紳士、女湯へ
服装は大事だ。だらんとのびた安物のシャツを不格好に着てしまえば、己の精神もたるんでしまう。体にピッタリのオーダーメイドのスーツ。この高級ブランドのスーツをビシッと着こなし、高級時計をつけ、ピカピカに磨き上げた革靴を履き、体中の筋肉に軽く力を入れて姿勢を整える。猫背なんて論外だ。身だしなみを整えた僕は、鏡で最終チェックをする。完璧だ。では、美しく華麗に登場といたしましょう。
ガラガラと女湯の扉を開けた。
「どうも、こんにちは。おくつろぎ中失礼致します」
僕は爽やかな笑みを浮かべ、丁寧に一礼してから女湯に足を踏み入れた。
「キャーーー!!!男がいるーーー!!!」
「警察!警察呼んで!!!」
「ここ女湯なんですけど!!!」
若い女性に人気の温泉。テレビや雑誌で紹介されてから人気が急上昇したこの温泉には今日も多くの女性客が来ていたのだった。今ここにいる人はざっと20人程か。裸の女性達の悲鳴が上がる。
「まぁ落ち着いてください。僕は怪しい者ではありませんよ」
そう言って、僕は両手を上げた。無抵抗の意思を示す為である。
しかし、僕の言葉を全く聞かず女性達はパニックになっていた。やれやれ、女湯での入浴というのはこんなにも大変なことなのか。混浴までマスターした僕ならば女湯にも挑戦できるのではないかと思ったが、そうは問屋が卸さないようだ。やはり温泉マスターへの道のりは険しい。
だがここで挫けてはならない。僕の輝かしい未来の為に、彼女達と入浴しなければ。男湯、混浴、女湯、すべてに入って真の温泉マスターになれるのだ。あと女湯に入ることができれば、僕はすべてをマスターしたことになる。ここは紳士らしく、彼女たちに失礼のないよう最大限の配慮をして入浴の許可をいただかねば。
まずは一番手近にいたショートカットの女性に話しかけた。
「ちょっとよろしいですか?」
「イヤ!」
彼女は即座に答え、手に持つタオルを振り回して攻撃してきた。見事な振り下ろしであった。パシィィイイン!!という乾いた音が浴場に響き渡る。
失礼な!初対面の人に突然暴力を振るうとは!今の教育はどうなっているのだろうか。しかし、ここで冷静さを失ってはいけない。大いなる目標の達成に怒りの感情は邪魔でしかない。どうすれば彼女たちは僕に心を開いてくれるのだろうか。どうすれば僕が入浴することを許してくれるだろうか。少し考える必要がありそうだ。
僕はとりあえずもう一度だけ交渉してみることにた。絶対に失礼のないよう、礼儀正しく振舞わねば。
「どうかお願いします。話を聞いていただけないでしょうか」
そう言うと女性は「いや!」と言って再び攻撃を繰り出そうとしてくる。困ったな。一体どうやって説得したらいいのか。このまま問答を続けていても拉致があかない。
とにかく、できることからやっていくしかない。まずは体を洗っておくか。体を洗わずに湯船に入るのはご法度だ。僕は体を洗うために服を脱ぎ始めた。すると少しはおとなしくなったかと思われた彼女たちが、またキャーキャー騒ぎ出した。
「変態ー!!!脱いでるー!!」
「逃げてぇえ!!」
はっ!?これはしまった!いきなり肌を見せるのは刺激が強すぎたか!しかしここまで来たら引き下がれない。スピード勝負だ!僕は素早く衣服を全て脱いだ。脱いだ服をそのまま乱雑に放置するのは行儀が悪い。高速で衣類を正確にたたみ、その勢いのままシャンプーを手に取り頭から泡を立てていく。慌てたせいか、僕の手先に狂いが生じ、泡が目に入ってしまった。痛みで思わず目をつむってしまった。
頭の泡を洗い流し、ふと見上げると女性たちの姿はなく皆立ち去ってしまっていた。しまった!目をつむっている間に逃げられてしまった!たとえここが女湯であっても、女性が入っていない風呂に一人で入るのは自宅の風呂に一人で入るのと同じで意味がない。女性と一緒に入浴して初めて女湯をマスターしたことになる。
僕は慌てて脱衣所まで走り、服を着ようとしている彼女たちに言った。
「お願いです!どうか僕と一緒に入浴してくれませんか!?この通りです!」
僕は土下座をして、額を床につけて必死に懇願した。その時だった。
「動くな。そのままの姿勢でいなさい」
