備えていない。故に、大体の者達は街の食堂に食事をしにいくか、作ってもらったものをこうして取りに来る。

 街から各工房には生活面で様々な支援がされている為、各自が設備を整えるより余程楽だし美味しいものが食べられるのだ。

 そして、鉱山にて採掘に従事する人々にとっても食堂は大事な生活の要である。

 見知った顔に挨拶をしながら奥へ奥へと進んでいき、カウンターへと辿り着く。

 そこには次々やってくる客を見事な采配で捌く中年の女性と、それを手伝いする青年の姿があった。


「テウタさん、おはようございます」

「おはよう、レルシェ!」


 笑顔が朗らかな恰幅良い女性は、レルシェの姿を認めると笑みを深くして応えた。

 テウタへと明るく挨拶したレルシェは、テウタの傍らの青年へも視線を向ける。


「レンツォもおはよう」

「おう、おはようさん」


 なかなかの伊達男であるレンツォと呼ばれた青年は、人好きのする笑顔を見せながらひらひらと手を振った。

 テウタは厨房へと引っ込むと、戻って来た時には大きなバスケットを抱えていた。

 あれこそが、レルシェがここまで足を運んだ理由……彼女と師匠の食事一式である。

 ラルシャンは、けしてここに足を運ばない。だから、持ち運ぶことができる状態にしてもらったものをこうして取りに来るのだ。あとは食べたい時に随時温めるだけ。

 二人の三食分となるとそれなりの重量になるが、それを運ぶのももう慣れたものだ。おかげで筋肉がほどよくついた気がする。

 小柄なレルシェが抱えるには大きいバスケットとレルシェに順番に視線を向けて、テウタは苦笑する。


「ごめんね。毎度取りに来させて」

「そんな。こうして美味しいご飯を作って、持っていけるようにしてくれるだけでありがたいですよ!」


 申し訳なさそうに言うテウタに、レルシェは慌てて首を振って否定する。

 こうしてテウタが食事を持ち帰りできるようにしてくれなければ、ラルシャンとレルシェの食事情は相当に乏しいものとなっていただろう。

 それを思えば感謝こそすれ謝ってもらう理由などない。

 必死に感謝を伝えるレルシェを見て、テウタは一つ息を吐くと傍らのレンツォへと視線を向ける。


「レンツォに届けにいってもらえればいいけど、レンツォは中層に行けないからね」

「俺は、まだこの街では『余所者』だしなあ」


 食堂の空気にすっかり馴染んでいるレンツォは、実のところ『一時滞在者』である。

 先に述べたように、この街は職人達を守る為に外の人間の出入りにはとても厳しい。

 街に定住する許可を得た人間以外は、あくまで下層のみ滞在が許される。

 レンツォに定住許可を得ていない。立ち位置的に外の人間である以上、中層以上への立ち入りは許可されていない。

 何故、彼がそのような不安定な状態で、こうして食堂で働いているかというと。


「親父のやつ、全く迎えを寄越してくれる気配ないし。俺、もうこの街に定住したい」

「そればかりは、ご領主様の判断だからね」


 盛大な溜息交じりに肩を竦めるレンツォを見て、テウタが苦笑いする。

 聞いたところによると、レンツォは旅の隊商の生き残りらしい。

 この街は近辺で大規模な砂嵐が起きやすく、被害を受け命からがら逃げてきた旅人が時折訪れる。

 大抵の場合は郷里に使いを出し迎えにきてもらい帰っていくのだが、彼の場合は事情があった。

 旅に出る前に父親から勘当されているというのだ。その為、手紙を送ってもなしのつぶてらしい。

 迎えが一向に来ない為、レンツォは滞在にかかる費用と旅の資金を稼ぐ為にこうしてテウタの食堂で働いているというわけだ。

 辿り着いた人間の中には、色々と事情を抱えて街の住人になる者もいる。ただし、それには領主による数度の試問を経る厳しい審査が必要となる。

 レンツォは手続きを考えてはいるが、正式に申し込むかどうかをまだ悩んでいるらしい。

 すっかり顔なじみとなったレンツォは、余程店が混雑して手が空かない時以外は、中層への階段の下までは代わりに運んでくれる。

 それでも、バスケットを抱えて階段を昇って工房まで帰るのはレルシェなのである。


「出来たてのほうが美味いんだし、師匠つれて食いにくればいいのに」

「……それが出来たら、とっくの昔にそうしているから」


 レンツォがやれやれと言った様子で言えば、返るのはレルシェの溜息交じりの言葉である。

 そう、それが出来たらどれ程良いか。

 作ってもらったばかりの温かい食事をここで師匠と二人で食せれば、幸せだし手間もかからない。

 けれども。


「ラルシャンは、昔から工房から出てこないからねえ……」


 テウタがしみじみとした口調で呟く。

 そう、あの美しいレルシェの師匠は工房からけして外に出ようとしない、筋金入りの引きこもりなのだ。

 少なくとも、レルシェが彼に弟子入りして以来、一度として彼が工房から出たのを見た事がない。

 たまには気分転換に何処かへ出かけようと声をかけても、曖昧なことを言って誤魔化すばかり。

 ラルシャンはけして工房から出ない。それを知る人々は最初から用事がある時は出向いて来る。

 不健康にも程があるとレルシェが内心苦々しく思って進言してみても、聞き入れられたことはない。


「レルシェが弟子入りする前は、ご領主さまのところの兵士が食事を運んでいたから」

