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向日葵の畑で  作者: 田代夏樹
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消えたアドレス

「もう少し冷静になって下さい。いいですか、貴方のスマホのアドレスデータを、消せる人物に心当たりはありませんか」

薫子先生は静かに言った。人生がドラマチックだと言ったのはこの人なのに。

「そんなの、無理ですよ。指紋認証システムだし。スマホを壊してもバックアップがあれば復活は可能。だから今のデータも戻せたわけで・・・」

「つまり?」

「つまり・・・あ、そうか。データを消せるのは私だ、私だけだ。私がアドレスを消して、それを忘れているんだ」

「そういうことです。貴方は二人の女性とLINEアドレスを交換した。しかし何らかの理由でそれを削除するに至った。もしかするとそれが、貴方の深層心理が閉じたがっている記憶の蓋、なのかも知れません」

深層心理、無意識のうちに封印しようとしている記憶。それは本当にあったのか。それこそ事件ではないか。

「あ、あの・・」

「今日はここまでにしましょう。また来週お願いします。お疲れ様でした」


 夜、俺は高速道路と給油記録を見直した。九月の十九から二十二日、やはり長野だ。福島や新潟の記録ではない。この事実と今日の記憶を照合させると、磐梯山や村上あたり辺りのキャンプ場を予約し、その後キャンセルして松本周辺のキャンプ場を取り直したに違いない。ETCの履歴は十九日、東京ー塩尻、二十二日、塩尻ー東京。その間は女性の住む松本近郊に滞在し、何本か日帰りツーリングをしていたのだろう。美樹ちゃんは結婚していると言っていたから、宿泊ツーリングの可能性はほぼない。だとすると、俺は初心者を連れて何処を走ったのだろう。LINEではどんなやり取りをしたのだろう。マップを見ながら考えていると、すっと眠気が降りてきた。


「LINEはグループトークでね。旦那にも浮気していない証拠、見せるから」

俺たちはNinja400という名前でグループを作成し、連絡を取り合うことにした。それにしても、俺は具体的に何をすればいいのだろう?

「とにかく一緒に走ってもらえれば。それで気が付いたことを指摘して下さい。あの、教習所の教官のように」

教習所なんて、もう卒業してから十年近く経つのに。どんなだっけ?

「あ、でも優しく言って下さいね。木村教官、言い方きつかったなあ。ねえ美樹ちゃん、私、木村教官の日は緊張したもの」

「キムキム、あたしのことやらしい目で見てたのよお! キショ、サブって思ったけど、免許のために耐えたわ」

教習所ネタのガールズトークについて行けない。俺は話題を変えた。

「次のツーリングプランなんて、あるの?」

「シルバーウイークはどっか行きたいねって、話してたけど、何処に行くかまでは考えてなくって」

「今年は連休だけど、あたしは旦那の面倒も見なきゃならないから、日帰りで走れれば、って」

 東北プランはまたにしよう。磐梯山も佐渡島も消えはしない。スマホを手に、近くのキャンプ場を探してみる。松本の近郊でも二つヒットした。そのまま番号を押す。

「もしもし。すみませんが、九月の十九から三泊、テント一幕張れますか? ええ、大人一名で、バイクです。・・・あ、良かった。じゃあ予約お願いします。・・・ヤマザキ シュンイチ。電話番号は・・・」

「こっちのキャンプ場が取れたんで、俺、連休はこっちに居るよ。天気と、都合を合わせながら日帰りのツー、一緒に考えよう」

「いいんですか? そんな簡単に決めて」

「シンプルに行こうよ。二人の都合が合わなければ、俺、一人で走るし。ええっと。まず行きたいところ、ピックアップしてもらって。松本を起点にそこまでのルート、俺、考えるから」

