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真っ暗なステージに、大きな和太鼓がぼんやりと浮かんでいる。
ステージ脇には、腹掛け、股引きに半纏、坊主頭に鉢巻きという車引きスタイルの吉田真人が少し緊張しながら立っていた。
和太鼓の横に書かれた大きな『愛』の文字に向かって頷くと、坊主頭をバチを持っていない右手でぐるりと撫でた。それからバチをキュッと音がするほど強く握りしめると、大和太鼓に向かってゆっくりと歩き出した。
吉田は新進気鋭の和太鼓奏者だ。尺八の藤原竜夫とタッグを組んでいる。竜夫の幼なじみのユースケをマネージャーに加えた頃からキーボードとしてヒサシを迎え、屋外ライブから屋内のコンサートにシフトしていた。
吉田は立ち位置のラインを気にする事もなく、適当に舞台の真ん中に立つと客席を向いた。顔にライトが当たって眩しい。目を細めると、はしからはしをずいっと見回した。
この下北沢の小さな劇場は客との距離が近く、反応が早いのがお気に入りだ。もちろん座席は見慣れたファンの顔でいつも満員だ。
愛はどこだ。
吉田はまず、愛を探す。
愛のあげた手を見つけると、満足して微笑んだ。
それから改めて姿勢を正し、客席に向かってきっちり頭を下げる。大きな拍手があがり、くっと唇を引き締め気合いを入れた。吉田が観客に背を向け、半纏を脱いで放り投げた途端、客席は静かになった。
吉田はこの瞬間が一番好きだ。自分の一挙一動を、皆が固唾をのんで見守っている。期待でいっぱいの客の視線が、背中の全細胞に突き刺さってくる。以前タウン誌にインタビューされた時吉田は、そういう時が一番怖いと答えた事がある。皆の期待に応えられなかったらどうしよう。それだけはいつも考えてしまう。金を取るプロとして、必ずいつも自分に問うのだ。それなのに何故続けているのかと質問する記者に吉田は言った、「驚かしたいから」。
吉田は大きく息を吸った。
見てろよ。今すごいのを聴かせてやるから。
バチを大きく振り上げる。肩の筋肉がぷりっと大きく盛り上がった。
愛はいつも決まってこう言う。
「あの時のね、筋肉の盛り上がり方がすごく美しいの」
あなたは知らないでしょうけどと、気の毒そうな顔をする。
知る訳がないよ、背中に目はないんだから。吉田は決まって呆れた。
それがいつもの、演奏後の二人の会話だった。今夜もその為にバチを振るのだ。
吉田の耳に観客が息をのむ音が届く。吉田は心の中で小躍りする。
さあ、いくぜ。心しろよ。
また大きく息を吸うとぐっと腹に力を込めた。
ドオーン。
大きな和太鼓の音が震えながら会場を包み込む。
吉田の腕にその振動と観客のピンク色のため息がハッキリと伝わる。
甘美な轟き。
あこがれの和太鼓奏者、林英哲が教えてくれたシェイクスピアのスウィートサンダーという言葉を思い出す。チームの名前の『雷』はそこから取った。
吉田自身が満足するその音を出せるようにいつも心がけること。
そうすれば後は問題ない。だってほらもうこの瞬間から、和太鼓の奏でる力強い世界に客席中が引きずり込まれている。
吉田は太鼓を打ちながら雲の中を暴れまくる。今吉田は太鼓打ちではなく雷だ。雲の中を暴れながら大きく大きく育っていく。
吉田をライトアップしていた黄色い光は、渦のようにくるくると回りだし、それに合わせるように、竜夫の尺八がどこからともなく聞こえてくる。わあっと客席から声があがり、客席の奥から、竜夫が尺八を吹きながら舞台に向かって歩いて来た。その全てを吉田は背中で見ていた。
タツ、今日もいい音を聴かせるじゃないか。
負けてたまるかと、吉田のバチを持つ手にも力が入る。
和太鼓の音と尺八の音は互いを刺激しては、絡まり合い、くるくると渦を巻くように大きく大きく劇場を包んでいった。




