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8話

「適当に座ってろ」

「すごい、絵がたくさんある」

二階の隅にある俺の部屋には、これまで描いた絵や資料、道具なんかがあちこちに置いてあってごちゃついている。

どう見ても人をあげる環境ではないのだが、かといって1階の広間になんかいたらばあちゃんが茶々を入れたり余計なことを言い出しかねないので仕方ない。

「そんなの見てなくていい。今飲み物持ってくるから」

千春を残し、台所へ行きカップにティーパックを入れお湯を注ぐ。

「はあ……」

なんであいつをもてなさなきゃならないんだ。

「それで、あの子とはいつからお付き合いしてるの」

「うわっ!」

急に隣に現れたばあちゃんに驚いた俺は、お湯を零しかけた。

「な、なんだよ急に! びっくりするじゃん!」

「どうなの。Bくらいはいったのかい」

「びー……?」

何を言っているのかわからないが、きっとロクなことじゃないだろう。

「でもばあちゃん安心したわ。男の子だったアンタがお嫁に行けるのか、気がかりだったのよ」

なんで嫁に行くみたいになってるんだよ。ばあちゃんの思考回路が怖い。

「あいつとは何でもないんだって」

「ちゃんときいぷしとくんだよ」

色々と反論したいが、言い返す気力もなかった。

「ま、うまくやんなさい」

1人盛り上がるばあちゃんと対象的に、俺は項垂れていた。

男の時はいつか結婚するのかな、なんてぼんやり思っていたが、流石に男との結婚は考えたことがない。


「お茶持ってきた……おい、何してんだ」

部屋の引き戸を開けると、千春が俺の勉強机の椅子に座って参考書を読んでいた。

「適当とは言ったけどちゃんと座布団出してあるだろうが! 普通こっちに座るだろ!」

「白崎くんはやっぱり美大受けるんだ」

千春から素早く参考書を取り上げる。

「勝手に見るな。ほら、あっちに座れよ」

千春は素直に言うことを聞き、行儀よく座布団に座った。

「それで何が目的なんだ」

「目的ってそんなドライな言い方しないでよ」

「さっきから気になってたけど、そのでかい紙袋は?」

「そうそう。これ」

そう言って取り出したのは、淡いピンク色のひらひらしたワンピースだった。

見た瞬間自分の顔が引き攣るのがわかった。

嫌な予感しかしないが、一応聞く。

「お前が着るところを見てろっていうの?」

「僕にそんな趣味ないよ。まさか本当に女装癖があるって思ってたの?」

「まあな」

千春は一瞬むっとして、不服そうに俺を見た。

「着るなら僕じゃなくて白崎くんでしょ、どう考えたって」

「ふざけてるのか。自分で着れば? 別にあの頃と違ってお前が何着てたって気にならないし。今時はジェンダーレスとか騒がれてんじゃん」

「このサイズ僕には無理だから。それに君の方が似合うに決まってるよ」

千春は、ワンピースを手にゆっくりと俺との距離を詰める。

「ねえ、もっと女の子らしい格好しなよ。そんな服着てないで」

顔は笑っているが目は笑っていない。

ああこいつ、ずっと俺を恨んでたんだ。

千春のことは今でもいけ好かないが、あの頃のことは俺が100%悪いから。

でも、だからってこいつのおもちゃになるのはごめんだ。

「悪かった」

「何が」

「何って、昔お前のこと殴ったりからかったりしたことだよ。ずっと謝りたかったけど、お前俺が近付くといつも逃げただろ」

「……そんな昔のこと、別にもう気にしてない」

「嘘吐け。トラウマとか言った癖に」

そう言うと、決まりが悪そうに目を逸らした。

「いいよ。貸せよ、着るから」

俺はワンピースをひったくった。

未だに制服以外は男物しか持っていない。女物を着るのは抵抗がある。だがこの悪趣味な服を着るのを我慢すれば、多少は千春の気が晴れるだろうしもう俺に絡むことはなくなるんじゃないか。

「なんか、醒めちゃった」

「は?」

強引に押し掛けてきてわざわざそんな服持ってきた奴が何を言い出すんだ。気分屋か?

