模擬戦
「副団長、ここはひとつ騎士らしく綺麗さっぱり過去のことを水に流しませんか? このようなやり取りを続けていても不毛ですし」
「……過去? 私とのことを過去だと? おまけに、不毛……!」
(いかん、マジでなにがあったんだ、以前のベルモンドよ。喋れば喋るだけ状況が悪くなる)
「パトリシアさま! 今のベルモンドは昔と違います。今さっきもポーネリアス商会の用心棒であるゴツイネンを麝香騎士団の名誉を穢さぬように、きつく仕置きをしてくれたんですよ! その功績は認めてくれないですかねぇ」
「なるほど。用心棒風情を運よく倒した程度で調子に乗っていると。そういうことですね。いいでしょう、ベルモンド。練兵場に来なさい。私が直々に剣の稽古をつけて差し上げましょう」
「え、えええ。ベルモンド、謝れ。オレも一緒に謝ってやるから、な、な?」
「副団長直々に手合わせとはうれしい限りですな。もっともこちらも病み上がりですので、大丈夫です、淑女相手ですからそれなりの力で、ええ。手加減はしますよ。女相手ですから」
「ばかー!」
アルベルトは蒼白な顔で叫んだ。
ベルモンドが口にした言葉はパトリシアのもっとも嫌う種のものだった。
「ふ、ふふふ。ほほほっ。ベルモンド、あなた、もしかして私に剣で勝てるとでも思っているのですか? 年中酔い潰れているあなたが、この私に? ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。おなかが、私のおなかが……」
怒っていたパトリシアはベルモンドの発言を聞くと、その場で身をくの字に折って笑い出した。
そして彼女が騎士たちを見やると、追従するように冷や汗を浮かばせながら、幾人かが引き攣った笑いを立てた。
なにがおかしいのかわからないが、とりあえずベルモンドも笑った。
「なにがおかしいのですか?」
「さあ? ただ、副団長がご機嫌なので、つい。自分はこう見えても協調性のある男として知られているので」
「馬鹿にして。もしかして、私に勝つおつもりで?」
「……まあ、いいじゃないですか。仕方ありませんよ。淑女が男に負けても」
「ふ、ふふふ。よろしい。立ち合いで、もし、ベルモンドの剣が一度でも私に触れたら、そうですね。あなたの言うことをなんでも聞きましょう。なんでもですよ? ありえないことですが、私の身体を好きにしてくれてもいいんですよ」
「俺は既婚者ですよ」
「だったら愛人でも奴隷にでもすればいいじゃないですか? できるものなら!」
パトリシアはぷんぷん頭から湯気を出して南門をくぐり抜け、騎士団の練兵場に向かう。
「なんで怒ってるんだ?」
「オレ、団長呼んでくるよ。ベルモンドはなんとか時間を稼げ!」
アルベルトは蒼い顔をしてぴゅうっとその場を駆け出した。
「素晴らしい。伝令に採用しても悪くない早駆けだ」
「どこを見ているのですかベルモンド。臆したのならば、ここで跪き私の靴にキスすれば許さなくともないのですのよ」
「あいにくと、淑女に対するキスは手のひらだけと決めておりますので」
パトリシアはひくひくと頬を引き攣らせると、それでも余裕の微笑みを無理やり保ちながら言った。
「ついてきなさい。徹底的に稽古をすれば貴方の記憶も戻らざるを得ないでしょう」
「やれやれ」
南門詰所の裏手に小さな練兵場があった。
丸太の杭で四角に囲われた場所は、盛り土で綺麗にならされており、数十人が身体を動かしても充分すぎるスペースである。
ベルモンドとパトリシアのあとを数名の騎士たちが距離を取っておっかなびっくりついてくる。
練兵場の脇には小さな小屋があった。
パトリシアは小屋に入って木剣を取ってくるとベルモンドに向かって差し出す。
だが、ベルモンドは首を捻って彼女の小さな手を覆う純白の手袋をジッと見るだけだ。
「真剣でやるんじゃないのか?」
「なっ――私が臆病風に吹かれたとでもいいたいのですかっ? 力の差は歴然でしょう! もう、いいです。そこまで言うのなら、とことん――」
「ああ、ごめん。そうだったな。こんなことで怪我をしちゃつまらない。そいつで充分だ」
「――落ち着きなさいパトリシア。これはあの男の巧妙な盤外戦術。心を掻き乱されてはなりません」
「なあ、もういいのか?」
「茶々を入れたのはそっちでしょうが!」
騎士たちが見守る中、ベルモンドとパトリシアは剣を手にして向かい合った。
彼我の距離は五メートル半。
平均的な剣士なならばひと息で詰められる距離である。
「記憶をなくしているというのが本当であるならば、参考までに伝えておきますが、私は五千人が出場した聖アンゼルムス武闘大会で優勝しています。自らの罪を悔い、今後は私の命令に完全服従するというのならば、許して遣わしますが」
「そうか。ならば、是非とも副団長サマの腕を見たいものだ」
「そうですか。では――」
パトリシアの殺気が一気に膨れ上がった。
ベルモンドが生きていた千年前では剣術というものはあったが、それを生業にしている者は数少なかった。
戦場でのメインウエポンは飛距離のある矢が第一であり、次に槍である。
実際、騎馬兵が剣を振るうときは敵の首級を上げるときくらいで、ベルモンドほどの一軍団率いる将になれば、個々との接近戦はまずありえなかった。
本陣は作戦参謀やベルモンドよりもはるかに腕の立つ若い近衛騎士が詰めている。
雑兵同然に戦場を駆けずり回り、率先してモンスターの討伐をしていた若いころならばいざ知らず、剣術の感覚は相当に衰えているだろう。
(この世界で一から自分を鍛え直すならば、大会で優勝したパトリシアとの一戦が試金石になるかもな)
「やああっ」
甲高い声で叫びながらパトリシアが斬り込んでくる。
策もなにもない。
パワーとスピードに特化した正面からの斬撃だ。
おそらくは周囲の騎士たちからすれば、パトリシアの動きは影すら掴めなかっただろう。
彼女が蹴った盛り土はあまりの勢いと衝撃で爆発し、抉れていた。
それほどの踏み込みだった。
「ふむ」
だが、ベルモンドはだらりと垂らした木剣を無造作に振るってパトリシアの斬撃を容易に弾き返した。
かきん
と固い音が鳴ってパトリシアの木剣は天に打ち上げられてからくるくると宙を舞い、後方の地面にカランと転がった。
「え――?」
間の抜けた声。
パトリシアのものだった。