動くなと言われたが、何が起こっているのかを見たくて顔を上げた。そこには一人の婦警が立っていた。キリっとした険しい表情、冷たい目線、背筋をピンと伸ばした姿勢。そのすべてがこの場にいるどの女性よりも美しかった。大抵の男の目は曇っている。本質や真実を見抜く力などない。もしこの場に他の男がいたとしたら、間違いなく裸の女の方を見るだろう。だが僕の目はその婦警に釘付けだった。凛とした彼女には本物の美があった。でも不思議だ。何故か以前この人に会ったことがあるような気がする。そう、今日と同じく風呂に関する場所で・・・。
「説明は不要だな。この場で逮捕する」
その声を聞き、僕はすべてを思い出した。
「あ・・・あなたは!あなたは温泉マスター!」
そうだ!この人は、温泉マスター!男湯、女湯、混浴すべてをクリアした僕の目標とする人。
「僕です!半年前山形の温泉でご一緒させていただいた、あの時の・・・」
男の僕が女湯に入るなんてとてもじゃないが無理だ。そう思っていた。しかし半年前、気晴らしに温泉旅行に行き、男湯入っていたときに彼女は現れた。混浴ではない正真正銘本当の男湯に彼女は入りに来たのだ。
「混浴風呂に飽きちゃったからこっちに来ちゃった」
彼女は他の男と楽しそうに話していた。その勇気と行動力に僕は圧倒された。彼女の姿を見て、このままではいけない、僕も必ず温泉マスターになるのだと決意したのだった。そして僕は彼女に近づき、いつかあなたのような立派な温泉マスターになりたいと自分の意志を伝えたのだった。まあ、頑張りなよと言われ、握手をしてもらった。あの時の手の温もりは今でも忘れない。
「ああ、あなたね。あの時の温泉で会った」
「そうです!覚えていてくださるなんて光栄です!」
この男のことはよく覚えていた。私が男湯に入った時、他の男どもはニヤニヤしながら私の体をなめまわすように見てきた。近づいてきて卑猥な話もしてきた。しかし、ただ一人この男だけは違った。この男は私の体を見ず、私の目をまっすぐに見てきた。その表情にはいやらしさなど微塵もなかった。そして私のことを尊敬しているだとかなんとか言って、変な男だなあと思ったのだった。
「あの、厚かましいお願いではございますが、どうか僕と一緒に入浴していただけないでしょうか」
「え?なんで?」
「他の女性は僕のことを理解してくれません。話すら聞こうとしない。もうあなたしかいないのです!僕のことを理解してくれる人は!」
あともう少しで僕は温泉マスターになれる。そしてこの場で彼女に再び出会えたのも何かの運命。できることなら心から尊敬している女性と共に入浴し、僕が温泉マスターになる瞬間を見届けて欲しい。
「僕は本気です!あの・・・よかったらこれを受け取っていただけないでしょうか!」
僕はスーツのポケットに入れてあった指輪を取り出し、彼女に見せた。ダイヤモンドが輝くプラチナのリング。いつか彼女に再び会うことがあったら渡そうと思い、ずっと肌身離さず持ち続けたリング。全裸の男が婦警に結婚指輪を渡そうとする光景を周りの女性は複雑な心境で見ていた。
「え?どういうことこれは・・・」
「いつかあなたに僕の思いを伝えたいと思っていました。でも温泉マスターでない未熟な自分ではあなたには不釣り合いです。だから女湯での入浴を達成してからプロポーズをしたいと思っていました。でも気が変わりました。どうかこの指輪を受け取り、そして今一緒に入浴してこの僕を温泉マスターにしていただけないでしょうか!お願いします。僕と一緒に入浴してください!」
僕はひざまずいて彼女に指輪を差し出した。周りの女性は息をのんでこの光景に見入っていた。
彼女はボリボリと頭を掻いたあと、言い放った。
「女の体に興味がない性欲ゼロの男と結婚するか!バカ!」
ガシャリと手錠がかけられた。おっと、もしかしてそういうプレイか?と思ったが、そのまま普通にパトカーに乗せられ連行されてしまった。先ほど僕は他の男のことを馬鹿にした。本質や真実が見抜けないだとか。だが僕も同じじゃないか。彼女は尊敬すべき温泉マスターなどではなかった。ただの露出狂だったのだ・・・。




