15話
全身に冷や汗をかいているのがわかった。当然気になるよな。そりゃあそうだ。あの時の自分を思い出して顔から火が出そうになった。どう説明しても誤解を招く気がした。黙り込んでいると吉野が慌てたように言った。
「あ、いや、言いたくないなら別にいいんだけど」
「……要するに、ちょっとした嫌がらせだったんだ」
「何だそりゃ」
「ほら、俺が昔あいつのこと散々苛めてたから。俺が嫌がる格好させてやり返したかったみたいな」
「神庭ってそんな奴なの? 嫌がらせなんてするタイプに見えないけど」
「それだけ根深い恨みがあったんじゃないか」
「どんだけやらかしたんだよ白崎……」
呆れるように呟いた後、吉野はちらちらと俺を見ながら、何か言いかけては止めるのを繰り返した。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「……素朴な疑問なんだけど」
「勿体ぶるなって」
「神庭って本当に白崎のこと嫌いなの?」
「なんだそんなことか。嫌いだろ、もちろん。自分で言うのもアレだけど好かれる要素ないし」
答えると、吉野は首を傾げうーんと唸った。
「嫌いな相手をあんな目で見るかな」
「あんな目と言われても」
「俺の語彙力じゃ上手く表現できないけどさ……少なくとも好意的な眼差しだよ」
曖昧すぎてさっぱりわからない。
「思い返せば原田さん……じゃない、女になった白崎に初めて会った時、神庭の警戒心すごかったし」
「あいつのせいで女装してた訳だからな。責任感じて隠そうとしたんだろ」
そう言うと吉野は決まりが悪そうに頭を掻いた。
「それだけじゃないよ。俺が白崎の格好に騙されて神庭に連絡先聞き出そうとした時だって、浮かない顔してたんだよな。明らかに気乗りしてなかった。俺は単に可愛がってるいとこにちょっかい出されるのが面白くないのかな、と思ってたんだけど」
「ちょっと待て。騙されたって俺が悪いみたいに言うな」
「そ、それはともかく! 俺が言いたいのは、神庭こそ白崎のこと好きなんじゃないかってこと」
コーヒーを飲み干そうとしていた俺は、その言葉を聞くや否や勢い余って手が滑り残りわずかな中身をぶちまけた。
「あーあ、何やってんだよ。大丈夫?」
「お前が気味の悪いこと言うからだろうが……」
「客観的にそう思ったんだよ! いとことか言われなかったら完全にデートしてるようにしか見えないじゃん。大体なんでいとこ設定? ってうわ、俺のパンケーキに塩を振ろうとするな! 」
吉野は皿を俺から遠ざけるように持ち上げている。
「な・ん・で俺があいつとデートとかするんだよ。おかしいだろ。男同士だぞ。お前が俺とデートするようなもんだよ。想像したくないだろ」
「……友達相手にあまり言いたくはないけど、今のお前女子にしか見えないもん。白崎は嫌だろうけど俺はアリだよ。中身がお前だって知った今は微妙だけどね」
わざとらしく大きな溜め息を吐いて、吉野は言った。
気持ち悪いとかありえないとか、そんなことを言う気にはなれなかった。俺から見た周りの人間は変わらないのに、周りから見たら男の白崎まことはもう存在していない。それは紛れもない事実だ。
「吉野は俺みたいな顔の女でもアリってのが驚きだよ。まさか男の時から俺の顔が好みだったわけ?」
「違うんだって。だから、さっきも言ったけどあの時の白崎が詐欺だったっていうか……」
「へー。ああいう服装が好きなのか」
「そうだよ。悪いか」
不貞腐れるようにそっぽを向いた。
「そもそも千春が俺を好きなんてありえないから。もしかしたら1%くらいは好きかもしれないけど、間違っても恋愛的な意味じゃない。それにあいつは、吉野と違って俺の正体を知ってたんだから」
「でも昔からとか」
俺は吉野の言葉を遮るように言った
「この話はこれで終わり。いいな?」
「わかったよ。変なこと言ってごめんな」
「じゃあこれからも今までみたいに友達として付き合ってくれる?」
「どういう文脈だよ……当たり前じゃん。改まって言われるとこそばゆいな」
「そうだ吉野、H大受かったんだってな。 おめでとう。俺の狙ってるS大と近いから、俺が無事受かったらまた飯とか行こうぜ」
「うん。楽しみにしてる。受かるといいな」
会計を済ませ店の外に出ると、空が赤く染まっていた。結構長居してしまったみたいだ。
「寒いなあ、本当」
「白崎はもっと着込んだ方がいいよ。こんな時期でも結構薄着なんだから。風邪引くよ」
吉野は首に巻いていた自分のマフラーを外して俺に渡した。
「いいよ気を遣わなくたって。それに借りたら返さなきゃいけなくなるだろ」
「今度会った時でいいから」
「まあ、吉野がそういうなら」
確かに寒いけど、別にこれくらい耐えられるのに。でも断るのも悪い気がして、素直に借りることにした。
いい奴だから俺が男でもきっと同じことをしただろう。
そうしてポツポツと言葉を交わしている内に駅に着いた。
「白崎、今日はありがと。話せて良かった。悪い病気にでもなったんじゃないかってずっと気になってたから」
「ある種の病気ではあるけどな」
「なんにせよ生きててくれて良かったよ」
吉野は笑った。
「あのさ、俺の体のこと他の奴には……」
「誰にも言わない。信用して」
「……うん。悪いな」
それから駅のホームで吉野と別れ、電車に乗り込んだ。
シートに座った途端、自然と深く息を吐き出していた。肩の荷が下りたみたいに吉野への後ろめたい気持ちが薄れて、少し前に進める気がした。
以前と全く同じような関係に戻れるかはわからないけど。
「いい加減、受け入れたいんだけどな……」
俺の小さな独り言は、走り出した電車の音に吸い込まれていった。




