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向日葵の畑で  作者: 田代夏樹
11/14

真相

 俺たちは古民家を改修した喫茶店に入り、コーヒーとハーブティーを頼んだ。薫子先生は香子先生に場所をLINEで送り、早速ですが、と切り出した。

「山崎さんは四月の記憶まで取り戻しています。ゴールデンウィークの、貴女の知っている山崎さん、チームNinja400のことを話していただけますか?」

美樹ちゃんは頷くと、

「その前に。先生はどこまでご存じなんですか?」

「記憶を呼び起こす過程で、ほとんどのことは知っている、そう思って下さい」

「じゃあ、隠し事はしない方がいいわね」

「お願いします」

「瞬ちゃんは、四月の終わりから松本のキャンプ場に入ってたわ。そこをベースに、日帰りツーリングの計画を立てたの。あたしたちが参加したのは二、三、四、五の四日間だけど、涼子ちゃんは急遽実家に戻ることになって、実際に行けたのは二、三の二日間。それぞれ新潟と岐阜への日帰りツーリングを楽しんだわ。それまでのツーリングは長野県内ばかりだったから、県外に出るだけで嬉しかった」

美樹ちゃんは遠くを見る目で、

「岐阜の山中でね。瞬ちゃん、あたしにキスしたの」

動揺して手にしていたコーヒーをこぼしてしまった。口にしていたら噴き出していただろう。

「でもあれは事故みたいなものだから」

あ、そうだ。美樹ちゃんはこんな意味深な言い方で茶化す、茶目っ気な性格だったっけ。

「あたし、つい調子に乗って、オーバースピードでカーブに入って行ったの。自分でも乗れている気がして、瞬ちゃんに上手くなったって褒められた直後だったしね。バンク中に後ろが滑って、あ、って思ったら車体が暴れて制御不能、そのままバランスを崩して転んだわ。その時、膝と腰、肘を強く打って、しばらく動けなかった」

話を聞いているとなんとなく状況が思い浮かぶ。これは俺の記憶なのだろうか。

「ヘルメットを脱いで茫然としていたら瞬ちゃんが戻って来てくれて。王子様に見えたわ。瞬ちゃんは冷静に私の怪我を見て、打ち身だろうからそっちで少し休もうって、肩を貸してくれたの。でも私は脚に力が入らなくて、バランスを崩してまた転んだ。そのとき、瞬ちゃんを引っ張って倒れこんで、私の上に瞬ちゃんが乗って、顔がこう!」

近い、近いって。香水の匂いがする。顔は口と口が触れる寸前だ。

「そのとき、唇が触れたわ」

「いや、それ事故でしょ? 事故みたいな、じゃなくて、事故でしょ?」

「その後瞬ちゃん、手を着いたところが砂利で滑って、あたしの胸に顔を埋めたじゃない」

「いや、それも事故でしょう? ね、ね? 薫子先生、それ事故ですよね?」

「涼子ちゃんはそれを見ていて、えっち! って叫んだのよ」

「ねえ美樹ちゃん、脚色してるでしょ、それ創ってるよね? ね?」

「山崎さん、うるさい」

「いや、薫子先生。美樹ちゃんの性格分、補正しないと。事実湾曲してるから。たぶん」

「今は佐橋さんの証言が全てです」

「帰ったら旦那に叱られて。それでガッツリ、パットの入ったバトルスーツに変わったの」

なんと言ったらいいのだろう。俺の記憶を知る証人が、この人でいいのか? マジで。

「その晩、涼子ちゃんは深夜バスで帰省したわ。ゴールデンウィーク中のチームNinja400の活動はそれでおしまい」

「・・・で。それから何があったんです?」

「だから、Ninja400の活動はそれで終わり」

「ですから。私はその後のことが聞きたいのです」

どういう、こと?

「わざわざチームの活動を締めくくるということは、その後、個別の行動があったと見て不自然ではないですよ」

あ、そういうこと? 美樹ちゃんも観念したように。

「さすがプロですね。目ざといというか・・・」

手元のハーブティーから俺に目線を移して意味ありげに。

「翌日、あたしは禁を犯して二人だけのLINEを始めたの。あたしと瞬ちゃんの」

「えー⁈ だって旦那さんの目があるからグループトークにしてたんじゃ」

「馬鹿ねえ。いくらでも誤魔化せるわよ、そんなの」

スマホを手に取ると、

「瞬ちゃんのアドレスがあたしのスマホにあるの、旦那だって知ってたのよ? トークしたってその履歴を削除してしまえばバレやしないわ。瞬ちゃんからトークしてこない限りね」