「期待されているのか心配されているのか、判断しかねる話だよな……」


 領主公認の引きこもりかよ、とレンツォが呆れたような感心したような複雑な言葉を口にする。

 この都市の統治者である人物が、わざわざ一工房主に兵を割いて食事周りの世話をしてやる、というのはなかなか信じがたい話である。

 それだけ重要な人間と思われているのか。それとも、公私交えてしまう程に放っておけないと思われているのか。

 謹厳ではあるが情が深い彼の人を思い出しながら、多分両方だろうな、とレルシェは心の中で呟いた。 


「お前も大変だな……」


 レルシェが日頃師匠の身の回りの世話焼きに奮闘していることを知るテウタとレンツォの眼差しには、隠す事なく同情の色が滲んでいる。

 二つの視線を物悲しく受け止めながら、レルシェは一度大きく溜息を吐いた。


「見た目も美女と見紛うぐらい綺麗で、才能まであって。それで何の問題もなかったら存在自体が嫌味になっちゃうから。少しぐらい駄目なところがあって調度いいのかもって思う」


 何か悟りを開いたような雰囲気の笑みを浮かべながら、レルシェは深い溜息と共に澱みなく語る。

 それを聞いた二人が何とも言えない顔になった次の瞬間、何かのスイッチが入ってしまったのか悟りの表情が一変する。


「……思うけど、それでも限度ってものがあるとも思うの」


 日頃の様々な苦労が籠った低い声音で呟いた少女の目は、すっかり座ってしまっていた。

 やはり何とも言えない表情で見守るテウタとレンツォの前で、レルシェの日常で募った鬱憤が見事に火を噴いた。


「せめて朝ぐらいはちゃんと起きて欲しい! 起こしたそばから二度寝しないで!」


 先程のやり取りを思い出しながら、拳を握りしめて主張するレルシェ。

 起こしてもすぐに再び寝てしまうから、盛大に労力を費やして何度も起こす羽目になる。

 少女の心の訴えはなおも続く。


「寒い日なんて、工房にひきこもりどころか寝床に引きこもるもの! 引きずりだすのに大変なんだから……」

「あんたも苦労しているねえ……」


 冬の朝について回る苦労に思いを馳せてがくりと肩を落とすレルシェの肩に、テウタがそっと手を載せる。

 有難うございます……と呟いたレルシェは、深い溜息を一度吐くと更に続きを紡ぐ。


「何度言い聞かせても、目に見えてわかるお野菜は食べようとしないし。今はテウタさんが見えないように工夫してくれるから、まだ何とか食べるけど……」

「子供より子供だな」


 レンツォが真顔で辛辣な感想を述べる。

 ラルシャンは偏食が多くて、何かと理由をつけては嫌いなものをはじこうとする。食べない理由を考える苦労だけは厭わないのだ。

 テウタと相談して目に見えて分からない形にしてもらうことで栄養の偏りを防げるようにはなったが、そこに至るまでにはそれなりの苦労があった。

 これまでのレルシェの嘆きだけを聞けば、ラルシャンという人物はとても駄目な大人である。

 だが、それだけならばレルシェが師事する理由はないし、テウタを始めとした街の人間も彼に見切りをつけ、早々に放置するだろう。

 そうならないのは、ひとえに彼が欠点を補って余りあるものを持ち合わせているからである。

 レンツォは、またも感心しているのか呆れているのかわからない、複雑な溜息を吐いた。


「でも、この街が誇る『石詠み師』なんだよな」

「うん。誰もが認める稀代の石詠み師なの……」


 レルシェは、重々しく同意して頷く。

 ラルシャンがこの街において尊ばれ、その名が特別な意味を持ち合わせるに足らせるもの。

 それこそが、彼が持つ石詠み師という称号であり。レルシェが彼の元で学び修め、目指すものであった。

 煌めきの都市には、様々な技に長けた職人や技術者達がいる。その中でも抜きんでていると扱われ、特別と尊ばれるのが石詠み師と呼ばれる存在である。

 宝石と貴金属を組み合わせた宝飾品の図案を起こすのだが、その用いる術が特殊だ。

 石詠み師は、魔力にて石に宿る『声』……経て来た歳月、焼き付いた想いや記憶を聞く事で、その石あるべき姿を魔力により描き出す。

 そうして起こされた図案から作られた品は、稀な美しさと共に不思議な力を秘める。

 彫金の職人達も石詠み師の図案による作品の作り手に指名されることを名誉と思うし、研磨師も自らが研磨した宝石を叶うならば石詠み師に託したいと願う。

 そんな石詠み師と呼ばれる中でも最も名高いとされるのが、この煌めきの街に住むラルシャン……レルシェの師匠なのである。

 王侯貴族、紳士淑女の心を捉えて離さない美しさもさることながら、彼が手掛けた作品には奇跡の力が宿ると言われていた。

 ラルシャンは、自身で細工も手掛ける為職人としても優れた腕を持つ。

 彼の作品を目にした各国の権力者が召し抱えたいと願い度々使者を送ってくるのだが、伝えられた意向にラルシャンは一度として首を縦に振ったことがない。

 力に訴えようとした者も居るらしいが領主が全て跳ねのけているし、そもそもラルシャンを求める者同士で牽制しあっている状態だとか。

 日頃レルシェを困らせる駄々っ子なところのある師匠は、実に優れた才を持つ稀なる人なのだ……。

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