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向日葵の畑で  作者: 田代夏樹
3/14

リハビリ

 予定通り八月末に退院して、まず自宅がどうなっているか不安だった。大抵ロングツーリング前は冷蔵の中は空っぽ、洗濯物は片付けて出掛けるのだが、記憶の中には去年の七月の部屋しか思い浮かばない。しかしざっと見、何も変化がないようだった。安堵と一緒に、自分の代わり映えのしない生活に少しだけ苛立った。

 壊れたスマホと印鑑を持って、駅前のショップに出掛け、機種変えとデータの移動を行った。本体側のメモリは物理的に破損していたが、幸いマイクロSDは無事で、アドレス帳の移行は簡単にできた。写真やLINEのデータは全てぶっ飛んだけれど、これはもう仕方がない。新しいスマホで早速、馴染みのバイク屋に電話を掛けた。

「おー。久し振りだなあ。どこ行ってた? 皆、瞬君と連絡が着かなくなったって大騒ぎだったんだぜ?」

俺は簡単に事故のこと、怪我のことを話した。その後遺症で記憶が曖昧なことも伝え、それから車両の引き取りを頼んだ。まだ、バイクは松本の警察で保管されている。

「来週ならいいよ。土曜日かな?」

俺は怪我人だからピックアップの作業には役に立たないが、同行するので土曜日にしてもらった。一旦切って松本の警察署に電話を掛け直し、交通課の柊巡査部長を呼び出してもらった。柊さんも安藤さんも巡回中だというので、事故のこととバイクのナンバーを伝え、来週の土曜日に引き取りに伺うと言付けを頼んだ。


 警察署で手続きをしている間に、バイク屋のオヤジさんがさっさと軽トラに積み込んでくれて、引き取りはあっさりと終わった。カワサキ Ninja400、俺の相棒。荷台の上でひしゃげたフロントフォークを見たとき、まるで死体だな、と思ったら、涙が込み上げてきた。すまん。俺はカワサキに謝った。

 ふと視線を感じて頭を上げると、柊さんが立っていた。俺が記憶を失ったせいで調書が作れず、何度も顔を合わせた。何を言っても、判らないとしか言えない俺に苛立ちながらも、状況証拠だけで事故を再現してくれた人だ。

「もう大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないですけれど、退院はできました」

「そうか。・・・また、バイク乗るのかい?」

「今はまだ判りません」

柊さんはカワサキのタイヤを指さし、

「こんなエッジのギリギリまで削るような走り方をしてたら、いつか本当に死んでしまうぞ」

そう言って俺を睨んだ。

「バイクも、かわいそうだ・・・」

この人もバイクに乗るのだろうか?

「生死を共にしたバイクに涙する君なら、たぶん、解ると思う」

やべ。見られてた。

「安全運転を心掛けて、乗って下さい」

そう言って署の方に引き上げていった。


 帰り道、オヤジさんは高速に乗ると話し掛けてきた。

「・・・これさあ。たぶん、フレームまで逝ってるぜ」

「マジ?」

「カウルは置いといて、フロントフォーク、ラジエタ、クランクケースはオシャカ。エンジンのビボットとフレームが相当のダメージを負ってる感じだな」

「・・・ってことは?」

「廃車かな」

「直らん?」

「エンジンとフレーム換えたら、そりゃマシンとして別物だろ。ま、戻ったらよく見るけどさ」

 ショップに戻ると二名の従業員がテキパキとカワサキを下ろした。常連の坂口さんが声を掛ける。この人、もう還暦を越えているはずだ。

「事故ったって?」

「見ての通りですよ」

「生きてりゃ御の字。怪我なんて、治ったら笑い話さ」

にやにやと笑っている。その向こうでオヤジさんがパールホワイトの割れたカウルをばらす。

「・・・瞬君。終わってるわ」

あっさりと廃車が決まった。


 松本の病院から都内の病院に転院してきたとき、整形外科と脳外科のある総合病院を紹介してもらった。八月いっぱいまで松本で入院療養し、取り敢えず車椅子は使わず松葉杖で生活できるようになってから移動したため、転院といってもリハビリやその後のケアが目的だ。だから九月からは出社し、一応元の生活に収まった。週二回、リハビリステーションで運動機能の回復。週一回、脳外科医での定期診察。会社には事情を話して通院の許可をもらい、職場へ復帰した。

