2.魔法の手帳
「これは、ーーわたしのもの、だよね」
使い込まれた手帳を手にして、思わずつぶやく。
救護室を後にして自室に戻ったのは、日が高く昇ったころだった。
それは、かつてのララにとっては見たことのない材質をしていた。
皮のような手ざわりで、つやのない質感をした布だ。だが、それは木の葉のような色をしている。
中に挟まれた紙には、六つの穴が規則正しく空いており、手帳をぱたんと開いたとき、指輪状になった金属部分にその穴を通すことで紙を綴じることができる。
「きらら」
一番うしろのページには、確かにそう書かれていた。ひどく胸を揺さぶるその名が、かつての自分の名前なのだと気がつくまでには少し時間がかかった。
「おい、ララリアラ。もう具合はいいのか」
窓枠をひらりと乗り越えてやってきた彼は、青い瞳に心配の色を浮かべて訊いた。
私は彼を抱き寄せると、頷いた。ふわふわした温かな生きもの。金色の毛並みの猫にしか見えないのだが、いま抱きしめているこの子は、精霊である。
「ファンタジーが過ぎる……?」
わたしが言うと、ジークは前足を突っ張って腕の中から抜け出し、ひらりと着地した。
「わけのわからぬことを……。しかもなんだ、その乱れた言葉遣いは! そんな体たらくだから負け犬の黒侍女などと言われるのだぞ」
ジークはがみがみ言うと、日だまりにごろりと寝転がり、毛づくろいをはじめた。
わたしははっとする。黒侍女。
この国にしかない、侍女制度。ーーそうだ。この国ならば、わたしの話を信じてもらえるのではないかと思い立った。
ルスリエース王国は、遠い昔に呼ばれた、異界からの転移者の作った王国だ。今ならわかる。きっと、わたしと同じ時代に生きていた人たちのこと。
というのも、この国は妙にアンバランスなのだ。
近隣の王国と同じように身分制度はある。だが、それは緩いもので、もともとあったものをなくせなかっただけという印象だ。一方、仮に王族であっても平民と結婚することさえできてしまう。
最低限の教養と、学ぶ姿勢といった適性面は厳しく審査されるが、身分だけを理由に拒否されることはないのだ。
とりわけ王城では完全な実力主義が取られている。
そして、それこそが、わたしが負け犬侍女と呼ばれている所以だ。
侍女の仕事は、まるで会社の部署のように能力別に振り分けられていた。
さらに、その所属が誰の目にもわかるように、制服の色が決められている。
わたしの制服は黒。真っ暗な夜の色だ。この色を纏う侍女は、今も、これまでの歴史の中にも、一人も存在しない。
この国での侍女の仕事を一言でいうならば、王族の秘書のような役割である。
まずは、王族・王城の物品管理を担う侍女たち。
衣装や装飾品のほか、図書室の本や執務で使う文具のうち、王族の個人所有のものを管理する。
制服の色が、木苺のような赤色なので、赤侍女と呼ばれている。
次に、王族の身支度手伝い。
衣装や装飾品を選定したり、実際に着替えを手伝ったり、女性の王族に対しては、化粧や髪結いなどを行う。
制服の色がたんぽぽの花のような黄色で、黄侍女。
そして、王族の時間管理だ。
王族が執務や授業を滞りなく行えるように、さまざまな臣下やときには外部と連絡を取りながら、その予定を調整してく役目を担っている。
制服の色は、忘れな草の花のような青色で、青侍女。
仕事内容の煩雑さから、もっとも権勢を持つのは青侍女で、黄侍女、赤侍女というふうに続く。爵位も年齢も関係ない。
いつもきつく当たってくるミカエラはこの青侍女なので、侍女長のような役職を持つ者を除けば、とくに上のほうにいることとなる。
そのほかに、ベテランとなった年配女性は、侍女全体を育てていく緑侍女として活躍することもあるが、わたしの年代でなれるものはこの三つだけであった。
このような制度は、他の国にはない。異界の考えを取り入れているからなのだと、年配の緑侍女が誇らしげに話していたのを思い出す。