そうか。

「と、言うことは、五月四日、もしくは五日かそれ以降、二人で秘密のやり取りがあった、ということですね。・・・あるいは密会?」

「貴女、本当は医者じゃなくて探偵なんじゃないの?」

そう言って美樹ちゃんはケラケラ笑った。その笑い方は懐かしい。

「三日の晩、バスの中から涼子ちゃんから何度もメッセージが入ったわ。美樹ちゃんは私の味方ですよね? って。だからあたしも決心したの。偶然とはいえ、あたしの唇を奪った、胸を触った軟弱男にキチンと引導を渡してやろうと」

軟弱男か・・・。事故的幸運が、そこまで言われるのね。

「初めは一対一のトークに驚いたみたいだけど、最初だけ。後は普通に。で、五日にキャンプを引き払うスケジュールを聞いて、あたしはキャンプ場に乗り込んだの。朝駆けね」

「それで、どんな話をしたのですか?」

美樹ちゃんの顔が曇ったように見えたのは、たぶん、気のせいではない。

「あたしは・・・。本当は男だって、カミングアウトしたの」

言葉を失った。午前中の、明るい陽の中。普通の、民芸喫茶店。ひどく現実離れした言葉を聞いた。アイシャドウを引いた目が見るみる間に盛り上がって、大粒の涙が頬を伝った。そして静かに。

「あたしはトランスジェンダー。結婚なんてしていない。嘘なの」

目の前の、こんな美人が。だって、胸だってあるし。美樹ちゃんは察したのか。

「これは整形。昔東京で働いて、お金を貯めて作ったの。下は今度取るけど、まだあるわ」

「作るだけじゃだめなの、女性ホルモンを定期的に注射しないと維持できない。そのためにはお金が要るの。夜の仕事。手っ取り早く稼ぐのには一番いいの、解るでしょう?」

「小学生から自分に違和感があったわ。中学生になって、声変わりとか、体毛が濃くなるとか、自分が変身するようで耐え切れなかった。幸い、腕も脚も細かったし、病気だって嘘ついて体育の授業には出なかった。高校を出て、東京に行って、自分の居場所を見つけたの。そして本当の自分になれる術も知ったわ」

なんて言えばいいのだろう? だって涼子ちゃんとは教習所の同期生だって、人妻だって。そんな言葉しか出て来ない。

「教習所で涼子ちゃんと仲良くなったのは本当。でもあたしは通いだったし。結婚してるって言えば、お泊りには誘われないじゃない? 旦那を口実にすれば帰宅時間も早められる。夜の仕事をしている身としては、またとない口実なの」

今世紀最大のイリュージョンだ。でも、そう考えれば美樹ちゃんが何故ボディラインにこだわったのか、解る。

「あたしの心は女なの。そして体も手に入れつつある。女をアピールして何が悪いの? ねえ? 瞬ちゃん、それは駄目なの?」

言葉が、ない。美樹ちゃんは涙を拭うと、

「キャンプ場でも同じリアクションだったよ」

そう言ってクスクス笑った。でもね、って言葉を続けた。

「あの時の瞬ちゃん、男前だったわよ。それでもチームNinja400の仲間だからって言ってくれたわ」

そう言ってまた、涙をこぼした。大きな涙の粒、ポロポロと。

「これが二人だけの秘密。決して口外しない約束」

薫子先生の方を向いて、

「多分、もう一人の先生にも言うのでしょうね。でも涼子ちゃんには」

「解っています。絶対に言いません。医師には守秘義務がありますから」

 これが、俺が無意識に封印した記憶なのか。男性の胸を触り、男の人と口付けをしてしまった記憶。守らなくてはならない秘密、むしろ知ってはいけない秘密。薫子先生の目が、輝いて見えたのは、きっと気のせい、だよな。

 その後、香子先生が合流したけれど、涼子ちゃんは来なかった。一人にして下さい、そう言って松本に帰って行ったそうだ。香子先生が来たタイミングで、美樹ちゃんも帰ると言い出した。やっぱり涼子ちゃんが心配だと言う。でも俺はまだ肝心なことが聞けていない。美樹ちゃんはコースターの裏に番号を走り書き、俺たちに渡した。

「今度はLINEじゃなくて、電話で。あたしも去年の夏のこと話すわ」

「では私も。いつでも相談に乗りますよ。貴女の胸に秘めた思い、辛いこと、なんでも聞かせて下さい。私は心療内科医ですから」


 美樹ちゃんが出て行った後、テーブルに残されたカップをぼんやりと見ていた。カップのフチについた赤いルージュ。彼女は俺の大切なチームメイト。それは間違いない。

「石崎さんには私から話をしましたが、彼女にもいろいろなことがあったようですね、この一年。話した感じでは葛藤がすごくて。彼女の気持ちが落ち着くまでは接触は避けた方が良いと思います」

涼子ちゃんも、俺の大切なチームメイト。チームは何故壊れたのだろう。それとも壊したのか?


