3.
翌日の朝、相楽駿会長は、学校にいなかった。
生徒会長でも学校を休むんだねえとみんな不思議がっていた。
……わたしと顔を合わせづらいのかなあ。
頬杖をついたまま、あるじのいない隣の席を眺めてそんなことを思った。
3.
「なに。羽田ちゃん、会長んこと気になるわけ?」
「べつにそんなんじゃないけど」
わたしは学食で一番安いかけそばを啜りながら、美和ちゃんの顔を覗いた。
美和ちゃんは同じクラスの友達だ。ボブの髪を気にしながらパスタを食べてる。
わたしは復学してきたとき車椅子に乗っていた。校舎内では不自由ばかりだった。おまけに留年して再びの1年生であり、かなり、イジけていた。
そんなわたしに屈託なく接してくれたのは彼女だけだった。
美和ちゃんがいなかったら、わたし、とっくに退学してたと思う。
「いい傾向なんじゃないかなあ、羽田ちゃんがそうやって、男子に対して普通に興味持つのって。ほらあんた、ずっと水泳と怪我のことにこだわってばっかりじゃん?」
そういうこと露骨に云うんだよね美和ちゃんって。でも彼女が云うと憎めない。
「わたしのことはいいからさ。……相楽駿って坊ちゃまなの?」
「そうだよ。羽田ちゃん知らなかったの?」
「知らなかった」
「相楽くんって、うちのガッコの理事長の孫。で、父親はサガラプロモーションていう芸能プロダクションの総帥。夏目沙智子や夜久沙樹の事務所、知ってる?」
「大河ドラマのヒロインのひとだっけ? 名前しか知らん……」
「ついでに、羽田ちゃんとタメ年だよ、会長って」
「えっ?」
「あのひと、入学、ひとよりも一年遅いの。あれ、これも知らなかった? 高校に入る前に一年くらい留学してたとかで」
知らなかった。
どおりで他の連中とはちょっと違う気がしてた。
あのひとも、わたしと同じ年齢だったんだ。
「孤高の美女を気取って噂話に疎いと人生損するよ、羽田ちゃん。どうした? お蕎麦のびちゃうよ?」
「あ…うん……」
でもなかなか麺が口まで届かなくて、わたしは空気をかみ締めてるような気分になる。
「うちのガッコって、プロのスポーツ選手とか芸能人とか目指してるひと多いでしょ。演劇科とか芸術科とかあって」
そうだ。最新設備を備えたプールもある。わたしはそれに惹かれてここまで来たようなもんだ。
「つまり、ガッコとプロダクションが提携してるのね。羽田ちゃんだって、……あ」
「何。云いかけてやめないでよ美和ちゃん。らしくないじゃん」
なんだか厭な予感がする。
でも美和ちゃんの言葉を促す。
「うん…これはただの根拠のない噂なんだけど…、この学校出身で、スポーツ選手やタレントになったひとって、その後、何ていうかこう、理事長とか、の、愛人にされてるんだって……そういう女の人、多いんだって、あの、今スポーツキャスターとかしてる、飯田ナギサっているじゃん、テニスの。うちのOGなんだけど――そのひとも、引退した後は、芸能プロ入って、それで」
「それで、なんでわたしがでてくるのさ?」
わたしの追求に観念したのか、美和ちゃんはきゅっと唇を噛んで、顔を上げた。
「羽田ちゃんはモデルみたいに身長高くて、おまけにまぁまぁえげつない美人じゃない? だから、水泳の才能はともかく、高校生の間にある程度競泳界で有名にさせて、すぐに引退させてタレントにして食べちゃおうっていう理事長の魂胆でスカウトされたんじゃないのぉ?って……タレントクラス連中の噂。やばいよね、あいつらホンット性格悪い!」
「なにそれ」
何だそれ。
わたしの知らないところで。何でそんなウワサになってるんだ。
わたし、今まで、割とマジメに学校に通ってたと思うよ。退学もしないで、ちゃんと、せっかく自分が入学した学校なんだから、水泳はできない躰になったけど、ちゃんと卒業はしよう、って思って。
車椅子で復学したわたしは、そんな誹謗中傷を受けてたの……?