「だって白崎くん、髪もボサボサだし手に絵の具ついてるし、その状態じゃちょっとね」

「うるさいな。自分の家なんだからどうだっていいだろ。気が変わったんならもう帰れよ」

「とりあえず着替えようか」

「……え?」

「白崎くん、1人で着られるかな……」

「ちょっと待て。やめたんじゃなかったのか」

「一言も言ってないよね」

ギリギリと下唇を噛む。ぬか喜びした自分が馬鹿だった。しかし着ると言った以上男として前言撤回はできない。

「向こうで着替えてくる。いいか、勝手に部屋のもの弄ったりするなよな。大人しくしてろ」

「はいはい」


空き部屋に移動した俺は、改めてワンピースを眺めた。

胸元には控えめなリボンが施されていて、腰のあたりがきゅっと絞られている。

「これ、俺が着るのか……」

吐きそう。学校の制服だって嫌々着てるくらいで、女装してるようなものだし。全く着たくない。俺からしたらかなりの屈辱だ。千春の本意が嫌がらせなら十分目的を果たしたと言ってもいいだろう。そもそもなんであいつはこんな服持ってるんだ? 買ったのか彼女の服なのか。まあどうでもいい。



「これで満足だろ。ちゃんと着たんだからもう着替えていい?」

どうにかワンピースを着て部屋に戻ると、俺の姿を見た途端に千春が固まった。

目も当てられなくて言葉が出ないのかもしれない。

「俺に似合う訳ないんだよ。男が着てるのと同じなんだから。おい、黙ってないで何か言えよ。お前が言い出したんだろ」

いつまで固まっているんだ。だんだん居たたまれなくなってきた。俺は何をやっているんだろう。今すぐこの場から立ち去りたい。羞恥で顔が熱くなってきた。

暫しの沈黙の後、千春が口を開いた。

「ブラシある?」

「なんで?」

「髪、やってあげる」

「何のために」

「いいなら」

それから俺は無理矢理椅子に座らされた。

千春は俺の後ろに立つと、無駄に丁寧に髪を梳かし始めた。

こいつ何がしたいんだろうな。だんだんどうでも良くなってきて、好きにさせることにした。

手持ち無沙汰なのでスケッチブックを取り出し鉛筆を走らせる。少しでも受験の対策を進めないと。

その時千春の手が一瞬止まったが、すぐに動き始めた。

しばらくして、千春は髪を梳かし終えると持ってきた鞄から何かを取り出した。

「何それ」

「せっかくだからヘアアレンジしようと思って」

「髪そんなに長くないんだから弄ったってあんま意味ないだろ」

「ボブだって色々できるよ」

ワンピースを持っていたり髪飾りとか持っていたり、やっぱり女みたいな所があるよな。うるさくなりそうだからもう言わないけど。

もっとも俺が知らないだけで、他の男子もこんな感じだったりするんだろうか。

待てよ。よく考えたら千春は本当は女になりたかったんじゃないか? それなら辻褄が合う。元々の俺への恨みも当然あるだろうが、俺が女になってしまったものだから、嫉妬で嫌がらせをしに来たんだ。

そうだったのか。俺は勘違いをしていたようだ。

「違うから」

ピシャリと千春が言った。

エスパーか?

「色々誤解してそうだから言っておくね。今日持ってきたワンピースは姉がいらないってなぜか僕に寄越したものだし、子供のときだって母が面白がって着せてただけだし、これも姉に色々やらされてきたから慣れてるだけで」

「あーそうなんだ」

「絶対信じてないよね……」

それからお互い黙々と手を動かし続けた。

ふと思った。この状況おかしいよな。俺が女装して千春が俺の髪を弄り回している。

冷静になってみると明らかに異常だ。

とっとと終わらせたい。

「まだ終わんないの? 早く脱ぎたいんだけど」

「ちょっと待って……よし、できた」

声が弾んでいる。

「何が楽しいんだか」

「鏡で見てみて」

促されて渋々姿見の前に立つ。

そこに映っているのは、いつもの俺とは似ても似つかない女だった。編み込んだ髪がまとめあげられて、小綺麗なワンピースとよく合っている。自分ではなく他人を見ているみたいで強烈な違和感があった。

