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向日葵の畑で  作者: 田代夏樹
13/14

向日葵畑

 八月の第一日曜日。朝から強い日差しが照り付ける、まさに夏、という日だった。午前十時、蓼科湖のほとり。向日葵は満開で一面を埋め尽くすその場所に、涼子ちゃんと美樹ちゃんがいた。駐車場には黒白二台のNinja400。そこに俺と田村姉妹がバイクを停めた。白いNinja400と青いGSX、そして銀色のSR。

 涼子ちゃんは少し緊張しているように見えた。俺は、その若い女性を初めて見るような気がした。透き通るような白い肌。栗色のストレートヘア。はっきりとした二重。クリっとした形の目。瞳もブラウンだ。ライダースジャケットを片手に、肩までまくり上げた白いTシャツから見える腕は驚くほど白く細い。

「涼子ちゃん?」

俺は彼女に近づき、入れ替わるように美樹ちゃんが駐車場に戻った。涼子ちゃんは涙を堪えているようだった。口をへの字にして、肩を震わせて耐えている。背中で声がする。

「石崎さん。山崎さんはほとんどの記憶を取り戻しました。後はあなた方お二人の問題だと思います」

「佐橋さん。二人きり、いえ三人だけでお話があるのですが」

「いいわ、あたしも聞きたいことあるし」

俺は向日葵畑の中を歩いて行った。涼子ちゃんの目から涙がこぼれるのが見えて、ポケットからバンダナを取り出して、彼女に渡す。

「三人でツーリングに行ったの、思い出したんだ。チームNinja400。俺たち、一緒に走って楽しかっただろ。でもまだところどころ思い出せない。全ての記憶が繋がったわけじゃない。教えてくれないか。俺たちに何があったのか」

 思い出したことは沢山ある。でも、美樹ちゃんと会って、こうして涼子ちゃんとも顔を合わせても、あの時あの頃の感情が思い出せない。俺は本当にこの子が好きだったのだろうか。目の前にいる女性はこんなに可愛い子なのに、今はその感情はおぼろげだ。安っぽいドラマを見ているように、自分が否当事者にも思える。

 バンダナで頬の涙を拭うと、ゆっくり時間をおいて彼女は話し始めた。

「何かあった、ではなくて。何もなかったの。去年の夏も、それまでと同じようにツーリングに行く約束だった。二日の朝、LINEを見て瞬ちゃんが消えていることを知ったわ。焦ってどうしたら判らなくて美樹ちゃんに連絡したの。そうしたら美樹ちゃんもわかんないって言うし。私、どうにかしなくちゃって思ったけど、とにかくバイト先に行かなくちゃならないから。ペンションに来て最初にしたのはキャンプ場への電話。そうしたら瞬ちゃんの予約は入っていないって」

俺たちは並んで向日葵畑の中を歩いた。

「頭が真っ白になったわ。今までことが全て夢の中のできごとに思えた。好き・・大好きな人がいきなり消えたのよ! しかも私の誕生日の日に。一晩中泣いたわ」

風が吹いて向日葵を揺らす。高原だから湿度は低い。爽やかな風だ。

「翌日になって、美樹ちゃんに電話したら、それはおかしいって言い出して。おかしいってどうゆうこと? 聞いたらサプライズを計画していたこと、教えてくれた。それからLINEでトークとか電話したけど、全然つながらなくて・・・。一ヶ月、毎日毎日、電話したのよ」

キッと俺を睨んだ。でも、それは事故でスマホが壊れたからであって。俺は言い訳を飲み込んだ。

「LINEのアドレスしか知らなくて、電話番号も住所も知らなくて。好きって気持ちばっかり大きくなって。でもその人は突然消えて」

大粒の涙が彼女の瞳を揺らす。

「瞬ちゃん、本当はもうツーリングチームを止めたかったのかな、って思い始めたの。実は東京に彼女がいて、だからチームの止め時を伺っていたんじゃないか、って思ったの。なーんだ、私の片思い、終わったわって。それで私も美樹ちゃんも瞬ちゃんのアドレス消したの」

また風。こんな切ない話なのに、どうしてこんなにも爽やかな風が吹くのだろう。揺れる向日葵。

「まさか瞬ちゃんがバイク事故起こすなんて夢にも思わなかった。記憶を無くしているなんて想像もしなかった」

「あの、俺。去年言えなかったこと、涼子ちゃんに言わなきゃ、って思ってて・・・」

「私ね。今お付き合いしている人がいるの。瞬ちゃんが消えて、私の胸に空いた穴を埋めてくれた人。とっても優しいの・・」

「三か月前、奥村さんから電話があって。もうやめて、もう私の心をかき回さないで、って思ったのに、その翌日偶然会うなんて。でもその後田村先生に話を聞いたらびっくりしたわ。びっくりしてどうしたらいいのか、なんにもわかんなくなった。でもね」