ああ。だから女子はこの子しか話しかけてくれなかったのか。この子が他の子たちとの間をとりもってくれたのか。
「これまでスポーツで入ってきた特待生たちは故障したら授業についていけず退学していったんだよ。それなのに羽田ちゃんは成績がダントツの最下位でも元気に頑張ってるし、だからてっきり将来を保証されてるんだろうね、って」
「正直に云ってくれてありがと、美和ちゃん」
わたしは席を立ち、食べかけの蕎麦をトレイごと持ち上げた。教室に戻りたかった。
学食を出たら急に目の前がにじんできて、わたしは慌てて両手で顔をこすった。
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学食から教室に戻ったら相楽会長がいた。
たった今、登校してきたらしい。
「おはよう、羽田さん」
「何とぼけたこと云ってんの。もう昼休みだよ」
びっくりするほどスムーズな会話だった。
昨日のことなんて何もなかったかのようだ。また眼鏡かけてる。真面目な髪してる。
「羽田さんって、たしか、下の名前、ミズオっていうんだったよな。ええと」
「水に生きる、と書いて水生」
「恰好いいね。泳ぐために生まれてきたような感じで」
他愛無い話だった。
わたしは、どうも、と返事して自分の席に座った。
「ごめん。また俺、失礼なこと云ったね」
「もういいよ、いちいち謝らなくても。名前は、うちの両親が競泳の選手だったから。以上であります」
学食から戻ってきたら、机にうずくまって昼寝と決まっている。でも眠れない。わたしは、そっと、会長の方を見た。
会長もわたしを見ていた。
「羽田さん、あの、昨日のことなんだけど――…」
「会長、実はわたしと同い年なんだって?」
思いきり話の腰を折られて、会長は驚いている。
「中学卒業したあと、一年間、日本にいなかったって?」
「…ああ、そうだけど。知らなかった? 俺、昨日で18になったんだ。誕生日だった」
「昨日?」
「そう、昨日」
「それはそれは――」
二の句が継げない。
自分の誕生日だから、わたしを食事に誘ったの?
自分が18になったから、結婚しようだなんて云いだしたの?
「水生って呼んでもいいかな。羽田さんのこと」
「だめ」
わたしはきっぱりと告げて、両手で頭を抱えた。机に押し付ける。このまま安らかにすやすやと眠ってしまいたい。
「事情があるんだ。深い事情が……あの、聞いて欲しいんだ」
「わたし関係ないです」
「聞いてほしいんだけど、あと敬語」
「関係ないです」
「あるよ。関係あるってば。――水生、おいで」
ぐい、と会長はわたしの腕をつかんで、むりやり立たせた。
わたしは力をこめて彼の腕をふりほどこうとする。抵抗を試みる。
「もう、席替えでたまたま隣の席になったってだけでしょッ、なんでわたしに絡むんですかッ、それって、すっげー迷惑なんですけどッ! やめてってば、何なのよ昨日からいきなり尽くしで!」
わたしはもがく。でも会長の力は強かった。嘘でしょその筋力はどこから出てきたの。
そのまま、廊下に、引きずり出された。
「ねえねえ、わたし、泳ぎの実力じゃなくて、背が高くて顔がソコソコだったから、あんたの爺ちゃんにスカウトされたの? 泳ぎの選手じゃなくて、あんたの父親の事務所から芸能界に入る予定で、ここの学校にスカウトされたの?」
「水生?」
「だとしたら、あんたの爺さんも親父さんも最低。そいつらと血が繋がってるからあんたも最低。きらい。昨日のこと謝ってほしい」
だんだんわたしは泣きたくなってきた。
「いいから、来いよ。本気で謝って欲しいのなら、ついて来い」
会長はわたしを引っ張る。廊下を歩く。
早足じゃなくて、わたしの足に合わせたスピードで。
何なの、いったい何なのこの強引な展開は。
トゥー・ビ・コンティニュードゥッ!