 翌日、金曜日の午前九時過ぎ。俺はリクライニングシートの上にいた。

「昨日のお話は、貴方の引き出しの鍵を壊してくれたかも知れません」

「しかし自分の記憶を他人から聞くというのは、変な気持ちですね。未だにピンときません」

「ですから自分で思い出すことが大切なのです。悪意を持った人が貴方に事実と異なる記憶を植え付けることも、今なら可能なのですよ」

「まさか美樹ちゃんが嘘を?」

「それは判りません。そもそも何故貴方にカミングアウトする必要があったのかも・・・」

 照明が少し落ちて、ヘッドフォンからは川のせせらぎが聞こえてきた。

「心を静かに落ち着かせて、私の声だけを聴いてください。頭の中は空にして、リラックスして・・・」


 先頭は涼子ちゃん、俺が続き、しんがりは美樹ちゃんに頼んだ。ここは飛騨の山中。県道の76号線。ペースはゆったりとしているが、カーブの出口ではしっかりアクセルを開けて加速している。

 涼子ちゃん、上手くなった。後ろの美樹ちゃんは元々思い切りのいい倒し込みをさせるから、むしろカーブに突っ込み過ぎの癖はあるけれど、以前よりギアの選択が的確だから脱出も速い。いい感じで女性とは思えない走りっぷりだ。彼女らと走っていると楽しい。おっと、左手に絶好の景色。俺は上体を起こしてスピードダウン、左手で指さした。深い緑の森が眼下に見える。その中に上昇気流を捕まえた鳥が円を描きながら飛んでいる。あれは鷹だろうか、トンビか。涼子ちゃんは気が付いていないみたいだ。バックミラーを覗くと美樹ちゃんが手を回している。はしゃいでいる。

 ペースアップ。俺は前傾姿勢に戻してアクセルを開けた。ちょっとタイトな右カーブ、立ち上がりで加速、左カーブは緩い、そのままエンジンブレーキだけで速度を調整し、バンクさせた。左後方が視界に入る。そこにいる黒いカウルのニンジャの、挙動がおかしい、そう思ったら転倒した。ヤバい。俺はホーンを断続的に鳴らし、アクセルを開けた。涼子ちゃんは気が付いてくれたようだ。俺はUターンして美樹ちゃんの元に戻った。既にヘルメットは脱いでいたが、寝転がったままだ。

「大丈夫? どこか痛いとこは?」

「膝と、腰と。肩、肘も打ったみたい」

「右? 左? 胸は?」

「全部右。動かすの、辛い。胸は、平気」

「オーケー。そのままじっとして。俺、バイク起こしてくる」

彼女の横にカワサキを止め、ハザードランプを点けた。ヘルメットをミラーに掛けて、黒いカワサキへ。路面に小さなスリップ痕。ABS、利かなかったのかな? バイクは少しガソリン臭がした。引き起こしてギアをニュートラルへ。セルを回す。しばらくグズったけど、エンジンは掛かった。小気味良いパラレルツインのサウンド。俺のとは微妙に違う。彼女の近くまで押して行き、サイドスタンドに車重を預けた。美樹ちゃんの横には涼子ちゃん。心配そうに覗き込んでいる。

「立てそう?」

「なんとか」

ゆっくり時間を掛けて起き上がる。右足に体重が掛けられないようだ。

「腕、上げられる? 上、前、横に広げてみて」

ゆっくりと上げて、上、前、横に腕を出す。

「打ち身、かな? そっちで少し休んだ方がいい。脚はどう? 体重を掛けられる?」

俺は肩を貸した。美樹ちゃんのいい香りがする。不謹慎な。怪我人を相手に何を考えているんだ。左に傾いていた体を真っ直ぐしようとして、

「痛っ!」

バランスを崩して倒れこむ。慌てて支えるが間に合わない。俺は引きずり込まれるように倒れて、かろうじて左手が美樹ちゃんの頭の下に入れられた。左肘と右手で腕立て伏せをしているような形になり、顔が近かった。美樹ちゃんの甘い匂いがする。と、右手が砂利の上で滑って、顔が着いてしまった。唇と唇。ヤバい。慌ててのけぞり、右手に力を入れるとまた滑って。顔が美樹ちゃんのふくよかな胸の上に乗ってしまった。

