煌めきの街
昇る陽が、層を為す都市を照らしていく。
光を受けて白く輝いているように見える都市の中腹には、ひしめき合うようして洒落た看板を掲げた建物が立ち並ぶ。
その中に、レルシェが暮らす工房はあった。
勢いよくカーテンを開けると、眩い光が部屋に差し込んでくる。
少しばかり目を細めながら窓を開け、レルシェは大きく息を吸い込んだ。
朝の気配を感じる新鮮な空気が体中に満ち満ちていく気がする。
もう一度だけ大きく呼吸をして窓を閉め、手早く着替えると鏡台の前に座る。
簡素なワンピースを着た、陽の光を受けると金色がかって見える明るい赤毛に、紫水晶を思わせる色の目をした少女の姿が映る。
髪の毛を梳き慣れた手つきでお下げに編みながら、レルシェは思わず溜息をついた。
鏡を覗き込む度に、そこに大人びた美しい貴婦人が映らないだろうか、と期待してしまう。
だが実際は、大人びた、とは遠い幼さ残る姿を見る事になる。
不細工だとは思わないが、日頃美しいものを見ているとどうしても美に対する基準は高くなる。
ましてや、日々とても美しいひとを間近で見ているのだから……。
考えかけて、頭を左右に振って切り替える。
ぼんやりしている場合ではない。次なる行動に速やかに移らなくては、その『美しいひと』の顔を何時までも拝めない事態となってしまう。
勢いよく立ち上がり、裾を揺らして身を翻すとレルシェは自室を後にした。
小走りにかけて向かったのは、廊下の最奥にある部屋の前。
木製の扉を軽やかなリズムをつけて叩きながら、部屋の中へと呼びかける。
応えがないことに溜息をつきつつも、失礼しますと一言告げると室内へ。
カーテンが引かれたままの薄暗い室内に、腹が立つ程健やかな寝息が響いている。
迷うことなく寝台まで歩み寄ったレルシェは、整えるように息を吸うと叫んだ。
「師匠! 朝ですよ!」
叫びに応じるように盛り上がった上掛けが少し揺れたかと思えども、すぐまた静寂へと戻ってしまう。
レルシェは更に溜息をつくけれど、これも毎朝のことである。
すぐに気を取り直して、今度は上掛けを掴んで揺さぶり始める。
「師匠! ラルシャン師匠! 起きる時間ですよ!」
揺さぶって、揺さぶって。
それでもぼんやりとした声音で曖昧な言葉が返るのみである事に業を煮やしたレルシェは、勢いよく上掛けを剝ぎ取った。
勢いで揺れたカーテンの隙間から零れた陽光が、寝台に身体を丸めるようにして横たわる人物を照らし出す。
装身具に使う繊細な白銀を思わせる髪が、緩く光を弾く。
ごろりと寝返りを打った人物が薄く目を開くと、緑玉石を思わせる色が覗く。
ああ、綺麗だな、とレルシェは心の中で呟いた。
レルシェが師匠と呼びかけた人物――ラルシャンは、繊細なまでに優美な美貌の持ち主だった。
女性であれば国を傾けるのではないかと思わせるほど、いや、例え同性であっても心惑う者は多いのではないだろうか。
日々目にして見慣れているはずでも、こうしてふとした拍子に見惚れてしまうことがある。
「おはよう、レルシェ……おやすみなさい」
「起こしたそばからまた寝ないで! 起きて!」
だが、素直に見惚れていられる時間はあまりに短かった。
淡く微笑みながら瞳を開いたラルシャンは、そのまま流れるように再び目を閉じたのである。
すぐに我に返ったレルシェの、悲鳴のような叫びが部屋の中に響き渡った。
毎朝のことではあるが、このラルシャンという人物が自力で目覚めることはない。
放っておくとそのまま睡眠耐久レースに突入してしまう為、こうして毎朝レルシェが起こす必要がある。
相手が年上の男性であろうとも、夢幻の美貌をもっていようとも関係ない。
美しいだけではなく、類まれな才を持つ名高い人であることも関係ない。
そのまま再び眠られてたまるか、というようにレルシェはラルシャンに声を駆け続け、揺さぶる。
レルシェの奮闘の甲斐あって、漸くラルシャンは緩やかに上半身を起こしてくれた。
「昨日は、遅くまで読書を頑張ったので……」
「読書はいいことだけど、翌日に響くほど勤しむのはどうかと思います!」
枕元を見れば、その言葉を裏付けるように何冊もの本がある。
好きなものに熱中してしまうと夜を徹することも多い師匠は、昨日も読書で夜更かしをしたようだ。
悪いとは言わない。読書は良い事だと思う。だが、睡眠に支障が出る程に勤しんでしまうというのは如何なものだろう。
もはや心の中に留まらない盛大な溜息を吐くと、レルシェは部屋の窓辺へ歩みより勢いよくカーテンを開けた。
少しずつ高くなりつつある陽が放つ光が、部屋の薄闇を消し去ってしまう。
溶ける、などと不思議な言葉を呟きながらなおも上掛けに包まろうとするラルシャンから、レルシェは容赦なく上掛けを取り上げる。
「いいから顔を洗って身支度していて下さい! 私はご飯をもらいに行ってきます!」
寝台の端に腰を下したままのラルシャンに告げると、レルシェは身を翻した。
いってらっしゃい、とまだ微睡みの中にあるふわりとした声が返るのを聞きながら階段を下りたレルシェは、そのまま工房から出る。
あのまま素直に起きてくれればいいのだが……あれは、戻って来る頃にはまた寝ているだろうなとレルシェは思う。
帰った後に叩き起こすことを考えると多少憂鬱にはなるけれど、まずは今日の食事を調達するのが先だ。
レルシェは内心溜息を吐きながら工房が軒を連ねる通りを駆け抜けて、流麗な細工の手すりが置かれた階段を駆けおりていく。
レルシェ達が暮らしているのは、三つの層に分かれた地区を階段と橋で繋ぎ合わせた都市だ。
自然の地形ばかりではなく、大地や岩壁に魔力が満ちていることがこの複雑微妙な構造を成り立たせているらしい。
宝石の産出と加工にて栄えてきたこの都市は、とりわけ名高い宝石職人が多く集うことで有名であり、特に中層は数々の工房が軒を連ねている為『工房の街』とも言われている。
下層には、様々な店と鉱山関係者の拠点の他、唯一街外の人間に対して開かれた交易窓口や滞在施設。
中層には、職人たちの工房。
上層には、街の管理に関連する役所などの施設。そして、この都市を治める領主の住まう館がある。
職人達を守る為に外からの人や物の出入りに関しては厳しく管理されており、規律の違反には重い罰則がある。しかし、それでも街の生み出す富や確かな技術を狙い、密かに入り込もうとする者が後を絶たないという。
上層と下層を結ぶ昇降機なども設けられているが、街の住人は専ら層を繋ぐようにしてある階段と橋を経由して移動する。
昇り降りの激しい移動になるが、この街の住人は慣れたもの。昇降機を使うよりこちらのほうが慣れているから、と笑いながら上へ下へと自在に街を行き交う。
街中には不思議な蝶が飛び交っており、人と人、人と物を結ぶ為、何か探すものがある人を導くと言われている。
人々を魅了する数多の輝きを世に送り出し続ける、どこかの物語から抜け出してきたような空気を持つ街。
それが、レルシェが暮らす『煌めきの街』と呼ばれる都市だった。