女副団長
別に市内に出入りする人間をイジメるのが役目ではない。
ベルモンドは荷馬車や人間のチェックをアルベルトたちに任せると、手にしていた剣を襤褸切れで丁寧にぬぐった。
「安物だな」
数打ちの剣である。
粗悪品だといえよう。
戦場では使い捨てである剣など消耗品に過ぎないが、騎士団に配給されている物は特に質が悪かった。
「だが、まあ威嚇用には吊ってさえいれば充分か」
腕を一本斬り落としただけで刃がガクガクになっているようではお話にならない。
「暴れている用心棒はどこですか!」
ベルモンドが長剣を鞘に納めていると、背後から若い女の声が聞こえた。
振り返る。
ずいぶんと小奇麗で中々美しい少女がいた。
十七、八だろうか。
金髪のロングのストレートの髪が艶やかに輝き、立っているだけで人の目を引いた。
前髪は綺麗にぱっつんと揃えられているが、精巧に整った容姿には似合っていた。
薄い銀の軽装鎧を着けている。
腰にはロングソードを佩いているが、重みには揺られていない。
(上等な拵えだ。麝香騎士団の面々とは毛色が違う。おそらくはこの都市の名士層の娘か?)
「おい、ベルモンド。パトリシアさまだ! マジィぞ。おまえふけたほうがいいんんじゃないか?」
慌てて駆け寄ってきたアルベルトが教えてくれた。
「誰だ? おまえの知り合いか?」
「あ、そっか、ちっくしょ……そういや、おまえ記憶がないんだったけっか。副団長だよ。麝香騎士団の!」
「じゃあ、別に問題ないじゃないか」
「おまえは素行不良で彼女に嫌われてんの! おまけに入水騒ぎ起こしたときは、騎士団は盗賊団討伐で忙しかったから――ああ、よーするにおまえは目をつけられてんだよ!」
「おお、教えてくれてありがとう。理解できた」
「遅っ。理解遅っ。ああ、ヤベ、もう駄目だ。見つかった。かぁー、またお説教だよ……」
麝香騎士団副団長のパトリシア・ボージョンはベルモンドの姿を見つけると、ズカズカと擬音が鳴りそうなほどの剣幕で距離を詰めてきた。
「おい、逃げるな」
「やだぁ、オレはやっぱ逃げる」
「そういうな御同輩。彼女を俺に紹介してくれ。あいさつをしておきたい。実質記憶がないから初対面みたいなもんだ」
「カミサマぁ……」
「ベルモンド! よくも貴方という人は……あんなことをしでかしておいて、よく詰所に顔を出せましたね」
「どんなといっても……ま、仕事をせねばメシは食えませんからな」
「おいよせよ」
アルベルトが焦った表情でベルモンドの袖を引いた。
「ん? なんだ、アルベルト」
「あ、すいませんパトリシアさま。こいつとちょっと話させください」
「まだ、私の話の途中なのですが……」
ベルモンドはアルベルトに引っ張られて門の陰まで連れてゆかれた。
「パトリシアさまはだな。聖堂教会の主催する聖アンゼルムス武闘大会で優勝なさっているのだぞ。ベルモンドがいくらポーネリアス商会の用心棒を叩きのめしたからって、彼女が相手じゃこてんこてんにされちまう」
アルベルトは興奮し切った表情で言った。
「……そんなお強い副団長さまが商会の横暴を見逃していたというのか」
「商会も馬鹿じゃない。彼女が南門に詰めている時は入る門を変えるんだ。南、西、東ってな。小賢しいぜ。その上副団長にかち合ったときはそれなりに殊勝にしてる。商人は強いものには弱く、弱いものには強いんだ」
「それは兵法にかなっている。大軍と戦うときは、自分より劣った部署を叩いて徹底的に弱らせ、勝てると判断したときにトドメを刺すんだ」
話がさすがに長かったのか、離れて腕組みをしていたパトリシアが歩み寄ってきた。
「貴方たちは先ほどからなんの話をコソコソしているのですか。言いたいことがあるのならば、私の目を見て堂々と言いなさい。それが騎士というものですよ」
「……ということだ、アルベルト。ご忠告ありがとう。あとは俺が彼女と話す」
「あわわ」
「相変わらず酒臭いですね。どうしたあなたのようなどうしようもない屑が我が栄誉ある麝香騎士団に所属しているのか理解できません。団長も甥であるからといって、貴方を甘やかしすぎです。わかっているのですか? 私の声聞こえてます? それともこのご立派なおつむはお出かけ中なのですか? コンコン、こんにちは。いらっしゃいますか?」
パトリシアは整った顔を酷薄に歪めてベルモンドの頭を拳でノックした。
男尊女卑が著しいロムレス王国では男子であり、しかも騎士の称号を持つ相手にこんなことをすればその場で殺されてもおかしくはない侮辱である。
だが、ベルモンドの研ぎ澄まされた自制心はこのような些細なことで微塵も揺らぐことなく普段となんら変わりはなかった。
(思い出すな。ガキのころを。あのころは、もっと酷い目にいつもあっていた)
前世のベルモンドは最終的に万戸候に封じられ、広大な領地と領民を持つに至ったが、生まれは戦災孤児であり幼き日は物乞いから野盗までなんでもやった。
犬扱いされ、存在そのものを罵られ、物理的に殴打され汚物を塗りたくられることも日常茶飯事であった。
そのことを想えばパトリシアの稚拙な挑発はむしろかわいいくらいである。
現に、精神年齢が四十を過ぎているベルモンドからすれば、若く美しい商売女ではない堅気の、しかも貴族階級の娘にここまで接近されるのはご褒美でしかなかった。
「聞こえてらっしゃいますか? それとも起きたまま眠っているのですか?」
「パトリシア副団長。このベルモンドはダーバ河で九死に一生を拾い、文字通り生まれ変わりました。情けなくも記憶を失ってしまいましたが、また一から鍛え直していただけませんでしょうか?」
「……以前も、そうやって私の善心を踏み躙ってくれましたね。ああ、忘れようと思っていましたが、あなたの厚顔無恥なやり方を見ていて、こう、私の記憶は鮮明に蘇ってきましたよ」
ベルモンドはベルモンドなりに礼を尽くして歩み寄ってみたのだが、パトリシアは鬼のような形相で睨んでくる。
(なんとも心が狭い女だが……転生した俺が以前のベルモンドの行動まで責任持てるわけがないじゃないか)
首を傾げてとばっちりを受けないように自分から離れたアルベルトに、ことの内容を知っているかどうかサインを送った。
だが、アルベルトは両手でバッテンを作ると「知らん」とばかりに首を左右に振った。