規律を正す
ベルモンドが朝のラッシュを手伝っていると、事件は起きた。
「な、なにをするんだっ」
「うるせえっ。誰に断りを入れてこの馬車に手ェ出しやがるんだ!」
「なにって、我々は都市の治安と秩序を守る麝香騎士団だ。フライドブルクに入る人間と荷物を調べる責務がある」
「おうおう、おめぇおれっちのこと知っててそういう態度取るんか? おれはポーネリアス商会のゴツイネンさまだぞ。見知ったか!」
「やばい、マチューのやつにポーネリアス商会のこと誰も話してなかったのかよ?」
アルベルトが点検の手を止めて狼狽した声を上げた。
「なんだ、ポーネリアス商会ってのは」
「あそこに居るデカいやつはゴツイネンって言って他領から来た荒くれ者なんだ。それに団長からはできるだけポーネリアス商会とゴタゴタを起こすなって言われてるしさ。マチューはいつも西門に居るんだ。だから、南門の業者のことをよく知らなくて、このままじゃマズいぞ」
「なにをそんなに慌てている……? ただの出入りの商人だろう」
「おまえ、ホントに忘れちまったのか。前はゴツイネンに食ってかかってこっぴどくやられたのに」
驚愕した表情でアルベルトが目を剥く。
ベルモンドが視点を転ずると同僚であるマチューが色の黒い大男に胸ぐらを掴まれ高々と持ち上げられていた。
(癒着というほどでもないが、それが慣例なのだろうな。あのゴツイネンというのは商会の用心棒。今まで誰にも文句を言われなかったのであそこまで増長したのか)
周囲を見渡すと騎士たちは、ある者はうつむき、ある者は蒼い顔をしてことの成り行きを見守るだけだった。
(やれやれ、このようなことを許しているようではいざというとき街を守ることなどできないだろうが)
「わかった。とりあえず誰も仲裁に出ないようだし、俺が話をつけてくる」
「お、おい、ちょっと待ったベルモンド。今、エドモンが副団長を呼びに行ったから! とにかくオレたちは下っ端だぜ。上の命令を待とうよ!」
「それじゃあ間に合わないだろう。将、軍中にありては君命をも受けざるところにありってな」
「なにを言っているんだ。ああ、もう。これじゃあ前みたく酔っぱらってくれてたほうがマシだよ」
「なんだ、来るのか?」
「おまえを前みたく見捨てたら今度こそ死んじまうよ」
ベルモンドが動くとそのあとをアルベルトがガタガタブルブル震えながらついてくる。
(ほお、なんだかんだいって義侠心があるな)
上半身諸肌脱ぎのゴツイネンは真っ黒に日焼けした巨漢だった。
二メートル近い巨躯に発達した全身はまさしく筋肉ダルマと形容するのが相応しい禍々しさだ。
「おい、そのへんにしておけよ。お縄を頂戴したいのか」
「ああっ。誰だァ! ってなんでぇ、あのへぼくれベルモンドじゃねぇか? ああ、おい」
スキンヘッドの大男は襟元を掴んで高い高いしていたマチューを放り捨てると、下卑た顔でニヤつきながら近寄ってきた。
「はわわ……」
もはやそれだけでアルベルトなどは顔面蒼白である。
「おめぇ酔っぱらってダーバ河で溺れ死んだって聞いたぜ? おとなしく死んどけば、また、いつかみてぇにイキってこのおれっちにいじめられずにすんだのによぉ。へへ、そういえば、テメェにはもったいねぇ女房のジャクリーヌをおれさまに献上する気になったかよ? テメェみてぇな酒が脳にまで浸かった男じゃジャクリーヌを満足させられねぇだろうよ。ああ? いいか、今夜中に女房を商会まで絶対寄越すんだぞ! おれ好みのエロい下着を着けさせてだぞ。跪かせて、けけけ、たまんねぇ、たまんねぇなあ、おい。わかったか? じゃなきゃ、こうだぞ!」
「ひいっ」
ゴツイネンがドンブリのような巨大な拳を振り上げるとアルベルトは悲鳴を上げて頭を抱えた。
「言いたいことはそれだけか? ならば、とっとと列に並んで点検を受けろ。おとなしく態度を改めれば罪を減じてこの場は見逃してやるぞ」