涼子ちゃんが顔を上げた。栗色の髪が揺れる。

「美樹ちゃんがずっと慰めてくれた。ううん、何も言わずに寄り添ってくれた。そして田村先生も」

俺は振り返った。そうか、薫子先生もあれからずっとケアしてくれていたんだ。

「本当はもう会うつもりはなかったの。冷静になって、瞬ちゃんには悪いけど、もう終わったことだし、今更あっても文句しか言えないだろうし・・・」

ポロポロと彼女の目から涙がこぼれた。

「でもね。美樹ちゃんにも田村先生にも何度も言われたの。瞬ちゃんが消えたのは自分の意思ではない。ちょっとした手違いと運の悪い事故が重なったせいだって。瞬ちゃんの時間はあの時で止まったまま。動かせるのは私しかいないって」

涼子ちゃんは三ヶ月掛かって、俺の時間を動かす決心をしてくれたんだ。もう一度振り向くと三人がこちらに歩いて来るのが見えた。

「そしてこれは瞬ちゃんのためだけじゃない、私も。私の気持ちもきちんと整理して、ちゃんとけじめを着けて。その上でこれからどうするのか決めなきゃ、って思ったの」

「・・・涼子ちゃん」

「ねえ瞬ちゃん? 一番最初に会ったときのこと、覚えてる? 思い出した?」

「え? ・・ああ、ここ、この向日葵畑。あの白いバイクは貴方のですか? って話し掛けられて・・・」

「その前」

「え?」

「最初、私、貴方に何してるんですか? って聞いたのよ?」

「・・・そう? だっけ?」


「何してるんですか?」

「・・・向日葵を見ていますけど。何か?」

「いえ、花じゃなくて、花の背中、見てたみたいだから」

「ああ。ほら、ここ畑だから向日葵たち、整列してるでしょ? それに向日葵の花は皆同じ方向を向きますよね。なんか子供が体育の時間に整列しているみたいだなあって思って。俺も倣って向いてみました」

「全員せいれーつって感じですね」

「この中で一本だけ違う方向いてたら、目立つというか、異端児、みたいな」

「皆同じじゃなきゃ駄目なんですか?」

「向日葵はそういう特性ですから。でも人間なら・・・」

夏の陽射しの中、白いTシャツが眩しい。

「あっち向いたりこっち向いたり、いろんなものを見て、自分で見つけて、皆同じじゃなくっても良いって思う」


「・・・そんな話、したっけ?」

「そうよ。私、本当は兄の海外ボランティア、反対だったの。でもね、その話聞いて、そうか、兄は津軽の林檎畑じゃ見れない、別の世界を見に行くんだ、って思ったのよ」

夏の陽射しに照らされて、涼子ちゃんの凛とした顔が眩しい。

「私ね、一期一会って言葉が大好きなんだ。美樹ちゃんと出会って、瞬ちゃんと出会って、田村先生たちとも出会えた。・・・だからね、瞬ちゃん。もう一度チームやろうよ」

俺は自分の記憶の中の感情を封印することにした。今更それを思い出しても、それこそ無意味なことなのだ。

「最初に言ってたじゃない、私たちバイク仲間だって。私、今の彼氏と別れられない。でも瞬ちゃんとバイク仲間なら関係を続けられる。チームじゃなくても、バイクで走っていればどっかでばったり会えるかも知れない。そのときちゃんと挨拶できる関係でいたい」

三人がやって来た。俺は皆の顔を見回す。そして涼子ちゃんに。

「ありがとう。チームNinja400、復活だね」

「私たちを仲間外れにするつもりですか?GSXやSRだっているのですよ?そのセンスのないネーミングは却下です」

香子先生、だからキツイって。

「ま、チーム名はどうでもいっか。そのうち考えよう。取り敢えずってことで」

俺はスマホを取り出した。

「LINE交換しましょう」

「今度は電話番号もね」

 俺たちは向日葵に囲まれ、グループNinja400(仮)を登録した。女性四人と男性は俺一人。そしてその内二人はとんでもない飛ばし屋。どんなチームになるのだろうか。

「そう言えばさ、太一君、今年帰ってくるんでしょ?Ninja400、返すの?」

「兄は期間を延長したそうです。それで父がすごく落ち込んだらしいの。私が津軽に戻る、兄が帰って来る、それを期待して待ち切れずにバイクを買い替えたんだって、母が言ってました。それなのに二人とも帰って来ないって」

涼子ちゃんはちょって照れたように。

「親子ツーリングしたかったみたい」

「へー。お父さん、何買ったの? やっぱりカワサキ?」

「隼って言っていました」

「・・・お父さん、お若いんですね」

「いえ、父は晩婚だったので、もう還暦を超えています」

「・・あ、そ・・・」

俺は話題を変えた。

「じゃあ、今日は初ミーティングってことで。これから走りに行こうか」

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