17.きららとララリアラ
「なんだ。今日はずいぶんな落ち込みようだな」
いつものように窓からジークが入って来たようだ。
「自分が不甲斐なくて恥ずかしくて、もはや何も考えたくないの」
わたしはクッションに突っ伏したまま言った。
「ふうん。なんだか、これまでのおまえのようだな」
「え?」
「きららは、うじうじ悩む性格じゃないと言っていたのにな 」
ジークはにやにやしながら言った。わたしはむっとして立ち上がり、部屋を片づけ始める。
「ーー確かに、わたしらしくないな。……どうにも本調子が出ないというか、自分が自分じゃないみたいなの」
きららは社会人だった。仕事での失敗も何度も経験している。
そういうときは、その場でなるべくすぐに誠意を持って謝り、気持ちを切り替えてやってきたのだ。こんなふうにぐずぐずと引きずることはなかった。
わたしは、脱ぎ捨てたお仕着せを手早く拾って、洗濯室に運ぶためのかごに畳んで入れた。それから朝読みかけのままにしてしまった恋愛小説を棚に戻し、明日の準備に取りかかった。
「気になっていたのだが、おまえは一体、誰なんだ?」
その声は、背中越しにぽつりと聞こえた。
「え?」
「だって、まるで自分が異界で暮らしていた人格そのもののように話しているだろう? それじゃあ、この部屋でよく泣いていたララリアラは一体どこへ消えた? 消滅したとでもいうのか?」
ジークの目に、剣呑な光が宿る。
ふだんのどこかふざけた調子とは違い、わたしはたじろいだ。
「ーー消えたわけじゃない。わたしはきららであって、ララリアラでもある。
ララリアラとして生きてきた記憶も感情もすべてあって、でも、どうしてだか昔の自分の性質が前面に出てきている……という感じかな。
だってね、わたしにとっては縁もゆかりも無い人間であるはずの、元婚約者に未練があるの」
「ーー未練だと?」
ジークは何かを言おうとして、それからやめた。
すっと立ち上がり、背中をまるめると、ぶるると体を震わせ、こちらを一瞥して窓から出て行った。
静かな夜の森だけが窓の向こうに広がっていた。
翌朝は、夜明け前に目を覚ました。冷たい水でばしゃばしゃと顔を洗い、丁寧に肌を整えていく。
軽く化粧をし、お仕着せを身にまとって自室を出たのは、日の出のころであった。
山際から少しずつ朝が登ってくる。金色と水色を混ぜたような明るい空が、やや寝不足気味の腫れぼったい目に眩しい。
朝の王城の廊下は、しんと静まり返っていた。
これまでのララリアラは、ぎりぎりまで布団から出なかったので、この時間に身支度を済ませたことはもちろん無い。
侍女や文官、騎士といった職につくものたちは、現代日本と同じように朝九時が始業時間だ。
だから、この時間から働いているのは、掃除を担当するメイドや、早朝から水やりをしている庭師、厨房で働く料理人たちというように限られていた。
案の定、食堂はがらんとしていた。わたしはその中でただ一人、黙々と朝食を口に運ぶ人に気がついた。カリーナさんだった。
彼女もわたしに気がついたようで、一瞬、ばつの悪そうな表情になった。わたしも思わず身体を硬くしてしまい、なんとかぺこりと淑女らしくない礼をした。
カリーナさんは困ったように笑って手招きをする。
そうしてわたしたちは、一緒に朝食をとることになった。
「昨日は申し訳ありませんでした」
わたしが謝ると、カリーナさんは意外そうな顔をした。それから「私も言いすぎてしまったと思う」と続けた。
「よく考えたら、あなたはまだ白侍女だったのよね。
そもそも、見習いの失敗には寛容であれという決まりがあります。白侍女のうちにたくさん失敗することで、何倍もの学びを得よ。それが代々侍女室に伝わっている言葉なのです。
ーーそれなのに、諭すのでも導くのでもなく、感情をぶつけてしまってごめんなさい」
カリーナさんが深々と頭を下げるので、わたしは慌てて「いえ、わたしが至らなかったのです」と言った。
それからも二人で交互にどちらが悪いのかを譲らず、ーーしばらくして、カリーナさんが吹き出した。
つられてわたしも笑った。
「見習いの間、失敗するのは当たり前のことなのよ。完ぺきにできる人がいたら、それこそ驚くわ。ーーそれにあなたの年齢のことを失念していました。まだ十六だというのに、なぜだか、同じくらいの女性のように感じてしまって」
わたしを見るカリーナさんの瞳は、なにかを見透かしているかのようで、どきりとした。