「やっぱり男の人は違うわ。頼もしい」

ハンバーグ屋にはすっかり長居してしまった。


 LINEでは頻繁に、行きたい場所、が送られてきた。どうも女の子の視線と俺らの視線は見ているところが違う。俺には思いもよらない場所がどんどん積み上がる。

 俺はマップを大判でコピーし、場所をポインティングした。それから松本を中心に半径二十五キロ、五十キロ、百キロ、百五十キロの円を描いた。彼女たち二人の力量も体力も判らない。判っているのは二人とも免許を取得したばかりの初心者で、少なくとも涼子ちゃんは華奢で体力があるようには思えない。そこで半径で百キロを超えているものは取り敢えずオフリミット。ここ松本市は観光地に近いけれど、二十五キロ圏内は逆にいつでも行けるだろうからこれも除外。コンパスを九十度から百二十度の角度でずらす。三か所、四か所ポイントが入る所を見つけて、マーキングする。

 山越え谷越えが入るとライダーにも負担が掛かるから、高低差を考えて、五十キロから百キロ圏内で絞り込んだ。しかし行く場所を絞り込んでも、国道、県道、広域農道、ルートはいくらでも考えられる。ネットでツーリング情報も拾ってマップに書き込んだ。四本の原案を作るのに丸々一週間掛かり、LINEで意見交換しながら更に練り込んだ。


 九月二十日、午前八時半。バイパスのコンビニでの待ち合わせ。俺は前日入りしていたし、事前連絡はLINEでマメに書き込んでいたから、集合についてはあまり心配はしていなかった。ただ、二つのことを除いて。

「おはようございます! 天気良さそうで良かったですね!」

それが涼子ちゃんの第一声。

涼子ちゃんがヘルメットを脱ぐまでの僅かな時に、美樹ちゃんのバイクが駐車場入って来た。

「オハヨー」

今日も美樹ちゃんはタイトないで立ちだ。バイクの横に立つとくっきりと体のラインが判る。確かに牛革のウェアは摩擦に強いけど、それだけではプロテクション効果は薄い。美樹ちゃんもそれを解っていると思うけど。やっぱり体に自信があって、そのラインは例えバイクに乗っても崩せないのだろう。

 おはよう! と声を出したあと、美樹ちゃんがヘルメットを脱ぐのを待って二人に話し掛けた。

「今日は天気も良さげで絶好のツーリング日和だよね」

にこやかな二人の笑顔。

「ところで。夕べもしくは今朝、バイクの乗車前点検、した?」

二人は顔を見合わせてキョトンとしている。

「ネンオシャチエンブクトウバシメ、だよ」

「何ですか、その、魔獣召喚みたいな呪文は」

「え? じゃあ、豚と燃料、は?」

「豚ぁ?」

二人はすっとんきょうな声を上げる。

「あれ? 最近の教習所では教わらないのかな? 豚と燃料っていうのは、つまり、ブレーキ、タイヤ、灯火類、燃料のチェックはしましょう、ってこと」

そう言って笑った。

「そんなの、教習所で習ってないよ?」

と、美樹ちゃん。涼子ちゃんは、車の教習で似たようなヤツ、教わったかも、と呟く。

「ツーリングを楽しむためには、まず、準備、だよ。じゃ、一緒に点検しよか」

俺は最初の一発目、シナリオ通りに進んだことを、ほくそ笑んだ。涼子ちゃんは、

「瞬ちゃん、教官モードですね」

と、意地悪く言った。

 点検の後、サインの再確認をした。休憩は左手をひらひらさせる、ガソリン補給はタンクを叩く、ペースアップは親指を立てた拳を突き出す、ペースダウンは手の平を下に向けてあおぐ、追い抜いて欲しいときは手の平を前に向けてあおぐ、何か見て欲しいものがある時はそれを指さす。この六つがあればツーリング中の意思疎通は大体問題ない。二人はインカムを物色中だし、俺はインカムは使わない。緊急事態はホーンだ。