 俺はいわゆる記憶障害というやつで、直近の記憶があまり定着しない。ただ、この症状は日々改善しているみたいで、脳の記憶機能は徐々に回復している。事故からこっち、何度も同じことを聞き直していたが、その回数が最近はぐっと減ったらしい。ま、そのことさえも解っていないのだけれど。

 職場に復帰した当初は怪我を憐れむ雰囲気が、あっという間にお荷物扱いに変わり、その後徐々に新入社員を教育しているようなものに変化した。

 しかし俺が職場を離れた期間は一ヶ月のはずだけど、実際には一年以上の記憶が飛んでいるわけで、正直、浦島太郎の気分だ。この間に業務上の変化がなかったのかというと、どうも大した変化はなかったらしい。これにはほっとした半面、一年間変化のない仕事の繰り返しだったのかと思うと面白味もない。

 ひと月分の仕事の穴埋めも、職場のメンバーで分担してこなしたくれたようで、組織というやつは、つまり俺がいなくても回るし、回せるんだ。自分の存在価値が下がったような気分になったが、逆に言えば一ヶ月くらいの長期休暇も実際は問題ないわけだ。入社五年目の、いや六年目の中堅マンとしては、来年以降、ほとぼりが冷めたらもう少し長い休暇を申請してみようと思う。


「脚のマッサージから始めますね。施術台に仰向けになって下さい」

若い理学療法士さんが台の上に新しいタオルを敷く。

「よろしくお願いします」

脚のマッサージから始まり、うつ伏せになって腰椎のマッサージ。もう一度仰向けになって太腿の後ろを持ち上げ、ストレッチ。膝を曲げ、伸ばし、内転筋を刺激する。一通り終わると、

「台の上に腰掛けて下さい」

理学療法士さんが俺の右肘を持って静かに上に揚げる。痛いって言いたくなるのを我慢する。解っている、一度動かさなくなった場所の可動域を広げるにはこれしかないってこと。

「山崎さん、痛かったら、痛いって言って下さいね」

理学療法士さんの言葉はいつも優しい。

「大丈夫です。痛くても伸ばさないと動けませんから」

「でも無理に伸ばすのもいけないので。患者さんから言ってもらわないと、こっちもつい力が入り過ぎちゃいますから」

 こんなやり取りを週二回している。可動域はだいぶ広がった。通院から二か月、最近は下半身はスクワット、右腕は軽いダンベルを使う運動が取り入れられて来たから、そろそろリハビリも終わりだ。しかし脳外科の方はそうもいかなかった。いや、この二ヶ月で直近に記憶についてはかなり定着するようになった。手前三日間の九回の食事も言えるし、面会した人、会話の内容、常にメモを取っている業務は以前のように捌いている。つまり、仕事的には完全復調と言える。ただ、去年の夏から今年の夏、この一年の記憶が全く蘇らない。

「先生、どうなんでしょうか?」

「山崎さん、最近の記憶が残っているということは、脳の機能は回復しているということです。でも昔の記憶が完全に甦るかどうかは判りません。気長にやりましょう」

まだ若い、インターンじゃないかと思える女医は、笑顔ではなく真剣な面持ちで俺に諭した。


 次の土曜日、俺は久し振りにバイク屋を覗いてみた。店頭には色とりどりのバイクたちが並び、狭いショップの中にも修理中のバイクが二台入っていた。カウンターには何人か客がいた。

「よう」

顔馴染みの常連客が気軽に声を掛ける。俺の事故の話は、おそらくこの店の常連には全て伝わっている。バイクがあれだけの状態でよく生きてたな、ザキは不死身か、怪我はもういいの? 皆が口々に話し掛ける。

「次に乗るバイク、決まった?」

坂口さんだ。

「やっとリハビリの終わりが見えてきたとこですよ。金もないし。流石にまだバイクを選ぶ余裕はないですね」

それでもここに足を向けるのは、やっぱりバイクが好きで、カムバックしたいと思っているからだ。ここにいる皆は、オヤジさんも含めて俺がバイクを降りるはずがないと確信している。