「きゃっ! えっち!」

飛びのく俺。尻もちをついた。美樹ちゃんはへっちゃらだ。むしろ笑ってる。

「違う、故意じゃない。偶然だ。不可抗力だ。わざとじゃない」

「瞬ちゃん、口紅付いてる」

右手の甲で口を拭う。まさしく美樹ちゃんのルージュだ。

「いや、だって。見てたでしょ?」

「見てましたよ。怪我人を襲うとこ」

「違うって・・・」

「駄目よ涼子ちゃん、あんまりからかったら」

二人は大声で笑い出した。ひとしきり笑うと、美樹ちゃんはゆっくりと起き上がり、今度は真っ直ぐ立った。大丈夫、打ち身で済んだみたいだ。念のため、そこで三十分ほど待って、後から痛みが出ないことを確認した。

「ABS、利かなかった?」

「よくわかんない。バンクしているときに滑った、って思ったらバイクが立ってたわ。それで前輪が振られて、バタン」

「ハイサイド、かな? ま、怪我が大したことなくて良かった」

「良かったですねー、美樹ちゃんとキスできて」

だから! 言い訳しようとして諦めた。またからかわれてる、俺。

「さ。行こうか。美樹ちゃんはもっとスローインを意識してね」


 その晩、テントの中で寝ようとしていると、美樹ちゃんからLINEのトークルームの開設があった。あれ? と思ったけど。

「瞬ちゃん、今日はありがと! 助けてくれて」

「怪我が大したことなくて良かった」

「あのね、さっき涼子ちゃんからLINEがあった」

「なんて?」

「瞬ちゃんは、美樹ちゃんが好きなのかなって」

ドキッとした。なんて返信しよう。

「好きですよ。でもそれは友達として。男女の仲ではありません。残念?」

ちょっと嘘を書いた。女性として好きだ。でもこの人は結婚している。困らせてはいけない。

「嘘!」

あっさりと見破られた。

「瞬ちゃんは、涼子ちゃんのこと、どう思ってるの?」

「彼女は妹みたいなものだから」

「それも嘘!」

「どっち付かずじゃ駄目よ。はっきりしなさい」

返信できずにいた。どうしてこの人は俺の心が判るのだろう。

「涼子ちゃんがね。美樹ちゃんは私の味方でいて下さい、って」

トークはそこで終わった。最後の一文はよくわからないけど。


 翌日、俺は朝からひたすら走りまくった。普段ならしないような突っ込みでカーブに飛び込み、バンクセンサーで路面に傷を付けながら走りまくった。目の前のラインとアクセルワークに集中することで、頭の中の悩みを忘れたかった。でも、休憩の度にその悩みは何度も蘇って来る。両方好き、じゃ駄目だろうな。好きだという気持ちの、大小がはっきり判ればいいのに。その日、俺は久しぶりに膝が笑うまで走り回った。

 夜遅く、また美樹ちゃんからLINEが入った。

「明日は何時に出発?」

「撤収の準備もあるし九時、かな?」

「そう、雨になりそうだから気を付けて帰ってね。またね!」

なんだ? この内容ならグループトークでもいいんじゃ? 美樹ちゃんはやっぱりよく解らない。

 朝、いきなりテントのジッパーが上がった。え? 何が起きた? 目の前にはきれいな顔。

「・・美樹ちゃん?なんで?」

いきなりキスされた。息が止まるかと思った。一気に目が覚めた。

「あたし、昨日一日考えたわ。瞬ちゃんをがっかりさせるかも知れないけど。もしかしたら、あたしたちのチームも終わってしまうかも知れないけど、言わなきゃいけない」

なんのことだ?

「あたし、本当は男なの。トランスジェンダー」

あまりのことに何も言えない。

「心と体が違うの。瞬ちゃん、あたしのこと、受け入れてくれる? 解って、付き合ってくれる?」

「いや、ちょっと待って」

狭いテントの中、美樹ちゃんの匂い、香水の匂い、湿布の匂い。四つ這いになって華奢な体にぶら下がる、豊満な胸。フリースの上からでも判る。

「だって、胸・・・」

「これは整形。昔東京で働いて、お金を貯めて作ったの。下は今度取るけど、まだあるわ」

「だって結婚してるって・・」

「胸は作るだけじゃだめなの、女性ホルモンを定期的に注射しないと維持できない。そのためにはお金が要るの。夜の仕事。手っ取り早く稼ぐのには一番いいの、解るでしょう?」

「涼子ちゃんは、このこと・・?」

「知らないわ。だます気はないの。でもあたしが結婚してるって言えば、お泊りのツーリングには誘われないじゃない? 旦那を口実にすれば帰宅時間も早められる。夜の仕事をしている身としては、うってつけの口実なの」