「気持ち悪い。こんなの俺じゃない」

「気持ち悪くなんかないよ。すごくか……似合ってるよ」

社交辞令でも本心でも聞きたくない言葉だ。

「褒められて嬉しいと思うか?」

嫌味っぽく言うと、千春は俺から視線を逸らした。

「元に戻りたい?」

「当たり前だろ。男の生活に不満なんてなかったんだから最悪だよ」

吐き捨てて、千春の向かいに腰を下ろした。

なぜか千春の目が泳いでいる。

「何?」

視線は俺の太腿の辺りで止まっている。

「あの、見るつもりなかったんだけど、それ」

「それ?」

視線の先を見ると、ワンピースの裾が捲れていた。

胡座をかいたときに捲れたらしい。さっと直した。

「男同士とはいえパンツ見るのはどうかと思うぜ」

「だからわざとじゃないって! っていうか、それトランクスだよね?」

「見ればわかるだろ」

「もしかして学校でも履いてる?」

「履いてるけど」

千春はなぜか頭を抱え込んでいる。

「今みたいに人に見られたことない?」

「ない」

「着替えのときとか」

「スカート履いたままで着替えてるし見られてない」

「まさか、うえ………」

「うえ?」

「ううん、なんでもない……」

「そんなに人の下着が気になるのか。俺は寛大だから許してやるけど女にはそういうこと言わない方がいいんじゃないか。よく知らないけど爽やかキャラで通ってるんだろ。幻滅されるぞ、多分」

「爽やかキャラって何……うん……ごめん、余計なこと聞いた。気にしないで」

大きな溜め息を吐いた後、何やら考え込んでいるようだった。

「もう脱いでいい?」

「まあまあ、せっかく着替えたんだしどこか出掛けない?」

「断る。それにこんな格好でお前といる所知り合いに見られたくないし」

「この近くでいいから」

「あのな」

千春を指差し、声を張り上げる。

「受験生だろ俺達は。こんなお遊びに付き合っている暇はない」

そうだ。今は大事な時期なんだ。

「たまには息抜きも大事じゃない?」

「おまえの息抜きに巻き込むな。まず俺と出掛けるのが息抜きとか理解不能なんだけど。それでだ。言っておくけどな」

深呼吸して、千春に向き直る。

「俺はこの県から出る。地元には戻らない。高校さえ卒業すればお前にばらされようが別にいいんだ」

「……白崎くんの友達」

「ん?」

「吉野くんって言ったっけ。 彼も同じ大学を目指してるの?」

「さあ。知らない」

「知らないって」

「この姿になってから会ってない。あいつはいい奴だけど、女になったとか知られたくない。進学の話はしたことあるけど、まだ悩んでたみたいだったから」

「言わなくていいの?」

「言いたくない。お前にばれたのは想定外だったんだよ。今からでも記憶を消してくれないか」

「それは無理」

「そうだ、吉野は元気にしてるか?」

「クラスが違うからわからないんだ。話す機会もないし。ごめんね」

「そっか」

吉野とは一緒に卒業したかったなあ。いつか打ち明ける日が来るんだろうか。

「さてと、いい加減着替えてくる。この格好落ち着かない」

「そんなこと言わずに。散歩するくらいでもいいから、外に出ない? 天気もいいしさ」

「なあ。この前から疑問なんだけどなんで俺に絡む訳? しかも男の時より馴れ馴れしい。俺が女になったからって強気になってるのか?」

千春が俯きがちに答える。

「そんなつもりなかったんだけど、なんとなく前より話しやすくて。心配だったのは本当だから。でも確かに急に話し掛けたりしたら不信に思われても仕方がないよね。もう何年もまともに話してなかったのに」

急にしおらしくなるので、調子が狂った。

昔の千春を思い出した。俺の前ではいつもおどおどしていて、弱気で陰気だった。だから苛々したんだよな。

「悪い。ちょっと言い過ぎた。それにしても千春、意外とよく喋るよな」

呟くと、千春はぽかんとした。

「そうかな」

「昔は無口だった」

「今もそんなに喋る方じゃないよ。大体昔って、子供の頃でしょ。……帰るね。時間とらせてごめん」

どことなく声のトーンが暗い。

弱味につけこんでワンピースを着せてくる神経は疑うが、あの頃俺がしたことを考えると贖罪として少しくらい千春の言うことを聞いてやってもいいかと思えてきた。嫌がらせの延長か、それ以外の意図があるのかはわからないが。

もちろん過去のあれこれがなければ絶対に断っている。

帰ろうとする千春の背中に呼び掛ける。

「おい」

「どうしたの? あ、そうか。それ返してもらわなきゃいけなかったんだ」

「そうじゃない。さっきの話だよ。知り合いに会わないような場所なら少しだけ付き合ってやってもいい。少しだけな」

千春が俺をじっと見つめた。

「どういう風の吹きまわし?」

「ただの気まぐれだ」

「本当にいいの? 無理してない?」

「別に。でも気が変わるかも……っておい、やめろ、 離せ!」

なんで俺の手を握ってるんだよ。この間といいベタベタ触るのが趣味なのか? いつも女にやっていることなのかもしれないが、俺は鳥肌が立つ。

「あ、ごめん……」

俺の抗議を受けて、慌てたように俺から離れた。

「行く場所は俺が決める。いいな」

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