「同じカワサキだからガスの補給ペースは同じはず。前を走る場合は時々後ろを見て、ついて来ていることを確認してね。前を走ってるとサイン見落としがちだから」

「え? 瞬ちゃんの後ろをついて行けばいいんじゃないの?」

やっぱりね。たぶんそう言うと思ってた。 

「俺が先頭を走ってたら、二人のこと、見えないでしょ?後ろから見ないと、良いとこも悪いとこも判んないよ」

二人は顔を見合わせた。

「つまり先頭は交代で務めるってこと。大丈夫、交差点とか曲がる所はなるべく俺が前を走るから」

「ってことは、もしあたしが先頭を走っていて、道を間違えたら・・・」

「そ。俺が追いついて修正するまで、間違った道を進むことになりまーす」

「えー⁈」

「大丈夫だって。市街地は俺が前走るし。もしはぐれたらとにかく真っ直ぐ。はぐれたときに途中で曲がったちゃうと本当に迷子になるから。あ、あとね。信号が変わってついて行けないときは無理に進入しないでね。マジ危ないから」

こうして最初のツーリングが始まった。


 市街地は、やはり俺が先頭を走った。途中、すり抜けできる? って聞いたら無理だと言われ、信号待ちではおとなしく車の後ろについた。本当は長い赤信号で前の車が止まっていれば、車の列の前に出た方が良いのだけれど。バイパスで車が流れ始めると、俺は白い破線であることを確認して追い越しを始めた。バックミラーで小まめに後ろを見る。必死でついてくる黒と白、二台のカワサキ。気分は教官だ。

 最初の休憩。

「瞬ちゃん速いよ」

「そお? でも二人ともついて来てるじゃん」

「だって、バンバン追い越し掛けるんだもの」

「バイクはね、車の後ろについて一緒に走っている方が危ないの。車とは距離を置いて走るべし。これ基本だよ」

「車の、流れに乗って走らせるんじゃないんですか?」

「それは車の走らせ方。バイクはさ、車より全然小さいじゃん? だからドライバーからは認識されにくいの。車と並走したり車の後ろ走っていると、バイクに気が付かないドライバーが車線変更してぶつかっちゃうケースもあるわけ。特に大型車の周囲はね、実は危険ゾーン。前後の車間は勿論だけど、横の車のことも意識したら、抜いて行く方が安全だよ」

「うわ。これも教習所では習わないことだ。目から鱗ね」

「オッケー。じゃあ次は少しワインディングっぽくなるから、美樹ちゃん先頭で。俺、しんがりね」

「うん、緊張する」

 二人を後ろから見てると面白い。美樹ちゃんはやっぱり性格が反映しているのか、思い切りがいい。カーブに対してビビっていないから、進入速度はそれなりに速い。涼子ちゃんは、これでもか! ってくらい減速させている。出口ではそれなりにアクセルを開けているもの判る。ここは高低差があまりないところだけど加速はゆっくりだ。たぶんギアが高い。上り勾配は走らないぜ、それじゃ。

 涼子ちゃんを驚かせないように前に出ると、カーブの中盤以降の美樹ちゃんが見えた。市街地走行では気にならなかったけど、ワインディングでは思った通りだ。カーブへの進入が速いけど、その分出口がキツイ。辻褄合わせにカーブの途中でブレーキを掛けている。それ、教習じゃNGのはずだけど? カーブの奥に行くほどタイトになる複合カーブや、下り勾配のカーブじゃヤバイパターンだ。こっちもやっぱりギアが高いな。立上りは緩慢な加速だ。

 俺はアクセルを緩め、涼子ちゃんを先に行かせた。サインは解ってくれたみたいだ。この先、上りのカーブがいくつもあるけど、二人とも頑張れー。俺は心の中でエールを送った。

 展望台の駐車場は峠道の高台にあった。二人が選んだツーリングで行きたい場所、ロケーションは完璧だ。そして涼しく、風が気持ちいい。まだ秋というには早すぎるけど、空は高く、近づいている気配は濃厚にあった。