「どこで事故ったの?」

「長野の、扉峠っていう県道67号線です」

「ビーナスラインじゃない方だ」

うん、と頷く。ここの常連の半数はこの情報で場所が大体解る。

「どんな事故だったの?」

「俺の記憶は飛んじゃっているから。警察の調書では、午前十時頃県道67号線を長和町から松本方面に走行中に起きた単独事故ってことになっています。下り勾配の緩い右カーブ、大幅な速度超過、たぶん時速八十~九十キロでカーブに進入し、急制動のためにタイヤがスリップして転倒。バイクはガードレールの支柱にぶつかり停車。ライダーは、俺はガードレールにぶつかった後、それを飛び越えて谷に転落し、十五メートル滑落したところで止まっていたそうです」

「げえ・・・」

「まじ、よく生きてたね」

「ヘルメットやプロテクターのおかげですね」

 その、俺を助けたヘルメットはヤスリで強く削られたかのような跡が残り、プロテクター入りのサマージャケットは手術のために切り裂かれていた。松本の病院を出る時、そのまま捨ててもらおうかとも思ったけれど、着替えや洗面道具らの荷物もあるしと、自宅に送ってもらった。今はまだ段ボールの中だ。もしかすると記憶の糸口になるかも知れない、そう思うと捨てられない。オヤジさんが作業をひと段落してバイク越しに話し掛けてきた。

「そろそろ復活じゃないの?ほんとは、乗りたいんだろ?」

そう言ってにやにや笑う。

「リクエストくれたら、中古でも新車でも、何でも探すぜ」

「もう少し悩むわ」

カウンターにいた常連の一人が外の自販機で缶コーヒを買ってくれた。ホットか。もう秋なんだ。


 十一月の第二週、運動機能回復のリハビリテーションは終った。その週の金曜日、最後のリハビリの後に脳外科の診察を受けた。白衣の女医、田村香子。最近テレビで見掛ける、新鋭の女優に似ている。

「山崎さん。新しい事象の記憶についてはもう心配ないと思われます。今後の治療方針なんですが、記憶回復に絞って行きたいと思います。よろしいでしょうか」

俺はちょっと考えた。

「先生、私の過去の記憶のことなんですけれど、最近、無理に思い出さなくてもいいのかな、って感じているんです」

デスクに向かって半身だった体が正面を向く。

「どういうことです?」

「松本の入院先から自宅に戻った時、実際はひと月振りだったのに、私には一年振りに感じました。それでも、家具の配置とか、着ている服とか、全く変化がなくて。それから仕事でも。私がいなくても、そりゃあ同僚は大変だったかも知れませんが、私がいなくても仕事は回ったし、一年振りでも違和感がないんです。・・たぶん、何の変化もない、それまでと同じような一年だったんだと思います」

彼女の目がじっと俺を見ている。眼鏡越しに目尻に小さなホクロが見えた。泣きボクロ。ちょっと色っぽい。

「変化のなかったことを思い出すのも馬鹿らしいというか。あの、このまま治療を進めても思い出すかどうか判らないし、逆に治療を止めても、また記憶障害が再発するってことはないですよね?」

彼女はデスクの上のパソコンで電子カルテに何か入力すると、俺にこう言った。

「記憶障害が再発する可能性は極めて低いと思います。それは安心して下さい」

俺は頷いた。

「山崎さんのような記憶喪失の症例は稀なんです。過去一年の記憶も何かのきっかけで戻るかも知れませんし。このままなのかも知れません。ただですね。もしかしたら、貴方の潜在意識の中で記憶を封印しようとしている気持ちがあるのかも知れません」

