軍神
黎明――。
敵将ラバールはベルモンドの読み通り、大軍を西に集結させ、一気に攻め寄せた。
「芸のないやつよ」
いくさの呼吸を読み切っていたベルモンドは兵たちに、縄を縛りつけた石を用意させ、勇んで突撃してくる敵兵に向かって一気に投げさせた。
木製である攻城兵器は流星のように飛んでくる大石に砕かれ、不意を突かれたせいで脆くも崩れさった。
「さあ、野良犬どもを一気に蹴散らすぞ」
ベルモンドは突騎を繰り出すと自ら馬を駆って敵陣に乗り込み、縦横無尽に暴れて黒刃賊を叩き潰した。
数千の死傷者を出して壊乱した黒刃賊はさすがに懲りたのか、本陣を下げて城方の様子を窺うようになった。
日夜、抗戦を続ける軍民を励ましながら、ベルモンドは片時もなく作戦を考え続けた。
敵兵の圧力は徐々に弱まっている。
初めは三万を超えていた黒刃賊も今や二万を割るほどになっている。
だが、こちらの被害も大きかった。
新たに徴募した兵の弱さはベルモンドの想像以上だった。
――残存兵は二千を切ったか。
すでに戦闘が始まってから五十日近くが経とうとしている。
「そうか。敵の輜重隊は林の中か」
偵騎の情報をつぶさに頭の中で噛み砕いたベルモンドは拳で自分の顎を数度叩き、呻き声を漏らした。
流軍である黒刃賊は一カ所にとどまり続けることなく、絶えず移動をしていたのは、補給を略奪によって補っていたからだった。フライドブルクの領民のほとんどは城内にあり、さらには二カ月近い戦闘で、補給が滞りつつある。
「敵軍は幹部のみ飲食を厚くし、末端の兵は飢えています」
「夜襲を決行しよう」
ベルモンドは奇襲部隊にパトリシアと麝香騎士団のメンバーを任命した。
騎馬に長けている貴族はすでに少ない。彼らは【明けの明星】との戦いで、ほかの農兵よりも経験と練度は共に上回っている。
「よくぞわたしを思い出してくれました。必ずや賊兵の輜重を焼き払って貴方の心に答えます」
「死ぬなよ、パトリシア」
「ええ、決して死にませんとも。敵を見事に飢えさせてさしあげましょう」
夜半に出撃した二百騎はフライドブルクにおける騎兵のほとんどである。
この攻撃にはもっともスピードが求められ、そしてパトリシア以下の騎士たちはベルモンドの期待に応えた。
所詮は賊であり、白兵戦で恐れられた黒刃賊は輜重隊を充分な守兵で防御するという思想が根底になかった。
パトリシアが率いる騎兵は黒刃賊の軍需物資を焼き払い、補充の可能性を消失させた。
――だが、これにある意味賭けだった。
退くことができなくなった賊軍の攻撃はその日から苛烈を極めた。
「将軍、死傷者の数が多すぎて西門が守れません」
「南門への圧力も相当です」
わかっていたことだった。静観も退却もできなくなった黒刃賊が最後の力を振り絞って城を喰らおうと吠え立てている。
「だが、所詮はただの断末魔。ロウソクの灯が消える前の輝きに過ぎない」
ベルモンドは捕らえた敵兵を属将に命じて幕営に引き出した。
誰もが一応は甲冑をつけているが、あきらかに奪ったものや拾ったものが多く、ほつれや破れが大きく流軍の惨めさをより一層強調していた。
賊兵はベルモンドの勇猛さを骨の髄まで知っていたので、本人が年若いとはいえ、酷く怯えていた。
「わたしはおまえたちを罰しようというわけではない。条件次第で解放しよう」
「と、申されますのは?」
捕虜の中でも年嵩の男が恐る恐る訊ねてくる。
「実はな、正直なところ、我が軍の兵糧は尽きかけている。それで、余計な捕虜をこれ以上養うゆとりがなくなったのだ。おまえたちは食うに困って嫌々賊軍に参加したと見た。よってこのことを戻ったら仲間たちに伝えて情に訴えて、脱出するように仕向けてもらえぬか?」
「まあ、その程度でしたら」
賊兵のひとりが困惑したかのように言った。
それからベルモンドはおもむろに城から西にある大きな樹のある方角に目を細めて眉根を寄せた。
「見よ。あのそびえたつ神樹を。あれはフライドブルクの守り神のようなものだ。これ以上戦いが続いて、もし、あの樹になにかあったとしたら、我らはご先祖さまに顔向けができん」