――だが、ベルモンドは顔色ひとつ変えずにジッと立ったままゴツイネンをまっすぐ見つめていた。
「このガキャあ! 気が変わったぜ。この場でボッコボコにしてテメェの女房を呼びつけ、この場でストリップショーさせてやるぜ」
「朝からよくもまあくだらんことばかり思いつくな。欲求不満なのか? もっともその面相では婦女子に相手にされないだろうから気持ちは察するが」
ゴツイネンの額の血管がプッと太く浮き上がった。
「おらあっ!」
ベルモンドへとゴツイネンの拳が振り下ろされる。
――だが、人々の予想を裏切ってベルモンドはあっさりと拳を受け止めた。
「がっ、離せよ、離せ、がっ……!」
手首を掴んだ。
ベルモンドはゴツイネンにいつもと変わらぬ視線を向けながら握る手に力を込めた。
「が、あぐっ、がああっ!」
ゴツイネンの巨体が両膝を折って地に沈む。
傍から見ればベルモンドは軽くゴツイネンの右手首を握っているようにしか見えない。
だが、真実はとんでもない力がかかっているのだろう。
ゴツイネンの手首は鬱血して青紫になった。
ごきり
ついには骨の鳴る音がやけに軽く響いた。
「ほら、離したぞ」
ベルモンドがなんてことのないように言った。
絶叫が轟き渡った。
ゴツイネンは完全に砕かれた右手首を左手で押さえながら地をゴロゴロ転がって苦悶の呻き声を上げる。
(こういう手合いは他人の痛みには疎く、自分自身は酷く痛がりだ)
ベルモンドはゴツイネンの折れた右手首をカカトでギュウと踏みしめた。
ゴツイネンは狂った獣のような声を上げて、両眼と口とをこれ以上は不可能なくらいに開いた。
カカトを離すとゴツイネンは獣のような唸り声を上げて背後に飛び退ると、怪我のしていない左手で馬車に積んであったこん棒を握った。
樫で作られているそれは丸太のように大きく太く、握りのところだけがわずかに細く削られていた。
「なめんじゃねぇぞう! 殺す、おれさまをこんな目に合わせやがって。ぜってぇに殺してやるううっ!」
「聞きわけがない駄々っ子だな」
ゴツイネンがこん棒を大上段に振り上げている。
アルベルトや同僚や周囲の出入り商人たちが、怒号や悲鳴を上げていた。
(大層な騒ぎだな。これがこの世界の用心棒の実力か)
千軍万馬の軍人であるベルモンドは正規の剣法を身に着けていたわけではないが、若いころは誰よりも早く敵の陣に槍を入れることを得意としていた。
いわば戦場で鍛えた実践剣法だ。
そして目の前のゴツイネンが振るう棒きれに対して、いかにも彼が人を殺し慣れていないことが、すぐに見て取れた。
――それ以前に技術のすべてが稚拙すぎる。
あくびを噛み殺しながら距離を詰め、剣を鞘から払った。
上段に剣を振り上げる。
刃はゴツイネンのこん棒を輪切りにすると、高々と天に巻き上げた。
「――は?」
ゴツイネンは巨木のような自分の太い右の二の腕を見て間の抜けた声を出した。
そこは、最初からなかったかのように綺麗さっぱり切り取られていたのだ。
勢いよく血が滴る。
自分の鮮血を目にしながらゴツイネンは尻もちを突くと、絶叫した。
「ほら、おまえの腕だ。腕のいい治癒魔術士なら余裕でくっつけられるだろう」
太いハムのような右腕をベルモンドが放る。
血に塗れた腕はゴロンと転がってゴツイネンの目の前で止まった。
ゴツイネンは四つん這いになって女のような声で泣いた。
「よく聞け。もう一度だけ言う。その空っぽの頭に染みこませておけ。ルールに則った点検を受けろ。以上だ」
「わかっ、わがりまじだああっ。だがら、だがら、腕を、腕をおおっ。医者、医者呼んでェ」
戦意喪失。
この四文字が相応しい幕切れだった。
「おい、ポーネリアス商会の者たち。おまえのところの用心棒だろう。とっととコイツを連れて先に入れ。ああ、当然荷馬車は既定の点検を受けてからだが文句はないよな?」
ベルモンドの百万ドルの笑顔に否と言える人間はひとりも現れなかった。