「私自身が、記憶に蓋をしている、と?」

「記憶喪失、記憶障害が事故のような外的要因、つまり頭に強い衝撃で起こる場合と、心因性、つまりストレスなど精神状態の乱れで起こる場合があります」

「でも事故でこうなったんじゃあ・・」

「事故はきっかけ、なのかも知れません。勿論これは推測でしかないのですが」

思い出したくない、封印した記憶、か。

「今後の治療方針というのは、心療内科の方と合同で治療を行うという説明をしたかったのです」

どう言えばいいのだろう。思い出したくないことであれば、それこそそっとしておいた方が良いのではないだろうか。

「カンファレンスでは心療内科の先生も同意して頂きました。あとは貴方次第ですが」

思い出さなくても良い、という気持ちと、本当は思い出したくないのか?という疑問符が頭の中で交錯する。しかし。やはりすっきりしない。

「先生。思い出したくないことであれば、それはそっとしておいた方が良いのではないでしょうか」

「そうとも限りません。もしそれが事件に関与することであれば、トラウマとなって後々貴方を苦しめることになるかも知れませんから」

事件? 事故ではなく? そんなテレビドラマのような。

「どうすればいいでしょうか?」

「今後、当面は心療内科で受診してください。治療の進行具合は我々で共有します」

「・・・」

「心療内科の先生と一度相談されてはいかがでしょうか?」

「わかりました」

「それでは早速、診察券を心療内科へお出しください」

「これからですか?」

「はい。予約は入れてあります」

 廊下に出ると看護師さんが診察券を手渡し、手書きの地図を見せて説明してくれた。ツーフロア上がって西棟の一番端だ。一旦一階に降りて、西棟へ行き、奥のエレベータで上がるよう教えてくれた。指示された場所に行く。科の受付で診察券を出すと代わりに番号札をくれた。プライバシーを守るため、この一角では名前では呼ばれない。心療内科ならではの配慮だ。診察室入り口のモニターに番号が表示されたら入室するシステムだと説明を受けた。

 割と早く手札の番号が表示され、ノックをしてから中に入る。どうぞ、の声。あれ? 聞き覚えがある声。

「あ。田村先生?」

診察室で待っていたのは白衣の女医、田村先生だった。なんだ。場所を変えただけか。丸い椅子に座ると、目の前の女医は笑いながらこう言った。

「脳外科の田村は私の姉なんです。双子のね」

道理でよく似ている訳だ。きっと一卵性双生児なのだろう。

「すみませんね、担当医が変わるなんて滅多にないのですが。心療内科の田村です」

「あのう、田村先生。あっちの田村先生には、私が潜在意識の中で記憶を封印しているのではないかと伺いましたが」

「姉が・・、失礼しました。香子先生にそう進言したのは私なんです。山崎さんの場合は一年間の記憶が喪失されていますが、過去の症例で、ご本人の意思とは関係なく閉じ込めてしまった記憶というのがいくつもあるのです」

「田村・・香子先生にもお伝えしたのですが、私は過去の記憶がなくても今の生活に支障はありません。この一年もたぶん平凡なものだったんだと思います。もし、無意識に思い出したくない記憶というのが本当に存在するとしたなら、それはそのまま思い出さない方が、幸せってことにはなりませんか?」

「・・・香子先生は何と?」

「もしも事件に関係する記憶なら、後で私を苦しめることになるかも知れないからって」

目の前の女医は笑った。こっちの田村先生は笑顔を良く見せる。

「人生って意外とドラマチックですから」

「あの、田村先生・・・」

「あ、紛らわしいので私も下の名前で結構です。私は薫子、かおる子と書いてゆきこと言います」

そう言って名札を指さす。香と薫か、本当に紛らわしい。

「薫子先生もそのようにお考えですか?」

「山崎さん。もしそうだとしても、記憶が蘇ったことで貴方を苦しめることがあれば、それも私たちの仕事です。十分にケアしますから、どうか安心なさって下さい」

心療内科か。心のリハビリテーションでもあるわけだ。

「人は誰もが忘れたい過去を持っているのかも知れません。私はご本人の意思を尊重致します。でも。どうしょうか、もう少し治療を続けてみませんか?」

自分の一年に興味がないわけではない。しかし本当につまらない、平凡な記憶だとしたら。そう思うと毎週の通院は億劫だ。ドラマなんて期待できない。

「じゃあ、取り敢えずもう少しだけ続けてみます」

「わかりました。脳外科では記憶の定着に主眼を置いた治療を行ってきましたが、ここではまず、記憶の回復を目指します」

「どうすればいいのでしょうか」

「何でも良いので、去年の七月から今年の八月までの記録を持って来て下さい。写真やビデオがベストですが、購入した衣類、SNSにアップロードしたもの、でも構いません。あ、もしLINEをされているのなら、メッセージのログを見せて貰えますか?」

「事故の時スマホは壊れてしまって、LINEのトーク履歴は全て消えました」

「あと、ご家族とか、お付き合いされている方がいらっしゃるのなら・・」

「私は一人暮らしです。彼女もいません」

言葉を遮ったため、薫子先生は一瞬戸惑った。

「・・・わかりました。では、さっき言ったものを来週持って来て下さい」

こうして薫子先生の一回目の診察は終わった。

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