――神樹とはフライドブルクに住む人間ならば誰でも知っている、樹齢数千年を誇る西に生えている大樹のことだ。
これらはいわゆるフライドブルクに住む人々の精神的支柱であった。人々は、晴れの日には一族でそろって神樹まで出かけハイキングを楽しんだり、年に一度は祭りを行って方策を祈願するなど、一種の土着信仰的なものがあり、教会を半ばそれを認めるほど、一連の行事は確立されていた。
「あの神樹が見守っている限り、我らは安泰だ。この城も落ちることはないだろう」
ベルモンドはそう語って聞かせると捕虜を解放した。
「将軍、なぜ、あのような詐言を……?」
「まあ、見ていろ」
解放された捕虜はラバールのもとに連れていかれると、ベルモンドから聞かされた言葉を一言一句、狂いなく語って聞かせた。
――なるほど。よいこと聞いた。尽きかけた兵糧。それに神樹か。
知恵がないわけではないラバールはニヤリと笑貌を露にすると、兵を繰り出して西方にある神樹を焼いた。
巨木である。
遠目でも、闇の中に咲き誇る巨大な紅蓮の花は、禍々しいほど美しく、そしてフライドブルク人の心も焼き尽くした。
「愚かな賊が。一兵たりとて許しはせん。地獄に送ってやる」
ラバールはベルモンドの策によってまんまと神樹を斃すように誘引され、人々の怒りを買った。
――士気はこれで充分。ようやく最後の決戦に移れる。
ベルモンドはウィスタリア屋敷に向かうと倉庫に貯蔵してあった金穀に絹を残らず引き出すと将兵に引き渡した。
これにはさすがの都市長も慌てて猛烈な抗議を行った。
だが、ベルモンドは目を怒らせて、老齢といってもいい都市長を一喝した。
「城が落ちれば財も人もすべて黒刃賊に奪われる。今必要なのは兵たちに褒美を与えて士気を上げられるだけ上げることだ。邪魔をするならば、我が剣がお主を断つ」
必殺の気合で恫喝された都市長は震え上がり、それを目にしたテオドールも、この息子ほどの年齢のベルモンドに冷や汗をかいた。
「わたしはあなたにすべてを託しました。戦略上わたしの命が必要ならばいつでも言ってください。迷うことなく従います」
アンヌ王女の言葉を聞き、財宝を与えられた励まされた兵士たちは勇気百倍となりベルモンドの指示を待った。
怒りを力に変える魔法をベルモンドは掌中にしていた。
これは即席で得られたものではない。
戦い続けた数十年でベルモンドが手に入れた、余人には到底届かぬ、技術であった。
この二カ月ほどの戦闘でベルモンドのカリスマに服さぬ兵はひとりもいなくなっていた。
そして属将とベルモンドの意志はこのうえなく統一されている
ベルモンドは出撃の前に王女に拝謁を願った。
「わたしの予測では、明日、日が中天に昇るとき、四半刻だけ雨が降ります」
「その雨、是一本にて候」
天与の時を見逃さないベルモンドはやはり古代から現代に至る季節の中で五本の指に入るであろう名将中の名将だった。
「墨守せよ」
その日も黒刃賊の執拗な城攻めが行われたが、ベルモンドは城兵に敢えて反撃を命じず、守りに守った。
「よいか。城壁に攀じ登ってきたときだけ石を落とせ。決して矢を放ってはならない」
朝方から延々と攻撃を行っていた黒刃賊であったが、もはや千そこそことなった城兵を攻め切ることができない。
――もはや戦意も失ったか。
先日の神樹焼き討ちによって、フライドブルク軍が完全に萎えたと決めつけたラバールは鼻を鳴らしながら兵を引かせた。
「さあ、総仕上げだ。天の神々よご照覧あれ」
ベルモンドは南門を開いた。
これに驚愕したのはラバールである。
そしてラバールはこれを好機と見たのだ。
――城兵の戦意はすでに喪失している。
ラバールは賊にありがちな野戦の強さを誇るだけの将であった。
実は、わざと多数の黒刃賊を捕虜として城内に送り込んでいた事実があり、それが実ったのだと勘違いをしたのだ。
だが、ベルモンドはその程度の詐術を見破れないほど愚将ではない。
あからさまに態度のおかしい兵士を見破ると、むしろこちら側に移るよう説得し、欺瞞情報を黒刃賊側に流していたのだった。
ついに実りを手にするときがきた。
「開城だ。ゆけ、欲しいものは思いのままだ」
勇躍して南門から飛び込んだ黒刃賊であったが、彼らの歓喜は一瞬にして地獄に落とされた。