パラパラとテントを叩く雨の音。テントの中にも。ポタッポタッっと、でもそれは美樹ちゃんの涙。

「・・美樹ちゃん。俺、美樹ちゃん好きだよ。でもそれは友達として。ツーリングチームの仲間として大切にしたいから。ごめんね」

「謝ることないわ。それがほとんどの人のリアクション」

それから涙を拭って。

「じゃあ、さっさと涼子ちゃんに告りなさい。いつまでも、妹みたいな、なんて言っていないで」

「告白というはタイミングが必要な訳で。朝起きたら告白、みたいにはいかないよ」

「何童貞みたいなこと言ってるのよ。プロポーズじゃあるまいし。そんなだから・・・まあいいわ。じゃああたしがプロデュースしてあげる。シュチエーション準備して、キューは私が出すわ」。

「それから、あたしのことは内緒よ。誰にも言わないで」

そして美樹ちゃんは帰って行った。


 三日後、美樹ちゃんからLINE。八月一日から五泊で蓼科ロッジを予約しなさい、とあった。電話番号も付記されていた。一応ネットで調べる。ここは去年涼子ちゃんがバイトしてたとこだ。続いてLINE。

「今年もここで八月の二日からバイトするって。あとはお楽しみ。それまでは悟られちゃダメよ。キスマーク」

美樹ちゃんの茶目っ気。翌日俺はペンションに電話して予約を入れた。

 五月六月七月、涼子ちゃんは就活で忙しかった。グループラインでの会話も、半分はその話だったけど、それでも俺たちは地元信州を中心に走って回った。残雪の見えるアルペンルート、新緑の白馬。雨の高山。一抹の不安はあったけれど、バイクを走らせているときは、ただただ楽しかった。それはきっと、涼子ちゃんも美樹ちゃんも同じだったと思う。

 七月半ば、就職決まったよ、と涼子ちゃんからのLINE。おめでとー、って重ねてメッセージを送る。直後に美樹ちゃんから俺宛てにLINE。

「作戦は決まったわ」

続けて、

「ペンションには小綺麗な格好で来なさい」

「グループの方には、キャンプ場決まったよと、メッセージを入れなさい」

指令が入る。美樹ちゃんはどんなシナリオを書いたというのだろう。美樹ちゃんの甘い唇が甦る。グミのような、柔らかい唇。


 診察室、意識が戻った。すぐそこに薫子先生がいた。

「佐橋さんのおっしゃっていたことは本当でしたね」

俺は唇の感触を思い出していた。美樹ちゃんは何故朝駆けで俺にキスしたのだろう?

「結局、何故美樹ちゃんは私にカミングアウトしたんでしょうか?」

薫子先生が言葉を飲み込んだように見えた。

「それは山崎さんの記憶とは直接関係なかったみたいですね」

そうだ、自分の記憶にないことは当たり前だけど判らない。

「それにしても。佐橋さんのカミングアウトが鍵だったとは。ちょっと意外でしたね」

「そうでしょうか? 私は彼女、美樹ちゃんの秘密を知ってしまった。秘密というのは知られてはいけないもの、知ってしまったら守らなくてはいけないもの、なのではないでしょうか。だから私は無意識にそれに鍵を掛けた・・・」

薫子先生はそれには答えなかった。

「いよいよ大詰めですね。去年の八月、貴方に何があったのか、あと数回治療が進めばわかるでしょう」

「・・・少し怖い気もしますね。結果としてチームNinja400は壊れてしまった。アドレスも消してしまった。これはもう変えようのない事実なんですよね」

前にも言いましたが。そう前置きして薫子先生は言った。

「結論を急いではいけません。チームがなくなってしまったからアドレスを消したのか、あるいはその逆も考えられます。どんなプロセスを経たかで、その意味は違うものになるはずです。それに・・・」

「それに?」

「私は石崎さんの方も気になります。香子先生の話では、貴方の記憶喪失の話を聞いて、かなり動揺していたようです。友人、チームメイトが事故や怪我をしたからといって、それは去年の話。あれほど取り乱すとは思えない、そう言っていました」

「涼子ちゃんと私の間に、何かあった、と?」

「たぶん。そう考えるのが自然ですね」

 一つの疑念が沸き起こっていた。会いたくない、話もしたくないと怒っていた彼女。俺が記憶喪失だと知って、動揺したとはどういうことだろうか。美樹ちゃんの言っていた、涼子ちゃんの心の傷も気に掛かる。もしかしたら、それがそれこそが事故の原因なのではないのか? だとしたら、俺は自分が許せない。

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