 俺は休憩がてら、さっきのギアの話をした。案の定、上りのカーブではノッキングするほど減速していた。気が付いたことを指摘するのだから、これでいいのだろう。

「じゃ、次はお昼ご飯を食べに行くね。近くにツーリングライダー御用達の釜めし屋があるらしいので、そこ。涼子ちゃん先頭、俺、しんがりね」

「道は? この道まっすぐですか?」

「うん、まっすぐ。この道沿いにあるから、すぐに判ると思うよ」

ここから少し行くと、道は下りに変わる。美樹ちゃんが先頭で、オーバースピードでカーブに入るとヤバイかも知れない。涼子ちゃんが前ならきっちりブレーキを掛けて減速するから、その心配はない。

 それにしても。バイク屋の定例会ではいつも公道レースみたくなるマスツーリングも、女性がいるだけでこんなに華やかになるのか。ソロのキャンツーでは孤独を楽しむようなところがあるから、これも異質だ。頼まれて始めたことだけど、楽しい。素直に感謝した。

 砂利の敷かれた駐車場を、白いカワサキが慎重に出る。下りの九十九折りをゆっくりゆっくり走って、緩やかな直線に出たとき、大きな看板が遠くからでも確認できた。これだろう。涼子ちゃんが左手で指さす。美樹ちゃんも俺も大きく頷いた。


 お昼ご飯を食べているときも、話題はもっぱらバイクの話だ。俺は本当に教官になった気分がした。こんなに楽しいのなら、転職しようかな。帰ったらインストラクターの資格について調べてみよう。いやちょっと待てよ。教習生は美人ばかりとは限らない。やんちゃな悪ガキだって来るはずだ。それの相手もするのか、やっぱり楽しいことだけじゃないよな。

「ねえ、瞬ちゃん。聞いてます?」

「ああ、ごめん。何だっけ?」

「だからあ。男の人は皆、美樹ちゃんみたいな女性が好きですよね、って話」

あれ、バイクの話じゃなかったっけ?

「教官はサングラスの下で目尻下げているから、体のラインがくっきりわかる服を着れば、合格をくれるって話」

「教官になるんでしょ? このスケベ!」


 目を覚ました。一つの記憶は別の記憶を呼び起こす。治療室で蘇った九月初旬の記憶。その延長を、ここ一週間で何度も同じ夢で見る。シルバーウィークのツーリングの夢。終わり方は様々だけど、俺はその後のことも思い出していた。釜めしを食べたあと、俺たちはワインディングを一気に下って道の駅に行き、ソフトクリームを食べた。そして湖に回ってから帰ったんだ。その翌日は戸隠まで行って新そばを食べ、鬼女紅葉の岩屋、紅葉稲荷、久米路峡。峠道を挟んで観光地をぐるっと回るコースだった。

 そして二十二日、キャンプ場でテントを畳んでいると二人がやって来て、クッキーをくれたんだ。夕べ、疲れているだろうに二人が作ってくれた、ミルクとアーモンドのクッキー。今回のお礼だって。その心遣いに俺は感動したんだ。また、お願いしますねって、言われて。即答でハイって言って、逆に笑われた。たぶん、俺はまんまと彼女たちの策略に引っ掛かったんだ。それが彼女たちの作戦だってことに気が付いたのは、東京に戻ってからだ。ちぇ。男なんて単純なもんじゃないの。


 そして金曜日がやって来て。俺は治療を始める前に薫子先生に言ってみた。

「・・・それがこの一週間で思い出したことです。でもね、二人の顔がハッキリしないんです。それにアドレスを消したこと。肝心なことを思い出せていない」

「山崎さん。おそらくそれが記憶を取り戻すキーです。でも結論を急がないで下さい。今、記憶を古いものから順に追っています。結論が先に蘇ると、経過が解らないままになるかも知れません。経緯が解らなければ、その結論は受け入れ難いものになるかも知れないのです。もう一度言いますが、結論を急いではいけません」

頭にネットとヘッドフォンを着けられ、八回目の治療が始まった。

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