5話
そうして遠方からの転校生という設定で、新しい学校に通い始めた。
名字は祖母の原田姓を名乗り、名前はそのままだ。女でも通用しそうだったから。
こんな時期に転校?
どこから来たの?
等々質問責めにあったが、事前に考えていた回答で乗りきった。
学校側に事情は話してあるので何かあればフォローしてくれるはずだ。
女子としての生活はなかなか慣れなかった。
男子とつるもうとすると陰口を叩かれるし、うっかり俺なんていうと白い目でみられる。更衣室でつい女子の下着をまじまじ見てしまい気持ち悪がられる。
思った以上にやりにくかった。
浮いている。はっきり言って。
それでも何人か話せる奴はできたし、美術部にも入った。この学校、美術部員が数人しかいない。しかもほぼ幽霊部員。そのせいか、半端な時期に入部しても快適に過ごせている。
そういえば吉野、元気かな。
あれから急に体調を崩したことにして一切連絡をとっていない。
申し訳ないとは思うが、やっぱり知られたくないと思ってしまう。
季節は過ぎて、あっという間に10月になった。俺は文化祭に出す絵の仕上げで、忙しい日々を過ごしていた。
「まこちゃんて」
絵を描いていると、同じクラスで美術部の佐伯がキャンバスを覗き込んだ。
長い髪が目の前で揺れて、いい匂いがする。
体が変わっても未だに女子にドギマギしてしまう。
心は男のままだ。
「ガサツなのに絵は繊細だよね」
「ガサツは余計だ」
「ここどこ?」
佐伯が尋ねる。
「隣町の公園」
「何の木?」
「桜だよ」
「花のない桜描くなんて珍しいね。でも綺麗」
「ありがとな」
例の裏山から見る公園が、昔から好きだった。桜の季節じゃなくても、お堀の水面に空や桜の木が反射してきらめくのを眺めていると、満ち足りた気持ちになった。
そういえば千春もあの場所を知っていたな。来たことがあったんだろうか。
「まこちゃん、なんか浸ってる?」
「昔苛めてた相手のこと思い出してた」
「えー最低ー」
「だよなあ」
千春の存在は今の今まで忘れかけていた。
もう会うこともないんだろうが。
というか、会いたくない。
そして文化祭当日。
美術室に展示の様子を見に来たものの、ろくに人はいなかった。
屋台や催し物の方に客が流れているのだろう。
奥の方に俺の描いた風景画が飾られており、その前に見覚えのあるブレザーを来た男子が佇んでいるのが見えた。
そんなに俺の絵が良かったか?
と得意になりたいところだが、前の学校の制服を来ている時点で俺の顔は青ざめている。知り合いじゃないだろうな。
吉野かな? 美術部なら他校の絵も気になるかもな。
って違う。
……千春だった。
なんで? 俺はその場から逃亡しようとしたが、失敗した。
「すみません。ちょっといいですか」
聞こえないフリをする。
「あの」
腕を捕まれた。セクハラで訴えたい。
「この絵を描いた子と話したいんですけど」
目が泳ぐ俺。この様子だと千春は気付いていないようだ。そりゃあ一応女子になってしまった訳だから、いくらなんでも気付くはずないか。
「いや、私美術部じゃないんで。聞かれてもちょっとわからないです」
「えーっ、まこちゃん! 知り合い? まさかの彼氏? かっこいいじゃん!」
最悪のタイミングで佐伯が登場した。
「……まこちゃん?」
余計なことを言うな、頼むから。
「そうだその桜の絵、その子が描いたんですよ! すごいですよね! あ、私のもついでに見てくださいね」
千春は怪訝な顔で俺を見る。
「違うんですよ。誤解です」
「『まこちゃん』が描いた絵だって、彼女ははっきり言ってますけど」
「なんで隠すのまこちゃん。いい絵じゃない」
佐伯が首を傾げる。
「うっ」
唐突にその場にしゃがみこむ。
「どうしたのまこちゃん!?」
「なんか胃が痛くて、ちょっと保健室行ってくる」
一刻も早くここから立ち去らなければ。
「じゃあ僕付き添いますよ」
「いえ、知らない人にそんなことしてもらうのは気が引けるので、結構です」
思い切り千春を睨み付けてしまったが、気にしない。
俺は脱兎のごとく走った。後ろは振り返らない。
人気のない校舎の裏に逃げ込み、ずるずると腰を下ろす。
撒けたたのか?
安堵したのも束の間、僅差で千春がやって来て俺の隣に座った。なんで追い付かれたんだ。あんなに全力で走ったのに。肩で息をしている俺と対照的に、千春は涼しい顔をしていた。体力にもこんなに差がついてしまったのかと落胆する。が、今はそんなことどうだっていい。
「逃げるってことは何か後ろめたいことでもあるの?」
こいつ、仮にも初対面の癖に随分偉そうだ。
しかしここで冷静さを欠けてはいけない。
「ごめんなさい。私知らない人と話すの苦手で……」
俯きがちに答え、不本意ながらか弱い女子を演じてみせる。
「全然そんな風に見えないけどね」
俺は焦っていた。千春が見知らぬ女に絡む理由。
一つしかない。
「さっきの絵、作者名は原田真琴さんって書いてあった。僕の知ってる人も真琴っていって、あんなタッチの絵を描くんだ」
こいつ、昔俺が描いた絵を知ってるのか。
「偶然じゃないですか? 名前だって珍しくないし、タッチだって似たような人たくさんいると思いますけど」
「じゃああの絵の風景、どこか教えて」
「秘密の場所なんで無理です」
「僕はわかるよ。多分君と行ったことがあるから」
「はあ? そんなわけ」
千春はおもむろに、俺の左足の靴下を下ろした。
「ちょっと! ふざけ−−」
それから、膝より少し下からくるぶしまでの間を、長い指でなぞる。
「っ」
「この傷痕」
「…………」
「小学校の遠足で登山に行ったときに付いたものじゃない?」
息を呑む。当たりだった。
「何が言いたいんですか?」
「君、白崎くんでしょ?」