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6.ごきげんリセット(3)

 ジークが居なくなると、途端に部屋は静かになった。


 彼が消えた窓の向こうには、ただ静かな夜の森が広がっている。わずかに開いたままの窓から、初夏の夜の、まだ涼やかな風が吹き込んできて、カーテンを揺らす。


 遠くで少女たちの笑い声がした。ふつうは、同時期に入った見習い侍女同士で仲良くなり、パジャマパーティーを楽しんでいたりするのだ。ララとは違って。




 わたしは言いようのない寂しさを覚えた。ーーそうだ、まだ気持ちを立て直している途中だった。もう一度やり直さなければ。


 生成り色のやわらかなネグリジェに着替え、二つに結っていた髪の毛をほどいて、丁寧にとかす。魔法で盥に水を張り、顔を洗って、支給された化粧水をていねいに塗り込んでいく。


 手を動かしていたら、いくらか気持ちは落ち着いてきていた。


 最初のリセット法「動く」を終えて、次に進むことにした。次のステップは「考える」だ。ここでは、もやもやした心のうちを、一つずつ分析して、感情の名前をつけていく。


 わけもわからず悲しかったり、落ち込んでいたりするときは、たいてい、いろいろな出来事が重なっていることが多いのだ。


 たくさんの感情が複雑に絡み合っているので、意外な感情が隠れていることが多い。ただ苛つくだけだと思っていたら、実は悔しさと恥ずかしさが隠れていた、というような。


 隠れた感情を一つずつ紐解いて、名前をつけていく。ニつめのステップは、そんな作業だ。


 手間に見えるが、何日も不安や不機嫌さを引きずるよりずっといい。


 片づけたばかりの棚から、支給されたノートを出してきた。糸で綴じただけの簡易的なノートは、てのひらくらいの大きさだ。


 机がないので、鏡台に向かい、書き付けていくことにした。






「まずは、--なんだろう。やっぱり不安なのかな」


 この国で初めてで、底辺たる黒侍女であること。だからこそ雑務ばかり押しつけられ、嫌がらせを受けている。かと言って、帰れる実家もない。

 先が見えない不安。




「あぁ、それとイライラする。わたし自身に」


 きららとララは、まったく別の人格だ。少しずつ記憶が頭に馴染んできて、強くそう感じる。


 年齢差もあるかもしれないが、根本的な部分が違うのだ。きららならチャンスだとやりがいを感じる物事に、ララならピンチだと不安になる。


 ララは人に世話をされて生きてきたから生活力がない。しかも家族とクルト以外の人間と関わったことがないせいで対人スキルも持たない。結果的に、醜聞ともいうべき噂の種になってしまっている。


 今のわたしは、ララの不器用さに苛立ちを覚える。クルトの言うことも少しだけわかってしまう。もちろん、婚約者の姉に懸想したことはどうかと思うが、ララには幼稚な面が多々あった。





 それからもつらつらと絡まった感情の名前を一つずつ考えていく。

 蔑まれていることへの悔しさ、未だに引きずっている婚約破棄の悲しさ、クルトへの未練。


 そうしたものを踏まえて、わたしはもう、きららではないのだと結論づけた。ララの感情ときららの感情が、記憶が、ごちゃまぜになっている。


 そのあたりはきっと、根本的な解決はむずかしいのだろう。


 時間が経てば馴染んでいくかもしれない。深く気にして落ち込むのは時間のむだだ。手の届くところからはじめていこうと決めた。






 ここからは三つめのステップになる。それは「癒やす」こと。感情によって、適した癒やし方は違う。少なくともきららにとってはそうだった。


 いらいらしたときは体を動かす。

 悲しいときは泣いたり、自分を労ったりする。

 悔しいときは見返す。

 不安なときはどうすればいいのかを考える。


 わたしはその晩、片づけた棚の中から、泣けると評判だった恋愛小説を選んで読み、たくさん涙を流した。


 それは奇しくも城下町で今流行っている婚約破棄もので、捨てられた令嬢が他国へ逃げ出し、自分の居場所を作っていくという内容だった。


 やはりララとしての感情も残っているらしい。主人公が婚約破棄される瞬間、わたしの目は、勝手に涙を落とした。


 きららにはクルトへの恋心なんて欠片もないというのに。





 そして翌朝、腫れた目を冷やしながら決めた。ーー黒侍女を脱しよう、と。

 きららは負けず嫌いなのだ。やりもしないで諦めるのは性に合わなかった。


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