皇太子殿下と暗殺者
プリムローズ。可憐な少女にしか見えない彼女は、様々な依頼を受けて暗殺を何度も成功させてきた。暗殺ギルドの中でもトップレベルの実力者だ。
そんな彼女の次の獲物はターフェルルンデ皇国の皇太子ナザレ。歴史に名高いその国は、大分世界情勢が落ち着いてきて平和な社会になった今でもなお、要所要所に厳重過ぎる警備を敷いている。そんな国でも一番守りの固い皇居に、皇太子は住んでいる。
様々な魔術を駆使して、皇居の警備を突破するプリムローズ。
『…ここまでは順調。大丈夫、今日も首を掻き切って終わり』
ナザレの部屋に潜入。高鳴る鼓動を押さえつけ、静かにベッドの上の彼に近寄る。安らかに眠っている彼に、せめて余計な苦痛を与えることがないようにと願いつつナイフを振りかざした。
瞬間、彼女の身体は反射的に動いた。
「…なっ!?」
寝ていたはずのナザレが起き上がる。懐から短刀を取り出して。一瞬でも反応が遅れていたら、プリムローズの方が先に血を流していただろう。
「おや、今日のお客様は随分と可愛らしいね」
ナザレの一言に、プリムローズは目を瞠る。
「この状況で何を…」
「ねえ、気付いてる?君がそうやって呆気にとられている間に、もうこんなに拘束魔術の魔法陣を敷いてしまったよ?」
「…っ!?」
ナザレの一瞬で展開した拘束魔術で、鎖にギチギチに縛られる。
「こんな…無詠唱で…!?」
「魔法陣を敷いたからだよ」
「一瞬で魔法陣を敷くなんて普通無理なのだわ!?」
プリムローズは目の前の人物がただただ恐ろしい。だって、自分は暗殺者ギルドの中でもトップレベル。何度も実戦を経験している、その中の難しい依頼でもこんな化け物じみた強さの相手はいなかった。
「ま、まさか潜入する前からバレていたなんて…暗殺者失格なのだわ」
「バレていたってなんのこと?」
「私が潜入することなのだわ。気付いたから、貴方ほどの手練れを影武者として忍ばせたのでしょう?」
今度はナザレが目を瞠る番だった。
「手練れ、かぁ…。まあ、よく言われるけど流石に影武者扱いは初めてだなぁ。でも、君ほどの…それこそ、手練れと言える子に言われると嬉しいね」
「…えっ、まさか本物のナザレとか言わないわよね?私、お城でぬくぬく育った皇太子殿下に負けたとか言わないわよね?」
ナザレはウィンクを飛ばす。
「ご名答!僕は本物のナザレさ。まあ、お城でぬくぬく育った訳ではないけれど」
「は、はぁ!?そんな訳ないのだわ!そんなはずないのだわ!」
プリムローズはとうとう自尊心を保つことが出来なくなった。まさか皇太子に負けるなんて。
「僕は第一皇子で皇太子だからね。こうやってよく狙われるから、子供の頃から魔術も武術も鍛えていたのさ。別にぬくぬくとは育ってないよ。むしろ、いつどこで誰に…こうやって、狙われるかわからない地獄が君にわかるかい?僕の可愛い可愛い弟もこうして殺されたんだよ」
ナザレの怒りに燃える目に、プリムローズは思わず釘付けになる。それは恐怖か、それとも別の何かか。
「さて。捕まった君の処遇だけど」
「…」
「どうせどこかの暗殺者ギルドに在籍してるんでしょ。名前も偽名で、見た目も変えて登録してるんだよね?死体でも偽装して、僕に寝返りなよ。僕なら君に、もっと美味しい蜜を吸わせてあげる」
「…は?」
「そのかわり」
ナザレは一呼吸おいて、言った。
「僕の可愛い弟を殺した、この国の要人達を全員殺せ」
その本気の目に、プリムローズは今度こそ虜になった。
ナザレは、第一皇子として生を受けた。本人があまりにも優秀なため、傀儡には適さないと何度もこの国の要人達の手によって殺されかけたが生き延びた。続いて生まれた第二皇子は良くも悪くも純粋だった。これは傀儡に向くと皇太子に祭り上げられかけたが、第二皇子は皇太子には兄上の方が向いていると頑なに辞退してナザレの側近として生きる道を選ぼうとした。
第三皇子が生まれると、コレを傀儡にすればいいと第二皇子は殺された。ナザレはしぶとく生き残って、第三皇子には決して皇太子位を渡さず傀儡になどさせずに守ってきた。しかし第二皇子を守れなかったことは心の傷として残っている。
いつか、この国の要人として食い込んでいる貴族どもを全員殺して復讐する。そして国を立て直す。それがナザレが弟妹達のために出来る唯一だと、ナザレは信じている。
「…死体を偽装して、ギルドは抜けたのだわ」
「そう」
「このリストの全員を殺せばいいのかしら?」
「うん」
「任せてちょうだい」
ナザレの怒りに燃えるその目に、プリムローズはビリビリと電流が走るような感覚を覚える。
「どこでどうやるかは決めたの?」
「決めてるけど、教えてあげないのだわ!」
「…信用してるからね」
その言葉には、約束を違えたらどうなるか分かってるだろうなという圧を感じる。プリムローズはそれに笑った。
「私を誰だと思っているの?必ず全員殺すわ。何度も言うけれど、任せてちょうだい」
その言葉に、ナザレはやっと笑った。
皇帝は、この国の要人の傀儡だ。皇太子であるナザレは、実の父である皇帝すら疎ましく思う。こいつが傀儡でなければ、弟は死ななかったかもしれないと。その皇帝の、公的な場でのスピーチ。当然、彼を傀儡とする要人達も皆集まっている。そこに、プリムローズは突っ込んだ。そう、突っ込んでいった。暗殺ではなく、正々堂々殺しに行ったのだ。
当然場は大混乱。しかし、だからこそプリムローズの独壇場だった。殺すべきものは全員殺し、余計な死者は出さず、顔も仮面で上手く隠して正体もバラさぬまま去った。皇帝はこの責任を取って隠居し皇位をナザレに譲った。ターフェルルンデ皇国は、こうして悪徳貴族の支配から抜け出したのだ。
後日、腐りきったターフェルルンデ皇国の政治を解き放った英雄として謎の暗殺者は正体が謎のまま祭り上げられた。
「…まさかあんな無茶をすると思わなかった」
「ごめんなさいね。でも、貴方の願いを叶えたかったの」
真っ直ぐな目で見つめられ、ナザレは笑った。
「暗殺者のくせに、皇帝に恋をするの?」
「別に、情をかけてくれなくていいの。ただ、貴方の役に立ちたいだけよ」
「…じゃあ、もう一つ依頼を受けてくれる?」
「なにかしら」
「…一生を僕に捧げて」
プリムローズは目を瞠る。
「え、え、それは暗殺者としての経験を活かしてボディーガードするということかしら?」
「それもいいけど、お嫁さんとして」
「ええ!?」
「僕は皇帝だ。ある程度のわがままは通る。だから、君を妃に迎えたい」
「で、でも…も、もう!わかったのだわ!わかったからそんな可愛い顔でおねだりしないで!」
プリムローズは、こうして英雄兼皇妃となったのだ。英雄であることは、夫のみが知ることではあるがプリムローズはそれが嬉しいとナザレに言った。ナザレはそんな健気なプリムローズを、ただ優しく愛おしそうに抱きしめた。…自分達の愛は、きっとどこか歪んでいる。その自覚はありながら、二人は永遠の愛を誓い合った。




