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13話

兄視点

「いてっ」

 ぼーっと歩いていたら電信柱に頭をぶつけた。通行人の視線を感じる。これはちょっと恥ずかしい。

 まともに寝ていないものだから頭が正常に働かない。そんな状態ではあったが、今日は卒論を進めることができた。

 それもこれも弟改め妹が原因だった。

 昨日は珍しくバイト先の飲み屋の客が少なく、日付が変わる前に上がることになったのだが。

 風呂に入ってさあ寝るぞとなったところでチャイムが鳴った。俺は驚いた。なぜなら――

「お、すごいタイミング」

 すらっとした長身に、少し明るめの茶髪。一際目立つのですぐに彼だとわかった。

「おーい千春くん」

 声を掛けるとゆっくりとこちらを振り返った。

「……白崎くんのお兄さん? 偶然ですね」

「ちょうど家に帰るところでさ。昨日はごめんな。あいつが迷惑掛けて」

 俺は深々と頭を下げた。

「そんな、やめてください。白崎くんは悪くないんです。それにあんな遅い時間に……」

「大体のことはあいつが悪いんだよ。って言っても体調不良はどうにもならないし、気の毒だったな。それでお詫びといってはなんだけど良かったら夕飯一緒にどう? 奢るよ」

「お気遣いありがとうございます。でも申し訳ないので」

 彼とは家が近所ということもあり見知った間柄ではあるが、あまり関わりはなかった。まことが追いかけ回すから何度か止めに入った記憶がある。泣いてばかりいたあの頃と比べると随分大人びたというか、落ち着いた印象だ。

「まあそう言わずに。あ、でも家で用意してるかな」

「まだだと思いますが……」

「じゃあ行こうよ。何か食べたいものある? 家の人には連絡しといてね 」

「え、あの」

「ラーメン……いや定食もいいな」

「本当にお構いなく」

「固いこと言わないでさ。じゃあ行こっか」

 こうして半ば強引に千春くんを飯屋に連行した。


「千春くん、大きくなったなあ」

「そうですか? お兄さんとはあまり会いませんよね」

「大学入ってから生活リズムめちゃくちゃだからね。それにしても、昨日君がまことを連れてきた時は本当にびっくりしたよ。だって正直まことのこと苦手でしょ。 とんだクソガキだったもんなあいつ。あ、やっぱうまいこれ」

 馴染みの定食屋の個室で、トンカツを頬張る。サクサクでジューシー、それでいて柔らかい。昔から変わらない味にほっとする。

「子供の頃の話なので」

「それでも申し訳ないと思ってるよ。でも、よくまことのことわかったね。あいつ絶対自分から話さないだろうだから、千春くんが気付いたんでしょ?」

 すると、彼は気まずそうに目を逸らした。緊張しているのか箸はあまり進んでいない。

「……絵を」

「絵?」

「たまたま白崎くんの高校の文化祭に行って、そしたら彼の絵があって。それでもしかしたらって」

「そんなのわかるもんなの? 確かにあいつ上手いけど、俺が見たって多分わかんないよ」

「僕、彼の絵が好きなんです。小学校の時外で絵を描く授業があって、花を観察して描かなきゃいけなかったんですけど」

「うん」

「全然描けなかったんです。どう描いたらいいのかわからなくて困っちゃって。恥ずかしながら泣き出したんです。今思うとそんなことで、って感じですけど」

 先程とは打って変わって饒舌な彼は生き生きとして見えた。

「そしたら白崎くんが来て、こうやって描くんだって僕の画用紙にお手本をさっと描いてくれて、なんとか描くことができたんです。その時から彼の絵が気になるようになって」

「そうなんだ」

「すみません、僕ばかり喋って」

「いやいいよ。あいつも気まぐれで親切な時もあったんだな」

「気まぐれじゃないですよ」

「ん?」

「白崎くんは確かに暴力的でちょっと神経を疑うところもありますけど」

 随分はっきり言うなあ。兄としては耳が痛い。

「いつも僕を助けてくれたんです」

「あいつが?」

「白崎くんは、僕の憧れだったから」

 千春くんはまるで大切な宝物について語るかのように、柔らかい表情をしている。おそらく目の前の俺は視界に入っていない。

 なんというかこれは。俺じゃなくてまことに言った方がいいんじゃないか。 当人じゃないのに小恥ずかしい。というか俺が聞いて良いのか。

 まことと彼が一緒にいるところを最後に見たのは2人が小学生のときだった。タイプも違うし、反りが合わないんだろうと思っていた。というか、まことが恨みを買いすぎて絶対毛嫌いされていると思っていたのだが。

「えーと……」

 どう反応したら良いかわからずにいると、我に返ったらしい千春くんは顔を赤くて俯いた。

「ご飯冷めちゃいますね。せっかくご馳走してもらったのに。いただきます」

 そして誤魔化すように食事を始めた。

 俺も箸を動かす。それからしばらく無言で食べ続けた。

「ある日弟が妹になったらどうなると思う?」

 俺が急に口を開いたものだから、千春くんはびっくりしたようだった。

「それは……動揺しますよね」

「家中大騒ぎだよ。母さんなんか父さんが不倫して作った子だとか言い出すし。父さんは涙目でおろおろしながら弁解してさ。まあ母さんの軽いジョークだったんだけど。あの時はウケた」

「ウケますかね、それ……」

「まあそれは置いといて。未だに変な感じはするけど、妹になっても確かにあいつは俺のきょうだいだって思うんだよな」

「僕も……白崎くんは性別が変わっても白崎くんだと思います」

「ところで前のあいつを知ってる千春くんから見てどう?」

「どうとは」

「女子に見える?」

「……見えますよ」

「かわいい?」

「え? か……かわいいんじゃないですか」

「へー! じゃあ付き合いたいと思う?」

 問いかけると、彼はむせて咳き込んだ。

「あーごめんごめん。大丈夫?」

「からかってますよね……?」

「いやー、身内だとわかんないじゃん? そういうの。客観的にどうなのかなあと思って。ま、元男だってわかっててそういう目で見られるかっていうと微妙だよな。今のは聞かなかったことにして」

「そうします……」


 食事を終え、家の近くの交差点までやって来たところで別れることにした。

「今日はご馳走さまでした」

「急に誘っちゃってごめんね。楽しかったよ。まことはあんな奴だけど、良かったらこれからも仲良くしてやって」

「それは、そうしたいんですけど」

 妙に歯切れが悪い。今日の感じからするとまことに好意的なのかと思ったが、見当外れだったのだろうか。

「無理にとは言わないけどね。気が向いたら構ってやってよ」

「白崎くんには僕より頼りになる友達がいると思います。あの、今日言ったことは内緒にしてください」

「わかってるって。そのなんだ、あんまり考えすぎない方がいいと思うよ」

「ありがとうございます」

 彼は丁寧に頭を下げ、外灯の向こうに消えていった。


 なんだったんだろう、さっきの反応は。

 まことと彼の関係はわからない。ただ一つ分かったことは、千春くんがまことに並々ならない感情を抱いていそうだということだ。まことの蛮行もあるし好意だけではないだろうが。

 女子が群がってきそうな容姿だし、よりによってまことを異性として意識はしていないだろうが……いやなんとも言えないか。憧れとか言ってたけど意味深だったな。

 まあ俺には関係のないことだ。

 何にせよ、性別が変わってからまことも色々と大変そうだ。生意気な弟もとい妹ではあるが、もう少し気を配ってやらなければ。そう思った。



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