9話
「本当に近場だね……」
「お前がそれでいいって言ったんだろ」
やって来たのは家から歩いて10分もかからない市民プラザだ。行われているのは生涯学習とかヨガ教室とか。訪れるのは主婦や中高年がメインなので基本若者は見当たらない。
知り合いに会う可能性は限りなく低いと踏んでいる。
「えっと……ここで何するの?」
千春は若干戸惑っているようだった。
「あれ」
「あれ?」
通路の突き当たりを指差す。
「そこの部屋で地元の絵画クラブが展示会やってるんだ」
「なるほどね」
「俺の趣味に付き合わせてるみたいで悪いけど、ちっちゃい展示スペースだろうから時間かかんないと思うし」
「ううん。僕も好きだから」
「そう? ならいいけど」
足を踏み入れると、受付に初老のおじさんが座っていた。軽く会釈する。
「いらっしゃい。おや、また若い子が来るなんて珍しいなあ。それもカップルで」
「違います」
即訂正したが、おじさんは含みのある笑顔でこちらを見ている。絶対誤解されてるな。
またってことは、若者も来るには来るんだな。
「君達みたいな世代には地味かもしれないけど、どれも素晴らしい作品だよ。数はそんなにないけどね。ゆっくり見ていってね」
中はさほど広くなく、俺達の他に客は1人しかいなかった。その人物は一際大きな風景画の前で止まっていた。
俺は全身に冷や汗をかいた。
後ろ姿に見覚えがある。
人違いかもしれれないが、それにしては似ている。
こんな偶然、いくらなんでもおかしいだろ。
文化祭で千春と会ったときと同じような状況じゃないか。
落ち着け。後ろ姿が似ているってだけであいつとは限らないし、仮にあいつだとして向こうは俺が女になったなんて思いもしないはずだ。でも千春の例があるから、念には念を入れなければ。
「ちょっとトイレ」
「大丈夫? 顔色悪いけど……」
部屋から出て行こうとした時だった。
「あれ? もしかして神庭?」
吉野が振り向いた。俺は咄嗟に千春の背に隠れた。
「君は……吉野くん?」
千春も驚いているようだった。
「意外。神庭、こういう所来るんだ。そっちの子は? 彼女?」
彼女だと思われるのは甚だ心外だが、それどころではない。吉野にばれるんじゃないかと気が気ではなかった。
「ああ……この子は彼女じゃなくていとこだよ」
まずい。早く行かないと。
「ちょっと、今出て行ったら不自然だって」
千春が小声で囁く。
「でも」
「何かトラブルかい?」
おじさんが心配そうに俺達を見ている。
「いえ、たまたま知り合いに会って盛り上がっちゃって。すみません。うるさかったですよね」
千春が答えると、おじさんは冷やかすように笑った。
「なんだ、てっきりこんな場所で痴話喧嘩でも始まったのかと思っておじさんドキドキしちゃったよ。おじさんのことは気にしなくていいからね」
「あはは……」
その様子を見ていた吉野が、申し訳なさそうに言った。
「ごめん神庭、なんか俺邪魔っぽい?」
「いやそんなこと全然ないよ。ね?」
「……初めまして。千春くんのいとこの原田です」
無視する訳にはいかなくなった俺は、やむを得ず挨拶した。あの頃と変わらない吉野の姿に、胸が詰まる思いがする。
「初めまして! 俺、神庭と同じ学校の吉野って言います」
懐かしい気持ちと焦りが同居して、俺は複雑な気分だった。
「吉野くんはなんでここに?」
千春が問いかける。
「俺のじいちゃんの絵が展示されてるんだよ。それで見に来たんだけど、まさか神庭がいるとは」
「いとこに連れられて来たんだ」
「ふーん。原田さんはこっちの人なの?」
「はい」
大丈夫。ばれてない。落ち着くんだ。
「…………」
吉野は俺をガン見している。なんで。ばれた? それともやっぱりこの格好浮いてる?
俺は全力で目を逸らした。
「吉野くん。彼女少し人見知りな所があって、あまり話が得意じゃないんだ」
ナイスだ千春。その調子でこのまま帰らせてくれ。
「そうなんだ。ごめんじろじろ見たりして。知り合いに似てたからつい」
「知り合い?」
「ほら、白崎っていたじゃん。あいつと顔立ちとか声の感じがちょっと似てるなって思ってさ」
やばいやばい。俺そんなに男の頃の面影あったんだ。心臓がバクバクする。
「そうかな? あんまり似てないと思うけど」
「似てると思うんだけどなー。でもこんな可愛い子と一緒にしちゃいけないよな。 てか性別違うし」
冗談でも可愛いとか言うなよ。いやそんなことはどうでもいい。
「原田さんてさ、白崎とも親戚だったりする? それか妹とか? でも妹なんていたかな」
「ごめんなさい。そんな人知らないです」
「そっかー、残念」
本当は全部打ち明けたい。吉野ならきっと俺を馬鹿にしたりしない。でも、知られたくない気持ちが上回ってしまう。
「原田さんは絵好きなの?」
「まあ、それなりに」
「言っちゃなんだけどこんなマイナーな展示会来るなんて、物好きだよね」
「そうですか?」
「うん。ちなみにどのジャンルが好きなの?」
なんだろう。吉野、すごいグイグイ来るな。似てるからって親近感でも沸いたんだろうか。
その時千春がずいっと俺と吉野の間に入り込んだ。
「ごめん吉野くん。この後2人で祖母の所に行かなくちゃいけないから。また今度ね」
「あ、うん」
「ほとんど見られなかった……」
「残念だったね」
ばあちゃんの家へ戻る道中、俺はがっくりと肩を落としていた。
「僕が外に出ようなんて行ったせいだよね」
「それはまあその通りなんだが、あそこに行きたいって言ったのは俺だしまさか吉野がいるとは思わないし」
「それには僕も驚いたけど」
千春は顎に手を当てて、何か考え込んでいる。
「どうした」
「本当のこと言わなくて良かったの?」
「余計なお世話だ。逆にお前だったら言える?」
「状況によるかな」
「曖昧な答えだな……」
「吉野くん、白崎くんのこと随分気にしてた」
「単に似てたからだろ」
「それだけかな」
「どういう意味?」
「ううん、なんでもない」
千春と別れ家に戻った俺は、ばあちゃんに相当詮索された。それが嫌でコソコソ出掛けていったのに。
「あんた、そんなに気合いの入った格好でデートに行ったのに帰ってくるの早すぎるんじゃないかい」
「デートじゃない。それにこの格好には深い訳があるんだよばあちゃん」
「そりゃね、我が孫ながら可愛いと思うよ。そうはいってもね、そんなに可愛くなったのにふられるなんてばあちゃん悲しくて」
それからわざとらしく目元を拭ってみせた。涙なんか一滴も流してないだろう。
「ふられる以前にあいつとはただの知り合いだから」
「まこちゃん、そこにお座り。あんな大物逃したら後悔するよ。ばあちゃんが男女のいろはを教えてあげる」
「勘弁してよ……」
「それとも何? まこちゃんが家事も畑仕事も全部やってくれる?」
「教えてください」
そしてばあちゃんから全くありがたみのない指導を受けた俺は、疲れきってしまいその日は泥のように眠った。