門のすぐそばには周到に掘られた落とし穴が深く口を開けて死神の咢のように賊兵たちを待ち受けていたのだ。
一気に数千の黒刃賊が穴に落ち込み死傷した。そして門の前後に押し合いへし合いとなって身動きが取れなくなった賊たちに弩の雨が再び浴びせられたのだ。
「ここが切所ぞ。守り抜け」
理由はどうあれ、兵が城内に入れば結果は決まっている。
黒刃賊は毒塗りの剣を手にして白兵戦に移り、数が少ない城兵は危機に陥ったかに見えた。
「雨、だと?」
天が泣いている――。
小さくあった雨粒は次第に勢いを増して、豪雨となり、両軍は互いの顔が見えぬほどの水量で圧し潰されそうになる。
「みよ、敵の毒刃はすでに封じられた。女神が微笑まれたのだ」
ベルモンドの佐将のひとりがそう叫ぶと、城兵は一挙に黒刃賊に打ちかかり、門の外へと押し返した。
死骸は万余を超えて積み上がり、賊兵は戦意を失って後退する。
さらに、西門から回っていた騎兵が団子状態になっていた賊軍の腹背を鋭く抉った。
矢を使わずに我慢していたのはこの時のためである。
南門の城壁に蹲っていた射手三百が一斉に弩から矢を解き放った。
みるみるうちに黒刃賊は倒れてゆき、後拒が馬首を翻して次々に退いてゆく。
黒刃賊の粘りがなかったのは、やはり兵糧の欠乏が大きかったのだろう。
通常ではありえないことだが、数十倍の兵力を持つ黒刃賊は、すでに赤子が片手で押してもあっさり倒れるほどに弱体化していた。
搦め手の突騎を指揮していたベルモンドは馬上で指揮をする大柄な男を見つけたとき、馬腹を蹴っていた。
「そこなるは賊将ラバールと見た」
ベルモンドの膨れ上がった闘気を受けたラバールが馬上で向き直った。
「死ねい!」
ラバールの吠え声が轟くよりも早く、ベルモンドは騎馬を寄せていた。
次の瞬間、ベルモンドが振るった長剣がラバールの首を高々と跳ね上げていた。
ほぼ同時に、天が配慮したがごとくに雨が上がり、黒雲が東へ疾駆した。
「敵将ラバールはフライドブルクの将ベルモンドが討ち取ったぞ!」
ラバールの首を上げたのは殊勲ではあるが、戦術的にはダメ押し程度でしかなかった。
怒りで燃えに燃え、財貨と兵糧で心身が充実した城兵ひとりひとりが持てる力を最大限に発揮し、大陸最悪で知られる黒刃賊を撃滅したのだ。
このとき、黒刃賊に冷静な将がいれば、離れた後陣の二千を使って、万余の兵を立て直すことも不可能ではなかったが、それほど統制力を持つ将はいなかった。
ベルモンドは城内からありったけの兵力を押し出して、ここぞとばかりに賊を捕斬した。
平野には五千を超える死骸が散らばり、腐臭は数カ月の間、消えなかった。
この追われる際の脆さはなんということだろうか――。
ベルモンドは馬を走らせながら、想った。
所詮、奪って、移動するだけの集団には、故郷を守ろうとする民衆たちが持つ、死に体から振り絞って出す、粘りが欠けていたのだ。
「勝ったのか」
城兵のひとりが槍にすがりながら、濛々と砂塵を撒き散らし逃げてゆく賊徒の姿を見て、ぽつりと漏らした。
闇がフライドブルクから去った瞬間だった。
戦後処理が終わって、家に戻れたのは十日後のことだった。
ベルモンドはかつて酔いどれの社会不適合者であった過去などなかったかのように、王女をはじめとしたあらゆる人物に歓待され英雄と呼ばれた。
褒賞や名誉などもベルモンドはなによりも妻と義妹の待つ家に帰りたかった。
ゆっくりと街並みを歩く。
ベルモンドは街中の人間に知られているが、彼が愛する妻と義妹のもとに帰ることがわかると、人々は遮ることをしなかった。
勝てると確信していたいくさに負けたことも一度や二度ではない。
可能性の問題だ。
屍となって棺に込められることもゼロではない。
だが、勝った。
それがすべてである。
(柄にもなく、さびしがってやがる)
自嘲が浮かぶ。
声が聞こえた気がした。
うつむいていた顔を上げる。
坂を下った向こうから名を呼ぶ女の声が聞こえた。
我が名はベルモンド。
蘇った軍神は石畳を転ぶように駆け寄る家族たちに大きく手を振って、やがて自分も走り出した。




