11.懐かしい人
ミヤマ・レンをはじめて見たときの感情は忘れられない。
リュディガー王子に連れられて、秘密の抜け穴を通っていく。王子が岩壁のような部分に手を当てると、がたんと音がして壁が扉のように開き、卵色の光が漏れてきた。
そこは三十畳ほどの部屋で、落ち着いた雰囲気だが上質な調度品が置かれている。
王族の住まいがある南棟になんなくたどり着いてしまった。国家的な秘密だろうに、わたしなんかが知っていいのだろうか、消されやしないだろうかと不安を覚えた。
この時間だからかメイドなどはおらず、豪奢なソファの横に銀製のサービスワゴンが置かれており、そこにはほかほかと湯気を立てる紅茶と、三段のケーキスタンドが乗っていた。
一番下にはサンドイッチ、二段目にはケーキやタルト、一番上には焼き菓子が美しく並べられている。
思わずごくりと喉を鳴らしてしまい、リュディガー王子がく、く、と笑いを漏らした。
「君が、日本で生きていたという人?」
その声を聞いたとき、胸が撃ち抜かれるような苦しさに身悶えた。
あまりの衝撃に、恐る恐る顔を上げる。
目の前に立っているのは、端正な顔立ちの、二十代後半くらいの男性だ。
すっきりとした切れ長の一重で、瞳は漆黒。日本人でも茶色がかった瞳の人が多いが、彼の場合は夜空のような深い黒色だった。
鼻筋がすっと通り、薄いくちびるはわずかに微笑みの形に上がっている。まるで俳優のような造作をした人だ。
どうにも言葉に表せない懐かしさで胸がいっぱいになった。
わたしは思わずかつての名を告げ、「もしかして、あなたはわたしの家族ですか?」と尋ねてしまったほどだった。
そばにいたリュディガー王子はぎょっとして、それから呆れた表情になった。
彼は、--深山漣は、一瞬虚をつかれたような顔をして、それから目を細めて笑い、やんわりと否定した。
「--家族にも親戚にも、友人にも。夏山さんという人は居ないな」
考え込むしぐさにも、余裕と色気が見て取れて、わたしはどきりとした。
二十八歳だという彼の年齢が、わたしの精神年齢に近いからかもしれない。
それからわたしたちは、互いの持つ情報を擦り合わせたり、日本食について話したりと、楽しい時間を過ごした。
こんなに笑ったのは、こちらに生を受けてからはじめてかもしれない。
「そういえば、レンはこの先どうするのだ?」
リュディガー王子が尋ねた。彼も同席していたが、ひっそりと聞き役に徹してくれており、同い年のはずだが、大人びた少年だなと好感を持った。
「うーん......」
深山さんは、ソファの背もたれに沈むようにして考え込んでしまった。
「決めかねているんですよ。なにしろ、生き方の指針が見えませんからね。元の世界に戻れるのか、それともずっとここから帰れないのか。
それがわからないから、これからのことを考えづらくって」
「ーー気の毒だが、帰るのはむずかしいと思うぞ。これまでにそのような例は聞いたことがない。迷い人を多く受け入れてきたこの国でも、前例のないことだ」
リュディガー王子が俯く。それから、わたしの方に向き直って、深山さんが保護された経緯を話しはじめた。
「レンは、砂漠の真ん中で見つかったのだ。ここからしばらく行ったところに、砂漠に囲まれたサーブルザント王国がある。
レンが落ちてきたのは、ちょうどその国とわが国との中間点あたりだ。気がついたらそこに居て、わが国へと迷い込んできたところを保護されたという」
「ーー手厚く保護してもらえましたね」
「ああ。正直なところ、幸運だったと思うぞ。サーブルザントは近ごろきな臭い。
彼の国は、昔から異界からの召喚を行なっているのだ。そもそも、わが国の初代王も、サーブルザントに召喚された後、逃げ出したという話だ。」
それは初耳だった。
「ーーまあ、雑談ばかりになってしまいましたけど……リュディガー王子。彼女は本物だと思います。話の整合性が取れている。僕と同じ時代に生きていたのが、僕よりも年下となって生まれ変わっている。そうした不思議はありますが……」
そのとき初めて気がついた。なるほど、ーーわたしは試されていたのか。
すうっと胸の奥が冷えていくような感覚があり、表情をつくるのに難儀した。
その夜はそれで解散となった。行きとは違い、近衛兵に送られて自室近くまで戻った。
砂の王国サーブルザントの物語は、
・完結済み中編『砂の王国と滅びの聖女』
・短編『捨てられ公女は、砂漠の隠れ家を目指す』
に書いてあります。よろしければどうぞ。




